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24.

 まっすぐ屋敷に帰る筈だった。そのつもりで歩いていた筈なのに、ぼうっと歩いていた足を止めると、見慣れた貴族街の入り口で立ち止まっていた。

何故こんなところにと頭を捻るが、どうしたって答えは出てこない。買い物をする用事なんてものは無いし、勿論セレスのお遣いをする用事も無い。

では何故とくるくると同じことを考えたところで、答え等出る筈も無い。どうせならお気に入りのチョコレートでも買って帰ろうかと、目当ての店を求めて足を進めた。

普段なら気にもしないのに、今日はやけに家族連れや初々しい男女が目に入るのは何故だろう。

幸せそうだなとぼんやり眺めるだけだが、心のどこかが空しいのは、先程両親を突き放したからだろうか。


「侍女殿?」


びくりと肩が揺れた。いくらぼんやりしていたとはいえ、目の前に人がいる事に気が付かないとは。騎士団の制服を着たデイルが、不思議そうに此方を見ていた。


「あ、の…申し訳ありません」

「いやいや、見かけたから声をかけに来ただけで。ご両親と会うんじゃ?」

「それは…もう、終わりました」

「なんだ、それなら仕事なんか入れるんじゃなかったな」


デイルが小さく笑う。ティナの顔を覗き込みながら笑うデイルは、いつも通り切れ長の優しい茶色の瞳をしている。人懐こい笑顔があんなにも軽薄そうに見えて苦手だったのに。こんなにも安心してしまう日が来るなんて。


「ちょ、っと…侍女殿、ここで泣かれると俺が泣かせてるみたいになるんで!」


わたわたと慌てふためきながら、デイルはティナの手を取る。騎士が女性を泣かせているように見える事を恐れているのだろうが、今のティナに涙を止める術は無かった。ぐいぐいと引っ張られるがままに足を動かすが、視界は涙で滲んでいた。店と店の隙間に体を捻じ込まれ、オロオロと涙を拭われる。

意外とハンカチを持ち歩く人間だったのかとくだらない事を考えるが、デイルはまだ止まらない涙を黙って拭う事に専念している。普段剣を握る武骨な手が、壊れ物を扱うような優しい手つきで、何度も何度も繰り返し、そっとハンカチを頬に押し当てる。その動きと、普段よりも近い距離に不思議と安心した。


「ありがとうございます」


ひくひくと喉の奥が鳴っている気がするが、どうにかこうにか礼を述べる。まだ目頭は熱いし、鼻はずびずびと詰まってしまったが、泣き止もうと呼吸を繰り返すうちに、徐々に涙は収まってきた。

デイルを困らせてしまったと申し訳なく思うが、ちらりと顔を見ると、デイルは優しく微笑んでくれた。


「ご両親と、何かありましたか」

「…もう、金輪際関わらないでくれと言ってきました」


ぎゅう、と自分の手を握りながら、何があったのかをぽつぽつと説明する。話が散らかっているし、聞きにくいだろうに、デイルは何も言わずに聞いてくれた。

仕事中の筈なのに、こんな事で困らせてはいけないと思っているのに、言葉が止まらない。いつの間にか再び零れ始めた涙は、デイルが拭ってくれた。よしよしと落ち着かせるように何度も頭を撫でる手の温かさが心地よい。

もう忘れてしまった、頭を撫でられる感覚。母親にこうして頭を撫でられた事があったのだろうか。記憶にあるのは、ダルトン夫妻やセバスチャン、使用人の大人たちが時折優しく撫でてくれたことだけ。こうして撫でられたのは、何年振りだろうか。


「結婚しろって言われてキレちゃったんですか」

「あまりにも腹が立ったので」

「良いんじゃないですか?話を聞く限り、侍女殿の反応が正しいと思います」


ぽんぽんと軽く頭を叩かれる感覚。すっと手を降ろされたことに気が付くと、ティナはその手を取った。何故そんな事をしたのか自分でも分からなかったが、二人揃って動きを止めてしまう。


「あー…侍女殿?」

「あの、いえ…これは、その」


もごもごと口を動かすが、言葉にならない。うろうろと視線をさ迷わせ、思わず取った手を離すと、手を背中に隠してもじもじと指を絡ませた。


「何か珍しいもの見た気分ですね。申し訳ないんですけど、俺そろそろ戻らないと…侍女殿一人で帰れます?」

「…帰れませんと言ったら、送ってくださるのでしょうか」

「相当参ってますね」


うーんと小さく唸ったデイルが、ちらりと自分の背後に視線をやる。仕事の邪魔をしている事が申し訳なくなり、何をしているのだろうと我に返った。今すぐ詫びてこの場から去ろう。

口を開こうとしたタイミングで、デイルが悪戯っぽく笑って言う。


「侍女殿、ちょっと病気になりましょうか」


◆◆◆


以前セレスによく言っていた台詞を自分が言われるとは思わなかった。その場に蹲るよう言われ、それに従うと、デイルは通りにいる他の騎士に大きく手を振って言った。「病人を家まで送り届ける」と。

これも騎士の仕事だと笑って言うが、流石に少々無理があるのではないだろうか。

じとりと横目にデイルを見るが、ニヤニヤと楽しそうに笑われるだけだった。


「文句言いたそうですけど、しっかりあの場で蹲ったんで、侍女殿も共犯ですよ」

「騎士としてどうなのです?」

「まあまあ。固い事言わない」


既に貴族街からは離れ、人の目は殆ど無いが、

あくまでも「街中で具合が悪くなった女性と、それを家まで送り届ける騎士」という体面を保つように、ティナは口元にハンカチを当てながら小さく抗議する。病人らしく普段よりも歩幅は小さく、ゆっくりと歩いているが、今は都合が良かった。これなら、普段よりも長い時間デイルと共に歩いていられる。

デイルの手は、普段なら触れられることは無い。今日は、控えめに腰に添えられ、身体を支えるようにエスコートしてくれている。


「今日の埋め合わせ、今度の休みにしてくれません?」

「ええ、そうしましょう。お約束を突然反故にして申し訳ございませんでした」

「いえいえ、ご両親に会うんじゃ仕方ないでしょ」


本当なら、もっとお洒落をして会うつもりだった。それなのに、何時もと同じ地味な恰好で会う事になるなんて。じとりと遠くを睨みつけ、決別してきた両親を思い浮かべる。

もう二度と関わるつもりは無いが、すんなり聞き入れてもらえるかどうか不安な所だ。突然金蔓に逃げられたのだから、逃がすまいとあれこれ画策するかもしれない。田舎に戻ってくれれば、もう暫くは王都に来る金等無いだろうし、あまり心配はしていないが、暫くは警戒しておいた方が良さそうだ。


「そういえば、貴族街には何しに?用事があったんじゃ…」

「気が付いたら居ただけで…チョコレートでも買って帰ろうと思って忘れていました」


泣くだけ泣いて、デイルにエスコートされるだけになってしまった。今度改めて買いに行けば良いと微笑むと、デイルは今度会うときに一緒に行こうと笑った。

何度か休日に二人で会うようになったが、未だに友人関係のままだ。好意を持っていると伝えていないせいなのは分かっているのだが、どうやって伝えれば良いのかが分からない。改めて隣を歩く男に好意を持っていると認識すると、途端に恥ずかしくなってくる。手を添えられた腰に熱が集中しているような気がして、もぞもぞと落ち着かない。頬が熱いような気さえして、このままゆっくり歩いていたいような、もっと早く帰りたいような、どうして良いのか分からない感情がもどかしい。


「侍女殿、もしかして本当に具合悪かったりします?顔真っ赤ですけど」

「なん、でもないです」

「もしかしてエスコートされて照れてます?なんて…」

「…そのようです」


ぽつりと素直に言葉を零すと、今度はデイルの動きが止まる。ぽかんと口を半開きにしているかと思えば、僅かに頬が赤く染まり、照れ臭そうに空いている手で頬を掻いた。

うろうろとさ迷わせる視線が、困惑しているのだとありありと表現しているようだ。


「あの、俺が侍女殿の事好きだって事忘れてません?期待させて遊んでます?」

「私をなんだと思っているんですか…」

「いや、だって…今日の侍女殿いつもと違うっていうか、甘えてくれてるの可愛いなっていうか…」

「…出来れば、察してくださると非常に助かるのですが」


早く行きましょうと小さく急かし、ティナはそれ以上何も言わずに歩き出す。デイルも言葉を失ったままだったが、大人しく歩き出した。

ぐるぐると何か考えているようで、小さく唸ってみたり、黙ったりを繰り返しているが、きちんとゴールドスタイン邸までの道は辿ってくれていた。殆ど無言のままゴールドスタイン邸の裏口へ辿り着くと、デイルは我に返ったようにティナの手を取った。


「俺察するのとか苦手なんですけど」

「それは困りましたね」

「侍女殿も俺の事が好き、という事で宜しいでしょうか」

「改めて言われると恥ずかしいのですが」

「宜しいでしょうか」


再度確認するように繰り返された言葉に、ティナはこくりと小さく頷いた。小さく息を飲んだデイルが、嬉しそうにティナの手を両手で包み込みながら微笑んだ。


「隊長と奥方に、侍女殿との仲報告しても?」

「気が早いのでは…?」

「ちょっと嬉しすぎて黙ってられない」


まだ恋仲になるなんて話をしたつもりは無いのだが、デイルの中ではもう恋仲になったつもりのようだ。ティナの指先に小さく唇を落とし、うっとりと嬉しそうに微笑みながらティナの頬を撫でる。屋敷の中から見られているのではと気が気ではなかったが、あまり悪い気はしない。


「あの、ちょっと落ち着きましょう。次のお休みにお会いした時にきちんとお話を。それからどうするか相談させてくださいまし」

「…侍女殿がそう言うのなら」


不服そうにしながらそう言うと、デイルはティナのまぶたに唇を落とす。反射的に目を閉じてしまったが、悪戯が成功した子供のように笑うデイルはそれ以上の事はしない。早くお入りと背中を押し、小さく「またね」と耳元で囁いた。

大人しく屋敷へ歩き出すが、名残惜しくなって振り返ってみる。ひらひらと手を振るデイルが此方を見ている事にまた恥ずかしさを覚え、ティナは小さく手を振ってから裏口の扉へ向けて走り出した。

色々なことがあって疲れている筈なのに、心臓がこんなにも煩くては、今夜はきっと眠れそうにない。


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