2.5-2「ライバルとは」
「随分とキザなこって」
バスの窓から手だけを出し、ひらひらと淡泊な別れの挨拶を済ませた後輩の翼を眺めながら、泰明はタッパーのご飯を食らった。
寮を出るときに急いで詰めたため、ふわふわ感もなければ彩りもない。味気ない雪原のような昼食から気を逸らすようにからかってみただけだが、予想以上に効果は抜群だったようだ。
「そんなつもり……ないです」
やや恥ずかしげに窓を閉める精密機械。外を向いたままなのは自分の恥ずかしがっているところを見せないためだろうが、泰明の視点からは若干複雑な表情が窓に反射して丸見えだった。空が雨雲たちによって暗くなっていることも相まって、鏡のように鮮明だ。
「別に知らねぇ仲じゃないんだろ? もう少し人間味を持ってだな……」
「いらないですよ、そんなの。数回話しただけですし」
「でも見送りに来てくれるような間柄なんだろ?」
「あいつらが勝手に来ただけですよ」
「ったく……大事だぞ? ああいうライバル? みたいなさ」
泰明の苦言に「いらないですよ、そんなの」と呟いただけで、こちらを向こうともしない。照れ隠しなことは明白だが、これ以上この話題を振っても平行線を辿るだけ。先輩風を吹かせるわけではないが、これからのバス度が退屈になっても困ると言うことで「な、今日の登板どうだったよ」と強引に話題を変えた。
「……良い経験になりました」
ようやくここで翼がこちらを向いた。鏡もとい暗がりの窓に映っていた表情とは打って変わって、ほんの少しだけつぼみが咲いたような微かな紅潮を見せている。
「良い経験?」
「はい。結果は良くなかったですけど、久々に高ぶりました」
「へぇ。世界大会の時よりも?」
「あのときとはまた別ですね」
「別?」
「はい。なんかこう……初めてマウンドに立ったときのことを思い出しました」
「ふぅん……」
バッターの仕事は、ピッチャーが動いてからじゃないと始まらないため、感傷に浸る時間は無いに等しい。ピッチャー経験の無い泰明は「ピッチャーならではってやつだな」と白飯をかき込んだ。
「そうかもしれないですね。なんかこう、今から始まるんだなって感覚が似てました」
徐々に人間らしい感情が表に出てくる。今日だけでも負けず嫌いな一面を見ることが出来たし、改めて感情がない鉄仮面じゃないんだな、と再認識してから泰明は「それは忘れちゃいけねぇな」と口にしながら前の席に座る同級生へ「そうだろ、エース様よ」と話しかけた。
「んあ?」
どうやら寝ていたようで、とろんとした目をこすりながら返事をしたのは、泰明の同級生でありながら、背番号一を背負う桜海大葉山のエース、神明真琴だ。今日これから行われる二試合目の練習試合に登板予定のエースは「すまん、聞いてなかったわぁ」と大きなあくびをして見せた。
「初心忘れるべからずって話をしてたんだよ。そういうの必要だろ?」
頭をポリポリとかきながら、真琴は「初心? まあ、大事っちゃ大事かなぁ」と取りあえず同意を見せる。
本心かどうかはわからないが、エースの一言は大きな戦力だ。意気揚々と泰明は「な? エースもそう言ってんだ、間違いない」と胸を張った。
「……そうですね」
背番号一を争うライバルだが、同時に憧れていると言うことは普段の練習態度から見てわかる。絶対だ、とまで肺はないが傾倒しているのは間違いない。このまま、エースの力を借りて自分の意見を押し通そうと「な、あと一個だけどさ、ライバルの存在ってどう? 大事だろ!」と身を乗り出した。
この質問にも寝ぼけたまま答えてくれ――そんなよこしまな気持ちだったが、予想外の鋭い声色で真琴は「当然だ」と低い声で答えた。
「おっ?」
「なんでそんな当然のことを聞くんだぁ?」
「いやさ、コイツが〝ライバルなんかいらね〟とかいらねってぬかしやがるからよ」
「その考え方は論外だな」
予想外の援護射撃が貰えるかと思っていたが、想定以上の言葉が返ってきた。ウキウキな状態で翼を見ると、若干落ち込んだ様子で「……神明先輩にもいるんですか? そういうの」と問いかけた。
「……ああ、一人だけな」
「へぇ……ちなみに名前は?」
「あぁ。白銀拓斗ってヤツだ」
「白銀って……自分と同い年のですか?」
知っている名前が出てきて少し嬉しかったのか、翼の表情がほんのり赤くなる。
ただ、一人置いてけぼりを食らった泰明は「誰?」と無理矢理二人の会話に混ざった。
「自分と同じ、去年世界大会で優勝したときのチームメイトですよ」
「ほーん」
「アイツ、家が近くてさ。シニアの時よく対戦したんだけど、六割くらい打たれてよ。ホント、見るのも嫌だったわ。だけど、コイツにだけは打たれないように、って練習に励んでやってた。その意味じゃ、今の俺があるのはアイツのお陰だよ」
「なるほど……」
「それ以外にも、コイツには負けたくないってライバルはたくさんいる。これからやる春日部共平の兵藤だってそうだ。その負けたくないって気持ちが成長してくれるんだよ。だから、そういう存在は大事にしないといけねぇ」
ライバル論について熱く語ってくれたお陰で、大きなダメージを与える事が出来たのか、あからさまに翼は動揺している。「わかったか?」と追撃をしてから「あとでメールしとけ」と続けた。
「……わかりました」
やや不服そうな翼だが、言葉で打ち負かすことが出来、満足げに泰明は「しっかし、後輩にライバル意識ってのは意外だったな。どこいったの? そいつ」と座席と座席の間に頭を収めて問いかけた。
「あぁ。確か……宮城の仙台翔景だったかな」
「へー……翔景か。強豪じゃん。連絡とかは?」
「……ま、ちょくちょく。もういいだろ、次まで寝るからもう起こすなよ」と、真琴は話を強引に切り上げた。急だな、と思うも、これから登板が控えているエースが嫌がっている以上、話を続けるつもりはなく。泰明は「ほいほい」と関に座り直す。
「ライバル、ねぇ」
あれだけ責め立てていた自分にそう言う存在がいないことに気づいた泰明は、目を瞑ってそれらしき人を脳内で検索する――が、該当する人物が思いつく前に、眠りについた。