第2話「扉の向こう」
──煌王暦1185年、3月25日。
イースヴィヒ連邦共和国、ベクトール中央州。
軍本部、地下監房。
「あー、まったく大変なことしてくれたね」
辺りに倒れ込んだ兵士たちを見下ろしながら、ユフト少佐は相変わらず他人事のように呟いた。
ただ、私も同じだった。
激痛と恐怖に呑まれているだろう彼らを前にして、これといった感情はない。まぁ、少しばかり同情してやらなくもない。
「天使クン、何か言いたいことは?」
「······」
「ダンマリか、まったく···。
──ああ、私だ。第2師兵団がいるだろう、衛生兵を下によこしてほしい······そう、至急ね。······いや、ただ武器が暴発しただけ。上には私が報告するよ」
「少佐?」
「ああ、気にしなくていいよ。
とりあえず、ホーライト魔道兵。返事はどうする?」
既に決心はついていた。
それを踏まえて、私の後ろに立つ天使を、頭だけ振り返り、少し見る。それから壁にめり込まれた兵士たちに視線を戻す。
確かに、恐ろしい魔人であることは確かみたい。
それでも、やっぱり······。
「──私は、魔法使いとして···与えられた任務はこなします」
「よろしい」
少佐は手を広げ、相も変わらず不敵な笑みを見せる。
逃げ出せるなら、どこかへ逃げてしまいたい。
ただ、どこへ?
彷徨する私を、血の呪縛は離さない。
だったら前に進み続けるしかない。
そして私の向かう先には、きっと破滅が待ってる。
この天使を見て、確信を持ってそう答える。こんなの、悪魔の契約だ。
ただ、それでも。
私は生きたいと願う。
醜く求めてしまう。
それなら魔人でも天使でも、なんだって飲み込んでやるしかない。
──軍用車に揺られながら、流れゆく街並みを、ただただ眺めていた。
正直なところ、市井の人々の浮かれようは、理解できない。
我がイースの東部に国境を接するエスタール帝国と戦争が始まって、もう一ヶ月になる。
大きな損害を出しただけに留まった大陸戦争から僅か2年と数ヶ月。国内は厭戦ムードかと思えば、そんなことはない。
空を埋めつくさんばかりの魔道艦隊に万人が歓喜し、道路を我が物顔で行進する戦車隊に紙吹雪が舞う。
そして、ただの貧相な軍用車にすら、子どもたちは祖国の旗を片手に、もう片方は天を目掛けて握りこぶし。離されると分かっているだろうに、笑顔ながら懸命に並走する。
私も、流石に子どもの手前、なけなしのみっともない笑顔で手を振ってみせる。
──その横に、厄災とも言える天使が乗車しているとは、誰も思うまい。
今は、第5師兵団──魔法科軍団への転任辞令が下されたため、第5の司令基地へ移動中だ。
二日前、唐突に辞令が渡されたものだから、それはもう驚かずにはいられなかった。
「──第5師兵団···に、転任でありますか? シュテルハルデン大尉」
「ああ。執行部に辞令が回ってきた。大方、ユフト少佐がほったらかしにしてたんだろう」
執行部隊の上官であるシュテルハルデン執行大尉は、腫れ物に触るようにしながら、辞令を放ってきた。
「それは、天使も共にでありますか?」
「当たり前だろう。少尉は第5の魔法運用顧問として、そして天使は貴様の装備品として···ということで表向きは通すつもりらしい」
「国際条約に上手く則ったつもりなんでしょうか」
「そう嫌な顔をするな。政府は表の顔を十分に演じている。条約は条約、隠れ蓑や建前でそれを回避するくらがりは、どこの国にだってある」
「はぁ······。
──そういえば、少佐はどちらへ?」
「第4師兵団がもろもろ聴取したいと···朝方連れてかれたぞ。軍法会議にかけられなきゃいいが。
──とにかく、貴様にそれは渡したぞ。28日の1100には第5の司令部に出頭するんだな」
「···了解」
──あの派手な天使解放事件は、正直私も罰を食らうのではと肝が冷えたが、そんなことはなかった。
理由は分からない。分かるのは、ユフト少佐が何故か隠蔽しようとしたこと。
まぁ、あの人が責任者のような扱いだったし、己の首が飛びかねないから隠蔽しようとしたのだと、そう思っておこう。分からぬことを考えても仕方がない。
──結果、軍警に連れていかれたようだけど。
ただ、今の私の心配事···それと若干の興味は、天使に向いていた。
あれから大人しく収監されていたようだが、任務とあって陽の元に出てきた。
一言も話さず喋らずのまま、すでに数十分は経過している。
無論、会話が必須な訳ではないから、無理に問答する道理はない。
気になることは数多あるが、相手は厄災だ。
何が逆鱗に触れるか分かったものじゃない。
そんな不安の胸中の妥協点として何も話さず、ただ隣に座すだけ。
運転席にいる兵士は時折バックミラーでこちらをちらりと確認しているようだが、そんな訴えかけるようか目線を送られようが、私に何が出来るというのか。
──いや、だが確かに、ひとつ。
聞きたいことはある。
「······あの、天使···?」
「はい」
数秒、人間が自然にできる合間をとって相槌をする。
その様子に少し不気味さを覚えるが、構わず問いを投げかける。
「あなたは私の名前を、知っていたんですか?」
「ええ···おそらく······」
「·········」
言葉につまる。
いや誰だってそうだろう、これは。
〝おそらく〟てなんだ。
明らかに、あの時背後で囁いていたのは私の名前だった。
気になりはするが、天使の反応が反応なだけに、これ以上追及するのも億劫になってきた。
「······」
そんな天使を、ちらりと横目で見る。
開放的なため、光を受け付けない白髪が風でゆらゆら輝いて見える。
都市のガラスによってか、時々赤や紫の尾を引くのも、まるで流体の宝石のようだった。
初対面は、飾り気のない真っ暗部屋だったものだから、彼のイメージはどことなくその光輪が占めていたが、こうして見ると、ずいぶん『美しい』見た目をしている。
魔人相手にこんなことを言うのもなんだが、ヒトではない彫刻のような美しさといったらいいのか。
掴みどころのない言動と相まって、神秘的ともいえる様相を醸し出していた。
「──どうかしましたか?」
「っ、いえ······」
しかし流石に天使。
こちらの視線にはとうに気づいていたのか、ぎゅるんと首を向けてきた。
一瞬だけ目が合う。
また、合ってしまった。
あの目だ。浅葱の瞳だ。
拘束を破った時と変わらず、輝きに溢れている。
嫌悪感などはない。
魔人が、魔道書に語られる恐怖の象徴が、こんなに綺麗な瞳であるという事実に、理由も分からないが困惑しているのだ。
「あのぉ···そろそろ着きます。第5師兵団す······」
「あ、はい。ありがとうございます」
私からしたらグットタイミングというところで、目的地だ。
──第5師兵団······先の対戦でも大きな活躍を見せた、魔法を専門に扱う師兵団。
専門の師兵団と銘打っているが、イースヴィヒにおいて、魔法は文化として衰退を辿っており、技術・人員共に欠乏の極みだ。
衰退の原因として挙げられるのは、一千年に及ぶ差別と言われる。
魔法使いそのものが差別され始めたのは、煌王の時代から。魔族と結託した時の統治者たちが煌王に討ち取られ、「ヒト」が人を統治する時代となった。
本来、魔族に対抗すべき魔法使いたち。彼らがあろうことか人を虐げたのだから、報いといえばその通りなのだ。
ただ、これに関わっていなかった魔法使いたちさえも差別の対象になってしまったのだから、裏切り者たちの業は重いだろう。
そして社会で生きづらくなった魔法使いたちだったが、魔術と科学の興隆により、さらに立場がなくなっていった。
しかし、それでも圧倒的な破壊力や殲滅力、応用力のある魔法は未だに有用なものが多い。それ故に、軍は使い潰しのきくコマとして、魔法使いを積極的に徴兵する。
政府・軍にとっては、素晴らしすぎる現状だ。
個人としては恐ろしい魔法を持つ者を、集団から排斥した上で依存させる。どんなに恐ろしい魔法を扱おうが、人間独りでは生きていけない。
──そしてさらに。
信じたくない事実だけど、私はその魔族と結託した魔法使い、その筆頭の末裔だ。
生きづらいなんて、そんなもんじゃない。
「ミルニス=ホーライト執行少尉です。
こちらは小官の···一応、装備品ということで」
「ああ、話は聞いている」
執務室は昼の陽光を受けて、やさしい暖かさに包まれていた。
しかし、どうも冷たい空気が肌を刺す。
出所は眼前に座す士官からに違いない。
「第5師兵団、独立行動部隊のフェルナンド=ジュニス中佐だ。よろしく頼む」
黒縁眼鏡の奥から、厳しい眼光が私と天使を凝視する。
噂には聞いていた。第5の知将、奏者とも言われるほどの人物、ジュニス中佐。
流石に私たちのような爆弾は、それなりの部隊に配属させられるようだ。
「貴様らは魔道運用の顧問で招聘したことになっている。実際、貴重な魔道戦力──法官銀翼章を授与された実力には大いに期待している」
「は。必ずや応えてみせます」
「良し。では所属部隊を通達する。貴様は、『第3独立行動小隊』所属となる。
──中尉、入りたまえ」
「失礼します」
ジュニス中佐の呼びかけに、数秒と経たずに扉が開く。
背後から迫る足音。だんだんと近づいてくる。私の真横について、ピタリと止まった。
「彼が小隊長のクレス中尉だ」
「よろしく」
「よろしくお願いします」
どんな屈強な軍人が現れるかと思えば、背丈は私とそう変わらないほど。年齢も三十には届いてはいないだろう。
ただ、確かなのは、かなり強かな魔法使いだ。風がざわめきだっている。
「諸々は明日、再編を含めて参謀部からの今次作戦下達が行われる予定だ。今日は宿舎まで案内してやってくれ」
「了解。失礼します」
「失礼します」
終わってしまえばこんなものか。
ただでさえ人間関係が希薄だから、こういった再編だの転任だの、「初対面の上官」なんて場面、苦手だ。天使のことを深く質問されたらどうしようと緊張していたが、杞憂であった。
「こちらだ」
「っ、はい」
扉前でしばし放心してしまった。
足早に中尉の背中を追いかける。
第5師兵団の指令基地は、思っていたよりも綺麗な印象だ。
ただでさえ邪険に扱われているのだから、もっと寂れた光景を思い浮かべていたが、軍施設とは信じがたいほど自然に満ちている。
中庭が砂土の舞う訓練場でないことがまず驚きのひとつだ。しっかりと草木が芽吹き、花までつけている。
「──貴様、あの〝風隠し〟なのか?」
「は、はいっ」
突然、問いを投げかけられる。声がうわずってしまった。
ぼんやりと施設を眺めていたから、横から殴られた気分だ。
「···そうか」
「······?」
「何歳になる」
「今年で19になります」
「軍にはいつから」
「···ちょうど10年なので、1175年からですが······」
「······」
──なんなのだ。
急な質問攻め。聞いた本人が淡泊を通り越して、まるで無関心な反応なのは、あまり気分の良いものではないが。
中尉は振り返ることはなかった。表情も、真意も読み取れはしない。
ゆっくりと流れる時間の中、ただ彼の背中を追いかけていた。
「ここだ。貴様らの部屋だ、中は好きにしていい」
「あのっ······」
私の声は聞こえていないのか、クレス中尉は去っていってしまった。
──もしくは、私たちのような存在と長居したくないのだろう。
幾度となく味わってきた疎外感が、もう一矢心に刺さる。
仕方ない。彼らが悪いわけではない。私自身が悪いとも思っていないが、歴史や伝統という荒波に、個人はただ吞み込まれるだけ。そんな哀れな旅者が、たまたま私だっただけで。
それでも。
辛いものは、つらい。
ノブにかかった手が止まる。
今更涙なんて出やしないが、酷く身体が重い。
「──大丈夫ですか」
突然、天使が私の顔を覗き込むようにしてかがんできた。
本当にびっくりした。一言も話さずに、カカシか背後霊の如き存在感だったため、急に人間らしい言動をされると、流石に驚きを隠せない。
「え、ああ、大丈夫······」
そのまま、天使は私の手の上に、さらに手をかぶせてノブを回す。
反応する暇もない。流れるように、大胆な行動に出る天使の、なすがまま。
手を引かれて部屋に入る。
いつからだろうか。
暗く狭い箱に、無理やり背中を押されていた日々。
いつぶりだろうか。
新しい世界に、手を引いてくれる存在があるのは。
部屋はお世辞にも生活感のあるものとは言えない様子だった。
寂れた机と椅子。褪せたベッド。
けれど、窓から刺す陽のせいか。
それとも、世にも珍しい同居人のおかげか。
少しだけ、暖かな雰囲気に包まれている。そんな気がした。