貴族と取り巻きと転校生 前編
――入学前日、帝国暦二十五年十月七日、夕方。
朔也は今日までに済ませなければならなかった手続きを全て終わらせ、すっきりした気分で学園の構内を歩いていた。
肩の荷がすっかり下りた気分だ。思わず笑みも溢れてしまう。
普通に新一年生からスタートする予定が、急遽一変。
前例のない飛び級のために手続きが急増し、今日の今日まで忙しい日々を送ることになってしまったのだ。
しかし、その甲斐あって準備は万端。
後は明日が来るのを待つばかりである。
ちなみに、いきなり飛び級待遇にされた理由は聞いているが、朔也はそれが具体的にどれくらい凄いことなのか実感できておらず、何か凄いことになっていたらしい、という程度のぼんやりとした認識のまま過ごしていた。
そんなこんなで、綺麗に整備されたキャンパスを上機嫌に歩いていると、不意によく通る男の声で横柄な言葉が投げかけられた。
「待ちたまえ、そこの君! ひょっとして噂の異世界人かな?」
「……誰?」
声のした方に振り返ると、朔也と同年代の金髪の少年が、取り巻きと思しき少年達を引き連れている姿が目に映った。
金髪の少年が家柄のいいリーダー格で、その恩恵に与ろうとする連中がついて回っている関係性なのだと、説明されるまでもなく一目で分かる光景だ。
「僕はアッシュ・フェニックスだ。二等爵貴族のフェニックス家と言えばすぐに分かるだろう?」
「二等爵……ごめん、ちょっと待って」
朔也は鞄から私物の手帳を取り出して、こちらの世界の一般常識について予習したメモ書きを読み返した。
「あったあった。連合帝国は構成国ごとに王侯貴族の称号も異なっていた……これが不便であるとされたので、新たに帝国全域で共通の五段階の呼称が定められた……その第二位が二等爵、いわゆる侯爵に相当する……と」
以前、銀髪紫眼の少女と揉めていた連中に喧嘩を売られたときは、相手がどんな人物なのか知らなかったことが原因だった。
その反省もあって、今回は相手の肩書をすぐ確認することにしたのだが、これはこれで逆効果にもなりうる行動である。
実際に、アッシュと名乗った金髪の少年は、自分の家名を知らなかった朔也を不快そうに睨んだが、すぐに気を取り直して首を軽く横に振った。
「やれやれ、僕としたことがうっかりしていた。異世界人ならフェニックス家の名声を知らなくても当然。ここは寛大に受け止めてあげるべきだね。そうだろう、皆」
さすがですアッシュさん、と取り巻き達が声を揃えてアッシュを称賛する。
あまりにもステレオタイプなやり取りに、朔也は反感どころかむしろ感動すら覚えていた。
高慢な貴族の子弟と、称賛しかしないイエスマンの取り巻き。
現代日本ではファンタジーの産物でしかなかった組み合わせが、ごく自然な人間関係として目の前に存在しているのだ。
見下された不快感よりも、観光客気分の感動が先立つのは自然な反応だろう。
朔也は、これが高笑いをする令嬢なら完璧だったのに、などと余裕のあることを考えながら、アッシュとその取り巻きを興味津々に眺めていた。
しかし、当のアッシュはそんな朔也の反応が気に入らなかったらしく、およそ十メートル程度の距離を保ち続けたまま、更に嫌味さを上乗せした言葉を吐いた。
「さて、学園初の飛び級生徒とはいえ、それを鼻にかけて調子に乗られるのは不愉快だ。ましてや僕のような『特待生』を越えたと思われるのは心外だね」
「鼻にかけたつもりはないんだが。というか特待生ってなんだっけ」
「……特待生というのは、入学時点で既に進級条件を満たしていた実力者のことだ。主に貴族や神官の家系の出身……つまりは生まれついてのエリートってことさ」
アッシュは朔也の反応に調子を崩されそうになりながら、何とかペースを崩さずに高圧的な態度を取り続けた。
「まぁいい。世間知らずな異世界人に常識を教えてやるのも、誇り高い貴族の務めというものだ。まずは手始めに、貴族との力の差と身の程を知ってもらおうじゃないか」
「そうですよ! やっちゃってください、アッシュさん!」
「我がフェニックス家に代々伝わる魔法を受けられるんだ。光栄に思うといい!」
アッシュが右手を軽く上げ、呪文のような言葉を口にする。
「炎よ、鳥よ、舞い上がれ!」
するとアッシュの右手に炎が噴き上がり、鷹ほどの大きさの鳥の形に姿を変えたかと思うと、裏庭の空に高く舞い上がった。
それを興味深そうに見送る朔也に、アッシュが高笑いを投げかける。
「あーっはっはっは! 僕の魔法を前に言葉も出ないか! 命乞いをするなら今のうちだぞ、転校生!」
火の鳥が空中で軌道を変え、朔也めがけて急降下する。
しかし、朔也はなおも嬉しそうに笑い続けていた。
生まれ育った世界では異常でしかなかった力が、この世界では当たり前に存在する代物に過ぎないのだという証拠が、まさに目の前で翼を広げている。
危険だの何だのといった些細なことは綺麗に忘れ、ただひたすら喜びに打ち震えてしまうのも無理はなかった。
「……っと! 見惚れてる場合じゃないな!」
朔也は全身に魔力を滾らせ、両腕を交差させて防御態勢を取った。
真正面から朔也に直撃する炎の鳥。
轟音を上げて撒き散らされる火炎と爆風。
アッシュは勝利を確信して取り巻きに胸を張ってみせた。
ところが、爆炎の消えた後に無傷の朔也が立っているのを目の当たりにし、驚きに目を剥いて声を上ずらせる。
「なあっ!? ぼ、僕の魔法が……炎の鳥が……効いていない……!?」
言葉を失って愕然とするアッシュと取り巻き達。
しかし朔也は、生まれて初めての魔法の一撃に興奮し、アッシュ達の反応に注意を向けていなかった。
「凄いな! 今のが本場の魔法か! 魔力を込めてぶん殴るだけのとは大違いだ!」
興奮に目を輝かせる朔也。
驚愕に目を見開くアッシュ。
どちらも表情の方向性は似たようなものだが、それに込められた感情は全くの正反対であった。