第6話「星空」
──煌王暦1185年、3月31日。
エスタール帝国、ザリツブルク領、ヨーハン・ポガウ郡。
戦闘開始より、一夜明けた今日。
日帰り任務が主であった私からすると、少しだけ緊張を隠せない暗黒での野宿ではあったが、都市部よりも澄んだ星空は、心奪われる景色と形容していいものだった。
戦時中とはいえ、ささやかな贈り物で心を癒すくらい、バチは当たらないだろう。
そんなことより、昨夕のラインの発言が、頭の中で回遊していた。
彼が私に、言ってしまえば従順な態度で接するのは、私の先祖の魔族支配が関係しているのでは、という可能性に息が詰まっていた。
だからどうしたと言われれば、その通りなのだが、彼に見出した純心性というか、いや、そこまで凝り固まったものでもなく──あの優しい笑顔までも、私の一族のために作られたものなのかと思うと、哀しいものがある。
ただ、それを直接彼に問う勇気すら持ち合わせていなくて。
作戦続行の掛け声に、今は従うのみ。
「想定されていたより、敵側の兵力は少数だったようだが···どうも不可解だ。ここイル川流域で防衛できないとなると、もう領都手前の要塞しかない。何か別の目的が······?」
「なァに日和ってんだよ隊長。そもそも帝国だって大戦でズタボロのクソボロ雑巾だったんだろ? そんなんで戦争なんて、土台無理な話だったってだけだろーが」
「ま、領土問題とか輸出規制とか、開戦仕向けるよう姑息なことしてたのこっちだけどな」
「フルーゲ。お得意の社会の授業で、まさか軍警と仲良く後方でお勉強したいわけではないだろう?」
「へ、冗談きついっすよクレス隊長······」
雑談に花を咲かせつつ、それを他所にアズメルは索敵に集中しているようだ。
ただ実際のところ、クレス中尉の言うように、敵はかなり少数勢力で防衛を命じられていたようだ。彼女の鋭い横顔から、焦りなどは見られない。
所々に、黒く焦げた輸送トラックや戦車などが散見されるが、依然として平野は静まり返っている。
私たち行動小隊は、北部から主力部隊への合流を命じられた。
フルーゲ曰く、敵が少数勢力だから、各個撃破されないためにも、部隊を集中させた一転突破を司令部は狙ってるいるのでは、とのことだった。
特に私たちが元々展開していた地域は、魔族の発生頻度が大陸でも群を抜いて高い場所として有名だった。自然の要衝に任せてしまおうという、随分大胆な考えに聞こえるが、はたして。
「もう主力の旅団が見えてくるはずだが······あれだ」
「第1師兵団と第3師兵団の選りすぐりですっけ? エリート様が勢ぞろいで、最悪な雰囲気っすね」
無舗装だが、道と言える道に合流する。
ちょうど、兵士や物資を載せたトラックが私たちを追い抜いていく。
遠くにはアルペン山脈の漂白された頂が見える。東端はエスタール、西端は花の隣国にまでおよび、古代より国家の盛衰を記憶してきた、まさに母なる大地だ。
その眼下において、私たちは次の一手への準備を進めていた。
「そこの。上官はどこにいる?」
「は···? あ、あぁ、大尉は指揮所···えと、療養テントを超えたとこにある掩体壕にいるはず、です······」
「ありがとう。行くぞ」
クレス中尉が話しかけた兵士は、熱心に本国の雑誌を読んでいたからか、唐突な問いかけに面食らった様子だった。
だがそれ以上に、第5師兵団所属を表す『角笛』が刺繍された腕章に不信感を抱いたのかもしれない。
元はと言えば、半世紀ほど前の民謡詩集からデザインされたというのに、どうにも軽蔑の対象となっているようで。
「少尉。浮かない顔だな」
「ええ、まぁ······。こういう視線は久々なので」
「そうだな。外にいれば、すぐに慣れる──いや、そんなことはないな。そうでない方が正しいはずなんだがな」
そう呟いた中尉の目は、はるか遠くを見ているようだった。
なんとなく、カイやアズメルの人となりは分かった気がしないでもないが、この人のことはまだ良く分からなかった。
「──おい、君たち第5師兵団だな?」
「あァ? そういうテメーはどこのどいつだコラ」
突然、後ろで言い争う声が聞こえてきた。
ずっと目を擦ってとぼとぼ歩いていたハインサイト伍長の荒い声だ。
「おいおい、急に喧嘩腰かい? やはり魔法使い程度の下卑た身分じゃまともに会話もできんらしい。
──第3師兵団さ。君たちのような奴士とは比べ物にならない魔道士だ、敬ってくれていいよ」
「どこまでお花畑な頭ン中してやがる。上品なやつらの言葉ってのはお飾りが多くて話が見えてこねーよ」
「ハインサイト、やめろ──」
「おや、クレス魔道士、君か」
「······カロッサ中尉」
何やら、突っかかってきた魔術師の先頭に立つ男性と、クレス中尉は知り合いのようだ。
いきり立つハインサイトを片手で押さえつつ、しかし低頭になるわけでもなく、クレスは睨みを利かせていた。
「『下級師官』と呼んでほしいね。
そんなことより、優秀な君が、こんなふざけた部隊を任せられるとは、不憫なことだ。
どうかな? 第3で、君を引き取ってもいいよ。もちろん、魔術を習得してくれるなら、だけどね」
隠すこともない、清々しいほどの嫌味だ。
カロッサ、そう呼ばれていた兵士の後ろにいる魔術師たちも、クスクス見下すような微笑をしてみせる。
この騒ぎに、周りの関係ない兵士たちもざわつき始めるが、魔術師と魔法使いの諍いと気づいてか、目を逸らしていく。
「それに今、話題になってるよ。そこの大罪人を解き放つことですら驚きものだというのに、まさか魔族をも投入した実験部隊だとね」
寒気が、頭先から肩を伝っていく。気味の悪い視線が私の足先まで舐めまわすように駆け巡る。
魔術師連中からしたら、私やラインは許し難い存在であるのだろう。それが同国家、同軍に在籍しているのだから、憤るのも頷けなくはない。
が、私がこの人たちに直接何かしたのだろうか。
「──惜しいなカロッサ。我々は実戦部隊だ。付け加えるなら、貴様らの上の···魔道協会からの認可で動いている部隊でもある。
ふっ、協会は、在来戦力では厳しいとでも判断したんじゃないか。だから貴様らの言う、犯罪者や化け物に力を借りて······そういうことだろう?」
クレスの一言に、カロッサのこめかみが一瞬、ピクリと反応する。
「······クレス。軍艦を落としただとか、その程度で調子に乗るんじゃないぞ。所詮は軍と政府の飼い犬、身の程を弁えるんだな」
「そうだな。協会の遣い烏の貴様らとは、上手くやれそうにない」
「······何を言っても無駄みたいだね。行くぞ」
捨て台詞を吐いて、カロッサ中尉以下魔術師たちは立ち去っていった。
結局、伍長を抑えるどころか、クレス中尉が一番嚙みついていた。
はらはらしたが、こう、何というか、胸がすくような気持だった。
「チッ。クソ魔術師どもが。隊長も、俺のこと押えなくて良かっただろーが」
「貴様は手を出すだろうが。それだけはダメだ」
「ケッ、どいつもこいつも······。
なァ少尉さんよ、あいつのこと一緒に殴りにいかねーか?」
「い、いや。やるなら一人でどうぞ」
「ビビんなって、大丈夫だよ。アンタの強さは俺が保証してんだから──」
「ミルニス少尉。こいつの話は聞き流していい。適当に話してるんだから、同じように流してるくらいでいい」
クレスの一言に、フルーゲとカイがつい吹き出す。
今度はそれに激怒したハインサイトが、二人に飛びかかる。陣地のど真ん中で。
これは確かに、アズメルの言う通り子どもらしい。そう言った本人は、とうにそっぽ向いている。
「ミルニス。楽しそうですね」
「え?」
背後から、ラインが囁く。
それでやっと気が付いた。少し、口角が上がっていたかも。
「そうだね。彼らとは同僚というには浅い関係だし、ましてや友人だなんて言えないものだけど······こういうの、すごい久しぶりだ」
「······」
ラインは、口を少し開けたかと思えば、すぐに閉口してしまった。
ちょっぴり珍しくも感じる動きだ。
同僚やら友人やら、彼を馬鹿にするつもりはないが、伝わりにくい言葉だったか?
とはいえ、天使と聞くが、初対面の時から随分と人間社会に精通している様子だった。
そう、そうだった。
今にして思えば、魔族があそこまで人馴れしていることに、なぜ疑問符がなかったのだろうか。
「──ねぇ、ライン」
「はい」
「ひとつ、聞きたいのだけれど、あなたはいつからこの国にいるか、覚えてる?」
緊張してはいない。声も普通、程よい声量で。
ただ心臓はどんどん鼓動を強めていた。
私が打ち明けられず逡巡していた『可能性』が、ここで打ち消されるのではという希望より、もし事実だった場合の絶望によるものだ。きっとそうだという確信がある。
「いつから······と問われると難しいですね。一番最初の記憶は、レイン川付近の森林にいたことですが······それから長い、非常に長い時間が経ってから人里におりました。
その時初めて、暦を知りましたので」
「······過去に、人間と関わったことはあるの?」
「過去──しっかり面識を持ったのは、ユフト少佐が初めてです」
考え込む様子もなく、さらっと言ってみせた。
私の考え過ぎ、なのかな。
「クレス隊長は指揮所に行ったみたいだし、少し時間があるから······ちょっとお話してもいい?」
「もちろんです」
だがやはり、私の話なら、という目の色だ。
「······私の血の、先祖の話って、ラインは聞いたことある?」
「いえ、ありません。ですが気になります」
「······すごい昔のことなんだけどね。
暗黒時代、なんて呼ばれたりする、魔族と旧貴族の人類支配の時代があったんだ。その旧貴族が、私の先祖で···数多くの魔族に〝服従〟を強制させて、きっと──多くの人を不幸にしたんだと思う」
自分の手に目を落とす。
この話を他人に語ると、これが自分のものではないようにすら感じてしまう。
「そういうこともあって、魔法使いの立場は悪い。私の存在は、もっと悪い。
でも今は、それだけじゃなくて···あなたも巻き込んでしまっていたかもって考えると、余計に私は、自分の血が恨めしい······」
「······」
「なんて、言ってもしょうがないよね」
精一杯、笑顔を見せる。
するとラインは、ゆっくりこちらに歩み寄ってくる。
そのまま、私の右手を大事そうにしながらとる。
「あなたの不安に対する答えではありませんが、それでも──それでも、私を外に連れ出してくれたのは、あなたなんです。ミルニス」
「それは······」
「私があなたに親しみを覚えるのは、あなたが自然を愛する人間だからだと信じています」
「自然を···?」
「はい。私たち魔族は、自然の魔素から発生しますから、当然それらの『力』を有しています。
それに、自然の声、とでも言ったら良いのでしょうか。昨日もお話したように、空気から、山河から、草花から受け取れる情報で──あなたが心から彼らを慈しんでいることを、知っていますから」
すると、彼に握られた手が、温かく感じる。
それは魔法や、魔術、あるいは奇跡だなんてことはなく。
ラインの手の温かさだ。
「あなたのその慈愛は、私にとって、とても嬉しいものなのです。
同族も同胞も、そんな概念のない私たち魔族にとっての、唯一の拠り所は自然ですから」
──本当に、彼に出会ってから、驚かされてばかりだ。
まさか魔族から励ましを貰えるなんて、誰が考えるのだろうか。
ラインの顔は、決して笑顔ではないし、むしろ真面目で凛々しさを感じるもので。
けれど、そんな彼から、確かな優しさと、温かさを感じるのも、また事実だ。
ずっと心の奥にあった『乖離』──魔族なんかが、こんな綺麗な目だなんて。そう不気味に感じてもいたが。
彼だから、こんなに澄んだ色をしているのだ。
ふと思い出したのは、昨日の満天の星空だった。