転校生は天才児
――帝国暦二十五年十月八日。
朔也は湖畔の町に設けられた学生寮の一室で、最初の登校に向けた持ち物の最終確認に取り掛かっていた。
寮の部屋はいわゆるワンルームタイプの個室になっており、ベッドは備え付けで用意されているが、キッチンや風呂場は個室には設けられていない造りになっている。
「翻訳魔法のアミュレットに、学生手帳に……というか、これって学生手帳だったんだな」
朔也が手にした学生手帳という名の魔導器は、異世界転移当日にイリオス教官に使わされた、カバー付きスマートフォンによく似た魔導器の色違いであった。
見た目における一番の違いは、カバーの表に魔導学園の紋章が刻印されていることだろう。
無駄にゲーム的なステータス画面を表示するだけの道具かと思っていたが、学生手帳らしく身分証明や校則の確認もできるあたり、相当に高性能なアイテムのようだ。
続いて、ワインレッドの上着に濃い灰色の長ズボンというデザインの制服に袖を通し、備え付けの鏡で問題がないかを確かめる。
元の学校の制服よりも似合っているんじゃないだろうか。
朔也は思わずそんな自画自賛をしたくなってしまった。
ちなみに女子用の制服はスカートになっているが、人間の場合は脚を隠すためか、黒いタイツかストッキングを履いているケースがちらほらと目につく。
「さてと、そろそろ行くか」
自室から寮の共用スペースを経て湖畔の町の大通りへ――その過程で朔也が通り過ぎた風景は、隅々まで異世界情緒に満ち溢れていて、単なる民家に対してさえも目を奪われそうになるほどだった。
基本的には、中世から近世にかけてのヨーロッパの都市を小振りにしたような雰囲気だが、インフラ面ではかなり近代化が進んでいる。
上下水道が整備された清潔な町並み。
電気がない代わりに、ガス管のように魔力を伝達する管が地下を巡り、夜になれば球形や円筒形の魔力式照明が町を照らす。
調理場でも薪のような前時代的な燃料は使われていないようで、食堂の食材は新鮮で種類も豊富であった。
朔也はこの快適な環境が整備された経緯を知らなかったが、きっと日本の技術協力とやらが背景にあるのだろうと、おぼろげながらに察してはいた。
――そして、町並み以上に朔也の注意を引いて止まなかったのは、学園へ向かう生徒達が朔也を見てひそひそと交わす会話の内容であった。
例えば朝食の時に寮の食堂で。
「あれが噂の転校生か? 貴族と決闘して引き分けたとかいう」
「俺は勝っちまったって聞いたぞ」
「おいおい、嘘だろ。魔法の素人が貴族に勝つなんて、そんなの大事件じゃねぇか」
「くそっ、見てみたかったなぁ」
例えば通学路の大通りで。
「見て見て! ほらあれ、飛び級の異世界人だよね」
「ステータスがオール100超えとか聞いたけど、本当だったら凄すぎでしょ」
「異世界人ってみんなそうなの?」
「魔法がない世界だって話だけど……でも一年生をパスして入学なんて前代未聞でしょ」
例えば学園がある湖上のアヴァル島へ繋がる、大きな橋の途上で。
「決闘の相手はフェニックス家の三男坊らしいぞ」
「フェニックス家といえば炎の鳥だろ? まさかアレを破ったのか? 信じられないな……」
「それだけじゃないぞ。魔法も使わずに受け止めて、無傷で耐えてしまったそうだ」
「ますます信じられない! いや、防御力のステータスが三桁の大台に乗っていたという噂が正しければ、あるいは不可能ではないのか?」
朔也本人の目を盗んで交わされる噂話。
正直、こういう扱いは朔也にとって大きな誤算であった。
地球には魔法が実在しなかったので、魔力を操れる能力そのものが不気味に思われ、怖がられて遠巻きに距離を置かれてしまった。
しかし異世界では魔法が実在するからこそ、魔力を操る能力が人並み外れていたせいで、却って遠巻きに距離を置かれることになったのだ。
原因は違えど結果は同じ。
転校生なので馴染むのに時間が掛かるかもしれないとは思っていたが、さすがにこれは予想外の展開だ。
そんなことを考えているうちに、長い橋を渡りきり、準備期間中に何度も訪れた学園の敷地に足を踏み入れる。
学生達が向かう方向は全員同じ。
朔也もその流れに逆らわずに歩いていると、いつの間にか現れていた遥が声を掛けてきた。
「おはよっ。調子はどう? 昨日はよく眠れた?」
「ええ、まぁ、何とか」
熟睡できたと言えば嘘になるが、寝不足になるほど眠れなかったわけでもないので、朔也の返事は妙に曖昧なものになってしまった。
「ごめんなさいね、いきなりとんでもないことになっちゃって。飛び級して二年生からスタートだなんて、うちの学園だと創設以来初めてだし、他の魔法アカデミーでも片手で足りるくらいしか前例がないみたい」
「高く評価されて一目置かれるのは嬉しいですよ。向こうだと、魔法の才能なんて不気味がられるだけでしたから。まぁ……何だか一目置かれすぎて、馴染むのに時間が掛かりそうですけど」
朔也が笑いながら率直な感想を口にすると、遥は物悲しげに曖昧な微笑みを返してきた。
元の世界での扱いについて、本人は既に過去の話と割り切っていたが、教師である遥には思うところがあったようだ。
「でもまぁ、どうせ物珍しさで注目されてるだけでしょうし、すぐ話題にならなくなると思いますよ、多分」
「私達も朔也君が馴染めるように協力するから、困ったことがあったらすぐに言ってね」
遥は差し障りのない形でこの話を纏め、すぐさま次の話題を切り出した。
「そうだ。入学式に出席するのは一年生だけだから、朔也君は第二講堂で二年生向けのオリエンテーションを受けてきてね。基礎訓練漬けの一年生と違って、本格的な勉強が始まる学年だから、説明することもたくさんあるのよ」
「分かってます。上代先生もいらっしゃるんですか?」
「入学式にちょろっと顔を出して、オリエンテーションには途中で合流かな。説明会で分からないことがあったら、そのときに何でも聞いてね。それじゃ、私はこの辺で」
遥は朔也の緊張を解すように軽く肩を叩いてから、入学式の会場である大講堂の方へと向かっていった。
朔也は遠ざかっていく小さな背中を見送り、何かと気を配ってくれることに内心で感謝しながら、二年生向けオリエンテーションの会場へと足を運ぶのだった。