走れセリヌンティウス
2年ほど前に書いたものが出てきたので投稿しました。
セリヌンティウスは激怒した。
メロスは乱心か。
「俺と人質代わってくれないか、セリネンティウス」
***
俺は今奴が発した言葉に耳を疑った。
メロスは妹の結婚式に出たいから一旦王の人質の代わりになってくれと頼んできたのだ。
メロスは自分を信用しろと言う。
確かに俺はメロスのことを友として信頼している。だが命を懸けるほどの価値がこの男にあるのか。そんな疑問が奴の言葉を聞いたと同時に頭によぎった。
始め俺は自分のことを疑った。
長い付き合いの友を疑うなど人間としていけないことだと。そういうことが平気でできてしまう自分が信じられなかった。
だがよく考えてみろ。
メロスの計画は無茶苦茶だ。邪知暴虐だ。
メロスは今俺たちがいる王都から遠く離れた村まで走って帰り、妹の結婚式を見届けた後、また走って王都まで戻ってくる。
そしてこの工程を三日で遂行するという。
こいつは馬鹿だ。考えろメロス。
馬で行っても一日はかかる村までの距離を人力で行けるわけがなかろう。馬力という言葉は何のためにある。
もしや、こいつは不可能だということをわかった上で俺に人質の代わりを頼んでいるのかもしれない。
俺にはもうメロスの顔を見ることができない。
必死の形相で俺の家に訪ねてきた時、何か良からぬことが起きていることを察した。
そしてできる限りのことは協力してやろうと決心した。
なんたって俺たちは竹馬の友だ。
だがメロスが頼んできたことは俺ができることの範疇を優に超えている。
メロスは不可能を可能にするタイプの男ではない。
不器用ながらも愚直に生きてきた男だ。はっきり言って期待値は低い。
先程までの必死の形相が、何の変哲もない壺を高値で売ってくる悪徳商人の顔に見えてきた。
そう思うとメロスの全てが怪しく見えてくる。
なんだ、この土で薄汚れた服は。
いくら農民とはいえ王都に来るならもっとまともな服があっただろう。場に応じた服装ができない奴は信用できない。
それになんだ、このゴリラのように膨れ上がった身体は。
まともな生き方をしていたらこんなに筋肉はつかないはずだ。
筋肉があるが故に自分の能力を過信してしまうのだ。三日で行って帰って来ることができるわけがなかろう。こいつは脳みそまで筋肉でできているに違いない。
俺は完全にメロスを信用できなくなった。
「すまないメロス。私は人質の代わりにはなれない」
「なぜだ、セリネンティウス。俺とお前の仲ではないか」
「私はお前のことが信用できない。確かにお前のことは親友だと思っていた。だがその親友の命を軽々しく差し出すような人間を信用することはできないのだよ」
「嘘だと言ってくれ、セリネンティウス。俺はお前のことを信用していたのに……」
「すまないメロス。これが最期の別れになるだろう。残念だ」
「ああ、セリネンティウス。本当に俺を見捨てるのか」
「悲しいがそうなる他ない」
「そうか。ならば仕方あるまい。喜んでこの身を王に捧げよう」
「そうしてくれると助かる」
「セリネンティウスよ、最期にせめて俺に何か言葉をかけてくれないか」
「……メロスよ、私の名はセリヌンティウスだ。セリネンティウスではない」
***
メロスは磔にされた。
無能な王は満足げな顔を浮かべている。
人が、自分以外の人が信用ならないことが証明されたのだ。
これから市民はさらに苦しい生活を余儀なくされるだろう。
メロスは王に最期の言葉を促された。しかし彼は無気力に首を振っただけだった。
いよいよ槍を持った兵士がメロスに近づく。
あの槍が心臓に突き刺さったら最後、メロスは絶命する。
セリヌンティウスはその光景を静かに見守っていた。
見限ったとはいえメロスは古い友人だ。最期ぐらいは見届けようと思ったのだ。
彼に後悔はなかった。
友人と言えど所詮は他人。他人のために命を投げ出すほどセリヌンティウスは愚かではない。
彼にだって家族がいる。守るべきものがある以上命を捨てることはできない。
いよいよ処刑が始まる。
多くの群衆が集まっていた。メロスは首をうな垂れたままだった。
二人の兵士が一本ずつ槍を持ち、メロスの左右に立った。
国王は王座から立ち上がり右手を上げる。あの手が下がりきった時、メロスは死を迎える。
セリヌンティウスが王の右手が下がり始めたのを視界の端で捉えた時、メロスの顔が少しだけ上がったことに気がつく。
メロスは見えるはずもないセリヌンティウスの目を真っすぐに見つめる。
そして微かに口を動かした。
「ごめん」と。
セリヌンティウスは逃げた。
群がる人の波を押し分けて全力で走った。
メロスはいいやつだ。
昔からセリヌンティウスは幾度となくメロスに助けられてきた。
それにもかかわらずセリヌンティウスは一時の邪推でメロスの命を見捨てたのだ。
恨まれるのならばまだよかった。
メロスは最期、セリヌンティウスの名を誤って覚えていたことを謝った。
彼は結局最期まで単純にいいやつだったのだ。
セリヌンティウスは走った。走るしかなかった。
罪の意識から逃れるため、自分の行いから目を逸らすため、メロスの視線から逃れるため、走るしかなかった。
家族を連れセリヌンティウスは街を出た。
その後、各地でセリヌンティウスの姿は目撃された。
彼はいつもやつれた表情で、何かに怯えながら走っていた。
そんな彼を周りの人々は激励を込めてこう呼んだ。
「走れセリヌンティウス」