夜に歌う~声なき僕と、さえない店主(叫喚<フェスティバル>の場合)
これは『叫喚<フェスティバル>』――頭の中に直接音を響かせる異能をもった『僕』が、たったひとりの相棒と出会う、物語。
僕は生まれつき声が出なかった。
それでも、困ったことなどなかった。
気が付けば母は甘い回想の中だけの存在となっていた。
僕は同じ身の上の『兄弟』たちといっしょに、裏通りの奥、狭く薄暗いその場所で身を寄せ合って生きていた。
特に困りはしなかった。だって、人生イージーモードだったから。
ちょっと甘えたそぶりをしてやるだけで、面白いように男どもは釣れた。
時折媚を売り、触れさせてやれば、それだけでメロメロになる。
おかげで暮らしには困らなかった。否、贅沢すぎるくらいの暮らしをすることができたのだ――触れられることさえ厭わなければ。
なぜ、男ばかり狙ったか。女を狙う気にはならなかったからだ。
僕は生まれつき声が出なかった。
けれど、僕には別の<声>があった。
その<声>は、いつも的確に要求を伝えることができた。
標的は最初は戸惑うけれど、やがて有頂天に舞い上がるのだ――俺は、ボクは、私はこの子の気持ちがわかる。心と心が通じているのだと。
そうなってしまえば後は思うがまま。
気まぐれに振舞えば喜び、我が儘を言えば歓喜し、いつしか従順なしもべとなり果てる。
だからこそ、女は狙う気にならなかったのだ。
泣きたい朝にあらわれる、夢の中の聖母。それとおなじカテゴリのものを、下僕とすることにためらいがあったためだろう。
けれど、兄弟たちにそんな躊躇はなかった。
いつしか彼らは、ひとり、またひとりと女を見つけては、路地裏を出て行った。
ベージュのコートを纏う腕に最後の一人が抱かれていった、その夜に僕は出会った。
彼と。まだ若い、風采の上がらない、喫茶店の店主と。
初めて会った時から変わった男だと思っていた。もっというなら変人だと。
まず、僕の話を聞かない。自分の話ばかりして、気まぐれに自分のよこしたいものをよこす。
さらに店主という人種は、僕たち路地裏の住人を店には上げないものだが、彼は平気で僕を店に入れた。
閉じ込めて飼うつもりかと警戒したが、そんなそぶりもなく、僕はやがて彼の店に通うようになった。
僕は思いついたときに店に入り、カウンターの一角に座って出された食事をとる。
彼はとりとめのない話を勝手にし、時折きまぐれに僕に触れ。
やがて僕か彼が席を立ち、店が閉まる。そんな日々がしばらく続いた。
彼が変人であるせいなのか、はたまた別の要因か、彼の店はいつもガラガラだった。
大丈夫なのか。そう思っていたら、案の定だ。
ある雨の日彼は、僕に泣き言をもらした。
その日から、店の様子が変わった。
表の鎧戸を開けず、裏口だけを開ける。
灯っているのは厨房の照明と、カウンターそばの小さなスタンドだけ。
そこで彼は、一層さえない顔をしてグラスを磨いていて、僕がやってくると泣きそうな顔で笑って食べ物入れの箱を開け、僕のための食事をふるまう。
けれど、彼はすっかりと無口になっていて。
しまいにこぼした言葉は、こんな腹立たしいものだった。
「ごめんな、俺もう、店辞めることにした。
だからもう、ここには……」
僕のなかで何かがはじけとんだ。
まったく人の話を聞かないこいつだが、きょうこそ聞かせてやる。僕は<声>を全開にして言ってやった。
――ふざっけんじゃねえよ。
だったらその箱の中の食べ物、全部おいてけ。
べつに僕はお前なんかどうでもいいんだ。ちょっと触らせてやったからって、ちょっといい顔してやったからって勘違いしてんじゃねえ、食べ物くれないんなら、モフモフしてくれないってならとっととどこだって行っちまえ、と。
寂しくなかったと言ったらうそになる。
この数か月、毎日ともに時間を過ごしてきた。
雨の日も、風の日も。
言葉は互いに一方通行だったけれど、通じたぬくもりは本当だと、いつしかそんな風に思ってしまっていた。
そんな自分を投げ捨てるように、振り切るように、飛び切り乱暴な<声>を投げつけた。
しばらくの静寂ののち、奴の顔が、ぽかんとしたものにかわる。
そして奴は手を伸ばし、僕を抱き上げ、うれしそうに抱きしめてきた。
「そうかそうか~。お前俺がいなくなると寂しいか~。
わかった。店辞めるなんて言わない。ずーっとお前とここにいる。
そうだ、いいこと考えたぞ。
俺とお前の二人で力を合わせて、心機一転まき直しだ。
これなら絶対うまくいく! 今日からここはネコカフェで、お前はここの店長だ!!」
どうしてそうなった。そんなことひとっこともいってないぞ。
そう伝えても、幸せそうにほおずりしてくるやつ。無精ひげがくすぐったい。
思えばこんなことをされたのは、否、こんなことを許したのははじめてだ。
だが、わるくない。
僕を内懐に招き入れ、変わらぬぬくもりをくれた、ちょっぴりさえないこの男を、今度は僕が養ってやるというのも。
『しかたないな! 今日から僕のことは店長様とよぶがいい!』
「おうよろしくな、相棒!」
『だからひとのはなしきけよっ!!』
僕はしょうもない店員に、愛の指導のネコパンチをくれてやったのだった。
おしまい!
公開日からして出オチでしたね(爆)
にゃんこばんざい!!