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「寝取られ令嬢の王子様」を読んでからでないと分かりにくいかと思います。すみません…

少々残酷な表現が多めになると思いますので、苦手な方はご注意ください。

あの日、母は言った。「お母さんはお前を愛しているよ」と。困惑しながらも涙を流す母を見つめたけれど、母はそれっきり何も言ってはくれなかった。苦しくなる程きつく抱きしめられ、背中を摩られていた事はよく覚えている。

たった五歳の娘を、見知らぬ男に預けて泣き崩れていたけれど、父も妹や弟たちも家から出てくることすらしなかった。

捨てられたのだと思った。子供ながら分かっていた。自分の家は貧しくて、その日食べていく事すら厳しいのだと。たったひと切れのパンと、ほんの少しの野菜くずが浮いた、凡そスープとも呼べないような薄味のお湯。そんな食生活ならば、五歳の幼い子供でも腹が減ったと騒ぐこともしなかった。

見知らぬ男は黙って馬車まで自分を引きずって行ったし、何度後ろを振り返っても、母は泣き崩れた姿勢のまま動かなかった。


「どうして…?」


漸く出てきた言葉は、どうして自分なのという疑問だった。

見知らぬ男は、馬車に乗り込むと優しそうな笑顔を浮かべて名乗った。セバスチャンと名乗った男は、これから向かうお屋敷の執事をしていると言った。


「君の名前は?」

「…ティナ」

「そうか、ティナ。これから向かうのはダルトン伯爵のお屋敷だ。君はその屋敷で下働きとして働いてもらう」


突然何をと思いはするのだが、初めて見た男と馬車の中で二人きり。正直あまり治安の良くない地域で生活してきたせいか、警戒心を解く事も出来ず、名乗る以外は押し黙ったきり。そんな少女を持て余したのか、セバスチャンは困ったようにごそごそとポケットを漁った。


「甘いものは好きかい?」


そう言って手のひらにころりと落とされた小さな飴玉。初めて見る宝石のようなそれをまじまじと観察し、馬車の窓に透かして見れば、キラキラと綺麗な光を反射した。


「食べてごらん、美味しいから」


見知らぬ人間に貰ったものを口にするのは気が引けたが、腹は減っていたし、甘いものを食べる機会など滅多にない。恐る恐る口に飴玉を放り込むと、優しい甘味が口の中いっぱいに広がった。


「突然連れて行かれて怖かっただろう。あまり引き留められていると離れがたいかと思ったんだ」


優しい甘さに安心したのだろう。ティナの目からは大粒の涙が次々と溢れて零れていく。声を押し殺して泣く少女の痛々しさに、セバスチャンはまた、困ったような顔をした。


「大丈夫、ダルトン家の方々は皆様お優しい。旦那様と奥様、それからお二人のお子様がいるよ」


羨ましい。生まれた家が違うだけで、使用人が沢山いるようなお屋敷で生活して、両親からも愛されるなんて。かつて我が家は貴族だったんだよと父は言ったけれど、そんな話は絶対に信じない。本当に貴族だと言うのなら、雨漏りや隙間風に凍えるようなあばら家になんて住んでいるわけがないのだから。


「…良いかいティナ、君はもしかしたら親に捨てられたと思っているかもしれない。でもそれは違う。君は愛されているからこそダルトン邸へ迎え入れられるんだ」

「うそ…だって、妹も弟もあの家にいる。私だけがのけ者にされたんだ!」

「妹や弟たちはまだ幼すぎるから。君は一番上のお姉さんだろう?君が妹や弟たちの為に働くんだ。それに、ご両親は自分たちから離れてでも、暖かい部屋と十分な食事を与えられる環境に君を置きたいんだ」


そんな事を言われても困る。貧しくたって良い。家族と共に居たかった。

大人が何と言おうとも、両親から引き離された事は事実で、たった一人見知らぬ場所につれて行かれるのだ。それがどれだけ悲しくて、寂しくて、心細い事か。


「あんまり泣くと喉に詰まらせてしまうよ」


◆◆◆


懐かしい夢を見た。家族から捨てられたあの日の記憶。あれから一度も家族には会っていない。定期的に手紙のやり取りはするものの、貧しさ故に王都まで来る路銀が無いのだろう。そしてティナも、わざわざ家族に会いに行こうとは思えない。

最近来たばかりの手紙は机の上に無造作に置かれたままだ。実家から連れ出された時は、自分を含めて四人だった筈の子供は、現在八人になっている。自力で育てられるだけの稼ぎが無いのにどんどん増やす両親に呆れはするが、罪のない妹や弟の為に、多少の仕送りを続けていた。


『二女が結婚するから、嫁入り道具や持参金を準備したい』


知ったことか。そう返事をしてしまえば良いのかもしれないが、結婚というのはめでたい事だ。自身もそこまで余裕があるわけではないが、衣食住は保証されているし、金のかかる趣味をしているわけでもない。今度買おうと思っていた本を我慢すれば、ちょっとした

祝いにはなりそうだ。


「ねぇティナ、起きてる?」

「ええ、起きてるわよ」


扉の向こうで同僚の声がする。ダルトン家に奉公に出てからもう十五年。王都の屋敷で働きながら、下働きには勿体無い程丁寧に教育をしてくれた。読み書きや簡単な計算は勿論、ダルトン家令嬢の侍女になる事が決まると、令嬢に施されるようなダンスやテーブルマナー、異国の言葉を話したり読み書きできるような教育もしてもらえた。そのうえ給金まで貰えるのだ。なんと有難い環境なのか。


「良いわよね、セレスティア様付侍女になって、今度はゴールドスタイン家の侍女になるなんて」

「私はお嬢様のお傍に居たいだけよ。別にタラント家に嫁ぐとしても、私はお嬢様に付いて行くわ」


ダルトン家御令嬢、セレスティア・ハンナ・ダルトン。ティナの主であり、数日後嫁に行く美しき花嫁だ。

今は柔らかい笑顔で、結婚式を楽しみにする幸福な花嫁だが、彼女は少し前まで「寝取られ令嬢」として社交界の噂になっていた。婚約者だった男を格下令嬢に横取りされ、憔悴しきっていたが、夫となるアラン・ニール・ゴールドスタインに見初められ、徐々に笑顔を取り戻していった。

アランはセレスが言い出す前に「ティナも一緒に来ると良い。部屋は用意しておくから」と言い出すし、セレスはキラキラと輝くような笑顔でティナに抱き着いた。何とも嬉しく有難い申し出に、ティナは深々と頭を垂れて「お世話になります」と礼を言った。


「まあ、向こうに行ってもたまには遊んでね」

「ええ、勿論」


あの日この屋敷に引き取られた時、同じ日に引き取られてきた同僚シーナ。彼女はティナの良き友人であり、良き理解者であった。


「さて、今日も元気に働きましょう」


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