第87話『想いの先』
前話にリアクションしてくださった方、本当にありがとうございます!!
読んでくださっている方がいらっしゃるんだと実感出来て本当に嬉しかったです。
改めましていつも見てくださる方、ありがとうございます。
これから見てくださる方が見えましたらどうぞよろしくお願いします。
この話は特に温かく見守って頂けたらなと思います。
ティリア様を狂化から救うにはティリア様の欲望を叶えることが1番とレンブランジェさんが仰る。
ティリア様の欲望とは一体何なのでしょう。
ティリア様はいつも私なんかを気にかけてくださる。
魔王様のお仕事の内容はあまり存じ上げませんが想像を絶する仕事量なのだろうと思います。
それなのに私の為と終わらせてくださり、少ないはずの息抜きに私と過ごしてくださる。
こんな良い所も無い私の事を好きだと仰ってくださる。
最初の頃は自分を殺したから好きも嫌いも分からなくなっていたのに、ティリア様や皆様のお陰で好きとか、楽しいとか思えるようになりました。
悲しい、辛い感情以外の幸せの全てを与えてくださった。
そして愛をティリア様に教えて頂いた。
ティリア様や皆様が与えてくださったモノが今の私を作っているのだと実感します。
私の生きる意味がもう少しで掴めそうな気がするのです。
でも、だからこそ、ティリア様は御身の願望を叶えられるお時間はあるのでしょうか。
それを知る事が叶うのならば、私は知りたい。
知って、私に出来る事を全うしたい。
少しでもティリア様のお役に立ちたい。
どうかティリア様が御身を大切にしてくださりますように。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯…
まさか自分が人間を好きになるなんて思わなかった。
使用人の皆やママへ向ける好きとは別の好きを秘めるとも思わなかった。
どうせ誰かと適当に結婚して魔王として振る舞うのだろうと決められた道筋を何の疑いも無く進んでいくと思っていた。
それなのに。
あの出会いは運命だった。
御伽噺の中だけだと思っていた運命の相手。
それがアタシにも居て、しかもまさか人間だったなんて。
恋に落ちる音は鐘の音じゃなく雷鳴だったなんて。
初めて出会った時のあの子の身体はボロボロで、アタシが守らなきゃって直感的に思った。
黒髪は痛みが酷くて、身体が細すぎて、なのに打撲痕や火傷跡もいっぱいあって面積少ないのに傷だらけ。
大きな黒曜石の目に光が入らなくて。
小さい顔にも傷がいっぱいあって。
上手く笑えないし、表情はずっと悲しそうだった。
何も悪い事をしていないのに自分のせいだと言ってすぐ謝ってしまう。
この子は絶望の底に沈みながら独りで戦っていたのだろうと思うと今でも胸が張り裂けそうになる。
あの子をこんな風にした奴を許したくなかった。
でも、あの子は自分がどんな目に遭わされようとも相手が傷つくと悲しむと思ったから報復は彼女の為にやめた。
だから本当は彼女の見えない所で殺そうと考えていた。
でも、もしあの子が何かのきっかけで知ったら?
そこから連想した悲しそうな顔が頭から離れなくて実行出来ずにいたままだ。
あの子の悲しむ顔なんて見たくない。
それがアタシの本性なのだと知られたくない。
怖いと思われたくない。
離れるという考えを持って欲しくない。
悪夢を見てあの子の様子がおかしくなり飛び出したと知った時、天地が逆さに感じて息が出来なかった。
あの子が一瞬でも居なくなってしまった事が生きてきた中で一番怖かった。
アタシにとってユムルはもう、なくてはならない存在となっていたんだって理解した。
悪夢の内容は過去の出来事を思い出す形だった。
アタシが知らないあの子の顔を、過去を、傷付けたろくでもない奴らが知っている。
あの子の幼少期をそいつらは知っているのにアタシは知らない。
嫌、嫌。
そんなの嫌。
あの子の事をもっと知りたい。
アタシしか知らない顔が見たい。
頭の中でアタシの事だけ考えて欲しい。
大きな目でアタシの事だけ見ていて欲しい。
小さな身体でアタシをぎゅうっと力強く抱きしめて欲しい。
アタシをめいっぱい愛して欲しい。
アタシでいっぱいになって欲しい。
アタシから二度と離れないで欲しい。
ねぇ、ユムル。
貴女をどうしようもないくらい愛しているの。
種族なんてどうでも良いじゃない。
貴女と一緒に居られないのなら魔王の座なんて棄ててやる。
そんな物のせいで貴女と居られないのなら誰が何と言おうが棄てる。
その覚悟は最初から出来ているの。
でもね。
魔王じゃないアタシは貴女を幸せに出来るかわかんないの。
自分自身に貴女の隣にいる価値があるかもわかんない。
貴女を幸せにすると言いながら不幸にするかもしれない。
魔王だから貴女と過ごせているのかもしれない。
そんな色んな気持ちが渦巻いて胸が苦しい。
それにね。
貴女が傷付くのが嫌なの。
アタシの知らないところで貴女に危険が及んでいるなんて考えたくもない。
貴女は優しいから、我慢が上手だから、「心配かけたくない」なんて思ってアタシに隠すでしょう。
それも本当は凄く嫌なの。
「ティリア様、怖かった。痛かった。」って正直に言って欲しい。
我慢しないで欲しい。
貴女は今まで頑張ったのだから我慢なんてせず幸せになるべきなの。
アタシにやれる事は全部やるから、あげられる物は全部あげるから。
貴女の欲を、心を教えて欲しい。
貴女の素直な気持ちが知りたいの。
貴女は何が欲しいか知りたいの。
感情の起伏が少ない貴女の表情が知りたいの。
悲しい事や辛い事が少しでもあったのならアタシでいっぱいになって忘れて欲しい。
貴女は笑っていて欲しいの。
勿論、アタシの隣で。
貴女の一挙手一投足全てが愛おしくてたまらない。
好き。
大好き。
愛してる。
世界で1番、貴女を愛しているわ。
思っていることが矛盾していようと、今燃えるように熱い身体が本心を揺さぶってくる。
揺らめく熱がアタシの姿を形取り、目の前で醜い欲を吐露する。
「…だからね。」
泣くならアタシの事で泣いて。
怒るならアタシの事で怒って。
貴女を泣かせていいのはアタシだけ。
貴女を怒らせていいのはアタシだけ。
それが叶わないのなら監禁も、幽閉だってしても構わない。
貴女のお世話は全部アタシがやってあげる。
そうすれば全てがアタシだけに向けられるでしょう?
恐怖も、悲しみも、怒りも、手足も、視界も、思考も、全部、全部。
助けを求められるのもアタシだけ。
潤んだ瞳も、そこから落ちる雫もアタシだけが映るの。
嗚呼…最高だと思わない?
それが2人きりの世界になるの。
あれ?これは自分自身が喋っている事だわ。
欲はアタシの口から出ており、もう1人のアタシは思いをもっと吐き出せと言わんばかりに笑っている。
口にしたことで自分の欲望を実感する。
ユムルに対してこんなにも醜い願望を抱えていたなんて。
美しいと思われたいのに心はこんなにも欲にまみれて宛ら魔物のよう。
でも、バレなきゃいいの。
でも、バレてもいいの。
どのみち貴女を手放す気なんて無いから。
…つまりね。
貴女を傷付けるものは何人たりとも許さない。
これは綺麗事。
「ほんとうは?」
本当は…
本当は貴女の全てをアタシだけのモノにしたいの…ッ!!
…
「ユムル…」
微かに、けれど確かにティリア様が私を呼んでくださった!
「ッ!はい!ティリア様!」
「イヴ!今はダメだ近付くな!」
バアルさんの静止を無視してティリア様が閉じ込められた箱の元へ走る。
ガラスのような透明な壁のせいでティリア様の元へ駆け寄りたくても出来ないのがもどかしい。
私の声を届かせたくて壁を叩く。
「ティリア様!ティリア様!
ユムルは此処です!此処におります!!」
「嗚呼…ユムル…ッ…ユムル…!」
大きく上下する身体と息遣いがティリア様の苦しさを私に知らせるようです。
「お嬢、今の魔王様は危険すぎる。離れ」
レンブランジェさんが私の肩に手を置いた瞬間でした。
言葉の途中で彼が突然視界から消えたのです。
「レンブランジェさん!?」
彼は何かの力で鳥居近くまで飛ばされてしまっており、震える腕で起き上がる途中でした。
直ぐに立ち上がることが難しいのか同じ体勢のままでティリア様を睨みつけます。
「うっ…クソッ!!坊めッ!!
重力を操り始めたな!!」
重力を…!?
ティリア様の魔法の1つでしょうか。
バアルさんが杖を構え、王龍様へ問いかけます。
「王龍殿!どういうことですか!
何故坊ちゃんは魔法を使える!?」
「…分からぬ。もしや」
お話途中の王龍様とバアルさんが急によろけた後、膝をつきました。
水がパシャリと音を立ててお二人の膝を濡らします。
「ぐ…ッ…!」
「クソ…生意気な…ッ…坊ちゃんめ…!ぐぁ…」
バアルさんは顔に青筋を立てながらも両手をついてしまいました。
もしかしてこれもティリア様の魔法でしょうか!
ケルツァさんもフレリアさんを庇いながら重力に耐えているように見えます。
無事なのは私だけ…!
「ティリア様!!
おやめください!皆様が潰れてしまいます!」
私の訴えが聞こえていないのか、聞こえた上で無視をなさっているのかは分かりませんがこのティリア様は少しおかしいです。
息が荒いティリア様はゆっくりとこちらを向きます。
紅い瞳が電力の少ない電球のようにチカチカして火花が散りそうです。
「ユムル…ッ…はぁ…ッ…
苦しいの…お願い、近くに来て…」
「勿論です!でも魔法が…皆様が!」
「…ユムル…お願い…早く…」
ダメです、話を聞いてくださらない。
やっぱり聞こえていないのかもしれません。
でもティリア様ご自身が皆様に攻撃寄りの魔法を使うなんて…。
急がないと。
「イ…ヴ…ッ!
坊ちゃんは…ッ…貴女を…狙ってい…」
バアルさんが魔法に耐えながら私に教えてくださる。
もう私はユムルと名乗ってしまいましたが…。
いえ、今はティリア様が私を…。
狙っている、と言うとティリア様が敵みたいで嫌です。
私をお呼びなのです。
今この現状では不謹慎ですが私はそれが嬉しい。
その証拠に私だけ魔法を受けていない。
ティリア様を止められるのは私なのです。
「ティリア様、お傍へ参りたいです。」
「嗚呼…愛おしい…えぇ、早く、早く来て…!」
フッと微笑まれたその時、左側の壁1面全てが木っ端微塵となりガラスが砕けた音が響き渡りました。
砕かれた粒子が舞い、光る睡蓮に照らされてキラキラ光りながら床に落ちる前に消えていきます。
「あれは…破壊…魔法…!!
やはり拘束は最初から…ッイヴ…行くなッ…!!
殺されるぞ…ッ!!」
王龍様が何とかお顔を上げ、私を心配してくださっている。
「大丈夫です。
問題ございません。」
仮に殺されたとしてもティリア様が満たされるのならそれで構わない。
私はティリア様をお支えしたいだけだから。
私を呼んでくださったティリア様の望みを叶えて差し上げたいから。
「今、向かいます。」
「イヴ…ッ!」
皆様の引き留めようとしてくださる視線が刺さったまま、ティリア様の元へ急ぐ。
パシャパシャと水を蹴る音だけが響くこの場所で、ティリア様は私をお待ちくださっているのです。
「んしょ…」
箱が少し浮いているのもあって勢いを付けないと登れない。
頂いたメイド服は丈が長く、登った反動で先が濡れてしまいました。
ティリア様は怒ってしまうでしょうか。
いえ、それでもティリア様は笑ってくださるのでしょう。
「……お待たせ致しました、ティリア様。」
「…」
いつもと全く違う雰囲気のティリア様に鼓動が跳ねる。
緊張だけじゃなく、僅かでも恐怖しているのかもしれません。
今も尚、息が荒いティリア様はゆっくりと私を見ました。
「嗚呼…アタシの…アタシだけの可愛い…ユムル…」
熱のせいか拝見した事もない蕩けた表情。
眉が下がっていますが口角が歪に上がっています。
このティリア様は正気ではない。
そう思いました。
妖艶な笑みも素敵です。…が、いつもの太陽のような眩しい笑顔が恋しい。
「…ユムル…ユムル…」
夢の中で迷子になってしまったように私をお呼びくださる。
私を映しているはずの瞳に私が居ないみたい。
「はい、ティリア様。私は此処に。」
私の身長では手錠で挙がっているティリア様の手には届かない。
王龍様は拘束が何とかと仰っていましたが…
そんなことよりも手を握らせて頂きたいのに、
私は此処に居るとお伝えしたいのに。
「嗚呼…嗚呼…やっと来てくれた…!」
歓喜のお声が聞こえた瞬間、バキンと何かが砕けた音が響きました。
音の発生源は上。
見上げると手錠と首輪が…鎖から引きちぎれて…
「嗚呼…ユムル…ユムルッ!!!」
「うっ」
自由になった手は私を包み込みます。
溶けそうなほど熱くて、痛い。
後頭部と背中が押さえつけられている為、身動きが取れない。
いつも力加減をしてくださっていたのを存じておりましたが狂化効果も相まってなのかかなり力強い。
私が脆いから沢山我慢してくださっていたのですね。
「嗚呼…大好き、大好き…!愛してるの…ッ!!」
熱い吐息が耳元を掠めます。
ティリア様の呼吸の音が身体を走る。
「ッ…は、い。私も…」
これはティリア様の本心なのでしょうか。
いつも仰ってくださるお言葉なのに、私に向けられた気がしません。
まるで言葉に包帯が巻かれているような不思議な感覚を覚えてしまうのです。
でも私の名前を呼んでくださっている。
何か言わないと。お伝えしないと。
「う…」
ダメです、息が苦しい…。
骨がミシミシと音を立てているのが分かります。
でもティリア様は今ももっとお辛いはず。
私が弱音をあげてはいけないのです。
例えこの手で殺されようとも。
「何処にも行かないで…アタシを愛してッ!!」
「…ッ…」
声が出せない…。
お答えしたいのに。
せめてと思いティリア様の背中に手を回させていただく。
その時、ティリア様の力が緩みました。
「!」
少し安堵した途端、視界が回りティリア様が私に覆い被さるような体勢に変わります。
背中と頭が痛い。
どうやら床へ押し倒されたようです。
「はぁ…ッ…はぁ…ッ」
ティリア様の呼吸と重なるようにジャラジャラと鳴る首輪の鎖の音だけが耳に響く。
紅く熱を帯びた瞳は私だけを映しています。
力強く押さえられた私の両手がティリア様の体温を感じさせてくださる。
「これで貴女の視界はアタシだけのモノ…!!」
獲物を捕らえた肉食獣のようにギラギラした瞳。
いつものティリア様の優しさを感じられず、目の前の御方は本当にティリア様なのかと疑ってしまう自分が居る。
私はなんて失礼なのでしょう。
今まで我慢し続けてくださって私を壊さないようにしてくださっていたと分かっていたのに。
今、壊されても良いです。
ですから我慢なさらないでください。
…?
ティリア様が急に左手で頭を抱えてしまいました。
「…ッ…ユムル…ぅ…嫌…き…」
「き?」
「…傷…付け…たく…ないッ…!!」
喉から絞り出したようなお声…!
ティリア様はこのような状況でも私を気遣ってくださっているとは…。
でもそれは我慢です。
今、ティリア様に必要なのは解放なのに。
身体の痛みがスッと消えるように感じました。
これはティリア様にお伝えしろと言うことですね。
「ティリア様、私は大丈夫です。
私に遠慮なんて必要無いのですよ。」
「…怖がられ…たく…ない…ッ!」
「ティリア様を怖がるものですか。」
「嫌われ…たく…ない!」
「お優しいティリア様を嫌うはずがありません。」
「離れて…欲しくない…!」
「ティリア様がお許しくださるのならお傍に置いてください。」
「大好き、狂おしいほど愛してるッ!
苦しいくらい愛してるのッ!!
でもッ…それは貴女をも苦しめる!!」
「私は愛をティリア様から初めて教えて頂いたのです。
苦しいはずがありません。」
私の答えはティリア様に届いているのでしょうか。
ティリア様がお望みの言葉でしょうか。
ティリア様は私を望んでくださるのならば、
私は喜んで全てを…
「私はティリア様に全てを捧げます。」
紛れもない本心をお伝えしたその時、ティリア様の手の力が突然緩みました。
「違う…違うッ!!」
「え?」
ティリア様は綺麗なお顔を顰めてしまいました。
ギラつく瞳は光を弱め、悲痛な面持ちへと変わってしまいました。
ティリア様は徐に口を開きます。
「どうして…?
どうして貴女は自分を大切にしてくれないの…?」
「ぇ…ぁ…?」
どうして?
自分を大切に?
する理由が無いから?
そんな事をお伝えしたらティリア様はきっとお辛くなってしまう。
でもどうしましょう、直ぐに答えが出ません。
迷っていると私の両手を押さえているティリア様の片手に再び力が入る。
「アタシは…貴女が何よりも大事なのに…ッ…!
その貴女が…自分を大切にしてくれなきゃ…
どうしようもないじゃない…ッ!!」
「!」
ティリア様は今なんと…?
ティリア様は私の話をしてくださっている…?
今、御自分が凄くお辛いのに?
「それに貴女はいつも自分の欲望を言ってくれない!!
いつも誰かの為!!貴女の事を話してよッ!!
貴女の願いが聞きたいの!!」
何故?何故私の事なのでしょう。
ティリア様は今、ティリア様の御身について一刻を争うのに何故私の事なのですか?
私だってティリア様の願いを知りたい。
それに、ティリア様だって現時点で御自分を…
急にフツフツと心が煮えるように熱くなるのを感じます。
「ティリア様だって…ティリア様だって!!」
「!」
ティリア様に対してなのに気持ちがよく分からなくなってしまいました。
カッとなっているのか勝手に言葉が溢れてきます。
ティリア様の熱に感化されたのか、初めての衝動に抗えなくなる。
ダメなのに、ダメなのに!
ティリア様は私を思って仰ってくださるのに!
「今、御身が1番苦しいはずなのに私の事を気にかけてくださる!とても嬉しいです!!
でも…!貴方様だって…そうやって…」
ティリア様を映している視界が潤んでぼやける。
溢れた雫が目尻から流れた後、驚いたお顔のティリア様が映る。
喉がきゅっと締まっているようで声が出しづらい上に噦泣きしてしまう。
「貴方様だって…私の事ばかり気にかけてくださって…御身を全く気にかけてらっしゃらないじゃないですかぁ…!」
「…」
歯を食いしばり、目を伏せるのは御自分でもご理解なさっているからでしょう。
「ティリア様も御身を大切になさってください!!
それが私の願いですッ!!」
「だからそれは」
「結果的に誰かの為であっても!!
それが、それこそが私の願いなのです!!」
「ッ」
綺麗な瞳を大きくし、息を詰まらせるティリア様。
その瞳は激しく動揺なさる御心を表しているよう。
私、自分でも驚くほど大声で話してティリア様のお耳を劈いてしまいそうです…。
でも心が言葉を生み、叫んでしまう。
「元気でいて欲しい、困っているなら助けたい、笑って欲しい、生きていて欲しい。
私は他人に凄く我儘を押し付けているのです!!」
「我儘なんかじゃない。」
「ならばそれは私の願いです!欲望です!
信じて…ください…ッ!
私は…沢山叶えていただいてるのですよ…」
鼻の奥がツンとして涙が止まらない。
今になって心が鎮火していくのを感じながら噦泣きしてしまっている。
両手が押さえられているから拭くことも出来ず、みっともない顔でお綺麗なティリア様と向かい合っていることが申し訳ないのです。
「…」
ティリア様は困った顔でゆっくりと手を離し、
私の両手を解放してくださいました。
そしてその手で再び優しく涙を拭いてくださる。
顔に添えられた手がとても優しくて、熱いのに温かくて、涙が止まらない。
目元の雫を人差し指で掬ってくださった後、ティリア様と視線を合わせる。
お綺麗なティリア様のお顔はどのようなお気持ちなのか汲み取る事が難しい表情を浮かべていました。
段々と私の呼吸が通常に戻っていく内に心の沸騰が鎮まり、落ち着きを取り戻し始めていく意識。
そうだ。私は…最初に…
「私は最初に、恐れ多くもティリア様へ1番大きな自己中心的我儘をお伝えしてしまったのですよ。」
「…。」
ティリア様の親指が私の下唇をゆっくりと滑る。
「貴女の生きる意味を探さなくちゃ…ね。」
「はい、最大の我儘である願いです。」
嗚呼、憶えていてくださった。
ろくでもないしどうでも良い願いを憶えていてくださった事が本当に嬉しい。
「ティリア様が私を思ってくださるように、私もティリア様をお慕い申しております。
ですから…貴方様の事を大切にして頂きたいのです。」
「…じゃあ…貴女は?」
小さく首を傾げるティリア様。
私を見てくださる綺麗な瞳は期待を帯びています。
「私も私自身を大切にします。
ティリア様と同じように。」
「……分かった。なら自分を大切にする。」
嗚呼…良かった。
そのお言葉が聞きたかったのです。
しかし今も尚、ティリア様の呼吸は荒いまま。
長い睫毛に伏せられた瞳の間に皺を寄せてしまっています。
「……ユムル。」
「はい。」
「貴女がアタシへ向けてくれる好きってどれ?」
「ど…」
れ?
どれ、とはどういう事でしょう。
ティリア様は真っ直ぐ私を見つめ、鋭くも綺麗な瞳で私の目を穿ちます。
「…アタシね、将来は貴女の旦那さんになりたい。」
「だん…」
旦那さん…旦那さん!?ティリア様が!?
わ、私の!?私なんかの!?
「あのね、前にアタシの隣にユムル以外が立ったらって考えたことがあったの。」
ティリア様のお隣に私以外…。
胸の奥の重たいものが落ちたような、痛みとは違うものを感じます。
前にリゼットさんがお見えになった時と同じ感覚に身体の熱が消えていく。
私はあの時この分際でありながらティリア様のお隣に立つ方へ嫉妬し、枯れたはずの涙が溢れるほど凄く寂しかったです。
出来る事なら私はティリア様との時間をなるべく長く、多く共有したいと願っているのだと理解しました。
ティリア様のお隣に、居たいと。
「それでね、アタシは…アタシの隣に立つのは…
ユムルしか考えられないって改めて気付いたの。」
「!」
私が欲しかった答えに鼓動が大きく跳ね上がる。
「ユムル以外なんて誰も考えつかなかったの。
貴女以外は有り得ないの。」
真っ直ぐ言い切ってくださるティリア様。
嗚呼、嬉しいです。凄く。
鼓動が早くなり胸が熱いと感じるほど身体が体温を上げています。
この感情は何なのでしょう。
「貴女の隣に立つのはアタシ。
貴女の恋人になるのも、婚約者になるのもアタシが良い。」
「こっ…」
「貴女に恋してるの。愛してるの。
ユムルは?」
「わ、私は…」
ティリア様は慌てふためく私の上で苦しそうにしながら私の答えをお待ちになる。
私はティリア様が幸せになるのならこの身を引くのも、出ていく覚悟もしておりました。
でももうその時が来てしまうのがすごく嫌。
ティリア様が何方かと結ばれるのは大変喜ばしい事だと重々承知しております。
しかし高望みでも願って良いのなら、叶うのならティリア様と同じ事を言いたい。
ティリア様と生涯を共にしたい。
他の好きとは違うこれは…そうか…今なら分かります。
この特別な気持ち、これが恋なのですね。
私は、ティリア様に恋して愛しているのですね。
これを口にしたいのに、心の中で何かがつっかえて中々口に出来ません。
ティリア様はお身体が痛いのか呻いてしまいます。
「う…ッ…
…でも今もね…貴女を大切にしたい気持ちとめちゃくちゃにしたい気持ちが行き来してるの…ごめんね。」
葛藤なさっているティリア様の凄くお辛そうな声は私の心を締め付ける。
その時、ぐるぐると回る頭の中で胸のつかえの正体を理解する。
そうか、答えは決まっているのにそれを口にするとティリア様を縛り付けてしまうと思って怖いんだ。
人間の、しかも私なんかが魔王様の隣に居たら…
“己を否定する事はお前を認めた者を否定することと同義だ”
急に頭の中に過ぎる言葉。
リフェル様…だったかもしれないあの御方の旦那様が彼女へ向けた言葉です。
そうだ。
ティリア様は態々こんな私を選んでくださったのです。
ティリア様は最初から私に手を差し出し続けてくださっていたのに。
私の答えは決まっているのですから、ティリア様が我慢なさる必要なんて何もないのです。
私はその手をとりたいから。
「…こんな気持ちを隠して抱えていても…
何れこうして…爆発しちゃう…」
ティリア様の片手で私の両手は再び頭上へ。
でも最初と力が全然違い、痛くも何ともないです。
「…貴女の事になると…自分が制御出来なくなる。」
「制御なさる必要なんてございません。」
「…いいの?」
ティリア様の瞳はこの言葉を待っていたかのように輝きます。
次の言葉は肯定のみしか許されないと思うほど鋭く圧があります。
だけど怖くありません。
ティリア様になら何をされても良いですから。
「私も、ティリア様と同じ気持ちです。」
「ッ!」
ティリア様は大きく目を見開きました。
私なりに思いをお伝えしていたはずですが、やっと思いが届いたかのように。
「ティリア様はこんな私でよろしいのですか?」
「前にも言ったはずよ!貴女じゃなきゃ絶対嫌!
でも…本当に?本当にいいの?」
少し深呼吸をしてから自分なりの精一杯の笑顔で応える。
「はい、ティリア様が良いです。」
ティリア様は安堵の表情を浮かべ、何度も何度も私の下唇を親指で撫でていました。
「最初で最後の愛する人。
貴女を誰よりも、何よりも愛しているわ。」
「私もです。
心の底からお慕い申しております、ティリア様。」
「嗚呼…ユムル…!」
私達の吐息が混じりあった瞬間、
ティリア様の唇が私の唇に触れる。
何度も何度も触れては離れて。
触れるたびに心も身体も凄く熱くて、口の境界が溶けて分からなくなりそう。
初めてだからかドキドキして高揚感で身体中が脈を打って身体の熱を更に上げている。
暫くした後、ティリア様は熱を纏った瞳で優しく微笑んでくださる。
この瞳はいつものお優しいティリア様です。
ティリア様は私を起き上がらせ優しく抱きしめてくださる。
「やっと…やっと届いた…!
やっとユムルから同じ感情を向けてもらえた…!」
「ティリアさま…んむっ」
ティリア様はまだ足りないと仰るように何度もキスをしてくださりながら、私の手に細く長い指を絡ませ、強く握ってくださる。
私は今ティリア様の目の前に居る。
私がティリア様の隣に居ても良いんだ。
「はぁ…っ…」
ティリア様はゆっくりと離れ、私と目を合わせた後、何故か驚いたように凝視なさる。
「夢じゃ…ない?」
「現実、です。」
ティリア様、お口が少し開いています。
「アタシ、ユムルと…
もっとこういう事しても良いの?」
「…はい。
ティリア様がお望みいただけるのであれば。」
仰っていただけることが嬉しいのに、恥ずかしくて少し濁してしまいました。
その時です。
「…」
なんとティリア様が後ろへ思いっきり倒れてしまったのです!
「ティリア様ッ!!?」
「坊ちゃんッ!!イヴッ!!」
私のすぐ隣に現れたのはバアルさんです!
動けるようになられたのですね!
焦った表情のバアルさんはティリア様を一瞥し、無表情に戻って私へ視線を向けてくださる。
「イヴ…いや、お嬢様。お怪我は?」
「え!?あ、な、何も!」
急に真顔に戻ってティリア様より私にお声がけなさるとは!
驚きながら首を横に振る私にバアルさんは呆れて大きな溜息を吐きます。
そして長い睫毛に伏せられた紅い瞳の中心にある黒い菱形のような鋭い瞳孔と目が合ったあと、座っている私のすぐ側でしゃがみこみました。
「全く貴女はすぐ無茶をする。
今回ばかりは許しません。
目を閉じて顔をこちらに向けなさい。」
「はい…。」
怒っていらっしゃるかと思ったのにいつもの怖さが無いバアルさんへ顔を向けると、おでこにコツンと軽い音と僅かな刺激が来ます。
「お仕置はこれで済ませて差し上げます。」
目を開けた時、バアルさんは少し挙げた黒い手袋を付けた手をそのままにしながら私に仰る。
どうやら全く力の入っていないデコピンを受けたようです。
「忠告を無視して本当に申し訳ございません。」
「イヴ。」
「王龍様。」
音もなく王龍様がすぐ後ろに降り立ちました。
銀色の瞳で私を見下していらっしゃる。
じっと私を瞬きもせず見つめて動きません。
何か言おうとしたら王龍様がゆっくりと口を開きました。
「式は此処で挙げるか?」
「しっ」
顔が爆発したかのように熱くなってしまいましたッ!!
王龍様は何故そのような事を直ぐに仰るのでしょう!!
「おいコラ。
魔王様の恋路を善意で妨害するな。」
レンブランジェさんが腰に手を当て、私と王龍様の間に立ちます。
ケルツァさんも微笑んで王龍様のお隣に立ちました。
「流石に今回ばかりは邪魔しちゃうよ、王龍様。
見守るのが1番だよ。」
「む…そうか…」
表情に変わりはございませんが、しょんぼりしてしまったのは分かります。
折角のご好意が…う…恥ずかしくて何も言えないです。
手を拱く私を他所にレンブランジェさんは王龍様へ苛立ちを含めたお顔でお話なさる。
「魔王様に全ての決定権があるんじゃ。
式は基本城じゃし、絶対にお主達は招待される。」
「分かった。待っている。」
あれ、話が進んでいます。
私がティリア様の…
嗚呼、また顔が熱く!!
「ふ…」
熱くなっている耳にバアルさんのくすりと笑ったお声が入る。
思わず目を向けると、バアルさんは口に手を当て私からゆっくり目を逸らします。
わ、私が醜態を晒しているからか笑われています…。
「いや、失敬。
つい似ていたもので。」
似ていた?どなたにでしょう。
聞こうとするとバアルさんは立ち上がり、ティリア様を見下げながらお声をかけました。
「坊ちゃん。
婚約者を放って伸びてるなんてクソダサいですよ。」
婚約者…!!
しかもバアルさんのお口から…!!
予想外な事と慣れない単語に頭がおかしくなってしまいそうです。
でもティリア様の容態が気になります。
「あ、あの…ティリア様は…」
「あぁ、これはブレイズも言っていた…えー…
そうそう、お嬢様可愛すぎ発作ってヤツですね。」
「えぇ…??」
バアルさんから言われると変な感じがします…。
「それに、呼吸が安定していますので狂化効果は無くなったようです。」
彼は呆れた表情のままですが、安心していらっしゃるようなお声で嬉しいです。
「取り敢えず、坊ちゃんが起きるまでの間にこれからの事を話しましょう。」
バアルさんの提案に王龍様は首を横に振りました。
「御前達は帰ると良い。
ここからは竜族のみで対処する。」
気を遣ってくださったのでしょうか。
このまま帰るなんて嫌です。
「何かお力添えを…」
私の言葉にも首を横に振る王龍様。
「いや、その思いだけで良い。
暫く祝祭は行えそうにないからな。」
「そう…ですか。」
そう言われてしまったら何もできません。
落胆する私の肩にレンブランジェさんが手を置いてくださった。
しかし身体の向きは王龍様に向いていました。
「竜族も魔法が有るからのう。
普通に力もめちゃくちゃ強いし問題ないぞ。な?」
「うむ。御前の気持ちが嬉しいぞ、イヴ。」
口角がほんの僅かに上がったように見えました。
「近いうちにまた会いに行く。
会いに行かねばならぬ故にな。」
真っ直ぐ私を見ながら手を掬ってくださる。
が、隣のレンブランジェさんが王龍様の手をペシンッと叩きました。
「我らの魔王様にな!!
誤解を招く言い方は止せよ。」
「間違いではないが。」
「あ〜〜はいはいそうですねぇ。」
小指でお耳を掻いている表情は非常に面倒くさそうです。
しかしふと何かを思い出したように手を止めます。
「そういえばブレイズは何処じゃ?」
視線はケルツァさんの方へ。
ブレイズさんは恐らく…
「塔の中に居るよ。」
「拾って来ようかのう。」
こうして、ティリア様がお目覚めになったらブレイズさんの元へ行き、お城へ帰る事になりました。
私、問題しか起こしていないのにそのまま帰るなんて申し訳なさすぎて苦しいです。
お力添え出来ることがあったら必ずお手伝いしましょう。
それにしても皆様のあの感じ、ティリア様との会話を聞いていらしたという事ですよね…?
ちょっと…いや、かなり恥ずかしいです!!




