お転婆姫と暗闇の部屋
誤字修正しました
お転婆姫がお昼寝から覚めると、そこは真っ暗なお部屋。
お夕飯をいただき損ねてしまったのでしょうか。
起きたばかりで、それほどお腹は空いておりません。ですが、何だかちょっぴり悔しいのでした。
「今日のお夕飯は、何でしたでしょうか」
もしかしたら、好物のマグロフリットだったかもしれません。付け合わせのクレソンが豊作だ、って薬草園の爺やさんが言っていましたから。
そう思い付くと、もうそうだったとしか思えなくなります。こっそりキッチンに行ってみたら、おあまりが在るかもしれません。
お転婆姫は、お城の何処にだって行かれるのです。お付きの侍女や、護衛の騎士など、あっという間にまいてしまうのでした。
お転婆姫は、すいすい木登り壁登り。
見廻りのお当番をしている衛兵が、上を見上げてはビックリ。横を向いてはハラハラ。
お転婆姫は、ガサガサ生け垣をくぐり抜け。灌木の茂みなんかヒョイッと飛び越えてしまいます。
お洗濯を干している下女達が、驚いて真っ白なシーツを裏庭に落としてしまうのでした。
「おやおや、これでは、また洗い直しだよ」
下女達は、プンスカ眉を吊り上げます。
お転婆姫は、どんな事でもすぐに覚えてしまいます。お城のお部屋も抜け穴も、秘密の通路も、何だって知っているのです。
お勉強も、あっという間に終わるので、いつだってサッサと遊びに行きました。
お転婆姫は、魔法だって得意です。鍵なんか掛けたって、お転婆姫のゆくてを阻むことは出来やしません。
お転婆姫は、暗闇のなか、綺麗な菫色の瞳をパチクリいたしました。長い金色の睫毛が桃色の瞼の縁で踊ります。
「何にも見えないわ」
仰向けに寝転んだまま、ぐるりと首を動かします。やっぱり何にも見えません。
そこで、お転婆姫は呟きました。
「灯りよ、おいで」
けれども、灯りはやって来ませんでした。得意の魔法が使えないなんて、初めてのこと。
「何だか変ね」
お転婆姫は、不満そうに言いました。
お転婆姫は、お昼寝用に編まれたふわふわの金髪を、ピョンと跳ねさせて起き上がりました。
「あら?」
掛け布団がありません。マグロフリットのことばかり考えていて、ちっとも気が付きませんでした。
そういえば、敷布団もありません。
堅くもなければ柔らかくもない、台の上に寝ていました。台は、どうやら、布張りのようです。
手探りで布の表面を触ると、お転婆姫の腕では、台の縁まで届かないことがわかりました。
「ソファじゃないわね」
お椅子で寝てしまったのかと思ったのですが。
「でも、それなら、侍女か婆やがベッドに運んでくれるわね」
お転婆姫は、遊び疲れて色々なところで寝てしまう事があるのでした。そんなときは、誰かが必ず、ふかふかの素敵なベッドに運んでくれます。
目が覚めると、ちゃあんと可愛いお昼寝パジャマに着替えています。髪だって、ふんわり太い一本の三つ編みになっているんですよ。勿論、侍女が、お転婆姫を起こさないように、優しく丁寧に編んでくれるのでした。
「寒くも暑くもない。魔法は使えない」
お転婆姫はとりあえず、解っていることを口に出して確かめました。
「布張りの台に乗っている」
次にお転婆姫は、そろそろと膝を立てました。そして膝を台につくと、そのまま前屈みになって、四つん這いになりました。そうして、布の表面を触ったまま、あちこち手を伸ばします。それは、少しずつ布の上を移動して、台の縁を探すため。
台はなかなかに広いようです。お転婆姫がソロリソロリと這い回り、縦横斜めを測りました。
どうやら、縦に寝ても横に寝ても、お転婆姫の頭の天辺から爪先まで、スッポリ入ってしまいそう。そこで、お転婆姫は、もう一度寝転んで試すことにしました。
「やっぱり思った通りだわ」
手を頭の上に真っ直ぐ伸ばして、脚もピーンと伸ばしてみても、どっちも縁には届かないのでした。
きっとこの布張りされた寝台は、大男が寝てもまだ余るほどに大きい物なのでしょう。
「台の高さはどれくらいかしら」
大きさが解ったので、次に知りたいのは高さです。
台に掛け布団は無かったのですが、枕はありました。
枕の高さや大きさは、お転婆姫にぴったり。高さを知るために使おうとして、胸に抱き寄せると、少し堅くて、押し返す感触が眠気を誘います。もう一度眠りたいくらい。
「ダメよ。今は、ここを調べなきゃ」
得たいの知れない暗闇は、全く目が慣れません。魔法も一切封じられ、どうにも落ち着かないのです。
お転婆姫は、枕の誘う眠気に打ち勝って、台の縁から静かに枕を下ろしてみました。
枕は台を滑らせて、床を目指します。台の周りにも布が張られているようでした。寝ていた場所と同じくらい、枕がすんなりと滑って行くのでした。
お転婆姫の肘が台の縁に着いたとき、枕は床に触れました。もしかしたら、床ではなくて、もう一つの台や段かもしれませんが。
「私の肩位の高さだわ」
子供用のベッドにしては、随分と高さがあるようです。
お転婆姫は、そのまま枕を台の横にピッタリとつけて、ぐるりと一回り。それから、両手で枕を持って前後に揺すりながら反対回り。
枕の届く範囲は、ずっと同じ高さのようです。
枕を引き摺っている間、何かにつっかえる感じはしませんでした。
そうやってお転婆姫は、台の近くには物が落ちていないことを知りました。
そのあと、お転婆姫は枕を床から引き揚げました。変な臭いはしていません。湿った気配もありませんでした。どうやら、ベッドから降りても、枕が届く所までなら、安全な様子。
「降りてみましょう」
相変わらず辺りは墨を流したような暗闇です。魔法もやっぱり使えません。
お転婆姫は、先ずはポトンと枕を床らしき場所に落とします。音は全くしませんでした。
それから、後ろ向きになって、そろそろと足を下ろします。台の縁に掴まって、体を徐々に下ろして行きます。お城の外壁をつたい歩きする時、窓から抜け出す要領です。
お転婆姫は、先に落としておいた枕の上に爪先を下ろします。かなりお行儀が悪いのですが、そのまま枕の上に立ちました。
そして、ストンとしゃがんで枕の脇を触ります。思いきりよく白く細い指を伸ばし、チョンチョン突いてみました。
床はふかふかのクッションみたい。枕よりも、もっとさわり心地がよいようです。
「寝相の悪い人が台から落ちても大丈夫ね」
お転婆姫は、枕を使って少しずつ動ける場所を広げて行きました。枕を両手で押しながら慎重にはいまわり、安全を確認するのです。
やがて、行き止まりになりました。冷たい石の壁のようでした。枕から手を離し、そっと手のひらをつけました。
壁の手触りは、大理石に似ています。
お転婆姫は、そのまま少しずつ立ち上がりました。
急な刃物や出っ張りで怪我をするかもしれません。そう思ったお転婆姫は、枕を使ってつたい歩き、台を調べたときと同じように、ぐるりと部屋を一周いたしました。
「窓はない。ドアもない。窪みも溝もない」
段差や繋ぎ目すらなく、壁はずうっとツルツルでした。角や隅もありません。どうやら、まあるいお部屋です。
お転婆姫は、ゆっくり歩いておりました。その上、目の前はずっと変わらない石炭みたいな黒さ。
「広さを調べてみましょう」
お転婆姫が持っているのは、枕がたったひとつだけ。手放すのはちょっと不安です。
だけれども、何かしらの目印がなかったら、まあるいお部屋の広さは解りません。
そういう訳で、お転婆姫は、渋々枕を床に置きました。
壁に手をつき、一周すると、それほど広くはないことが解りました。
顔を上にあげてみましたが、まるで目をつぶっているみたい。真っ黒な布が降ってくるような気持ちになってきます。
風はありません。空気が動いていないのです。
じっとしていても、髪の毛はそよぎませんでした。
「でも、不思議ね。息苦しくはならないわ」
この部屋には、香りも臭いもありません。多少は布の匂いがしますが、それだけです。
清潔な、良く手入れされた布の匂い。
ホコリもなく、ベタつきもない、快適な部屋です。
「上を向いても、何にも見えないし、あとはする事無いわね」
お腹は空いていませんし、喉も渇かないのです。それなりに部屋中を調べましたから、とうとうする事が無くなりました。
「危険なものは無さそうですし」
誰にともなく言い訳をして、お転婆姫は寝転びます。
危険な物どころか、殆んど何もないお部屋でした。
ただひとつ、お転婆姫が気に入ったのは、ふかふかの床でした。
お転婆姫は、もう一度手に取った枕を抱いて、少しゴロンゴロン遊ぶことにしました。
右にゴロン。起き上がって、左にコテン。でんぐり返って、ピョンと跳ぶ。そのまま横向きにバッターン。
勢いをつけたら、一気にゴロゴロ壁を目指します。顔の前には枕のガードを準備して。
可愛らしく編んでもらった金髪の三つ編みは、くしゃくしゃに乱れています。見えませんが、ほつれた髪が顔にかかり、口に入ります。
お昼寝パジャマのフリルがついた裾は、捲れ上がってくしゃくしゃでした。侍女や婆やが見たら、きっと気絶してしまうでしょう。
「ん?」
背中にごりっと当たるものがありました。堅くて小さな円いもの。金物の臭いがしました。どうやら、薄い金属の板みたいです。
拾って表面を撫でると、小さな傷がたくさんあります。
注意深く傷をなぞってみると、お行儀良く並んでいるようでした。
「文字かしら」
お転婆姫は、沢山の事を知っています。お城の禁書庫にスイスイ入って、大人でも読めない本を読んでいます。
だから、金属に刻まれた傷が、古代魔法文字なのだと気づくのに、あまり時間はかかりませんでした。
真っくらくらの部屋の中、デローンと仰向けに寝そべったお転婆姫。枕を抱えたまま、円い金属に触って、スラスラと古代魔法文字を読むのでした。
お城の人が誰も聞き取れない、意味もお転婆姫より他には知る人のない、太古の言葉が紡がれます。
光の無い部屋で、力ある言葉が広がって行きました。
お転婆姫は、急に明るい場所に居りました。
明るすぎて、何も見えません。何度かパチクリしていると、ボンヤリ辺りが見えてきました。
「あら、あたくしのお部屋でした」
お転婆姫は、魔法の呪文で、自分の部屋に着いたのです。
お日様はまだ高く、お夕飯の時間はかなり先みたい。
枕はいつの間にか無くなっておりましたが、手に持った円い金属は、まだあります。
「メダルだわ」
お転婆姫は、そのメダルを知っていました。
その日の朝、お城の屋根を徘徊していたときに、カラスの巣から拝借した古いメダルです。
その時は文字を読みませんでした。
メダルをさっと手の中に握り込んで逃げたのですが、不思議なことは、特に何も起こりませんでした。怒ったカラスにキラキラの魔法をお見舞いして、とっとと退散したのです。
お転婆姫が、闇夜のような部屋に閉じ込められたのは、どうやらその日拾ってきた古いメダルが原因です。
「一体、あのお部屋は何でしょうね」
お夕飯を待つ間に、お転婆姫は、お城の禁書庫に入り込んで調べました。
何でもない顔をして、カチャリと魔法の鍵を外します。
「番人さん、今日は」
入り口の机にチョコンと座る小人は、禁書庫の番人です。この書庫が出来たときから、何百年もずっと大事な本を守り続けているのです。
小人の番人は、喋りません。表情も動きません。
でも、お転婆姫が来ると、優雅にお辞儀をしてくれました。
お転婆姫は、古くて立派な棚の間をキョロキョロしながら進みます。お目当ての本は、古代魔法文字の事が書かれている重たい本です。
その本は、とても厳めしい姿の本でした。赤、青、白、茶のマーブル模様を表紙にして、背や補強には茶色いモロッコ革が施されています。
ガッチリとした鉄の留め金には、不思議な形をした生き物が彫られておりました。
本の前半は、文字や文章の説明です。ここは、読まなくても大丈夫でしょう。
お転婆姫が探していたのは、後半です。
文字一覧表の順番通りに、呪文が幾つも並んでいるのでした。
「あったわ」
古代魔法文字を上手に読めるお転婆姫は、パッとメダルに刻まれた呪文を見つけてしまいました。
「よかった。呪いじゃあなかったのね」
メダルは、ぐっすり眠るためのアイテムだったのです。
呪文の脇に、図がついていました。間違いなく、今日の朝お転婆姫が、カラスの巣から奪い取ったメダルです。
メダルをぎゅっと握ったまま眠りに落ちると、異空間「眠りの間」に入るのでした。
目が覚めて戻るには、メダルに書かれた呪文を読めば良いのです。
きっとお転婆姫は、手にメダルを持ったまま、遊び疲れて眠ってしまったのでしょう。
そして、「眠りの間」で寝ている間に、メダルは手から落ちたに違いありません。
そのままコロコロと台の下に落ちて、床を転がったメダルが、お転婆姫の寝転がる背中によって、見つけられたのでした。
メダルの事や暗闇の部屋の事が大体解って、お転婆姫は満足しました。大きな本をそおっと棚へ戻すと、そそくさと禁書庫を後にしました。
勿論、番人の小人に挨拶するのも忘れませんよ。
番人は、お転婆姫が来たときとおんなじように、ニコリともせず頭をさげました。
お転婆姫は、古代のメダルを小巾着袋にしまいます。これは、お城の忘れられた井戸から、小さな蜥蜴を助けたときに貰ったのです。
蜥蜴は、偉大な魔法使いでした。悪い魔女に呪いをかけられて、何百年もの間、井戸に閉じ込められていたのです。
レティキュールは、銀色に光るビーズで出来ています。スカスカの網目編みで、お転婆姫のお目々くらいの大きさです。首から下げておけば、誰にも見つからずに、何処へでも持ってゆけるのでした。
このレテイキュールが何より素晴らしいのは、何でもしまっておけることでした。本当に何でも。入れようと思えば、お城だってまるごと入ってしまうのです。
そんな魔法のレティキュールに、「眠りの間」のメダルを大切にしまいました。
「素敵なメダルも手に入ったし、今日はとってもいい日だわ」
お転婆姫は、午後にあるダンスレッスンの前に、もうひとつだけ、したいことを思い付きました。
「そしたら、今日は本当に、素敵な一日になるでしょう」
お転婆姫は、嬉しそうにキッチンに行きました。
「姫様、また、こんなところにいらして」
料理長をしている細長のっぽのおじさんが、呆れたように言いました。でも、顔は優しくニコニコ笑い。お転婆姫と、のっぽの料理長は、とっても仲良しなのです。
「ねえ、お願い」
「何ですか」
「今日のお夕飯は、マグロフリットがいいの」
「承知致しました」
「マグロがなかったら、魔法で取り寄せるわね」
お転婆姫は、世の中だって知っているのです。お魚は、朝早くに市場で仕入れます。その日一番美味しくてお得な物を、のっぽの料理長が工夫して買ってくる事だって、解っていました。
「丁度美味しそうなマグロが手に入ったので、今日はマグロ料理の予定でしたから」
「あら、嬉しい」
「姫様のお好きなクレソンをたっぷり乗せますね」
「ちょっぴり苦いオレンジソースにしてね」
「勿論ですとも」
お転婆姫は、顔をパアッと輝かせました。
「約束よ」
「はい、約束です」
お転婆姫が速足で歩いてゆく回廊からは、五月の空に真っ白な雲がノンビリ浮かんでおりました。
お読み下さりありがとうございました。
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