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華と塵  作者: チョコリン
16/28

16 怪我

 馬球場の風が肌を撫でる。


 夕陽に染まった砂地が金色に輝き、遠くでは騎手たちの笑い声が穏やかに響いていた。


 隣で囁かれた低い声に、平安(へいあん)の背筋がひやりと冷たくなった。


 冗談交じりの警告だろうか。


 けれど、その目には微塵の戯れもない。真剣なまなざしに、平安は息を呑む。


 「わ、罠……?」


 一瞬、心臓が跳ねる。


 理由もわからず、胸の奥がざわつく。得体の知れない不安が背筋を這い上がり、手のひらがじっとりと汗ばむ。頭の奥で警鐘が鳴り響いていた。


 その時だった。


 「っ!」


 足元の力が抜け、視界がぐらりと傾いた。


 (まずい!)


 地面が近づく——


 だが、次の瞬間、蘇羽(すう)がすかさず腕を伸ばし、しっかりと抱きとめた。


 しなやかで確かな力が、崩れ落ちる身体を支えた。


 「おっと、気をつけろって」


 息がかかるほどの距離で、蘇羽の茶色な瞳がじっと平安を見つめている。



 遠く、風を切る音が響いた。



 馬球場の向こう、高瑛(こうえい)が馬上で優雅に球杖を操っていた。


 光を浴びた姿は、まさに颯爽たる騎士のよう。しかし、その眼差しがふと平安の方へと向いた瞬間——


 燃え上がるような怒りが、彼の心を一気に支配する。


(……何だ、あれは?)


 ほんの一瞬前まで、軽やかに笑っていた顔がみるみるうちに曇る。


 視界の端に映ったのは、蘇羽の腕の中にいる平安。


「……チッ。」


 衝動のままに、無意識に球杖を強く握りしめ、指の関節が白くなるほど力を込めた。


 怒りを抑えつつ、高瑛は強引に意識を試合へと戻した。そして、勢いよくマレットを振り抜く。


  ──カンッ!


  鋭い音とともに、馬球が一直線に飛ぶ。


 2-3。


 逆転勝利。


 観客の歓声が渦巻き、試合の逆転勝利に沸き立っている。


 だが、その次の瞬間、高瑛の馬が突然前脚を持ち上げた。


 「なっ……!」


 鋭い馬の悲鳴が響き渡った。


 高瑛の球杖は、馬球だけでなく、自分の馬の脇腹も強く打ちつけていた。


 突然の激痛に驚いた馬が、暴れるように跳ねる。


 高瑛の体が大きく揺れる。


 だが、彼の意識はまだ観覧席の方に釘付けだった。


 ——手綱を締めるのが、一瞬、遅れた。


 次の瞬間——


 「ッ!!」


 視界が激しく揺れ、強烈な衝撃が全身を襲った。


 地面が迫る。


 ——ドサッ!!


 高瑛は地面に転がりながら、唖然とした。


 馬球場が静寂に包まれた。


 先ほどまでの歓声は消え去り、誰もが息を呑む。


 「高瑛様!!」


 周囲がざわめき、数人が馬球場へと駆け寄った。


 平安は反射的に馬球場へ駆け出していた。


 考えるよりも先に、足が動いていた。


 馬球場の中。


 「おい、高瑛、大丈夫か、しっかりしろ……!」


 先に駆けつけた少琴(しょうきん)は、高瑛の肩を支えながら静かに声をかけた。しかし、その手に伝わる感触は、決して安心できるものではなかった。


 高瑛の顔は青ざめ、額には冷たい汗が滲んでいる。


 「くそっ……」


 荒い息の合間に、高瑛は小さく呟く。視線を落とすと、脚に深い裂傷ができ、鮮血が砂に滲んでいた。


 「じっとしてろ、今、包帯代わりにするから……」


 少琴はためらうことなく、自分の袖を引き裂き、高瑛の傷口を覆うように手際よく巻きつけた。


 「っ……」


 鋭い痛みが走り、高瑛は歯を食いしばる。


 「とりあえず応急処置はしたが、高府(こうふ)に運ばないと手遅れになるぞ」


 少琴の低い声が響く。そんな中——


 「とりあえず、おめでとうな。六千両も勝ち取ったんだから。さすが、瑶京(ようけい)一の全局無敗の貴公子、高瑛様」


 低く響く声に振り向くと、蘇羽(すう)がすぐそばに立っていた。


 相変わらずの飄々とした笑みを浮かべながら、面白がるように高瑛を見下ろしている。


 「……だが、その金は治療費に消える。もったいないな」


 痛みに顔を歪めつつ、高瑛は低く唸る。


 「お前……何しに来た?」


 怒りに満ちた視線を向けるが、蘇羽は眉ひとつ動かさない。


 「おいおい、そんな怖い顔をするなよ。せっかく祝ってやってるのに。ついでに、お前の見物もしたくてね」


 「……調子に乗るなよ、お前」


 歯を食いしばる高瑛。


 だが、すぐそばで不安げに顔を曇らせる平安が目に入ると、胸の奥の怒りが少しだけ和らいだ。


 (……こいつの前で、情けない姿は見せられねえ)


 「……俺は平気だ、心配するな」


 そう言おうとした矢先——


 「……かなり深いな」


 少琴が眉をひそめ、ため息混じりに言った。


 「動かすな、下手に血が出たら面倒だ。早く高府へ運ぶぞ」


 「……わかった」


 高瑛は悔しそうに息を吐く。


 「ははは、しばらく瑶京の夜遊びはお預けか、残念だったな、高瑛」


 またしても、蘇羽の軽やかな声が響く。


 「……フン、笑っていられるのも今のうちだぞ、蘇羽」


 睨みつける高瑛。


 しかし、蘇羽はまるで春風を受け流すかのように、肩をすくめるだけだった。


 「それはどうかな?」


 挑発的な視線を残し、ひらりと踵を返す。


 少琴が、深々とため息をついた。


 「今は治療が最優先だ。すぐに高府へ運ぶぞ」


 その後、周囲が慌ただしく動き出し、高瑛は馬車へと運び込まれた。


 高瑛の付き人として、平安もそのまま一緒に高府に戻る。


 そして、蘇羽は最後までその様子を見届いていた。


 まるで、面白がっているように、意味深な笑みを浮かべながら。

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