異世界転移当日
魔導学園への転校が正式に決まった後、朔也は夏休みを利用して異世界転移の準備を整えることになった。
言語は翻訳魔法があるため問題にならないが、知識については翻訳魔法だけではどうしようもない。
現地人なら誰でも知っている常識を学び、転移した後で問題を起こさないようにするのは必要不可欠である。
それと並行して、健康診断や予防接種も怠らない。
この辺りは普通の海外旅行でも要求される備えであり、異世界転移だから特別に必要だというわけではない項目だ。
様々な準備を精力的に進め、朔也が日本で過ごす最後の夏はあっという間に過ぎ去っていった――
――西暦二〇三〇年九月十四日、世界管理局東京支部ビル。
三連休最初の土曜日、朔也はビルに足を踏み入れるなり、旅行用のキャリーバッグを引っ張って、関係者用エレベーターへ向かっていった。
そこでは遥が朔也の到着を待っていて、ひらひらと手を振って笑いかけてきた。
「おはよ。昨日はよく眠れた?」
「実を言うと、全然。緊張してなかなか寝付けませんでしたよ」
「うんうん、分かる分かる。私も最初の異世界転移の前の日は、興奮で全然眠れなくってさ。それと、はいこれ」
遥は朗らかな態度で雑談を持ちかけながら、名刺ケース程度の大きさをした板状の物体を朔也に手渡した。
「翻訳魔法のアミュレットよ。今のうちに渡しておくね」
「急に話が飛びましたね。脈絡って知ってます?」
「細かいことは気にしない、気にしない」
持っているだけで効果があるとのことだったので、朔也は短く息を吐いてそれをポケットにねじ込んでおいた。
「対応言語は日本語と帝国公用語で、さすがに文章の翻訳までは対応してないけど、高性能な奴を受け取るまでの繋に持っておいてね」
「文字も読めないと、勉強どころじゃないと思うんですけど。覚えないと駄目なら最初からそう言って……」
「大丈夫、大丈夫。そっちはまた別の魔導器があるから。管理局の公務員も使ってる折り紙付きの性能よ。渡せるのはもうちょっと後になるけど、入学には間に合うからね」
遥は到着したエレベーターの中に入ると、操作パネルにパスワードを入力し、本来は行くことができない地下深くの階層のボタンを押した。
「それにしても、保護者の方が快諾してくれてよかったな。それが一番のハードルだろうなって思ってたからさ」
「ええ、まぁ……喜んで送り出してくれました。反対されるとは最初から思ってませんでしたけど」
「……それってどっちの……ううん、根掘り葉掘り聞くことじゃないか。ほら、そろそろ着くよ。扉が開いたらすぐに異世界転移プラットフォームだけど、びっくりしないでね?」
両親が転校に賛成した理由は、息子のためを思ってのことだったのか、それとも厄介払いができるからだったのか。
朔也はその辺りの話題からとっくに興味を失い、エレベーターの扉が開くのを心待ちにしていた。
――扉の向こうに広がっていたのは、まるで地下鉄のプラットフォームのような風景だった。
レール上に鎮座しているのはレトロなデザインの列車。
煙突のない蒸気機関車とでも表現できる黒い車体に、金色の縁取りが高級感のある彩りを添えている。
「えっ……これが転移装置なんですか?」
「そうだよ。びっくりしたでしょ」
「こう、光の水面みたいにふわふわしたゲートみたいなのを潜るのかなって、勝手に思っていたんですけど……」
「転移ゲート本体はそんな感じかな。あの車輌に乗り込んでゲートに突っ込む方式ね。どうしてわざわざ列車を使ってるかっていうと、ほら、あれ」
遥が指差した方向では、貨物用エレベーターを使って運ばれた大きな荷物が、次から次に転移列車の貨物車に積み込まれている。
「ゲートの両側にレールを敷いておいて列車ごと転移すれば、大量の荷物をらくらく運搬可能ってわけ。それとあっち側のレールは現地の鉄道に直結してるから、ノンストップで目的地まで物資をお届けって仕組みになってるの」
「なるほど……よく考えられてるんですね……」
「三十年ずっと続けてきた研究は伊達じゃないってことね。客車は動力車の後ろで、それ以外は全部貨物車だから、間違えて入っちゃ駄目よ」
朔也はさっそく客車に乗り込み、出発の時間を待つことにした。
大勢の乗客を運ぶことが想定されていないからか、客車は広々としていてなかなかに快適だ。
「そうだ、スマホとかはちゃんと置いてきた? あっちだと魔力が濃いから、精密な電子機器はすぐに壊れちゃうのよ」
「大丈夫ですって。そういえば、この電車は大丈夫なんですか?」
「電気と魔力のハイブリッドだからね。ゲートを抜けるタイミングで動力を切り替えて、向こうについたら電気を使わずに走るのよ。ついでに照明も切り替わるから、車内が暗くなったら世界を渡る瞬間ってことね」
やがて出発を告げるブザーが鳴り響き、車輌の全てのドアがロックされて、転移列車がゆっくりと加速を始める。
初めての異世界転移に緊張する朔也の横顔に、遥は微笑ましげな視線を送った。
出発から間もなく、車内の照明が全て消え、入れ替わりに窓の外が眩い光に包まれる。
これが転移ゲートを潜った瞬間であることは、誰の目にも明らかだった。
数秒と経たないうちに外の光が収まって、車内の照明が復活する。
そして短いトンネルのような空間を抜けたかと思うと、ビルの地下のプラットフォームとは全く違う風景が周囲に広がっていた。
お読みいただきありがとうございます。
感想、ブックマーク、評価などの形で応援していただければ、作者にとって大きな励みになりますので、どうぞよろしくお願いします。
ブックマークは広告右下の「ブックマークに追加」ボタンを、
評価は広告の下の「☆☆☆☆☆」を押していただくと実行できます。
また、平行連載としてこちらの作品も更新中です。
「【修復】スキルが万能チート化したので、武器屋でも開こうかと思います」
https://ncode.syosetu.com/n3353fc/
https://kadokawabooks.jp/product/syuuhukusukirugabannnou/
書籍はカドカワBOOKSから発売中で、10月10日に第5巻発売。
コミカライズはヤングアニマルコミックスで、9月29日に第2巻発売。
総合累計ランキング209位(10月1日現在)、シリーズ累計20万部突破の自信作ですので、こちらも応援お願いします。