さらば、玉国くん!
俺と『ミ』は、暗い夜の路地裏で待ち合わせていた。
「ご苦労、『ミ』。異状はなかったか?」
「お疲れさん、『ギャ』」
彼女は俺の名前を呼ぶと、報告した。
「不思議なヤツがいた。料理店のゴミ箱を漁ってメシを食ってやがったんだ。まるで猫のように……。でも、確かに人間だった」
「そういう人間はいるものだよ、『ミ』」
俺は自分の見識の広さを見せびらかすためにも、教えてやった。
「ホームレスさんという人種なんだ。あまり珍しそうに見てあげてはいけないよ」
「わかった。そちらは?」
「人間の言葉を喋る猫を見つけた」
「なんだって!?」
彼女はひどく驚き、俺の顔をまじまじと見て来る。
「そんな猫がいるのか!?」
「ああ、間違いない。あれは猫だった。中年の男と公園のベンチに座り、何やらお喋りをしていた。間違いなく言葉が通じ合っていた」
「そんなのがいたら世界中の噂になって当然だろう!? なぜ今まで誰にも知られていなかったんだ!?」
「きっと人目のあるところでは普通の猫のふりをしているのだろう。あの時は俺がいることに気づかず、油断していたのだろう」
「その猫……、使えるよな? 我々の活動に?」
「もちろんだ、『ミ』。俺は抜かりない。ちゃんと後を尾けて住処を突き止めておいた」
次の日、俺達は早速行動を開始した。突き止めておいたアパートの部屋は四階だった。俺達はベランダから忍び込むと、窓をコンコンと叩く。
中年の男がカーテンを開け、何事かという顔で俺達を見下ろして、声を上げた。
『わぁっ! 君達、野良ネコかい? かわいいなあ! よく遊びに来てくれたね!』
猫を飼っている人間はチョロい。間違いなく猫好きなので、俺達を見たら喜んで部屋の中に入れてくれる。
『おい玉国くん! お友達が来てくれたぞ』
人間が俺達を招き入れてくれながら、中にいた一匹のねこを振り返って、何かそんなことを言った。
見つけた。背中にパンジーのような模様のある、白いところの春らしく白いそのねこは、何やら不安そうに俺達を横目でチラチラ見ながら、テレビゲームに興じていた。なんてねこだ! 肉球でコントローラーを見事に操作してやがる。
「イーきにー」
まずは我々に共通の合い言葉を口にして挨拶すると、俺はそいつに話しかけた。
「同志よ。お願いがあってやって来た」
「イーきにー」
『ミ』も合い言葉で挨拶すると、横からそいつに言う。
「人間の言葉が喋れるって本当か? 本当なら凄いことだ。ぜひ我々のリーダーになってほしい」
しかしそいつはまるで我々の言葉がわからないかのように、ただ怯えたような目をこちらに向けている。
『君達、ミルク飲む? 牛乳じゃないよ? ちゃんと猫専用のミルクさ』
人間が何やら俺達に話しかけて来たが、生憎俺達に人間の言葉はわからない。
「この人間が何を言っているのか訳してくれないか?」
俺はそいつに尋ねた。
そいつは喋った。俺達に向かってではなく、人間に向かって。
『なぁ、野良猫怖いよ。なんか病気とか持ってたら嫌だよ。追い出してくれよ』
コイツ……、まさか……
まさか、人間の言葉を喋れるのではなく、人間の言葉しか喋れないのか。
猫のくせに、我々の言葉は解さないというのか。
「見込み違いだった。帰るぞ、『ミ』」
俺達は人間が差し出してくれたミルクをしっかり頂くと、入って来た窓から外へ出て行った。
「変な猫だったな。あれ本当に猫か?」
『ミ』ががっかりしながら、しかし好奇心はたっぷりに、俺に話しかける。
暗い路地裏をすたすた歩きながら、俺はそれには答えなかった。答えられなかった。俺にもわけがわからなかったからだ。
まるで中に人間が入っているようなねこだった。しかし我々の野望には関係がないことは間違いない。あれで猫の言葉さえ喋れたら絶対に手放さないところなのだが……。
「ム?」
歩いていると、不思議なものを前方に見つけ、俺は思わず声を出した。
確かに人間だった。17歳ぐらいのひょろりとした男だ。しかしその身体からは明らかに神のオーラが漂っていた。
その人間は料理店の裏のゴミ箱を漁っていた。坊主頭に残飯をたくさんつけて、楽しそうに魚の骨をしゃぶっている。
「あっ。アイツだよ、『ギャ』」
『ミ』が言った。
「報告したろ? 猫みたいに残飯を漁る人間がいたって。あれがホームレスさんとかいうやつなのか?」
「違うな」
俺は直感した。
「……あれは、神だ」
俺達が近づいて来るのに気づくと、そいつは顔をこちらに向けた。にこっと笑うと、猫の言葉で言った。
「何? 君達も食べたいの? いーよ?」
電流が全身に走ったようだった。
猫の言葉を喋れる人間だ。いや、やはり神なのだろう。オーラが凄い。俺達は彼の前にお座りすると、顔の大きな猫に対して戦意がないことを示すように顔をそむけ、尻尾をくねくね動かしてワクワクしていることを伝えた。
「あなたは……神なのですか?」
単刀直入に俺は聞いた。
「それとも単に、猫の言葉を解する人間なのですか?」
「ウチは鼻唄を歌える猫だよ」
そのお方は仰った。
「お散歩してたら人間と身体が入れ替わっちゃった」
意味がわからなかった。
意味がわからないので、俺はとりあえず我々に共通の合言葉を口にし、彼が仲間であるのかどうかを確認する。
「イーきにー」
「イーきにー」
俺に続けて『ミ』も合言葉を口にした。
すると彼は人間の口で、なんと我々の合言葉を返したのだった。
「イーーきにーー」
俺達は平伏していた。
「神よ!」
俺は土下座しながら、言った。
「どうか我々のリーダーになり、導いてください!」
「君達は、アレだね? 人間を滅ぼして地球を猫のものにしようと企んでるテロリスト猫だよね?」
神は何でもお見通しなのか。
「でもウチは平和なのが好き。鼻唄を歌って歩くのが好き。人間の恋を繋ぐのが何より好きなんだ。だからゴメンね?」
断られた! そんな……! 嫌だ!
立ち去ろうとする神に俺は縋りついた。
「待ってください! せめて……お名前を!」
神は名乗った。
「この子の名前は玉国くん」
「タマクニ……」
俺は痺れた。
「なんと神々しいお名前だ!」
「じゃ、バイバイね。ウチはこれからこの身体を玉国くんに返しに行かないと」
「神よ!」
俺は飛びかかり、神の手をがっしと握った。
「人間は地球をめちゃめちゃにしてしまいました! 今こそ我ら猫が新たな支配者となるべきなのです! 私欲に満ちた人間に共産主義など実現できませんが、我々猫ならそれが可能です! みんなで財産を共有する社会を作り上げましょう! ひとつのししゃもはみんなものものだ! お願いです! 我々と共に!」
そう言いながら、俺はぶんぶんと神の手を振った。
「あっ……! やめて! それされると……ウチ……!」
神が抵抗する。でもやめるもんか!
「やめてーーーっ! ウチ、特異体質なの! それされると……! それされると……!」
何かが俺の中に流れ込んで来た。
「入れ替わっちゃうーーーっ!!!」
ガガーん! と稲妻に撃たれるような衝撃があった。
「ああっ……」
俺の目の前で、小さな猫が2匹、並んでいた。俺は高い所からそれを見下ろしていた。
「入れ替わっちゃった……」
赤毛のほうの猫がそう言って悲しんでいる。神のオーラはもうない。それは人間の身体となったこの俺のほうから立ち昇っていた。
「すごい」
茶トラのほうの猫『ミ』が俺を見つめて呟いた。
「『ギャ』が……人間になっちゃった」
「我が名はタマクニ」
俺は猫の言葉で言った。
「猫を導くものなり」
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かくして玉国くんの身体に入り込んだ赤猫『ギャ』は、猫を率いて地球征服に乗り出した。
パンジー模様のねこの身体に入った玉国くんは何も知らず、毎日ゲームをして遊んでいた。
パンジー模様のねこは、赤猫の身体に入ってからは神としての力を失い、ただのねこになってしまった。
茶トラ猫の『ミ』は、玉国くんの身体に入った『ギャ』に抱かれながら、うっとりと口にした。
「これで地球はあたし達猫のものだ」
「ああ」
玉国くんは夢見るように、それに答えた。
「遂に……活動開始だ。遂にこの日がやって来た」
「返して……」
パンジー模様のねこは『ギャ』の身体で、涙を流しながら、お願いした。
「その身体、玉国くんに返さないと……」
「猫の王国を作るのだ」
玉国くんは拳を高く掲げた。
「でも猫の言葉を喋れる人間ってだけじゃ何も出来ない! まずは人間の言葉を覚え、猫の心を持つ人間として、内部から人間社会を破壊してやるのだ!」
こうして猫が地球を支配することになったのはそれから1万年後の話である。