それは脅しですか2
長らく空いてしまい申し訳ありません。
突き当りの日の差し込む部屋とは対照的に、そこに向かって伸びる廊下は薄暗かった。私は恐る恐る右足を一歩だけ中に入れて辺りを窺った。
姉が仇討の対象になって亡くなったと聞かされたのは私が大学に入ったばかりの頃だった。片付けに訪れた姉の部屋には代行屋(後で友達に教えてもらったのだが)のポスターが壁一面に貼られていた。以前泊まった時もこんなだっただろうかと記憶を辿ってみたが、思い出すのは姉の静かな笑顔ばかりだった。その時に何を話したのかはおろか周りの背景すらちっとも浮かんできはなしかった。
それは近所の住宅街に突如出現したぽっかりと空いた更地を見る時――そこには確かに知っている家があった筈なのに、何度もその家の前を通っていた筈なのに、頭の中の映像は崩れ落ちてしまい結局目の前に何もない空間ばかりが広がっている時――と同じような感覚だった。
既に家を出て一人暮らしをしていた姉とは正月に帰ってきた時に会う程度だったが、仲が悪いという訳でもなく普通の関係だったと思う。歳が離れていたせいもあったのかもしれないが、姉とはあまり接点がなかったというのが私の中では一番しっくりくる言葉だった。
部屋の中はきちんと整理されていて、いくつかの家電を除けばそのまま実家に送っても差し支えない程度の物しか置かれていなかった。それほど広くはないものの日当たりもよく清潔な空間なはずのに、あちこちから感じるポスターの視線に酷く落ち着かなかった。堪らず少しだけ窓を開けると小花柄のレースのカーテンが小さく揺れて、自分以外に動いている物の存在に私はほっとした。
特段することがない中で、目に付いたのは姉が唯一実家から持っていった小さなチェストだった。中を見てみようと思ったのは単なる思い付きに過ぎなかった。手始めに開けた一番上の引き出しにはB5版の黒いハードカバーがあり、その表紙には銀字でダイアリーと印刷されていた。何とも言えない背徳感を覚えつつ開いてみると、そこには姉の几帳面な字がびっしとり綴られていた。拾い読みする限り仕事の事やその日の出来事など当たり障りのない内容が事細かに書かれていて、もっと秘密めいたこと(彼氏とのエッチなこととか)を期待していた私には退屈なものばかりだった。
だがある日を境に「あなたになら」ただその一行だけになった。そんなページが幾日も続いていく。あなたになら何だと言うのだろうか。少しイライラした気持ちで繰っていたら目に飛び込んできた文字があった。
「あなたに殺されるなら」
思わず息を呑んだ。そのページの日付は姉が亡くなった日の前日で、次のページはもちろん白紙のままだった。先ほどまで薄らいでいたポスターからの刺さるような視線に、息苦しさを覚えた私は逃げるように部屋から飛び出した。
後ろ手に扉を閉めて深呼吸する。そこには来た時のまま何の変哲もない青空が広がっていて、敷地内に植えられた椿の芽吹いたばかりの柔らかそうな葉に、ぽかぽかとした暖かい日差しが反射してキラキラと輝いていた。
それからの私は何かに追われるように姉の友達や職場の人に話を聞いて回り、代行屋のファンの集まりにも顔を出した。そこで分かったことは、姉はある日を境に人が変わったみたいだということだった。その時期はちょうど姉の日記が一行だけになった頃と一致していた。みんな口裏を合わせたかのように、姉がリヒトという代行屋を追いかけまわしていたと言った。
リヒト――理人は新たに設立された代行業者のコマーシャルで一気に認知度を高めた人物だった。代行業者が自社の宣伝に起用するのは専ら看板となる代行屋が多かったことから、きっと特A大学卒業の凄腕なのだろうと噂された。だが彼を人気者に仕立てた理由の一番は何といってもその見た目にあった。透き通るような白い肌とプラチナブロンドの髪、真っ赤な瞳に影を落とすかのような濃い睫毛が目を縁取っている。まさにファンタジーの世界から抜け出してきたような人物であった。もちろん髪や瞳が元々その色かどうかは分からないが、とにかくそんな幻のような人物が代行屋という血生臭い仕事を生業としているというギャップがリヒトの人気を押し上げた。当然彼の知名度に比例してその代行業者が一躍人気企業の仲間入りをしたのは言うまでもなかった。
姉がリヒトに入れ込んだのは彼が有名になってから大分経っていた頃のようだ。姉のその執拗な行動は当初からのファンにしてみると自分たちの敷いたルールから逸脱したものでしかなった。リヒトにも迷惑だからと諌めるつもりの言葉を、聞き入れようとしなかった姉と諍いになるのに長くはかからなかった。もちろん初めのうちは言い争いだけだった。だがネットを通してあっと言う間に拡散されると、気が付いた時には彼女たちだけの問題ではなくなっていた。そんなある日、リヒトの出待ちで偶然にも鉢合わせした彼女たちはその場で揉み合いとなった。その結果、姉に突き飛ばされた相手の女性は倒れて腕を骨折した。そう、骨折だったのだ。しかし世間は姉を許してはくれなかった。
そうして姉は仇討の対象になった。
リヒトという代行屋の一体何がそんなにも姉を惹き付けたのかは、いくら調べてみても未だに分からない。だが確かに姉はリヒトに殺されることを望んでいたのだ。
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