第76話『いざ幻水蓮仙へ』
時間が…時間が足りなさ過ぎて自由時間が取れない…!!自分を休ませる時間は本当に大切ですよ!
突如、王龍様のいらっしゃる幻水蓮仙という場所に行くことになりました。
明日、起きたらお迎えが来るなんて実感が湧きませんが…。
そう思いながらチュチュさんが私の入浴を手伝ってくださる。
そんな中、私の髪を梳いて下さる彼女の口から不安げな声が聞こえてきました。
「チュチュ、心配です。
幻水蓮仙に行くなんて…」
「私なら大丈夫です。
こう見えても、中々死にませんから。」
「う…うぇええん!!」
安心させるどころか泣かせてしまいました!
「ゆ、ゆむるしゃまはそうやってすぐ不安にさせることを仰る〜!!」
「えぇ?!す、すみませんすみません!
そんなつもりは決して!」
えぐえぐと泣く彼女でしたが、
やがて涙が収まり
「絶対無事でお帰りくださいねっ」
と潤んだ瞳で真っ直ぐに私を見てくださった。
「勿論です。
皆様がお許し下さるのなら、私の居場所は…」
ふと脳裏にリゼット様のお怒り顔が蘇る。
黒猫のような瞳で睨まれ、喋らずともお前の居場所なぞ無いと訴えてくる。
「…」
「ユムル様がお帰りになる場所は此処です!
チュチュ待ってますから!」
「チュチュさん…ありがとうございます。」
欲しかった言葉。
それを聞いた時、頭の中のリゼットさんは霧のように消えました。
「それにしてもユムル様のお怪我の痕がもう殆どありませんよ!」
「ティリア様から頂いたお薬のお陰ですね。」
文字通りボロボロだった私の肌は隠す必要が無くなるほど綺麗になった…と思います。
「お背中、とても綺麗です!
ただあとこの大きな傷さえ塞がれば!」
ちょんちょんと左側の肩甲骨辺りをつつかれて擽ったい。鏡を見ることは今も気が引けるのでどんな傷かは分かりませんが…
「早く良くなりますように〜!」
チュチュさんがそう仰って下さるから不思議と早く治る気がします。
「ありがとうございます。」
新しい傷を増やさないように気をつけなければいけませんね。
……
翌日。
「ユムル様、アズィールです。
お目覚めでしょうか?」
扉越しからアズィールさんの小さな声がしました。
「はい!」
「うひゃ!?
やっぱり起きてましたか!」
何故か驚かれてしまいました。
自分から扉を開けると、目を丸くされたアズィールさんと眠そうなチュチュさんがいらっしゃいました。
アズィールさんはチュチュさんの頭を軽くペちっと叩きました。
「ほらチュチュ起きろって。
ユムル様はやっぱ着替えまで完璧だぞ。」
「んぅ…さしゅがゆむゆしゃまでしゅ…」
チュチュさん、ふにゃふにゃしていて目が開いていません。小さい子のようで可愛らしい。
皆様の手を極力煩わせないよう着替えておいて正解でした。
ご用意頂いたメイド服はリボンとフリルが黒、ワンピースが灰色とカッコ良い逸品です。
「改めましておはようございます。
ではユムル様、早速若様の元へ向かいましょう。」
「は、はい!」
差し出されたアズィールさんとチュチュさんの手をとり、ティリア様のお部屋まで伺う。
早朝のひんやりとした空気が鼻を通り、緊張感と相まって目が冴えます。
ティリア様のお部屋の前で止まると扉が勝手に開きました。
そして目の前にはいつも通りのバアルさんが私達を見下げていました。
「アズィール、チュチュ、御苦労。
下がれ。」
私から手を離し、1歩後退した直後お2人の姿が消えてしまいました。
「お早う御座います、お嬢様。」
「お、おはようございます!」
バアルさんは私をお部屋へ通してくださり、ティリア様のお部屋へと足を運んだ。
「し、失礼致します…!」
「ユムル!おはよ!」
ティリア様の笑顔が眩しいです…!
「服もとっても似合ってる!可愛い!」
「あ、ありがとうございます。」
「ふふ…じゃ、ナチュラルにメイクしちゃいましょっか!」
ティリア様に手を引かれ、とても高そうな赤い椅子に座りされるがままに。
ティリア様の腕が何本もあるかのように見えるほど素早い動きの後、彫刻の美しい少し重たい手鏡を渡されました。
私の死んでいる顔に生気が宿ったような…
決して派手では無いのに良い変化を感じるのはティリア様の技術なのでしょう。
「やーん!可愛いわぁユムル〜!!
元がいいからナチュラルメイクでもつよつよなんですけど〜!!」
「はわっ!」
力いっぱいむぎゅっとされるとドキドキしてしまいます!
「坊ちゃん、お嬢様を解放なさい。」
「ちぇっ」
「お嬢様、此方へ。」
バアルさんに呼ばれると、彼はいきなり端正な顔を近づけてきました。
「!?」
「コレを付けていきなさい。」
リボンの結び目に何か付けてくださいました。
「これは金色の蜘蛛さんのブローチ…?」
「私の力を割と込めてある物です。」
割と…?
「誰の使い魔を持っていくにしろ、私という影をチラつかせておけば蜥蜴避けくらいにはなるでしょう。」
蜥蜴避け…?
「うわぁ…ベル独占欲つよ〜」
「鎮座する独占欲の塊が何を仰います。」
「なぁんですって?!」
た、大変です!言い合う流れになってしまいましたが私に出来ることなんてありません!
どうすれば良いか焦っているとティリア様がフッと微笑まれる。
「ふふ、ベルと言い合うのはいつもの事よ。
心配しないで?」
ティリア様は静かに近づいて私の右耳に手を伸ばしました。
「コレも付けて行ってね。」
触って確かめると蝶々の耳飾りだと分かります。
コレは羅刹様の元へ向かった際の…
「アタシの力を割と込めたモノよ。
突っ込まれたら魔王様におめかししてもらったとでも言いなさい。」
「は、はい。ありがとうございます…!」
「いーえ、こんなのお易い御用よ。」
ティリア様は悲しそうに口角を上げました。
その後、私から一瞬目を逸らし再び視線が重なる時にはティリア様の表情に笑みはありませんでしたが、真っ直ぐに私を見てくださる。
「…ユムル、貴女の居場所は此処だからね。
絶対何事もなく無事に帰ってくるのよ。」
居場所。私の、居場所…。
復唱する度に私の心を温かくして下さるティリア様のお言葉に答えるべく、強く頷く。
「はい、必ず戻ります。」
「絶対の絶対だからね!
かすり傷だろうが怪我とか許さないから!」
「ぜ、善処します。」
「お嬢様、竜族の事を少しだけ話しますから聞いてくださいまし。」
「はい!」
バアルさんは白いコートの胸ポケットから黒いカードを取り出して私に差し出しました。
何も書かれていない黒いカードを縁取るような金の模様が綺麗なカードです。
受け取ると、勝手に白い文字が揺らめきながら形作られていきます。
お勉強の成果でしょうか、少しだけ読めます。
ハク、リュウ…ケル…ツァ…?
「結局竜族について話すのが遅れてしまいましたね。
お嬢様、読めますか?」
「えっと…全部は難しいのですが
ハクリュウ、ケルツァは読めました…。」
「素晴らしい。
勉強の成果が現れていますね。」
バアルさんは無表情で褒めてくださいました。
それがとても嬉しい。
「まず白龍です。名を西蘭。
零蘭と並び王龍殿直属の部下…
側近や近侍と言えば分かりやすいでしょうか。」
「バアルさんと同じような立場の方…でしょうか?」
「その通りです。
黒龍零蘭、白龍西蘭は王龍殿に近しい存在です。大抵の面倒ごとは西蘭がになっている為、話はしやすいでしょう。」
バアルさんが遠い目に…。
ご自身と重なる部分がおありなのでしょうか…。
「そしてケルツァですが比較的仲が良い竜族です。
話が最も通じる奴だと思ってください。」
「は、はい。」
「何かあったらケルツァを話し合いに引き込みなさい。どうにかしてくれるでしょう。」
「分かりました。」
【水門に接触ありぃ。
接触者:竜族ケルツァ=アスコスモ〜】
突然部屋に響くウェパルさんのお声。
「もう来たのね…。
ユムル、何かあったらアタシの名を呼ぶのよ。」
一瞬抱きしめて下さり、すぐに目を合わせて下さるティリア様。
「はい。」
返事をすると悲しそうに笑い、
色の違う3つの呼び鈴を鳴らす。
「ブレイズ=ベルゼ」
「フレリア=レラジェ」
「シエル=エリゴマルコシアス」
「「「此処に。」」」
皆様、ティリア様の目の前に膝をついて現れました。
フレリアさんも大人の姿です。
「絶対命令よ。
ユムル死守、でも全員無傷で帰ってきなさい。」
「「「は。」」」
返事を受けても表情が曇ったままのティリア様でしたが、少し目を伏せてお考えになられた後に杖を持って強く頷かれました。
「……よし、じゃあ行ってらっしゃい!」
僅か1振りで私達4人は城の水門前に来ていました。
それを待っていたかのように後ろの噴水からザパッと音を立ててウェパルさんが顔を出しました。
「あ、来たぁ。
じゃあ門を開けるねぇ。」
門の先には背の高い深緑色の髪を持つ端正な顔立ちの男性が立っていました。ふわりと石鹸のような良い香りが風に乗ってきます。
あの方がケルツァ=アスコスモさん…。
羅刹様達とはまた違う薄手のお着物と御洋服が合わさったような、白黒のデザイン性溢れる服を纏われています。アクセントになっている腰に巻かれた分厚い布があっても腰の細さが分かります。
長い睫毛下の銀色に輝く瞳は私を見定めるかのように動きます。ティリア様の顔に泥を塗るような事は絶対にしてはなりません。
強気で、けれどお淑やかに、メイドさんとして。
そしてケルツァさんはゆっくりと口を開きました。
「あれ?君…人間?」
「ッ!?」
ど、どうして!?
私は何を失敗して…!?
ブレイズさんを真ん中に3人が咄嗟に私を体で隠すようにしてくださいました。
「待ってケルツァ!どうしてそれを!?」
「え?どうしても何もブレイズ。
君達隠す気ないよね?」
少しの沈黙、と言うか固まったブレイズさん。
我に返った瞬間に振り返り私を見ました。
「…誰かの使い魔は?」
あ。
「ど、どなたも…お会いしてません…。」
そういえば私が人間だとバレなかったのはセレネさんの使い魔であるぴーちゃんさんのお陰でした!
「フレリアさん!!!
昨日話しましたよね!?」
「つい忘れておった!てへっ!」
「てへっじゃないです!
ケルツァじゃなければアウトでしたよ!?」
「ケルツァで良かったではないか。」
お2人が言い合っている間、ケルツァさんは私に近づいてきました。
胸元の金のネックレスが私の不安な顔を映していました。
「初めまして、僕はケルツァ。
ケルツァ=アスコスモ。」
「い、イヴと申します…。」
名を伝えるとニッコリと笑って下さるケルツァさん。優しげな微笑みにホッとしてしまう。
「君が人間だってことは黙っておくから安心して。
零蘭とかにバレたらまずいからね。」
「お心遣い痛み入ります…。」
「ううん。じゃあ早速だけど誰かの使い魔を抱えたらすぐに行くよ。」
「は、はい。」
「ほい、イヴ。
妾の使い魔であるキツネじゃ。」
フレリアさんから紫色の子狐さんを渡されました。
子狐さんもフワフワです。
『ぷ!』
「ありがとうございます。」
「準備できたみたいだね。
それじゃあ行こうか。」
ケルツァさんの身体が輝き、大きな深緑色の蛇さんに似た竜へと姿を変えました。
純白の翼が大きくて綺麗です。
よく見ると純白なのに光沢が虹色です…!
【じゃあイヴちゃんは僕に乗って。】
「良いのですか?」
【勿論だよ。】
私が乗れるように伏せて下さいました。
それでも大きくて乗れそうにないのに気づいてくださったシエルさんが私を軽く抱えて乗せてくださいました。シエルさんも私の後ろにいらっしゃいます。
【君も乗るの?】
「イヴ殿はお優しい故、貴方の美しく靡く鬣をにぎれないでしょうから。」
【はは。持つ必要ないくらい気を付けるけど持ってるなら安心。強く引っ張らないでね。】
「はい!」
私が落ちないようにしてくださったのですね。
ありがたいです。
「(シエル君、自分が飛べないのをユムル様で隠したな。)」
「(まぁ元天使種とバレてもややこしいからの。
そのままにするぞ。)」
ブレイズさんとフレリアさんがコソコソとお話をされています。
【そこの2人〜?
もう行くよ〜?】
「あ、うん。ちゃんとついてくよ。」
【それじゃ、しゅっぱ〜つ!】
ケルツァさんの羽撃き1回で強風が生まれ、あっという間に空へ飛び上がりました。
た、高いです…!
【ふふ、驚いてる?
これから行くところはもーっと高いからね。
今のうちに慣れてね。】
幻水蓮仙…一体どのようなところなのでしょうか。




