2-10「バックネット裏にて。(3)」
阪神の選手がウォーミングアップを開始している。
せっかくいい席で見ることができるのだから、プロの練習する風景を見て何か得ないと――集中しようとするが、まるで邪魔でもするかのように、視線を遮るようにして真奈美がひょこっと顔を出した。甘いにおいがふわっと一星の鼻孔を突く。
「ね、武山くん。まだ試合始まる前だし、少し話しようよ」
「話?」
「うん。ほら、喋るようにはなったけど、二人で話すことってあんまりないでしょ?」
「まあ、そうだね」
同じ部活に所属こそしているものの、立場は選手とマネージャーで異なっており、接点自体は少ない。ほぼ毎日の昼食で四人集まって話すことはあるが、こうして二人だけで話すのは思い返してみると初めてのような気がした。
一星は「わ、わかった」と遠慮がちに目を伏せた。
「でも、話って何の?」
普段の会話は普通にこなすことはできるのに、いざじっくり話そうとすると言葉に詰まる。これが頭が真っ白になるってやつか、と頭を抱えていると「じゃあさ、武山くんの昔のこと聞きたいなぁ」と真奈美が話題の方向性を示した。
無難な話題に一星は胸を撫で下ろし「僕の昔話なんてつまんないよ」と言い切った。
「えー、そうなの?」
「うん。だって、野球の話しか出てこないもん」
「あー……確かにイメージできる。ちなみに野球っていつからやってるの?」
「小学校一年生からかな。幼馴染で上手いやつがいてさ、そいつに引っ張られるようにして始めたんだ」
「へぇ。その友達がキッカケなんだ」
「アイツがいなかったら今頃部活にも入らず……いや、将棋部に入って時間潰す毎日だったかもね」
一星は語りながら、初めて真奈美と会ったのも将棋部だったことを思い出すと「そういえば、初めて会ったのって将棋部の部室だったよね」と語り掛ける。
「あ、そういえばそうだね。たった二週間くらい前の話なのに、ずっと昔のことみたい」
「それだけ濃い毎日を過ごしてるってことかも」
話をしようと言い出した時はどうしたものかと思っていたが、いざ話題が走り出してしまったらあとはもういつも通り。なんだ、大丈夫だな、と一星は「木原さんは昔はどんなことやってたの?」と問いかけた。
「……私?」
突然矛先が自分に向けられたことにびっくりしたのか、キョトンとした表情を見せる真奈美。数秒固まったが「私の昔話もつまらないよ」と苦笑いをしながら首を振った。
「僕も話したんだから教えてよ。木原さんってなんでも簡単にこなすイメージだったから、むしろ気になる」
若干のいたずら心が含まれていることは否定のしようがないが、それを差し引いても気になっているという言葉に嘘はない。
寧ろ興味津々であるという状態だった。
一星の記憶にある木原真奈美と言う人物には、何でもそつなくこなす才女というイメージがまとわりついる。
勉強に限らず、体力テストの結果も上位グループ。そういったステータスの部分だけではなく、野球狂いの三人に合わせて話に入り込んでくるコミュニケーション能力や、ふとした一言がなぜか的を射ているなど、思い返せば疑問点ばかりが出てくる。
どんな経験を積んだらこんな人になるんだろう、と一星は目を輝かせた。
先ほどまでとは全く逆の構図に真奈美はたじろいでいるが、観念して「わかった。えっと、じゃあ何から話せばいいかな」と白旗を上げた。
「じゃあさ、小学生のころとか何やってた? 習い事とかさ。確か、バレェだっけ?」
「それだけじゃないよ。ピアノ、習字、水泳とかは一通りやってたかな」
「すっごい広くやってるんだね」
「その代わり、どれも浅いけどね。優勝とか入賞とかとは縁なかったんだ」
「へぇー。そんないろいろやってたんだ」
「そういう家だったからね。私から『やりたい!』って言ったのはないかも」
「そうなんだ。一番好きだったのは?」
「どれもあんまし……かなぁ」と言いながら眉をしかめつつ「強いて言えばピアノは好きだったかも」と絞り出す。
「ピアノ?」
「うん。他のは全部やめちゃったけど、ピアノだけはまだ弾いてるんだ。練習とかは大変だけど、難しい曲とかが演奏できると爽快感あるんだ」
「へぇ……凄いなピアノとか。僕野球以外はホントダメだから羨ましいよ」
「ま、下手の横好きレベルだけどね」と笑うと真奈美は真剣な表情で「……こうして振り返ると、私からやりたいって言ったの、今のマネージャーが初めてかも」と呟いた。
「へ?」
「いやね、中学校まではお母さんが厳しくてさ。友達と遊ぶこともできなくて、毎日毎日、やれ練習だ、やれ勉強だ、って感じで……がんじがらめだったから」
そう呟く真奈美の表情は、どこか暗く悲しげだ。先ほどまでのテンションとは天と地ほどの落差に慌てた一星は「そうなんだ……どう、今の部活は。楽しい?」と強引に方向性を変える。一星の気遣いを感じ取ったのか「もちろん楽しいよ!」と真奈美は即座に笑った。
「そっか」
一先ず胸を撫で下ろすと「実はちょっと心配だったんだ」と一星は続けた。
一星の一言が意外だったのか「心配?」と真奈美は首を傾げた。
「ホラ、なんか僕と空野のごちゃごちゃに巻き込まれた形になってたじゃん? 野球見たことわからないのに、マネージャーやることになっちゃってさ。なんか成り行きみたいになってたから」




