15.
「侍女殿、なんか上の空ですね」
約束通り、気晴らしに付き合わせているデイルが心配そうにティナの顔を覗き込む。背の高いデイルが大きく屈んで覗き込んでくるのは、きっと背中が痛むだろう。
「失礼いたしました。何もありません」
「そう?奥方の体調悪いままなんだって?大変だよなあ」
セレスが妊娠していることは、まだ限られた人間しか知らない。デイルはその中の一人なのだが、悪阻に良い物等知っているわけもなく、早く落ち着いたら良いなと困ったような顔をした。
「侍女殿は無理してない?」
「何も無理などしておりませんが…まさかアドニス様まで断食していると思っておりませんよね」
「それは思ってないけど…え、断食した経験があるんですか?」
以前断食していた話は、デイルは知らない。話すような事でもないし、これから先話すことも無いだろう。
「まあ断食どうのこうのは置いとくとして…心配でしょうけど、侍女殿は少し気晴らしして、すっきりして明日からまた頑張りましょうね」
「思い詰めるという事もありませんよ。若旦那様が奥様の看病をしたがるので、私は夕方から暇な身ですし」
ああ、とデイルはげんなりした顔をする。夕方になると、アランは残りの仕事をデイルに押し付けて帰って行くらしい。妻を深く愛していることはデイルも理解しており、ずっと続くわけでは無いだろうからと引き受けているようだが、普段よりも帰りが遅くなって疲れるのだと笑った。
「悪阻ってそんなにしんどいんですねえ。それに何度も耐える俺たちの母親は物好きなのか、強いのか」
「さあ。人によって悪阻が無い方もいるそうですので、もしかするとそちらなのかも」
「ああ…そうかもしれないですね」
もしもティナの母親が、悪阻が重かったなら。きっと八人も子供を産むことは無かっただろう。それとも、それだけ辛くとも子供が腹の中で育つ幸せの方が大きいのか。どちらにしても、ティナにはよく分からなかった。
「で、今日の侍女殿の気晴らしは何をするんですか?」
何処にでも付き合いますよと笑いながら、デイルはきょろきょろと辺りを見回す。今日は珍しく貴族御用達エリアでの待ち合わせだ。
「前から行ってみたかったんですよ。パティスリーヴィル」
「ああ…前に隊長が行ったって言ってました。随分人気らしいですね」
「ええ。以前若旦那様が奥様にとお持ちくださった時に頂きましたが、とても美味しかったです。店内限定のものもあると聞きましたので、そちらも気になっているんです」
菓子を作るのが趣味。色々な店の菓子を食べたり、見るのも好きだ。王都で人気のパティスリーのケーキは、キラキラと輝いて見えて魅力的だ。
「意外と女の子らしいとこあるんですね」
「どういう意味ですか」
「いや、悪い意味でなく。侍女殿いつもきっちりかっちり!真面目!って感じに見えるから、普通に女の子なんだなあと」
からかわれているのだろうか。少しむっとしたが、さっさと目的の店に向かってエスコートされれば、文句を言う事も馬鹿らしくなってやめた。
道中仕事の愚痴やら、アランの愚痴、その他色々な話を振ってくるのだが、そのどれもが微笑ましくなるような話し方をしてくれる。不思議と居心地が良かった。
「あらー、やっぱ並んでますね」
「そのようで。どうしますか、何処か見てきますか」
「その間侍女殿一人に?無理無理。喋ってればすぐですから一緒に並びますよ」
男性は列に並ぶのが嫌な人が多いと聞いたことがあったが、デイルはそうでもないらしい。にこにこと嬉しそうに笑いながら、あれやこれやと話を振って楽しませてくれた。
「それでね、最近また同僚の一人が結婚しますーって報告してくるんですよ。何なんですか三番隊の幸せ率」
「隊長が隊長ですから仕方ありませんね」
「俺の幸せはいつ来るんでしょうかね…」
同僚の話から、結婚報告された話。少々大げさに嘆いてみせるが、その顔はやはり楽しそうだ。ご祝儀がまた嵩むと嘆いていても、幸せな話は嬉しいのだと言う。
「この間の戦争でプロポーズする予定が流れてたらしいんですけどね。少し前に改めて申し込んで、受け入れてもらえたんだそうです」
「それはおめでたいですわね」
「ええ、めでたい話は大好きですよ」
「アドニス様におめでたい話は来ないようですけれど」
「それなんですよねえ」
少しからかってみても、嫌な顔をするどころか笑ってくれる。自然体でいられる心地良さに、ティナの表情は柔らかくなっていた。それに気付いたデイルもまた笑うのだが、意識させるとまた固くするだろうと判断し、指摘することは無い。
「侍女殿も同じでしょう?」
「あら、私はデートのお誘いを受けておりますよ」
「は?!誰から!」
「仕事仲間からですが…」
目を見張ったデイルがほんの少し声を張る。何故そんなに驚くのか不思議だったが、言わなくても良い事を言ったなと思った。
「行くんですか?その男と?」
「まだ返事は保留にしております。正直休日まで仕事仲間と過ごしたくないのが本音ですので」
「…俺初めて騎士で良かったと思いましたよ」
大きく安堵の息を吐いたところで、店員が順番だと呼びに来る。漸く入れた店内は、女性客ばかり。ほんの少し男性客もいたが、その誰もが女性の連れだった。
「ご注文はお決まりでしょうか」
席に座ると、すぐにオーダーを取り始める。混んでいるから早く客を入れ替えたいのだろう。幾つか見繕っていたケーキとチョコレート、二人分の紅茶を注文すると、店員は足早に去って行った。
「それで、仕事仲間とやらはどんなやつなんです?」
「そうですね…執事見習いの平凡な方ですよ。仕事はよくサボりますし、馴れ馴れしいですが良い方です」
「侍女殿は平凡な男の方がお好みですか」
「いえ…チャーリーさんは好みではありませんが」
チャーリーと何度も口の中で小さく呟きながら、デイルは真面目な顔で思案する。そんなにチャーリーを気にしてどうなるのか気になるところだが、面白くなさそうな顔をしてるデイルには少しの気まずさを感じた。
「好みじゃないなら、デートは断るんですよね?」
「何故アドニス様がそのような事をお気になさるのですか?」
「そりゃ侍女殿が好きだからですよ」
こんなとこで言わせないでくださいよと恥ずかしそうにしているが、言われた側のティナは固まるしかない。面と向かって好きだと言われた経験が無いとは言わないが、デイルにまっすぐ見つめられると何だか胸が煩かった。
「好きな相手が知らない男に言い寄られてたら面白くないでしょ」
「…それは、申し訳ありません?」
思わず謝ってしまったが、何故謝ったのか自分でも分からない。好きだからという言葉が何度も頭の中をぐるぐると回るが、こんなにもどきどきと心臓が煩いのは、デイルの事を意識しているからなのか、それとも目を見て言われたからなのか、それとももっと別の理由があるのか、ティナにも分からない。
「お待たせ致しました」
丁度良いタイミングで、店員がカートを押しながら現れる。テーブルの上に手際よく広げられたティーセットたちは、甘く柔らかな香りを漂わせ、紅茶の入ったカップはゆらゆらと湯気を立てていた。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言い残して立ち去らないでほしい。少しで良いから残ってほしかった。そんな無理は言えるはずも無いのだが。気まずくなったこの空気はどうすれば正解なのだろう。
「あー…すみません、先走りました」
「いえ…冷めてしまいますし、いただきましょうか」
突然の告白にまだ心臓は落ち着かない。香りの良い紅茶も、心躍るデコレーションのケーキたちも、味なんて全く分からなかった。