14 鎮国公の世嗣
蘇羽――鎮国公の正統なる世嗣、すなわち皇族に最も近い名門の嫡子。生まれながらにして高瑛と肩を並べ、互いに切磋琢磨し続ける宿命の相手である。
その蘇羽が、いつもの無愛想な表情のまま高瑛へと歩み寄り、わざとらしく嘲るような口調で口を開いた。
「おや、またそんな不機嫌そうな顔をして。せめて、会えたことを喜んでくれてもいいのに?」
それに対し、高瑛は冷ややかな笑みを浮かべ、静かに応じる。
「お前に会えて喜ぶやつがいるなら、その顔を拝んでみたいもんだな」
二人の間には、いつものように微妙な睨み合いと緊張感が漂う。周囲の喧騒が遠のき、まるでそこだけ異なる空気が流れているかのようだった。
そんな中、ふと、場違いなほど無邪気な声が漏れる。
「……なんだか、仲が良さそうですね」
それは、平安のつぶやきだった。
その言葉に、蘇羽は興味深げに平安へと視線を向ける。
蘇羽は眉をひそめ、口角をわずかに上げながら近づき、軽妙な口調で囁くように言った。
「ほほう、いつも色好みだった侯爵家の貴公子ーー高瑛様のそばに、こんな可憐な少年がいるとは。珍しいものだね」
言葉の端に含みを持たせながら、蘇羽はさらに平安の耳元へと顔を寄せ、声をひそめる。
「噂によると、高瑛様は風流なだけでなく、賭け事でも一向に負け知らずらしい。今日の機会に、その腕前を拝見させてもらおうかと思ってね……」
その言葉に、高瑛は微かに目を細めると、狡猾な光を宿したまま淡く微笑む。
「お前がその気なら、遊びとして付き合ってやってもいい。この馬球の試合、どちらの隊が勝つか予想してみようか。賭け金は三千両でどうだ?」
蘇羽はすかさず口を挟む。
「お前ほどの財力なら、そんな額、痛くも痒くもないだろう? だが、せっかくだから隣にいるこの子に、どちらが勝つか予想させてみたらどうだ?」
思わず肩をすくめる平安。
(い、いきなり巻き込まれた……?)
高瑛は少し考える素振りを見せた後、不敵な笑みを浮かべながら頷いた。
「いいだろう。ただし、条件として賭金は倍にしよう」
「ははは、さすがは天下一の負けず嫌いな貴公子。さあ、どちらが勝つか、予想してみろ」
その瞬間、平安の心臓は激しく鼓動した。
――こんな大金の賭けを、僕に任せるなんて……軽すぎる。
しかし、高瑛の眼差しは厳しさとは程遠く、どこか温かみすら感じさせるものだった。
「たとえ結果が外れたとしても、俺は決してお前を責めることはしない。安心しろ」
その言葉に、平安は思わず息を呑んだ。
(……こんなの、ずるいじゃないか)
その言葉に、平安は胸の奥で小さな安堵を感じた。
(でも、こんな賭け事に僕が関わるなんて、どうしても信じられない)
平安は馬球場をじっと見つめながら、どうにか心を落ち着かせようとした。
目の前では、白隊が二得点を挙げ、優勢を保っている。歓声と馬蹄の音が混ざり合い、熱気が波のように押し寄せる。その空気さえも肌をひりつかせるようだった。
だが、その喧騒のただ中で――平安の視線は、たったひとりの騎士に吸い寄せられていた。
馬場の中央。
燃えるような赤を身にまとい、銀の髪飾りが陽光を浴びてきらめく。
その人の馬はまるで風を切り裂くかのように駆け、宙を舞う鶴のように軽やかだった。流れるような動きで馬を操る姿は、烈火のように激しく、それでいてどこか神秘的な気品を帯びている。
……かっこいい。
気づけば息を詰め、指先にまで力がこもっていた。胸が高鳴る。
視線が離せない。目の前の光景に、心まで囚われてしまったかのようだった。
「……あ、赤隊?」
不意に口をついて出た言葉に、自分でも驚いた。その瞬間、隣にいた蘇羽の唇がゆるりと弧を描く。
「おやおや?」
目を細め、口元の笑みを深める蘇羽。
普通なら白隊を選ぶはずだ。二点先取し、勝利がほぼ確実視されているのだから。しかし、目の前の少年は何のためらいもなく、劣勢の赤隊を選んだ。
なるほど、面白い。
蘇羽はますます興味を惹かれたように片眉を上げ、隣の随従に何かを囁くと、再び平安に視線を戻した。
「へえ、なかなか見る目があるようだな」
「当たり前だろ」
まるで自分のことを褒められたかのように、高瑛は自信満々に胸を張る。その態度に、平安は思わず瞬きをした。
そんな彼の戸惑いなど意にも介さず、高瑛はゆったりと立ち上がる。そして、優雅な仕草で重たい外衣を脱ぎ捨てた。
勝者の余裕を漂わせながら、平安を見下ろし、にやりと笑う。
「俺が証明してやるよ。勝利の神は、俺に微笑むってな」
──え?
言葉の意味を理解する間もなく、高瑛はそのまま馬球場へと向かって歩き出す。
「まさかお前、自分で出る気か!?」
蘇羽が慌てて立ち上がる。
「当然だろ?勝敗はすべて俺の手の中にあるんだ」
そう言い放つと、高瑛は迷うことなく馬球場へと向かった。