第54話『笑顔と供花と。』
「っふふふ!あのバアル=アラクネリアともあろう者がこんな脅しに臆するとは!」
「チッ!」
バアルの額には血が滲み、防戦を強いられていた。
ラストの一撃は重く、隙がない。
解決策を練るために先程のラストの台詞を思い出す。
「貴方にとってこの森は思い入れが有る。
貴方が容赦なく攻撃したら…私の手が滑って
森がタダじゃ済まないかもしれませんよ。」
森を人質にされたバアルは思うように動けない。
それ故の防戦だった。
「…」
「良いのですよ、援軍呼んでも。
居るのは分かっているのですよ?」
首を傾げるラストに対し、バアルは紅い目を光らせた。
「馬鹿を言え。貴様は私の獲物。
横取りは何人たりとも許さない。
それが坊ちゃんであっても。」
ラストの背筋にぞくりと寒気が走る。
「そして坊ちゃんとお嬢様を御守りする。」
「驚きですね。貴方が人間を護るなんて。
やはり戦争時の頭部衝撃のせいでしょうか?」
煽った直後、首を左へ傾ける。
見えた閃光は確実に避ける前のラストの首を撥ねていた。
「怖い怖い。
(避けなければ一発で首を撥ねられていたな。
それに…完璧に避けたと思ったが)」
遅れて彼の右頬から鮮血が零れた。
「…(動きが早すぎて正直見えなかった。)」
指で血を撫で、それを見つめるラストに剣先を突きつけるバアル。
「手、滑らなかったな。」
「あ。」
「今動けば私が先に貴様の腕を削ぐ間合いに入った。故に貴様に与える道は2つ。」
自分が何をしようがバアルの刃にかかってしまうことを想定したラストは大人しく聞くことにした。
「2つとは?」
「1つ、このまま無様に殺される道。
2つ、そのまま無様に逃げ帰る道。」
「いや言い方。」
うーんと唸り考える素振りをする彼にバアルは剣先を近づける。
喉に剣を当てられても驚愕も恐怖も無いラストは決心したように目を伏せ、笑みを浮かべた。
「では…」
「ラストの間合いにバアル殿が入りました。
バアル殿の勝利は確定したかと。」
雅若さんの報告にティリア様は鼻を鳴らします。
「ふ、ふん。ベルだもの、当然よね。」
「流石はバアル殿!嗚呼早く罵って頂きたい!」
シトリさんは通常運転ですが、
ティリア様は安堵しておられました。
「良かった…本当に。」
私が呟くとオベロン様も微笑まれた。
「えぇ。」
「!」
喜びの最中、雅若さんだけは晴れないお顔をなさってお外を見ておられました。
その際に急いで弓を構えて矢を放ちました。
一筋の閃光はあっという間に消えてしまい私には何が何だか分かりません。
「私は外に出ます。」
と仰って窓枠に足を掛けて本当に飛んでいってしまいました。
「では…貴方を死の底へご案内致します♪」
「何を戯けた事を……っ!?」
何も無かったはずの背後に白い光の球があり、そこから棘のような鋭利な物が音もなく伸びてバアルの背後を穿とうとしていた。
「チッ(攻撃しながら仕込んでいやがったな…!)」
咄嗟に避けようと膝に力を入れるバアルの背中に
「もう遅い!」
棘が届く―…
事は無かった。
パキャッと割れる音がして球が砕け散った。
「「!」」
砕けた球から一筋の光が意思を持った様にバアルを避けラストを射抜く。
「ッ」
「魔力が込められた軌道が変わる矢…。」
ラストの赤く染まった胸には1本の矢が。
バアルは口角を上げて
「折角出来た借りをもう返されたな。」
と呟き背後を向く。
彼の目には1面森と果てしなく広がる空しか映っていないが、確かに居る彼に礼を告げるかのように。
そしてラストを嘲笑う表情で見る。
「勝利を確信した者ほど隙が生じる。
人間を使っていたら嫌でも分かる事だが。」
矢を抜いた反動の出血を抑えるために矢が刺さった状態で呼吸をするラストはバアルを睨みつけた。
「…本調子じゃ無い相手にッ…容赦無さすぎでは…」
「森を人質にした奴が何を言う。
あの御方の大切な故郷を潰すと思案した事、実に不敬であるぞ。」
「不敬も何もあるものか…。
ふん…傷が深いので一旦引き、ます。
人間に…宜しくお伝えください…。」
「嫌だ。」
キッパリ断ったバアルを呆れ顔で見ながら消えたラスト。
彼が完全に消えたあと、
特に大きい溜息を吐いて空を見上げた。
「…貴女様の大切な故郷、
言うまでもなく長閑で美しいままですよ。」
「バアル殿。」
届かない思いを馳せていた時、
背後からの声に驚き振り向くと雅若がそこに居た。
「ッ…ラスト=アルヴィムが居なくなった事を分かっているのだから気配を消して近づかないで頂きたい。」
「おや、すみません。
声を掛けなければずぅーっと思いを馳せていそうだったものですからつい。」
謝るだけの悪びれない表情に溜め息が勝手に出る。
「はぁ…理由になっていない。」
「ふふ、実は邪魔したかっただけです。」
「知っているとも。」
雅若はバアルの隣に移動し、下にある森に顔を向けた。
「何か思い入れがあるのですね。」
「……」
黙って下を向くバアルを見て雅若は嬉しそうに微笑んだ。
「図星のようだ。
あのバアル殿も優しさという物を持っていたとは
驚きました。」
「……お嬢様と出会ったせいかもな。」
「今何と?」
「何も言っていない。」
ふいっと視線を逸らされた雅若は眉を下げた。
「…そうですか。
して、バアル殿。相手は天使種です。」
「?」
「お聞きになりました?死体の話。」
「……ぁ。」
「今小さく、あ。と仰いましたね。」
「言ってない。
相手が悪く苦戦してやっと退けたのだ。」
「間合いに入って勝ちを確信していた動作を私の瞳が捉えましたが?」
「……」
情報を聞き出さず対象を殺してしまったブレイズに怒った手前、何も言えないバアルは目を伏せた。
「………つい。」
「ふっ…ははは!
あのバアル殿からついなどと言うお言葉を聞けるとは!あー面白い。」
「笑いたければ笑え。私は先に戻る。」
「おや、一緒に参りましょうよ。」
…
「ただいま戻りました。」
「ベル!」「バアルさん!」
私とティリア様は戻られたバアルさんに駆け寄った。おでこから血が…!
「ベル、おでこ怪我してるじゃない。」
「あぁ、殴られましてね。」
バアルさん、手で雑に拭いますが血が止まりません!
「し、しし止血を!
な、何か布を!」
私が慌てふためくと、オベロン様が席を立ち私達の元へ。
「失礼、バアル殿。」
手をバアルさんのおでこに翳すと、緑色の優しい光が輝き、バアルさんの血を止めました。
「凄い…」
「私にはこれくらいしか出来ませんので。」
「貴方様の御手を煩わせてしまい申し訳御座いません。」
深々と頭を下げる彼にオベロン様は優しく微笑まれます。
「私達の森を守って下さった御礼です。
あの子も喜ぶことでしょう。」
あの子?
お2人にしか分からないような会話に私達は首を傾げます。
バアルさんはふっと笑って
「そうだと良いですが。」
と仰った。
あ、とても優しい笑顔です。
何でしょう…今の笑顔はティリア様が私に向けてくださる笑顔と同じような…?
「お嬢様?」
はっ!まじまじと見過ぎてしまいました!
「す、すみませんすみません!」
「っふ…いいえ?」
何回も頭を下げるとまた笑って下さいました…!
怖くないです!
「ベル、今日よく笑うわね。」
「そうですね、自覚してます。」
「雅若、結局妖精種が切断遺体を置いた可能性はほぼゼロに等しいと思うのだけど。」
お話を戻したティリア様は雅若さんを見ます。
「えぇ。バアル殿が天使種から話を聞き出せれば良かったのですがね。」
「…。」
バアルさんから真っ黒なオーラが!
怖いです!
「あらまぁベルが珍しいわね。
ま、どーせまた出るわよ。」
「そうですね。
お付き合い頂きありがとうございました。」
「ではお暇しましょうか、坊ちゃん。お嬢様。」
バアルさんに促され私達はオベロンさんに一礼します。
「もう帰られるのです?
もう少しゆっくりしていけば良いのに…」
「また来るわ。
今度はユムルと2人で森を回らせてちょうだい?」
「はい!ではこれを。」
オベロン様は綺麗な花束をティリア様にお渡ししました。私にも持たせてくださる。
ティリア様の花束はピンク色、私のは青色の花束です。
「供花です。
また御参りに伺わせて下さい。」
「勿論よ。
パパは分からないけどママは喜ぶ、わ…」
ティリア様のご様子が…?
ティリア様は手渡された花束を凝視なさる。
その後、重たそうなお口を開きます。
「ねぇオベロン。」
「はい?」
「何で貴方から懐かしいという感情が?」
「!」
…?どういう事でしょう。
「それは私の子供の頃から好きな花で…」
「違う、そんなんじゃない。」
「ッ?」
「花に対しての懐かしさじゃないし、貴方から悲しみも感じるの!」
「それは…
亡くなられた事を私が憂いているからでは…」
「だから違うの!この懐かしいという想い、
悲しいという想い…ママへね…!
これは普通の想いとは違う!これは…
大切な人に向ける想いよ!」
「っ!」
オベロン様、息を飲んで目を見開きます。
大切な人に向ける想い…ティリア様は必死にオベロン様から聞き出そうとしています。
「答えてオベロン!
貴方、ママとどんな関係だったの!?」
ティリア様はオベロン様と距離を詰めます。
「ティリア様…。」
冷静さが無くなってしまったティリア様にバアルさんが穏やかな声色で話しかけます。
「坊ちゃん。」
「何よ!止めるつもり!?」
「いいえ。ただ、私やお嬢様は席を外した方が良いかと思いまして。」
「それは…っ…」
ティリア様は私を見ました。
とても辛そうなお顔で。
「……ユムル、貴女はアタシの傍に居て。」
「よ、宜しいのですか…?」
「居て欲しい。」
「分かりました。」
私が頷くとバアルさんは
「では私はシトリと雅若殿と見張り番でもしています。御用の際はお呼びくださいませ。」
と仰って残ろうとなさるシトリさんを引き摺って
雅若さんと退出なさった。
「…バアル殿があぁなさると言う事は話せと言うことですね。」
オベロン様は溜息混じりに呟き、私たちを見ました。
「分かりました。お話しましょう。
私と、リフェル様の関係についてを。」





