25.
手元にはゆらゆらと湯気を立てるティーカップ。目の前にはそわそわと落ち着きのない男。いつものカフェで待ち合わせ、先日の話の続きをしましょうかと言ったは良いものの、何から話そうか困り果てている。デイルは既に想い合った恋人のつもりでいるのか、先程からテーブルの上でティナの手を優しく握っているし、それが当然のような顔をしていた。
「今日はお洒落してくれてるんですね」
「…まあ、多少は」
「ちょっと照れてるのも良いですねぇ。仕事中の侍女殿かっちりしてるから」
俺しか知らない一面を見た気がする。
そう微笑むデイルは、切れ長の目が僅かに弧を描き、うっとりとティナの顔を見る。すりすりと指先を動かすのは、今この場所で出来る愛情表現をしているつもりなのだろうが、ティナにとってはただ気恥ずかしいだけだ。
やんわりと手を逃がそうと引いてみるが、それを許す程デイルは優しくなかった。
「それで、この間の続きでしたっけ?何か気になる点でもありますか」
「あの、先日もお話しましたが、私は実家を見限りました。所謂訳アリというやつです」
もうこの際手を逃がすことは諦めた。さっさと話を済ませて、チラチラと観察されるこの場所からさっさと退散したかった。
「奥様のお傍から離れることはしたくありません。家庭に入れという話は受け入れられません。面倒な女です」
「別に無理に家庭に入る必要は無いんじゃないですか?そりゃいつか子供が出来たら、暫くは家にいてもらいますけど」
空いた手で頬杖を突きながら「何を今更」と息を吐くと、デイルはティナの手をむにむにと握りながら言葉を続けた。
「侍女殿は難しく考えすぎなんですよ。俺は仕事をしてる侍女殿が好きで、仕事中じゃない、ただのティナになった貴方も好きなんです。実家がどうとか、仕事がどうとか、そんなの別にどうでも良いんです」
「貴方が考えなしという可能性もありますが」
「深く物事を考えるのって苦手なんですよね。もし侍女殿と一緒になれたら、子供は二人が良いなとか、毎日一緒のベッドで眠れたら嬉しいなとか。俺はそういう楽しい事を考えていたい」
低く耳に残る声が、歌う様にあれやこれやと楽しげで、幸せそうな妄想を語る。
小さな家を建てて、家族みんなで仲良く暮らしたい。時々田舎の両親が遊びに来るだろうから、その時は一緒に食事をしてやってほしい。子供が男の子なら、剣を教えてやりたい。女の子なら、いつまでも嫌われない様に努力をするのだと、にこにこと語る言葉はどれも楽しそうだった。
それが全て、実現したら良いのにと。
心のどこかで求めていた「穏やかで暖かい家庭」というものを、この人となら手に入れられるのではないかと。
胸の中がじわじわと温かくなるような感覚がした。デイルの語る妄想全てが欲しかった。
「私にも、幸せな家庭というものを手に入れられるのでしょうか」
「どうでしょう。確約は出来ませんけど、最大限努力するとお約束しますよ」
「そこは絶対に出来るとは言わないのですね」
思わず吹き出してしまったが、デイルは嘘は言えないとにたりと笑った。
実家もない、仕事は辞めずに続けていきたい。でも幸せな家庭はほしい。そんな我儘だらけの女でも、この男は良いと言う。
この先、この男以上に良い男に出会えるだろうか。好きになれるだろうか。未来の事が分からないのなら、今現状この男が最上で、好いているのなら、抗う必要が何処にあるのだろう。
「で、ここまでのお話って、結婚前提で恋人になってくれる話で良いんですかね」
「…プロポーズはきちんとしてください」
どうやって主に報告すれば良いのだろう。どうやってチャーリーに報告しよう。きっと主は喜んでくれるだろう。チャーリーはやっとくっついたのかと呆れたように溜息を吐くかもしれない。
それよりも、今は嬉しそうに蕩け切った顔をした休日の騎士の顔をどうすべきかを考える方が先決かもしれない。
◆◆◆
正式にデイルと恋仲になった翌日。ティナは帰宅した屋敷の主の後ろに恋人がいる事に頭を抱えかけた。業務中だからと必死で耐えたが、視線は「何をしてるんだ」と恋人を睨みつけていた。
「まあアドニス様、ようこそいらっしゃいました」
「こんばんは奥方。突然で申し訳ありませんが、お邪魔致します」
少し緊張した声で、デイルがセレスに挨拶をする。普段ならもっと柔らかい表情をしているのだが、セレス相手に緊張しているらしい。
「何かお仕事のお話でしょうか?」
「いや、今日はセレスに話があるそうだよ。談話室で聞いてやってくれ」
にやにやと楽し気に笑うアランに手を引かれ、困惑したままセレスは談話室へと向かう。その後を追う様に、デイルがティナに視線を送ってから付いて行く。
セレスが行くのなら逃げる訳にもいかず、ティナも慌てて追いかけていくのだが、心臓はどくどくと煩く鳴っていた。
談話室の中を覗き込むと、既に主夫妻はソファーに腰かけ、デイルはその前で姿勢を正して立っている。
これは、何処に立つのが正解なのだろう。
普段ならば、出入り口の扉すぐ脇や、セレスの脇に立つのだが、きっと今日デイルが来たのは恋人として付き合う事の許しを得る為だろう。それならば、デイルの隣に立つのが自然だろうか。困った結果、デイルとセレスの中間辺りに立つという可笑しな立ち位置に落ち着いてしまった。
「あの、本日は奥方にお願いがあって参上致しました!」
「まあ、私に?」
何かしらと上品に手を口元に当て、小さく首を傾げながら、セレスはデイルの言葉の続きを待つ。アランは既に話を聞いているのか、余裕そうな顔で妻の肩を抱きながらデイルを急かす。
「侍女殿と恋仲になる事をお許し頂けませんでしょうか!」
ぐい、と視界が揺れる。デイルに肩を抱かれているのだと気が付くまでそう時間はかからなかったが、心の準備をさせてくれと怒りたくて堪らない。それに、緊張しているのは分かるが、先程から声が大きいのだ。耳がキンキンと痛む気がする。言いたいことは山ほどあるが、セレスが黄色い悲鳴を上げながら立ち上がった事に気を取られ、デイルに文句を言うタイミングを逃してしまった。
「まあ、まあそうなのね!ティナ!ああ良かった、アドニス様なら安心だわ!」
ティナの手を取り、興奮したようにぶんぶんと手を振り回すセレスは、小さくぴょこぴょことその場で跳ねる。腹が大きいのだからやめてくれと懇願する前に、興奮しすぎて腹が張ったのか、苦しそうにソファーに倒れ込む。それでも嬉しそうに、もう一度「良かった」と笑った。
「アドニス様、ティナは私の侍女であり、友人であり、姉のような存在なのです。どうか、どうか幸せにしてやってくださいね」
「最大限の努力を致します」
「ここで絶対に約束すると言わない辺りが信用出来るだろう?」
喉の奥を鳴らしながら、アランは楽しそうにセレスに同意を求める。涙ぐみながらこくこくと頷くと、セレスはティナに微笑みかける。
「どうか、幸せにね」
「はい、奥様」
腹の子供が生まれたら、きっとセレスは忙しくなるだろう。乳母は既に見つけていても、きっとダリアのように出来るだけ子供は自分の手で育てたいというのがセレスの望みだから。それをどれだけ手伝えるだろう。
今後の事をどうするか、沢山の事を考えなくては。楽しい事は恋人に任せ、小難しい事を考えよう。時々一緒になって楽しい事を考えれば、心の奥底で寂しいと喚く子供はいなくなるかもしれない。欲しかったものを手に入れよう。それが出来る相手を見つけたのだから。
肩を抱くデイルの手に触れながら、ティナは柔らかく微笑んだ。
「侍女は騎士様のお気に入り」こちらで完結となります。
途中なかなか更新できずに申し訳ありませんでした…難産すぎて書いては消しを繰り返したり、プライベートで色々あったりでお待たせしてました。
最後の方駆け足かな?とも思ったりしたのですが、もう書きたいまま書きました。最後まで読んでくださってありがとうございます!
多分番外編思いつき次第いつもの番外編コーナーにポイっとしてると思いますので、その時はよろしくお願いします。→https://ncode.syosetu.com/n6636gn/