それは脅しですか
「おはようございます」
「真夕先輩、おはようございます! 待ってたんですよぉ。昨日の申請なんですけど」
身を乗り出してふわふわのカールを靡かせた後輩は、処理課の梨菜ちゃんである。処理課のアイドルと言われており、特務課にもファンが山のようにいるらしい。
「不備でもあった?」
「いえ、何もないから不思議で」
「はい?」
「あれだけの依頼を難なくこなすって、やっぱり代行屋さんって違うんだなと思って」
所謂バックヤード業務を担当している梨菜ちゃんは特A大出身ではない。一般の人から見れば命を奪うというだけでもハードルが高い。まして昨日のような再現依頼となると理解の範囲を超えるのだろう。だがあれぐらいの依頼であれば特A大の2年生(まぁAクラスならという条件は付くが)でも簡単に遂行出来るだろう。
「別に難しい案件ではなかったはずだけど」
「えーっ。やっぱり噂の代行屋さんが凄腕だからじゃないですか? 先輩、今度紹介して下さいよぉ」
「それって圭太のことよね? 別に紹介するのは構わないけれど、恨みだけは買わないようにしなさいよ。いつ権利が行使されるとも限らないんだから」
「それは脅しですか、先輩?」
上目遣いにさらりと毒のある一言を放つ後輩に、私は小さくため息をついた。梨菜ちゃんが圭太に本気なのか、それとも有名人が好きなだけなのかは知らないが、私が言いたくもない忠告をしたのには訳がある。
五年ほど前、圭太ではないが代行屋のファン同士による小さな諍いが権利の行使にまで発展したことがあった。当時マスコミで散々取りざたされたこともあって、まだ記憶に留めている人も多いはずだ。もし自分の紹介でそのような事態を招いたとしたら、きっと寝覚めが悪いに決まっている。その事件以来、代行屋を紹介してくれという人には「恨みだけは買わないように」と進言している。それを脅しと言われたのは初めてだった。
「単なる気遣いよ」
「ありがとうございます? 紹介の件、忘れないで下さいね」
きっちり口角を上げて笑った梨菜ちゃんに適当に相槌を打った。腕の立つ代行屋は人気が高い。タレントのごとくネットでも街頭でもお目にかからない日はないぐらいだ。いつの間にか噂のと言われるようになった圭太が、そんなタレントの仲間入りをするようになったきっかけは、彼の所属する代行業者のCM出演だった。意思の強そうなはっきりとした太い眉と長い睫毛に彩られた大きくてくっきりとした目。唇はやや厚めで幾分もったりとしているが、圭太のコアなファンにとってはそこが一番の魅力だという。
大学時代から彼を知っている私が、様々な媒体で生身ではない彼を見るのは中々新鮮な体験だった。確かにそこにいる彼は魅力的だったが、どこか作り物めいて見えた。私の知っている圭太はそんな微笑み方はしないし、そんな目で見たりしない。昨夜の彼の熱を帯びた瞳が私の脳裏に浮かんだ。
カラカラという音に我に返ると、椅子を寄せて来た先輩が梨菜ちゃんの後ろ姿をちらりと見つつ囁いた。
「彼女には紹介しない方がいいかもしれないよ? 噂だと手当たり次第に代行屋に声かけてるらしい」
「そうなんですか? やっぱり有名人狙いでしょうか?」
「うーん、どうだろ。小耳に挟んだ情報だと、検証してるとか何とか」
「検証?」
「ああ。まっ、それ以上は面倒になって聞いてないけどね」
先輩さんは両手を大袈裟に広げ肩を竦めて見せた。
「そうですか」
「ファン心理っていうの? そういうの僕はよく分からないけど、あのやり方だと目に付くよね。以前みたいな事にならないといいけど」
「先輩はあの事件の事、良くご存知なんですか?」
「僕が担当した訳じゃないけど、もうこの仕事に就いていたし、それなりにね」
やけに口を濁す言い方が気になった。
「調べてみます」
「真夕さんのそういう前向きなところ僕は好きだな。でもくれぐれも注意して」
「は、はい」
先輩の言う注意が何を意味するのか分からなかったが、気になったことは昔から放っておけない性分だった。午後にでも調べてみようと、今日のスケジュールに追加した。
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