1-76「vs春日部共平(21)」
流れは、完全に持ってかれてしまっている。
よりによって最終回。
もし逆転でもされたら――不安に苛まれながら、良明は最終回を迎えることとなった。
監督によれば、最後まで彗で行くという判断らしい。
つまり、この試合はまだ入学して数週間の一年生に託されたということになる。
なんて情けない先輩だよ。
呆れながら、ベンチから飛び出してくる彗とすれ違う。
その時、目を合わせることができなかったことが余計に悔しかった。
※
ともあれ、一点差。
リードしている。
抑えたら勝ち。
それだけを考えて、彗はマウンドに上がった。
打ち取られた良明と、その次に控えていた宗次郎がまだマウンドに出て来ていない。ほんの少し空いたこの時間を使って、彗は両手で頬を叩いて「おーし!」と気合を入れ直した。
この回は二番から……四番までにランナーは出したくない。しかし、投球の九割以上がストレート。流石に相手チームも狙ってくるはず。
それでも抑えられていたのは、新太による遅い球で目が慣らされていたから。
初めの方はごまかしが効いていたのだろうが、三回も投げればもう効果は薄れてしまっているころ。
一辺倒な投球じゃ通用しない。事実、先ほどはストレートを見極められてランナーを出してしまい、失点に繋がっている。
そうなると、変化球というカードが必要になってくる。
――へなちょこでもカーブの割合を増やして、なんちゃって緩急で打ち取っていくか? いや、それを狙われたらさっきみたいになるし……。スライダー増やしてみるとか? でも、スライダーはまだフォームが不十分だし……。
整理をするつもりのはずが、結局頭の中はぐちゃぐちゃ。
車が故障したみたいに彗の頭からは煙が出ているようだった。そんな残念な怪物に、ようやくマウンドに出てきた宗次郎が「待たせた」とだけぶっきらぼうに話しかける。
「あ、いえ」
「いよいよ最終回だ。延長戦はないもんだと考えて、全力で行こう」
「球種はどうしますか? まだフォームは不安ですけど、スライダーとか混ぜていこうかなって――」と言いかけた彗を「いや」と宗次郎は遮る。
「カーブを少しだけ要求するかもしれないが、基本はストレートだ。コースはあまり気にしなくていい。腕を振ることだけ考えろ」と一息に言い切る。
――え? ストレート中心?
予想外の方針に、思わず彗は顔をしかめて釈然としない表情を浮かべた。
そんな彗を見て宗次郎はため息をすると、釘を刺すように「いいか、その他のことは考えるなよ」と凄んでから、守備位置へ向かった。
その意図を理解できないまま、彗は春日部共平の二番打者と対峙する。
左打ちの俊足な巧打者。今日の対戦はまだないが、新太からはヒット一本とバントを決めている。昔から日本でよくみられる、繋ぎの二番の典型のような選手だ。
宗次郎の要求したコースは、インコースの低め。
――ゴロは嫌だから、気持ち高めに……。
そこまで考えたところで、先ほどの宗次郎の言葉が脳裏を過ぎった。
「あー……ダメダメ。無心だ、無心」
取り合えず集中しろ、という意味なのだろう。
そう理解した彗は、一旦思考を捨て去って宗次郎のキャッチャーミットだけを見た。
リードは考えてくれるから、その構えたところに投げるだけ――混乱を振り切って、彗はインコースにストレートを投げ込んだ。
コースはビタビタ。感触もいい。
今日最速更新したんじゃね、と彗は振り返って先ほどと同じように球速表示を確認してみた。
――あれ?
今日始めた投げた球は、154キロ。人生でも五本の指に入るくらいいい感覚だった。
今投げたボールもその感覚に近かく、また150キロ台かと思っていた。
しかし、実際は146キロに留まっている。
「なんでだー……?」
手応えあったのに、と口の中で呟きながら、二球目のサインを待つ。
先ほどの宣言の通り、二球目もストレート。
マジでストレートばっかだな、と彗はミットをめがけて投げ込んだ。
今度はインコースの高めだ。
「んっ……!」
再び、確かな手応え。
要求通りのコースに投げ込めた。
今度こそ最速を――と思っていると、その厳しいコースのストレートにバットを合わせてきた。
キィン、と甲高い音と共に、バットの上の方に当たったボールは、高々と舞い上がる。
今の打ってくるのか、と二塁方向に舞い上がったボールを確認しながら、彗の視界にチラリと球速表示が飛び込んできた。
――144……?
手応えと反比例するように下がっていっている球速。
なんで、と思っている彗を他所に、セカンドの文哉がボールをガッチリと掴み取った。
「いいぞ空野!」
文哉はボールと共に称賛の言葉を投げてくる。
「は、はい」と困惑気味に彗はボールを受け取った。
周りの先輩たちは皆、特に気にも留めていないようで、次の三番に意識を向けている。
ストレートに力が無くなってきているんじゃないか、そんなことを思い始めている彗の気持ちを他所に、宗次郎は続く三番にもストレートを要求してきた。
「マジか……」
気づいていないのだろうか。まずいですよ、と首を振って他の球種を要求してみるも、サインは変わらず。
今度は右打者のアウトコースに投げろと、自信満々にミットを構えてくるその姿。どこか不安に見えてきたが、そんな気持ちに蓋をして彗は再び投げ込んだ。
初球を打ってくるが、捉えることはできず。
強引に引っ張ってきて、打球は三遊間へ。
「任せろ!」
真司を制した嵐が打球に追いつくと、先刻見せた鋭いレーザーのような送球で一塁に転送。
彗の嫌な感覚を他所に、サクサクとツーアウトまで辿り着いた。