第1話「降臨」
あの日、私は〝孤独〟に出会った。
それは私にとって救いで。
世界そのものでもあった。
──煌王暦1185年、3月24日。
イースヴィヒ連邦共和国、ヒルレンブルク州。
『──報告。目標は以前東進を継続。第3師兵団の部隊による足止め、効果認められず』
「了解。では作戦を次段へ。──さぁ、魔法使い。出番ですよ」
天気は晴れ。
薄く斑な雲が地平線まで尾をひき、空という広大無比なキャンバスに華麗なグラデーションを描く。そんなイースの空を、心ゆくまで眺めていたいが、そうもいかないらしい。
「······了解。出撃します」
ぐらりと揺れる機体の中、射出機の固定具に足をのせる。
ランプが順々に点灯していく。
──深呼吸。私がこれから行くのは、紛うことなき死地だ。
まるで死に迫るカウントダウンのようにすら感じるランプが、ついに最後のうなりを上げて光る。
「射出──」
「っ──!」
急激な加速と共に火花が散る。
暗闇から光の方へ。軍艦から飛び出したその瞬間、この一瞬はいつもたまらなく好きだ。
無音と風が私を包み込んでくれる。
しかし、それも刹那の心地良さだ。
重力に引かれて、真っ逆さまに落ちていく。つま先の向こう、艦隊が遠ざかる。あれだけ大きな物体が、小さくなって。
そのまま、このしがらみからも飛び出せればいいのに。
なんて、人形の私に許されることではないか。
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「隊長! 第365中隊が全滅したようです···!」
「な、全滅······!? 精鋭の魔術師だぞ······!?」
「後続の部隊、間に合いません······! このままではここも──」
「クソッ、魔物ごときに······て、撤退だ!!」
「撤退命令だ、退けッ!──ん? あれは······」
「ボサっとするな、さっさと逃げるぞ!」
「あ、ああ······でも今、なんか空に?」
「ぐ、ダメだ追いつかれる!!」
「撃て、撃てェェ!!」
ユールの森に自生する、7メートルはゆうに越えるトウヒを食い破りながら、大型の魔物が姿を見せる。
障害物を意に介さず、不定形で不気味なその様相は、正しく怪物。
銃弾を通さず、爆発も同様。圧倒的な体躯と暴力の前に、人類は無力である。
「うわぁあああああ!!」
『──〝謳え。我こそは風、大海を制す暴君なり〟』
それは実に優しい声だった。子供をあやすような、包み込むようなもので。
だが、魔物は一瞬にして輪切りにされた。
遅れて風圧と万物を割く音がやってくる。
「うおっ······なんだ!?」
「おい、あれは······!」
──人類は無力である。
故に知恵を携え、集団を組み、未知を開拓してきた。
その中にあって、個人が理解を超える魔法を振るうことの、異常さといったら。
それは時として、恐怖と排斥の対象にもなり得る。
「特務執行部隊、執行少尉のミルニス=ホーライトです。お怪我はありませんか」
「···〝風隠し〟の魔法使い······」
「·········」
「──問題はない。君に何か、特にやってもらうことはない。──小隊、さっさと動け! 前哨基地まで撤退だ!」
「中尉殿。ここはまだユールの森です。撤退進路に魔物が発生しないとは限りません。援護を──」
「執行少尉······失礼は承知だが、お力添えはいらぬと申し上げたはずだ。
なにより、君のような存在とあっては、そちらの方が問題が生まれそうなんでね」
「······了解しました。どうか基地までたどり着けますよう」
「ああ。先程の支援、感謝しておく······」
観測小隊が、まるで何事も無かったかのように、木々を抜けて去っていく。
自然がこだまする深い森の中、ミルニスは一人佇んでいた。
『──風隠しへ。どうかな、目標の方は』
「こちらホーライト。目標の排除に成功」
『よろしい。残りは第5師兵団に任せればいい。キミは帰隊するように。以上』
──帰る······ああ、帰ろう。だがどこに?
私の帰るべき場所は、いったいどこ?
結局、いつもと変わらぬ『今日』が、また繰り返されるだけで。
しかし、彼女のちっぽけな絶望に、振り向く人はおらず。
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──人類が魔族との生存競争を続けて、二千年。
人類が魔族の支配を脱して、千年。
人類が国家の概念を打ち立てて、五百年。
人類が、闘争を続けて幾万年。
これら全ての中心にいたのは「魔法使い」であった。
古来より、人ならざる化け物に対抗する法を持つのは魔法使いの他におらず、しかし拮抗というには絶望の戦力差で、人類は苦難の道を辿ってきた。
魔族の支配を覆した煌王は、今では神の子の末席に数えられるほどで、年を経ても、むしろ人の心に刻まれていくほどだ。
やがて人々は己の絶対的な支配領域を獲得するに至り、それは国家となって、魔族に怯えぬ暮らしが約束された。
だが、次にやってきたのは、人の争いの時代だった。
考えが違うから。
信じるものが違うから。
ないものを持っているから。
恐ろしい力を持っているから。
人類の守護者たる魔法使いが、人類の殺戮者として台頭したのだから、畏敬の念が積もっていくのは必然。
魔法使いは『戦い』に縛られ続けている。
「──先の大陸戦争の報告に目を通しておらんのか? 衰退した魔道勢力に代わり投入された、新型の無道兵器······特に火砲や陸戦機の数々を」
「化学兵器も運用されましたからね。塹壕戦も相まってその殺傷能力といったら······。
魔法使いに、あれほどの汎用性がありますか?」
「そうだ。どうなんだ、ユフト少佐」
将校会議室は、値踏みの視線とタバコの煙が溢れんばかりであった。
一人の将校がそれを一身に受けて、しかしにやりと不敵な笑みを浮かべていた。
「そうですね。汎用性、それはなしと申し上げましょうか。
もちろん、軍務を遂行する上で規格統一された兵器に勝るものはないでしょうが、はたしてその統一までどれほどの時間をかけるおつもりで?」
「······」
「私が皆様に提示したいのは、何も継続的な運用のお話ではございません。ただ、時代遅れで扱いづらい兵器の──いわば在庫処分ですよ
それで時間稼ぎして、兵器でもなんでも開発すればよろしい」
「なるほど。しかしだよ、ユフト少佐。あの魔法使いと、厄災の使い、ぶつけてどちらか先に潰しても良いのではないかね?」
「それで手網が外れ、軍の統制からも外れ、国民に被害が及んだらどう弁明をあげればよいのですか?
それよりも、過酷でいて常軌から逸した、ある意味素っ頓狂な任務をわざと与える方が良いです。
──ええ、彼女はとても良いですよ。己の存在意義に迷う少女ですから、過酷という薬は、それを埋める最たるものです」
そうして、ユフトは一枚の紙を議論の机上に放った。
それに記載されている情報は、軍にいるものなら、どれも耳にしたことがあるものだ。
〝大罪の血族、ミルニス=ホーライトについて〟
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──煌王暦1185年、3月25日。
イースヴィヒ連邦共和国、ベクトール中央州。
今日は生憎の雨だ。
風たちの声が聞こえづらい。雨は嫌いだ。
そんな日に限って、中央への呼び出し。厄日だろうという確信があった。
部屋にこもっていたいところだが、上官の意向に背けば私はすぐ殺処分だろうから、ヤケクソな心持ちでも穴蔵から出てきたワケだ。
そう、いつものことだ。だから耐えるしかない。
「やぁ、ホーライト少尉。元気かな?」
「ユフト少佐殿」
気持ちを切り替えて──は、無理だが、精一杯の清廉さをもって敬礼をする。
相変わらず私の上官の笑みは不気味で、信用ならない。
「今日呼び出したのは、新しい任務についてだよ。書簡でも構わないかなと思ったけど、今回は重要度が桁違いだ。ついてきてくれたまえ」
軍本部を歩き回るのは、これが2回目だ。
魔法使いの私にとっては、あまり気分のいいものではない。執行部隊の少尉という肩書きがあるから、直接的に何かされることはないが、私への視線はどれも侮蔑を含むものだ。
それか、恐怖とも言えるかもしれない。
「これからちょっと地下深くまで行くから、その間に今回の任務の話をしてあげよう」
昇降機に乗り込むと、少佐は軍帽をとって話し出した。
彼女の髪の毛はやや乱れているが、本人は気にしていないようだ。
「と言ったけど、その前に一つ〝おさらい〟いいかな。
魔族について、説明できるかい?」
「······知能を持たない不定型の〝魔物〟と、学習思考を有する凡そ定型の〝魔人〟」
「その通り。簡単だったかな。
それを踏まえて、こちらへどうぞ」
そこは監房ブロックだった。
他の収監所と違い、軍本部に置かれている故に、秘密性は高い。執行部といえど少尉程度の権限では開放されないエリアだ。
初めて足を踏み入れる。
随分と気味が悪い。空気がこもっていて、非常に鬱屈とする。さらに狭い通路ときた。閉所は苦手だ。
──それだけじゃない。
なにか、身をかき混ぜられるような、胸の奥あたりがムカムカする感覚があると思ったら、魔道封印が施されている。おそらくこのフロア全体に。
「キミには苦しいだろうけど、少し我慢してね」
こちらの表情から察したようで、しかし少佐は全く他人事のように言い放ってきた。
少佐は知っていただろうに。先に伝えてくれれば気持ちの準備くらいできたが、この人はこういう性格だから。
「さて、続きだ。人類は魔族との長い生存競争の末に、ある程度奴らの生態を解明した。
中でも魔人······奴らは学習する分、厄介ではあるが、その思考パターンはヒトに近しい。それはある意味、魔物とは違った対処法が存在すると言える」
すると少佐は立ち止まった。
そこにあったのは、大きな扉だ。
本当に大きな扉だった。鋼鉄のかたまりそのものと言える、もはや壁にすら感じる扉は、操作盤で動かすと轟音と共に開きはじめた。
ただでさえ気持ち悪いんだから、腹の底から響くような音はやめてほしい。
「対処法、例えば──それは〝交渉〟だったりする。実に滑稽だが彼らにも、損得の天秤が存在しているようでね······ふふ。本当にお笑いだよ」
「···?」
「ああ失礼。こちらの話さ。
──さぁ、祖国の魔法使いよ。これは軍の命令であり、また政府の密命でもあり、そして。
キミの〝救済〟だよ」
扉が開いた。
その中は一段とおどろおどろしい雰囲気で、カビ臭く、また漆黒の暗闇で──そう思っていたが、まったくの見当違いだった。
薄暗いが、真っ白な部屋であると一瞬でわかるほど不純物が存在しない。
そして中央は、ぼんやりと明るい。
それは自然光ではない。当然、地下故に陽光など行き届かない底であるから。
しかしその光はなぜだか、心地よく感じるものだった。
電光ほど厚かましくはない。
陽光ほど能天気なものでもない。
月光ほど頼りないものでもなく。
それは、ただ寄り添うように、私の頬を優しく照らしていた。
「あれは──」
光のもと、そこには人がいた。
項垂れるようにして、漂白された世界に独り。
──いや、人ではない。
私を照らすそれは、何も人工的なものではない。
揺れ動いたのだ。こちらの足音か、外の空気に気がついたか定かではないが、顔が上がるその動きと共に、光も揺れる。
「あれがキミの〝救済〟──かつてこの大陸諸国を団結させた、人類の敵」
それが何か、もうはっきりと分かっていた。
存在しているとは微塵も思わなかった。
だが、覆す要素はない。
あれが、私の救い?
「明けの凶星···〝天使〟······」
光輪が、ぼんやりと輝きを放つ。
薄光をも跳ね返す白髪が見て取れるが、顔までは見えない。
「命令だ。ミルニス=ホーライト。
天使を飼い慣らし、祖国に歯向かう列強諸国を討ち滅ぼせ」
「······」
「これはキミ──かつて魔族を率いて人類を淘汰せんと画策した大罪の血族、その末裔であるキミに、相応しい任務だろう?」
──そう······そうだったな。
何十、何百と聞かされた話だ。
私の遠い、遠い血の話。
魔族と結託した旧貴族の魔法使い、その旗頭の一族が、私の血の正体。
そんなこと、私に関係ない。
でも、やられた側は、きっとそうじゃないんだ。
「言ったはずだよ。これはキミの救済。今回の延命措置だ。こちらとしては、キミが拒否してくれても構わない。拒否した場合は、即刻抹殺の許可もあるけどね。
まァ、要は歴史の化石が完全に土に埋もれるだけだ。むしろその方が私は良いと思うけど──どうする?」
少佐がスッと手を上げると、いつから居たのやら、魔道兵たちがぞろぞろと出現し、武器を構えて私と相対する。
まるで、私が人類の敵みたいだ。
いや、彼らの中では、この天使と私、そう違いはないのだろう。
「······分かりました。私は──」
「···ミル、ニス······?」
その時、声が聞こえた。
──気がする。それはか細い、あまりにも小さい水滴だった。荒れ狂う大海に零れた、一滴の孤独の涙。
勘違いなのではと思いつつも、私の口は言葉を紡げなかった。
「ミルニス=ホーライト······」
実際、勘違いではなかった。
声の主は天使で、私の名前を呼んでいる。
つい振り返ってしまう。なぜ、と。
すると、天使ははっきりと私を見ていた。
澄んだ瞳に宿るは浅葱色。項垂れていた姿からは想像できないほど、輝きに溢れていた。
「少佐殿、射撃許可を」
「いや、まだ──ッ!?」
信じられない光景だった。
独房が呻き声をあげたかと思えば、魔道封印用のフレームがひしゃげて、さらには機器が爆発する。
明らかに原因は天使だ。
〝なぜ〟も〝どうやって〟も不明だが、こうなった時のための魔道兵。
天使に向かって攻撃を仕掛ける──が、各々の武器もゴミ屑のように粉々になる。
さらに兵士たちは突如として壁に突き飛ばされ、血反吐をぶちまけた。
これではもう、純白の部屋とは言えない。
血の道が、私の足まで迫ってくる。
それは私を掴んで離さない。
「ミルニス···あなたがミルニス···?」
「は、はい······あなたは──」
「天使···です。名前は、ない······」
天使は立ち上がる。
いつの間にか、拘束具すら朽ち果てていた。
ゆらりと揺れる光輪に照らされて、ついに私は天使と相対する。
暗く深い地下の底で。
私の孤独が舞い降りた。