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18.

面倒な事が一つあると、二つ三つと続いて出てくるのは何故なのか。良い事はそうそう重ならないくせに、こういう事ばかりと小さく文句を言うのだが、いくら一人きりの部屋に向かって文句を言ってみたところで何も変わらない。

手にしていた手紙をぐしゃぐしゃと丸め、勢いよく壁に向けて投げつけてみても、書いてあった内容が変わるわけでもない。丸めて投げるだけで「王都に行きます」という両親からの手紙の内容が変わるのなら、いくらでも投げつけてやるのに。


「何故今更…」


十五年も一人で働かせておいて、金の無心をするだけだったくせに今更何だというのだろう。

流石にもう捨てられたという意識は薄れてきたが、それでもあまり良い気はしない。王都に来て何がしたいのか。娘に会いに来るというのなら、何故もっと早く来なかったのか。正直会いたくない。今更会ってどうすれば良いのかも分からない。

礼を言うような事も無いし、かといって謝ってほしいわけでもない。セレスに仕えられるのは、両親がダルトン家に奉公に出してくれなければ叶わなかったのだから。

それでも、心の中にいる幼い自分が「寂しかった」と主張するのだ。


「ただでさえ人間関係が面倒だと言うのに…今更何をしたいんでしょうか」


ぽつりと呟いた疑問は、当然誰に届くわけでもなく、一人きりの部屋で静かに響いた。


◆◆◆


面倒事その一。デイルの顔をまともに見られないこと。チャーリーとパティスリーでお茶をしている間に一瞬顔を見た程度だが、あれから気まずくてデイルが屋敷に来ても避け続けている。何故避けられているのか分からないデイルは、何かしたかと問い詰めてきたが、仕事中だからと言い訳をして逃げている。


面倒事その二。乳母を選ぶのに何故かティナまで駆り出されること。雇うのはセレスとアランなのだから、侍女であるティナが口を出すことは無い。「いつも身の回りの世話をしてくれるのはティナだから」と、少しでも気が合う人間をとセレスが気を利かせてくれているのだが、正直仕事だと割り切れる。それよりも、これから生まれてくる赤子を大切に育ててくれる人間ならそれで良かった。勿論そんなことは言えないので、まるで小姑にでもなった気分で乳母候補たちのあら捜しをしている。


面倒事その三。実家から両親が王都に来ること。手紙には色々と長ったらしく書いてあったが、子育ても落ち着いて来たし、少し娘の顔が見たいだとかそんなような事が書かれていた。記憶を何度辿っても、まだ一番下の子供は三歳だった気がする。一番上のティナが二十歳、二番目が十八で嫁に行った。まだ子供ばかりの筈だが、幼い子供をどうするつもりなのだろうか。


「ティナ、ご両親が王都にいらっしゃるのでしょう?もしお宿がまだならば、うちに来てもらいなさいな」

「いえ、それは恐れ多いので私からお断りいたします」

「あら、ティナのご両親なのよ?私からもご挨拶しなければ」


純粋な厚意なことは分かっている。きっとアランも両親を客人として迎えることは了承するだろう。だが、侍女とはいえ使用人の親を客人として扱うなど、申し訳がなさすぎる。それよりも、あまり顔を合わせたくないのだから、王都に泊まらずさっさと帰れば良いのだ。そんな金があるのなら、子供たちにもっと食わせてやれば良い。


「もう顔も覚えておりませんし、会うつもりもございません」

「そう…ティナにはティナの事情があるのだから、私は無理にとは言わないわ。でも、きっと一目お会いするだけでご両親は喜ぶと思うわよ」

「…検討しておきます」


検討すると言って検討したことは一度も無い。セレスもそれはよく知っているのか、困ったように笑うだけだった。


「お腹、少しふっくらなさいましたね」

「そうね、大きくなってくれて安心しているわ」


ほんの少しだけ、ふっくらと膨らむ腹。まだよく見ないと分からない程度の膨らみだったが、セレス本人や、着替えを手伝うティナには分かる膨らみ。

話題を変えようとしただけなのだが、嬉しそうに腹を撫でるセレスは、最近腹の中がもごもごとしてくすぐったいのだと笑った。それが胎動だと気が付くのは、マーサに指摘されるこの日の夕方のことだった。


◆◆◆


 踵が高い靴で走るというのは、案外難しい。息が苦しい。脇腹が痛む。だが、今は足を止めている場合ではない。主からのお使いを済ませて置いて良かったと安堵すべきか、荷物を抱えたまま走らねばならない事を恨むべきか分からないが、ただ必死で足を動かし続ける。


「ちょっと!何で逃げるんですか!」


後ろから投げかけられる声に振り替える振り返ることもせず、ティナは街中を全力で走っていた。こんな街中で侍女殿なんて叫ばないでほしかったが、逃げ回っているのは自分なのだから今は文句を言えない。というより、文句を言える程余裕が無かった。


「あの、普段訓練してる騎士から走って逃げられると思ってます…?」

「…、っ、あ…げほっ」


どこか呆れたような顔で、デイルはティナの肩を掴む。漸く諦めたティナはまともに呼吸をすることも出来ず、ぜいぜいと荒い息を繰り返すしかなかった。騎士から走って逃げられるなんて思っていない。思ってはいないが、まだデイルと顔を合わせる覚悟が出来ていなかった。


「はいはい、深呼吸して。吸ってー吐いてー」


言われるがまま呼吸をしながらデイルを睨みつけるが、睨まれた本人はまだ呆れた顔をしている。重たい剣を腰に帯びているくせに、殆ど息を乱す事もなく走るのは、日ごろの訓練の賜物なのだろうか。


「落ち着きました?」

「ええ…なんとか」

「で、何で逃げるんです?俺何かしました?」


何も。そう答えてもデイルは納得しない。貴族街では無いが、周囲を歩く人々がじろじろと此方を見ている。騎士団の制服を着た男に追いかけられていた女。傍から見れば何かやらかした女とでも思われているのだろう。


「人の目が気になるなら物陰にでも行きます?それとも貴族街なら目立ちませんか」

「あの、離してくださいませんか」

「離したら逃げるでしょ。生憎俺は隊長みたいに余裕があるわけじゃないんでね」


逃げようと思えば逃げられるなんて優しさは無い。絶対に逃がさないと言わんばかりの力で、しっかりと捕まえられた手首が、じんじんと熱を持っているようだ。ぐいぐいと引っ張ってみても、ぶんぶんと振ってみても意味は無い。逃げられる気が全くしなかった。


「この間パティスリーで男と居ましたよね。あの日から俺の事避けてるでしょ。デートの邪魔したのがそんなに嫌でしたか?」

「ですからチャーリーさんは仕事仲間で…あの日は少し強引に連れ出されたと言いますか…」


もごもごと言い訳をしたところで、別にデイルと恋人関係なわけでも無いのだから、言い訳をする必要も、避ける必要も、まして逃げる必要も無かったことに気付く。

違う。避けていたのは、逃げたのは、見られたからではなく、デイルに対して異性へ向ける好意を持っていて、認めたくなかったのか、恥ずかしかっただけなのか。自分でもよく分からないが、今になって何故逃げたのかよく分からなくなっていた。


「何故逃げたのでしょう?」

「それは俺が聞いてるんですが…」


大きく溜息を吐きながら、デイルはがしがしと頭をかき回す。嫌われたかと思っただの、何かしたなら謝るだのごちゃごちゃ言っているが、別にデイルは何も悪くない。


「…成程」

「何です?」

「いえ、ただ私は普通の女だったようです」


何を言いたいのか分からないといった顔で、デイルはティナを怪訝そうに見つめた。

目の前の男に好意を持っているから、他の男と共にいるところを見られて気まずいのだ。何か誤解をされたのでは無いかだとか、気の多い女だと思われていやしないかだとか、そういうごちゃごちゃとした感情が渦巻いているようで、いたたまれなくなって逃げたのだ。あっさりと捕まえられた事は面白くないが、そもそも侍女と騎士では分が悪いに決まっている。

ティナ・ヴィクトールは、デイル・アドニスに惚れている。

素直に認めたところで、恋人になりたいかと問われれば、是とは言い切れない。今の友人という関係のままでも居心地は良いだろうし、恋人という関係が面倒くさそうな気がするのだ。

恋人になれば、結婚適齢期であるティナとデイルならば結婚を意識する時が来るだろう。その時に、また関係が変わるのが面倒くさそうなことこの上ない。


「侍女殿、一人で納得してないで説明してくれません?」


ぼんやりと自分の顔を見て納得したような顔をするティナに、デイルは困ったような顔をしてみせた。


「いえ、チャーリーさんに相談することが出来ましたので、本日はこれにて失礼いたします」


ぺこりと頭を下げ、デイルに背を向け歩き出す。何か文句を言っているのは聞こえているが、今は何をどう相談するかの方が重要だ。

自分が振った男に恋愛相談をする残酷さを全く考えないまま、ティナはゴールドスタイン邸へと帰路を辿った。


◆◆◆


「本当残酷な事するよね、君」

「相談をしているだけですが?」

「あのさ、俺この間君に振られたばっかりなんだけど」


雑用をこなすチャーリーを手伝いながら、好きな男が出来たが関係性を変えるか否かについてを相談してみる。眉間に深く皺を刻み込み、チャーリーは苦虫を噛み潰したように嫌そうな顔をした。至極当然な反応なのだが、ティナはその顔を見て漸く自分が犯した失態に気が付き、小さく詫びた。


「良いじゃないか。恋人になれば?騎士様からも求愛されてるんだろう?」

「別に恋人になりたいわけでは…」

「友人のままで良いってこと?」


呆れたように大きく息を吐きながら、チャーリーは手元のグラスを磨く。何度も光に中てながら汚れが残っていないかを確認しているが、今手にしているグラスはもう三度も拭いている。


「別にティナがそれで良いなら良いんだろうけどさ。騎士ってモテる職業だし、あの騎士なら選り取り見取りでしょ」

「ご本人はそんなことは無いと仰っておりました」

「でももしかしたら別の女の子とそういう関係になるかもよ?」


知らない女性と仲睦まじく並んで歩く姿。愛おし気に知らない女性を見つめる姿。あれもこれもとチャーリーに促されるがまま想像してみたが、もやもやと胸が重たくなる。ぶんぶんと頭を振ってみても、一度想像してしまった光景はなかなか消えてはくれない。


「どう?」

「面白くありませんね」

「でも友人のままなら、あの騎士様が誰と恋人になろうが文句は言えない。だってティナがそう望んだんだから」


いくら求愛されていたとしても、いつまでも応えてくれない相手を愛し続けるような人間はそういない。アランは滅多にいない人間だとチャーリーは言う。確かに言われてみればそうなのだが、関係が変わるのが怖いのだ。


「俺が言えるのは、面白くないと思うのなら自分から歩み寄れってことかな」

「歩み寄り…ですか」

「で、そろそろ振られた相手からの恋愛相談は切り上げたいんだけど」


曇り一つ無く磨き上げられたグラスを避けながら、チャーリーがまた一つ溜息を吐いた。



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