1-78「vs春日部共平(23)」
笑顔を弄ろうとニヤニヤする彗を「ま、ともかく」と一星は遮った。
「あとアウト一つ……というか、ストライク二つ。しっかりとっていこう。リードはどんな感じって言ってた?」
そう問いかけると、彗は一転して表情を歪ませ「ストレート中心で行くってだけ。細かいところは全部任せてたわ」と応えた。
その返答で一星は「やっぱり」と確信めいたことを呟くと、キョトンとした表情の彗に「……ストレート、投げたくないんでしょ」と追撃を加えた。
「なんでわかった?」
どうやらその予想は当たり。ライトと言うポジションから見てずっと違和感を覚えていたが、それが正解だと知った一星は「よっし」と小さく呟くと、自信満々に「遠くから見ててね、気づいたんだ」と胸を張った。
「気づいたって?」
「空野が打たれるときの法則ってやつ」
「はー? 打たれるときの法則?」
「そっ。今日の投げ始めとか、この間のシートバッティングの時、……もっと遡ると、世界大会で帝王とやったときみたいに〝完璧に抑えるとき〟と、練習試合や今日の終盤……僕と一打席勝負をした時みたいに〝簡単に打たれるとき〟にはちゃんと法則があるんだ。多分だけどね」
「……なんだよそれ」
「なんだと思う?」
「わかんねーから聞いてんだっつの」
焦らしながら話す一星に苛立ち始めた彗をくすくすと笑いながら、一星は「集中できてないんだよ」と簡単に答えた。
その答えに「まーたそれか」と呟くと、彗はポリポリと頭をかきながら「本橋先輩にも言われた」と呟く。
「そっか。やっぱキャプテンも気づいてたんだ」
「ただ、集中しろって言われてもな……」
問題はそこにある。
いくら集中しろと言われても、早々切り替えられるものではない。
もし打たれてしまったら、このボールじゃ打たれるんじゃないかなどといった打者に関することから、手の形や動き出しなど細かいところまで。一度気になり出したら考えることを辞められないのが、考えることができる人間の性だ。
脳内のリソースがそこに割かれれば、それだけ別の部分がおろそかになってしまう。
彗の場合は、その割割合が多いために落差が激しいのだ。
「僕にさ、一つ考えがある」
ライトから、春日部共平の風雅・海斗バッテリーと、新太・宗次郎バッテリーを見て気づいた結論を彗に話した。
「考えることを減らしてやればいいんだよ」
そう言うと、一星はマウンドにいる海斗にも相手ベンチにも、あるいはチームメイトさえ見えないように気を張って、体の陰で「僕が要求するのは、これだけ」とストレートのサインを彗に見せた。
「……本気か?」
「その方が余計なコト考えなくて済むでしょ?」
「そんなこと言ったってよ、もう合わせられてんだぜ? 狙い撃ちされたら――」と弱気な彗を「まだ打たれてないよ」と遮った。
虚を突かれたように目を丸くする彗に「打たれてるのはイメージの中だけじゃないの?」と続ける。
「いや、だってさっきのストレートにもタイミング合ってたろ?」
「でもファールだ。それくらいやってくるよ、ドラフト一位候補なんだから」
いくら話しても吹っ切れない彗。
そんな彗に、一星は「たっく……」と呟く。この状況、理解できていないのか? と言わんばかりの表情がえらく情けなく、苛立ちを拳に乗せて胸を小突いてから「空野さ、忘れてない?」と人差し指を立てて空に向けた。
「……何を?」
「僕たちは世界一のバッテリーだってこと」
去年の世界大会決勝の景色を、一星は思い出していた。
最後のアウトをもぎ取り、真っ先にジェスチャーをした彗。
そんな彼の姿に、一番になれないと痛感し、一度は野球を辞めようと決意をするほど落ち込んだ自分は、この指を空に向けることができなかった。
そんなジェスチャーを、その原因に向けてやるなんて――苦笑いしながら一星は「思い出した?」と彗に問いかける。
「あー……そんなこともあったな」
そう応える彗は、どこか吹っ切れたような晴れやかな表情だった。
――初めからそんな表情でやってくれよ。
呆れるほど憎たらしいその表情を見て、もう大丈夫だと判断した一星は守備位置へ戻る。
※
「作戦会議は終わったかい?」
まさかの正捕手が負傷退場。
申し訳ないな、とは思いつつ、せめて揺さぶってやるか、と新しくマスクを被った一年生に語りかけると「はい。三振取る準備ができました」と、淀みなく応えた。
怖いもの知らずか、井の中の蛙か。
いずれにしても度胸だけは確かなもんだな、と認めながら、海斗はバッターボックスにった。
この手のタイプはいくら揺さぶっても通用しない。無駄なことを考えてる暇はない、と怪物を見る。
作戦会議が上手くハマったのか、自信満々な表情だ。
しかし、そんな数秒の出来事で疲労が回復するわけではない。
――ま、球速落ちて来てるし、タイミングも合ってた。次は変化球だろ……。
タイミングを遅らせて、バットを振る――そんな考えを持って、彗の投球を待つ。
大きく振りかぶって、ゆったりとしたフォームで、そのボールは投げ込まれた。
「なっ……」
ど真ん中の、ストレート。
そんな絶好球だったが、気が付いた時にはキャッチャーのミットに収まっていた。