第83話『蝿の王の覚悟』
急に寒くなってきましたね。
家のお猫も丸くなって寝始めました。
良い猫たんぽです。
「げほっ…はぁっクソ!!」
倒れ込み立ち上がろうとする俺を嘲るレウ。
俺がどんなに嫌だと言ってもお前は喋るのだろう。
昔の俺がどんな奴だったかを。
この場で喋るのならば何とでも言えばいい。
彼女の耳に入らなければ何でもいい。
レウはお喋りな口と攻撃の手を緩めなかった。
先程よりも攻撃速度が増して捌くのに精一杯になってしまう。
レウは厭らしく笑い、俺の事を話し始める。
「お前は魂の選り好みをして自分に合わない人間を躊躇無く殺していた!」
自分に合わないのではなく、殺す条件に合ってしまった者を殺していただけだ。
「人間の魂欲しさに人間の願いを吊り上げた!」
…それは本当。
初めて人間の魂を食べた時の感動が忘れられなかったから何度も求めた。
でも自分じゃ用意出来ないし、どうしようも出来ないから俺の契約者になる奴の願いの代償を魂にする為に最低でも人間を殺す内容に変えようとした。
「蝿の王って呼ばれるのはどんな気持ち?」
人間の間で俺の存在や行動が噂になり、
使い魔も相まって蝿の王と呼ばれるようになった訳だけど…
「どうとも思わない。」
レウの手から生み出された光の玉が真っ直ぐ飛んできて首を右に傾けた俺の左頬を掠める。
「彼女にそう呼ばれても?」
「っ」
何故こんなにも分かりやすく動揺するんだろう。
そんなこと考えている場合じゃないのに想像してしまう。
あの子に蝿の王と呼ばれるのは…
非常に嫌だ。
「隙ありぃ!」
「うぁっ!?」
戦いの最中に余計な事考えるなんて俺らしくない!
くそ…さっきと同じとこ蹴りやがって…!
痛みが増して患部が熱い!
「あはっ!
本当に弱くなっちゃったねぇブレイズ=ベルゼブブ。
僕、無傷だよぉ?」
見せびらかす為にその場でつま先立ちをして回る。
「随分丸くなったじゃん。
魔王やあの子に嫌われるのがそんなに怖い?」
「…」
レウは攻撃をやめ、俺を冷めた目で見下げる。
嫌われるのが怖いかだと?
怖いよ、とても。
何で嫌われるのが怖いと思うのかすら分からないのも怖い。
「は〜あ!弱くてつまんない、飽きちゃった。」
ソロモンなら何て言ってくれただろう。
俺よりも俺の気持ちを理解し、いつも欲しい言葉をくれた彼なら。
この怖いと思う理由を教えてくれるだろうか。
「昔と違って弱いお前に用はないよ。
今のお前なら簡単に振り払えるから。
あの子何処に行ったかなぁ。」
違う、過去を見るな。
俺はティリア様とユムル様に仕えている料理人だ。
怯えている場合じゃない。
過去の俺をお二人は受け入れてくれないかもしれない。
でも今の俺は過去と違う。
俺が作った料理で笑ってくれる、美味しいと言ってくれるお二人を守りたいだけなんだ。
“ブレイズのご飯すっごい美味しい!
これ毎日食べられるの幸せだわ!”
小さい頃からずぅっと仰ってくださるティリア様。
“とても美味しいです…!
もし宜しければ作り方を教えてくださいませんか?”
ご自身で上手に作れるはずの料理を俺から学ぼうとしてくださるユムル様。
あぁ、そうか。
嫌われる事というより俺を必要とされなくなること…俺自身を否定されるのが怖いんだ。
ソロモンが死ぬ前に彼は俺を、俺の力を拒絶した。
何らかの理由があるのは分かっていたけど話してくれなくて、それが辛くて無力だと思い知って嘆いて。
それを再び繰り返すのがとても怖い。
過去の俺という存在を知ることが存在否定に繋がりそうで怖い。
そして天使という存在から口外されるという事が何より否定への近道だと感じる。
ソロモンは力を理由に俺を拒絶したのだろう。
お二人は力ではなく過去の俺を知って拒絶なさるかもしれない。
お二人がそんなことするような方々ではないことくらい分かっている。
けれどソロモンの事が尾を引いているのか、
何処かで微かに思う自分が居るんだ。
…だから何だ!
俺の分際で嫌われる事、拒絶される事を気にしている場合じゃないだろう。
嫌われても、拒絶されても、否定されても守るのが俺の今の役目だろう。
“ブレイズさん、私が嫌われる事があっても私は貴方を絶対に嫌いません。”
と彼女は言ってくれた。
“馬鹿ね。
信用してないならアタシの近くに置くわけないじゃない。”
と彼は怒ってくれた。
その言葉に嘘を感じなかった。
凄く嬉しかったんだ。
昔の事、いつかちゃんと話すよ。
それで嫌われたとしてもお二人の行く道を影で支えるから。
「…礼を言うよレウ=ブランシュ。
恐怖の正体を教えてくれて。」
「何さ、強がりしか出来なくなっちゃったぁ?」
「どうとでも言えばいい。
俺はお前の存在を否定する。」
さっきまで重かったはずの槍が軽く感じる。
傷が痛くなくなったから身体も軽い。
「うわわっ!?
(急に攻撃スピードが段違いじゃん!!)」
このまま優勢を保ってレウを穿つ。
もっともっと速く。
魔法も惜しみなく出して速く倒す。
今がいざという時でないならいつになる。
槍でレウを牽制しながら魔法発動準備を始める。
俺の後ろに巨大な黄緑の魔法陣が現れた事でレウは察し、表情を歪ませ声を上げる。
「げぇっ!!増幅魔法使えんのかよ!!」
「おや、魔法陣だけなのによく分かったね。
蝿の王の真骨頂を見せてあげるよ。」
俺のアドバンテージは量の多さだ。
使い魔でも、銀食器でも魔力があれば増やせる。
増幅させた物が多ければ魔力消費も激しく、
操るのが困難になるから普段はあまり使わないけどユムル様からティリア様の魔力を受け取っていて良かった。
今こそ優位の状況を譲らない為に使う時だ。
今ある魔力を全て回せ。
「お前を此処で倒す為に!」
「言ってろクソ虫!!」
レウも胸の前で両手を構える。
手の間から光の玉が生まれ、段々と大きくなっていく。
ただ俺の方が速い!!
「ヴィランローズ王家のナイフを振舞ってあげるさ!!」
「ふん!(アイツは魔法陣の中心に居る。
この大きさの玉の威力はお粗末だけどアイツが魔法陣から退けば爆発を起こす事が出来る。)」
手を振り下ろすと魔法陣の中から大量のナイフが発射される。
「はぁっ!?退かないのかよっ!?」
レウは意識していた可愛さを忘れ、ナイフの波に飲まれた。
レウの光の玉は一直線上に動く事は既に把握済みだ。
レウが狙っていたのは俺の全魔力が注がれたこの魔法陣を爆発させることだろう。
これが爆発したら塔も無事じゃ済まない程の高火力になるはず。退けるはずない。
魔法陣の中心をなるべく避けるようにしているけれどコントロールが非常に難しく、自分の腕や顔、髪が簡単に切れていく。
ティリア様から賜ったこの黒いシェフコートはとても丈夫だけどそれすらも簡単に切り裂くヴィランローズ王家のナイフ…はぁ…愛おしい。
既に床はナイフの海と貸している状態で首無天使の骸を埋めつくしたほどだ。
流石に魔力が切れるとフラフラしてくるけれど最後の最後まで意識は飛ばさない。
レウのしぶとさはよく知っているから。
俺の魔力が底を尽き、魔法陣が消えると同時に増幅魔法で増やしたナイフも全て消えた。
現物のナイフがカランカランと音を鳴らして落ちる。
落ちたナイフの刃先には真っ赤な血が付着しており、それがレウの物だと予想は容易い。
光の玉を作成していたのに防御に徹するのが思いのほか速かったからか、純白だった彼は酷く切り刻まれ赤く染った身体でもその場に立っていた。
あんな身体じゃ立っていることすらギリギリだろう。
彼は顔を下げ、肩を小刻みに揺らしていた。
「あははっ!あはっ…あはははっ」
「…」
フラフラする足に力を入れて駆け出し、
笑っているレウの目の前で槍を突き出す。
しかし槍の先端はレウの光る手に止められた。
まだ魔力が残っているのか…!?
首無天使に削られたとはいえ俺の全力だというのに…!
「あ〜…いいねぇブレイズ=ベルゼブブ…
最っ高に腹ただしいよ!!」
まずい。
俺の魔力はもう空だ。
これ以上何かしてくるのなら避ける自信は全くない。
「可愛い可愛いこの俺をよくもまぁこんなにしてくれちゃってさぁ〜?」
そういえばレウも一人称誤魔化していたっけ。
…まるで契約時の俺みたい。
「お前に羽根はないの?
シエルきゅんの時みたく毟ってやるのに。」
「ご存知の通り俺はこれでも高位だからね。
出す必要なんて無いさ。」
そう言うとレウは目を細め、口角を上げた。
「有りはするんだぁ。ふぅん。」
嫌な予感が大きくなってくる。
羽根をどうするつもりだ…?
スーツと違って俺のシェフコートは羽根が出せない分、丈夫で攻撃が通りにくい物。
シエル君の外套下の服のように背中が出ているわけでも、アズ君達のようにスーツで背中部分に切り込みが入っている訳でもない。
だから手出しは出来ないはずなのに…
何だろう、凄く嫌な感じが止まらない。
「羽根、寄越してよ。寄越せ。
悪魔種の羽根も毟りたい。」
灰色の目を見開いているのに光が無い。
時間稼ぎのために虚勢を張らねば。
「俺の羽根を?君には勿体ないね。」
「別にいらねぇよ。
ただ毟るだけ、ストレス解消したいだけ。」
シエル君ですら毟られたくらいだ。
何かとんでもない事をするだろう。
それを発動出来る魔力があれば、だけどどうしたもんか…今にも倒れそうなのを我慢しているのに。
取り敢えず攻撃されるかもしれないけれど相手こそハッタリかもしれないし煽るだけ煽るか。
「そんな事でしかストレス解消出来ないなんて哀れ…いや、可哀想だね。」
「…言ってろ害虫。」
静かなレウはロクなもんじゃない。
頑張れ、俺。
ユムル様を守るんだろう。
死ぬなら守ってからだ。
あんなに軽かった槍が今では自分よりも重く感じて手が震えているが悟られるな。
構えて迎え撃つしかないんだから。
「来なよソロモンの廃棄品。」
「てめぇ今何つった。」
これが地雷か。
傀儡って言っても怒らなかったくせに。
「何度でも言ってやるよ。
ソロモンの廃棄品だってね。
役に立てなかった奴の方がいい?」
「…」
「(あ、ブチ切れたな。)」
五月蝿い癇癪持ちかと思ったけど静かに手を広げ光の玉を作り出し始めた。
まだそれを作る魔力も残ってるのかよ…!
こりゃ終わったな…時間は稼げたかな。
「お前はいつもいつもソロモン様を知ってると自慢するかのように言っては嘲る…」
「え?そりゃ君よりも長く一緒に居たからね。
君よりソロモンの事を知ってるのは当たり前だろう?」
何を言っているんだ?という表情は上手く出来ているだろうか。
「お前らだってソロモン様をお守り出来なかっただろうがよぉ…っ!!」
「…それは」
その時だった。
物凄い轟音が右から響きレウが消えた。
いや、扉を突き破ってきた巨大な金色の龍がレウを大きな口を開けて喰らい俺の目の前を通り過ぎていく。
長い身体を覆っている金色の鱗に俺の酷い顔が映っては通り過ぎていく。
これは王龍様だろうか…。
王龍様なら…。
最後の尻尾が通り過ぎた事を確認したら勝手に身体から力が抜けていく。
やば…身体が鉛のように重くて熱いのに眠い…。
魔力切れの反動かな…。
申し訳ございませんユムル様…
俺、動けなくなっちゃった。
貴女のご無事を祈ることしか出来ないなんて…
くそ…意識が保てない…。
どうか貴女がご無事でありますように…。




