1.
幼い頃、ダルトン家に来たばかりの頃はよく泣いていた。家族が恋しくて、一人で眠るベッドが寂しくて、大部屋だからとそっと部屋を抜け出して、庭の片隅で泣いたものだ。
時折抜け出しているのがセバスチャンにバレて少しだけ叱られたが、彼は下働きの子供が泣いているのを見つけると、父親のように優しく慰めてくれた。
「もう屋敷に来てから三年も経つのに、お前はいつまでも泣き虫だな」
「まだ八歳なので許されると思います」
「セレスティア様は五歳だが、もう朝まで一人でぐっすり眠っておられるぞ」
ニヤニヤと笑っているが、愛されている令嬢と下働きを比べないでほしい。じろりと睨んでみても、セバスチャンが怯えるなんて事はあり得ないし、より一層ニヤニヤと笑われるだけだった。
「…今日、セレスティア様にティナはお姉様みたいと言われました」
「そうか。お嬢様は兄君しかおらんからなあ」
「もう顔も朧気な妹しかいませんが、ティナはお嬢様をお守りしたいです」
「おや、言うじゃないか」
「…お嬢様が笑ってくださると、なんだか胸がぽかぽかするのです」
下働きだが、時折図書室や庭で出くわすことがあった。どちらも勉強の時間の話なのだが、何故か五歳の令嬢は嬉しそうについて回るのだ。それがとてもむず痒く、うざったいような、嬉しいような複雑な感情がもやもやと胸を覆っていく。
相手はこの家の娘だし、自分は下働きの使用人。無碍にする事も出来ず、嫌々相手をしていただけなのだが、久しぶりに姉と慕ってもらえる感覚が何だか嬉しくなっていた。
漠然とした、守ってやりたいと言う感情。それがだんだんと行き過ぎた感情になって、ティナは主と共に絶食するようになるのだ。
◆◆◆
「おーい侍女殿、話聞いてる?」
はっと意識を戻す。少々懐かしい思い出に耽っているが、今は大好きな主の結婚式。満面の笑みで真っ白なドレスに身を包み、今間違いなく世界で一番綺麗な花嫁であろうセレスティアを眺めた。
「お綺麗です」
「何で泣くんだ…」
ぽろぽろと涙が溢れて止まらない。あんなに憔悴し、弱り切っていたのが嘘のよう。こうして幸せそうに嫁いでいく姿を見られるのが、今のティナには幸福でたまらない。
実の妹が嫁いでいくことよりも、大好きな主が嫁いでいくことの方が重要だ。
何故か隣に陣取っているデイルに差し出されたハンカチを受け取って、ティナはそっと涙を抑える。
「ティナ!」
「はい、お嬢様」
涙声で絞り出す声はみっともなく震えている。もうお嬢様ではなく、奥様と呼ぶなんて事をすっかり忘れ、ティナは必死で涙を堪えた。
「何だデイル、ティナを苛めるなら追い出すぞ」
「冤罪も良いとこなんですが!」
笑わせようとしたのか、場を和ませようとしたのか、アランがデイルを小突く。セレスは何故自分の侍女が泣いているのか何となく理解したようで、優しく背中を摩りながら嬉しそうに微笑んだ。
「ねえティナ、泣かないで。今日は私のとても嬉しい日なの」
「はい、はい…奥様、私にとっても、嬉しい日です」
「だからね、笑顔でいてちょうだい」
主がそう望むのならば、忠実なる侍女は言われた通りにしてみせよう。
無様に泣き濡れた顔をごしごしと擦って、ティナは不格好な笑顔を浮かべてみせた。
「ご結婚、おめでとうございます」
そう絞り出した声は、やっぱり震えていた。