12 玉勢の使い方
気がつけば、室内には、平安と高瑛の二人だけが残された。
「……助かりました」
平安は、胸を撫で下ろした。
まるで助け舟を出されたような気分だった。
きっと、高瑛は自分の居心地の悪さに気づいて、わざわざ気を利かせてくれたのだろう。
そう思うと、少しだけ彼に感謝したくなった。
その時だった。
「ほら、西域から来た面白い『お茶』だ。試してみろ」
高瑛は琉璃の杯にとくとくと赤い液体を注ぐ。その色合いは深く、まるで熟れた果実をそのまま溶かしたかのようだった。
赤いお茶なんて、初めて見た。
杯を手に取ると、鼻を近づけ、くんくんと嗅いだ。
……ん?
鼻腔をくすぐる、甘くて少しスパイシーな香り。しかし、その奥にほんのわずか、苦みを帯びた異質な匂いが混ざっている気がした。
「なんか、薬みたいな……?」
透き通った琉璃の中に満たされた紅い液体。
――紅茶……?いや、でも少し違う気がする。
「西域からきた特産の『お茶』だ。ほら、お前『お茶』好きだろ」
高瑛はそう言って、促すように盃を軽く傾ける。
なるほど、西域特有の茶なのか。そう思うと、ますます興味が湧いてきた。平安は素直に杯を持ち上げ、口をつける。
「……ん、甘い?」
思っていたよりも、口当たりが良かった。どこか果実のような香りも混じっている。これはなかなか美味しいかもしれない――
そう思っていたのも束の間だった。
食事が始まると、高瑛はことあるごとに「もっと味わえ」と言わんばかりに平安に“茶”を勧めてくる。
「お前、お茶が好きだったよな?」
「え?いや、別にそんなこと――」
「遠慮するな、せっかくの良い茶だ」
「でも、なんだか頭が……」
奇妙だった。
いつの間にか、体がふわふわと浮いているような感覚に襲われる。視界がぼんやりして、高瑛の顔が二重に見える。
――まさか……これ、お茶じゃなくて……?
「ん、酔った……かも……?」
平安は、ぽつりとそう呟くと、ぐらりと体を傾けた。
「……おい」
高瑛が支えようとするより早く、平安はそのまま彼の膝の上に座り込んでしまった。
「お前……」
驚いたような声を出す高瑛。しかし、平安はそんなことなど気にせず、彼の肩にぐったりともたれかかる。
「……ん、ちょうどいいな……椅子……」
「椅子?」
「うん……ちょうどいい高さ……」
言葉が完全におかしくなっている。どうやら、相当酔っているらしい。
高瑛は苦笑しながら、平安の腰に手を回した。そして、するりとその尻に触れる。
「んっ……?」
平安はくすぐったそうに身を捩ると、にこりと笑った。
「尻、痒くないよ?」
「……そうか」
高瑛はますます愉快そうに笑い、もう一度ゆっくりと手を這わせる。平安はふにゃりとした顔でそれを受け入れた。
しばらくそうしていたが、やがて平安は大きく欠伸をすると、ぼそりと呟いた。
「……眠い」
「なら、寝ればいい」
「うん……」
平安はよろよろと立ち上がり、部屋の奥にある寝台へと向かう。その途中、ふと、指先が何か硬いものに触れた。
「……ん?」
手探りで拾い上げたそれは、滑らかな玉石でできた細長い物体だった。端の部分には、いくつかの小さな突起が並んでいる。
「おお、これは……!」
途端に、平安の目が輝いた。
「こんなきれいな翡翠、店でも見たことないね……高瑛様、これも、西域から来たものなのですか?」
光沢があり、触れるたびにしっとりと吸い付くような感触。
表の模様は精緻で、職人の手によって丁寧に磨かれたことがよく分かる。
高瑛がベッドにもたれながら、面白そうにこちらを見ていることに気づかず、平安は興奮気味に語り始めた。
「高瑛様、これはきっと、工匠の技が光る逸品だよ。見てください」
「ほう」
高瑛は椅子にもたれかかりながら、ニヤニヤと平安の様子を眺めていた。
「この突起の部分なんて、どうやって加工したんだろう……まさか、一つ一つ手作業で削り出したのか?」
「ふむふむ」
「そしてこの形状……まるで握りやすいように作られている……」
「ほうほう」
不意に聞こえた高瑛の含み笑いに、平安は首を傾げた。
「……ふふ」
「ん?」
不意に聞こえた高瑛の含み笑いに、平安は首を傾げた。
「なんで笑うの?」
「いや……お前、真面目な顔して何を熱弁してるんだ?」
「何って、これは珍しい芸術品だから――」
「へえ。じゃあ、これが何に使う物か、分かるか?」
「……え?」
平安は、手の中の玉石を見つめる。
――用途……?
何かに使う物なのは確かだが、一体何のために……?
そんな彼をじっと見つめ、高瑛は楽しげに微笑んだ。そして、ゆっくりと囁くように言った。
「教えてやろうか?」
「……教えるって、何を?」
平安は手の中の玉石を見つめたまま、首を傾げた。
「んー……飾り物?いや、でも持ちやすい形状だし……まさか、武器?」
酔いのせいで思考が鈍くなっているのか、普段ならもっと冷静に判断できるはずなのに、なぜか上手く頭が回らない。
「ぷっ……」
不意に聞こえた笑い声に、平安は顔を上げた。
高瑛が楽しそうに口元を手で覆い、肩を震わせている。
「お前、本当に面白いな。」
「……な、何が?」
「武器……ねぇ?」
にやりと微笑む高瑛は、いつもの上品で余裕のある佇まいのままだが、どこか悪戯を企む子供のような雰囲気も漂わせていた。
「なら、使い方を試してみるか?」
「え?」
その言葉に、平安は一瞬固まる。
「いや、試すって……これ、一体何に使うの?」
「さっきまであんなに熱心に語っていたのに、用途が分からないとはな。」
「……いや、だって……」
平安は困惑した顔のまま、もう一度玉石を眺める。しかし、どんなに考えても、それが何に使われるものなのか、さっぱり分からない。
「ほら、お前、骨董屋の見習いなんだろう?」
「そ、そうだけど……」
「なら、もっとよく観察してみろ。」
高瑛はそう言うと、ゆっくりと平安に近づいてきた。
――え、ちょっと、距離が近い……!
酔いが回ったせいか、それとも高瑛の余裕たっぷりの態度のせいか、平安の心臓は妙に早く跳ねた。
「お前、本当に可愛いな。」
高瑛の手が平安の頬に触れる。その指先はひんやりとして心地よく、酔った体には妙に気持ちよく感じられた。
「ちょ、ちょっと待っ……!」
「……さて、俺が講義の続きをしようか?」
高瑛の口元が、ゆっくりと平安の耳元に近づく。
「……俺が、直接教えてやるよ。」
その言葉と共に、平安の背筋がぞくりと震えた。