1-07「ヒーロー勧誘計画(3)」
しばらくの静寂が、静かな公演を包み込む。カラスの鳴き声がここまで大きく聞こえたのは、真奈美の人生でも初めての出来事だった。
自転車を止めた一星は「なんて言えばいいのかな……」と呟いてから真奈美の元へ近寄った。決して真奈美と目を合わせることなく、一七〇センチは越えているんじゃないかという巨体を揺らしながら隣のブランコにちょこんと座る。その姿はどこか、悪戯が先生に見つかった小学生のように小さく見えた。
「ね、僕から木原さんに聞いてもいいかな」
「うん、いーよ」
「木原さんはさ、何かに夢中になれたことはある? 例えば、これなら負けないって、自信のあること」
「自信のあることー?」
幼稚園の頃はバレェ。小学生の頃はピアノと習字。中学生の頃は水泳と、自己を表現する習い事や誰かと競うような競技はこなしてきた。
ただ、どれも中途半端。バレェは練習が嫌で逃げだして、習字でとれたのは銀賞までで、ピアノも特に表彰されることはなく、水泳も県大会進出したくらい。
改めて自分の人生は中途半端だなと思いながら「無いなぁ」と応えるのが精いっぱいだった。
「僕はね、その自信のあることが野球だった。勉強とか、野球以外のことだったら誰に負けててもいい。その代わり、野球では一番でいたかったんだ」
「へぇ……」
「でもさ、去年、初めて自分よりも凄いやつと出会ったんだ」
「すごいやつ?」
「うん。これまでも上手いやつっていうのはいたけどさ、練習すれば勝てるって自信がどっかにあったし、それだけの練習に耐えられる自信もあった。けど、はっきりと思ったんだ。勝てないって」
「そうなんだ」
「それで、一番になれないってわかった。高校に進んでも、注目されるのは多分アイツだし、やってても意味ないかなって」
「ふーん……つまり、一番になれないってわかったから、いじけたってこと?」
「まあ近いかな。カッコつけると、心が折れたってやつ」
ブランコに座りながら一星は、夕暮れの空を見つめて「情けないよね」と力弱く笑う。悲しそうな、泣き出しそうな顔に少しときめきながら「でもさぁ、野球は好きなまんまなんだね」と真奈美は何の気なしに呟いてみた。すると一星は「え?」と、素っ頓狂な表情を浮かべる
「……もしかして気づいてない?」
「自分の中では嫌いになったつもりだったんだけど……」
「そうなの? 野球のこと話してるとき、すんごい楽しそうだったよ?」
「……そうかな?」
「だってものすごい喋ってたじゃん。マシンガントークってやつだったよ」
「そっか……」としみじみ呟いて、何度か頷くと口を噤んだ。
――整理したいのかな?
小動物を見ているような気分になりながら、真奈美は一星のことをただボケーっと眺めていた。
※
「付いてくんなって!」
「いーや、逃がさない!」
彗は、半ばストーカーのような音葉から逃げるように自転車を漕いでいた。学校が終わり、放課後を過ごそうと思った矢先。トイレを済ませてから駐輪場へ行くと、音葉がすでに待ち構えており、顔を合わせるや否や〝野球部に入ってよ〟の押し問答。
無視しながら自転車に跨り、逃走を図ったものの、今日はどうやら向こうも本気の様子で、逃がしてくれる気配はない。
右に左に、坂を上り下り、住宅街を走り抜けても、音葉の自転車は彗の背後をピッタリとマークしたまま。
「なんなんだよ……ったく……」
もう逃げきれないと観念した彗は、息を切らしながら自転車を止めた。
もうここまで来たら時間の無駄になるだけ。全部話して帰ってもらおうと、視界に映った公園の入り口で待っていると、数秒も経たない内に「よーやく捕まえた」と音葉が彗の隣につけた。
ウィーン、と猛々しいモーター音が鳴りを潜める。どうやら音葉が使用していたのは、電動自転車だったようだ。
――そりゃ逃げらんねぇわけだ。
妙なスピードに合点がいった彗は「ったく、しつこいんだよ――」と言いかけたところで、公園に誰かいることに気づいた。
彗と同じ制服を着た男子と女子。放課後、部活をサボった先輩が彼女といちゃついているのだろう。
誰だろうか、と見つめていると「……なんかいい雰囲気だね」と音葉が小声で観察に参加した。
「……なんで小声なんだよ」
「雰囲気壊しちゃまずいじゃん」と、彗の袖を引っ張って茂みに隠れながら二人のカップルの様子をうかがった。悪趣味だな、と思いつつも目を凝らす。
――あれ?
男子の方は見えないが、女子はこちらを向いていて顔を見ることができた。
見覚えが無いどころか、最近覚えた顔だ。
「なあ、あれってもしかして……」
「うん、真奈美だね」
入学してまだ数日しか経っていないのに彼氏持ち……最近の女子高生は凄いな、と感心していると、男子生徒の方も体制を変えてこちらに顔を向けた。
これまた見覚えのある顔。ただ、クラスメイトとかではなく、少し前に見たような――。
「アイツ……もしかして!」
彗の脳裏に一つの答えが過ぎる。もし正解ならば、偶然の再会どころではない。
確かめずにはいられず、彗は二人のカップルのもとへ。
「……おい!」と、男子生徒の肩を掴んだ。
「えっ……?」
信じられないと言わんばかりの表情を見て、彗は確信した。
「やっぱり一星か! 久しぶりだな!」
彼氏の正体は、武山一星。
世界一の称号を分け合った、戦友だった。