第50話『天使だった昔の話』
「バアルさん。
シエル君気絶してますけどどうします?」
「坊ちゃんに委ねる。そのまま連れてこい。」
「はーい。あ、踏みつけた痕を消さないと!」
…
「で、アタシの部屋にシエルを連れて来たと。」
アタシの目の前にはベルとブレイズ、床には珍しく気絶しているシエルが居る。
ベルはきょとんとしながらもアタシに頷く。
「えぇ。何か問題でも?」
「有るわよ!!部屋に砂が落ちるじゃない!」
「外で叩いて落としましたよ。
で、どうなさいます?」
この…っアタシに話もさせないつもりね…!
「…まぁいいわ。
シエルは城の警備をして対応しただけよ。
問われるはずが無い。」
「ですね。レウ=ブランシュに伝えておきました。」
「分かってんじゃない。
なら良いわ、シエルは預かる。」
ユムルとお話させるために。
ベルは驚いた顔をして
「おや…左様で。」
と言うけど演技ね、アレ。
次はブレイズに指示を出す。
「ブレイズ、お茶菓子作ってきて。」
「畏まりました…って、あぁっ!!?」
急にブレイズが大声を出した!
「何よ吃驚したじゃない!」
「あのっゆむっユムル様が前にお作りになったクッキーをまだ渡しきれていない!
賞味期限は大丈夫のはずあぁあやってしまった!
俺退散します!
セレネちゃんにお頼み下さいませ〜っ!!」
言うだけ言ってどっか行っちゃったわ。
ベルも頭を下げて出ていった。
ユムル、また他の子達にもクッキー作ってたのね。
最近ユムルはブレイズやセレネと一緒にお菓子を作って差し入れてくれている。ホント、優しいんだから。
…でも何かちょっと残念。
アタシだけだと思っていたからなぁ…。
ま、ユムルらしいか。
「うっ…うぅ…」
床で寝ているシエルが身を捻った。
「シエル、起きなさいシエル。」
頬を数回叩くと薄ら目を開ける。
「…おう…じ。」
「ずっと気になっているのだけれどアタシもう王様よ。羅刹の所に居た時は王って呼んでたのに。」
「…」
口を半開きにして固まっちゃった。
こんなシエルをあまり見たことないわ。
「シエル、命令よ。
貴方の事をユムルに話しなさい。」
「…御意。」
のそりと起き上がって立ち止まる。
寝ぼけているのかしら。
それにしても天使種と戦っていた割には身体を覆う真っ白な外套は斬られた痕が無い。
外套を留めている青薔薇にも傷は無いわね。
砂は沢山付いているけど。
観察していたらシエルはアタシに身体を向けた。
「…王子。」
「何よ。」
「…申し訳御座いませんでした。」
頭を深々と下げるシエル。
頭を下げる直前でもいつもの笑みは無かった。
「反省してるなら怒る理由も無いわ。
あぁ、ただ一つだけ。いくら私情があったとはいえレウ=ブランシュを追い払ってくれて
ありがとう、シエル。」
「…!」
お礼は大事。
実際シエルのお陰でユムルを護れる結界張れたし。
あ、そうだ。
「ルルから連絡あったの?」
「はい。私が気付くと同時にいきなりゲートに天使種反応アリ、と。」
強行突破した…?
「ルルは無事?」
「王子に連絡が無いのなら無事でしょう。
彼は怪我したら駄々こねますから。」
違いない。
それにしても笑ってないシエルってこんな静かだったのね。
「それとシエル、外套脱ぎなさい。」
「おや、これは失礼致しました。」
外套を脱ぎ、畳んでいるのを見てアズが猫の姿のままユムルの傍から離れてこちらに来てくれる。
「アズ、これをチュチュに渡してきて。」
頼むと人型に戻って
「あいあいさー!」
と外套を持って行ってくれた。
気遣い出来る子ね、アズは。
アタシはシエルと向き合う。
「今からユムルを起こすわ。」
「おや、眠り姫には口付けを?」
「ちっ…違うわよ!!」
そりゃしたいわよ!
でも話の腰を折らないで欲しいわ!
「ユムルに話してよね、貴方のこと。
嘘吐いたらアタシが怒るわよ。」
「えぇ、分かっていますよ。」
薄らとしかない笑みは彼が今、素の状態なのだと勝手に思う。
「そこの椅子、使っていいから。
アタシはあっちで本読むわ。」
「お気遣い痛み入ります。」
シエルが気になって本の内容なんて頭に入らないだろうけれど。っと…その前にユムルを起こさなきゃ。
指を鳴らしてっと。
「んむ…?」
「おはようございます、麗しき眠り姫。」
目を開けるとシエルさんが私の顔を覗き込んでいました。
「しえる…さん?」
「はい、シエルです。」
「あれ…私、ティリア様のお部屋で…それで…」
どうしたのでしたっけ…?
「王子から私の事を話せと仰せつかりました。
お話してもよろしいでしょうか。」
シエルさんのお話!私は勢いよく起き上がる。
「ぜ、是非!」
「っふふ。
ご期待に添える話では御座いませんがね。」
シエルさんは椅子に座りスラリとした長い足を組み、遠い何処かを見つめていらっしゃる。
いつもとは違って自然と口角が上がっているように見えます。
「まず私は悪魔種ではございません。
私は天使種です。」
「え…」
天使種ってあの天使種ですよね…?
「正しく言うと元、天使種です。」
「え、でも天使種って…悪魔種と…」
「えぇ、戦争した仲です。
けれど戦争の時には既にこちら側。
ヴェルメリド様の側近でございました。」
な、何故こちらに居るのでしょう…?
「私は、天使種を許さない。」
そう言ってシエルさんの背中から鳥のような真っ黒な翼が生えました。その真っ黒な翼は見入るほどに美しいものの、右上の大きな翼と左下に小さな翼しか無く片翼ずつというのが分かります。
「醜いでしょう。この翼を見てお分かりの通り、私は自らの翼ではもう飛べません。」
そういえば羅刹様の御屋敷で逃避行?の際にシエルさん、落ちたのに飛びませんでしたね。
それは飛べなかったからなのですね…。
「ご覧下さい。」
シエルさんは椅子に座ったままくるりと私に背を向ける。
その背中には片翼ずつではないことを証明するかのように立派な翼の隣に小さな翼がありました。
ですが小さな翼は捥がれたかのように見えます。
「惨めでしょう。
元は6枚あった翼ですがこれはレウ=ブランシュ始め天使種に裏切られた傷痕です。天使種の翼の存在意義は強さ。翼の枚数が多いほど強いのです。」
6枚…ならば一部分すら残らず完全に千切られた翼が4枚おありなのですね…。右の翼を触りながら悲しそうに笑うシエルさんを見ていると心が痛みます…。
「私の翼はレウ=ブランシュに千切られ、追放。
つまり堕ちました。
その後ヴェルメリド様と出会い、
天使種の概念が残っていた私は刃を振るった。
まぁ3分でやられたのですがね。はははっ」
「ふん…(翼を千切られてもパパ相手に3分も持つなんて結構な化け物よ。)」
シエルさんの言葉にティリア様が鼻を鳴らしました。聞こえていらっしゃるようです…!
「これでも天使種最強と謳われていました。
信頼もあった。そんな私を容易く消し、理由も聞かず追放まで行った同族に比べ悪魔種の方達はどうでしょう。」
シエルさんはちらりとシトリさんを見やると、シトリさんはふんすと鼻を鳴らしました。
いつの間にワンコさんの姿で枕元に…。
「優しいお方達に出会えたことにより、
私は天使種を根絶やしにしようと黒く染まった翼に
魔王様への忠誠と共に誓いました。
故に裏切る、などは決してございません。」
シトリさんは笑みを浮かべるシエルさんに低く唸りを上げます。
『グルルル…ッ』
「おや、ワンちゃんはこういう事には手厳しい。
っふふ…」
先程からシエルさんは笑みを絶やしません。
が、ずっと悲しそうです。
無理して笑っていらっしゃる気がします。
「あ、あのシエルさん。」
「はい?」
「何故無理して笑っていらっしゃるのですか?」
「っ!」
固まってしまった…。
「ふ…はははっ!」
シエルさんが笑った瞬間、私の視界がぐるりと回ったと思ったらシエルさんに抱きかかえられていました。
「えっ!?」
「王子!姫様をお借りします!」
少し遠くの机で本を読んでいらしたティリア様の返事を待たずに、シエルさんは私を連れて部屋を退出なされた。す、凄い速さですぅ…!
『…良いのですか、ティリア様。』
「特別。城から出たらタダじゃおかないけどね。
シトリは良いの?」
『何故か行かせようと思いました。
帰ってきたら噛みつきますがね。』
「そう。」
…
「よいしょっと。」
シエルさんが着地した所はお城の外側にある、街を一望出来る素敵な場所でした。
「城のバルコニーです。
頬を撫でる風が気持ち良いでしょう?」
「はい…!」
返事をするとシエルさんは笑みを絶やしました。
いつもの柔らかい雰囲気が無くなり怖さが現れます。そんな彼は徐に口を開く。
「こちらに来る前、全く笑いませんでした。
笑う、その行為の意味が分からなかった。」
今まで見てきたシエルさんの笑顔を忘れさせるほど、今の彼には冷たさしかないように感じます。
そんな彼でも…
「天使種の方々からの信頼を…」
「笑顔は信頼を得る道具の1つ。
人間はそうでしょう。」
シエルさんは私の右頬に触れました。
「私は人間とは違う。
天使種は力こそ、翼の枚数こそ全てなのです。」
力こそ…笑顔は大切なモノなのに…。
「そういえば人を褒めることもしませんでした。
褒める要素が無かったので。」
え…今は凄く褒めてくださっているのに…。
シエルさんは目の前の手すりに凭れて首を傾げながら私を見ました。
「意外ですか?」
「は、はい…。」
頷くとシエルさんは口角を上げました。
それは笑顔とは呼ばない、いえ…呼べないモノに見えます。
「私の笑顔、下手でしょう?」
「え、あ、い、いえ!」
「はは…気を遣わせてしまったようですね。
大丈夫です、自覚してます。」
急に聞かれてびっくりしちゃいました…。
「元々、仮面を付けていない私の笑顔はこれが限度。」
「仮面…?」
シエルさんは「昔話を少しだけ」と目線を逸らしながらもお話してくださる。
「私がヴェルメリド様に敗北し、初めて城へ連れてこられた時にまだ小さな王子に会いました。」
ティリア様、
戦争の前に産まれていらしたのですね…!
「王子は女王様…
母君に心からの笑みを浮かべていらしたのです。」
お話するシエルさんのお顔は自然と綻び、柔らかな雰囲気に戻りました。
「あの時に初めて見ました。他種族の心からの笑顔を。無邪気に笑うとは正にあの事でしょう。」
ティリア様は今も変わらずなのですね。
想像出来ます。
「王子はやがて私に気付き、笑顔を向けました。
刹那、私に笑顔の仮面が渡された。」
「…?」
理解していない私を見て
「口角が勝手に上がったのですよ。」
と仰った。
「初めて笑顔に…?」
「えぇ。その後、他人の些細な事でもお褒めになる王子に貴方も、と諭され今の私が創られました。」
「…」
ふと私に視線を向け、
いつものシエルさんに戻られました。
彼は昔のお話の際、目を合わせてはくれませんでした。それは彼がシエルという存在を演じる仮面を外したからでしょうか。
今まで目が合っていたのも仮面だったからでしょうか。仮面を付けてまで偽るなんて…本心は苦しいはずです。例え本人が気付いて無いとしても。
「私の前で仮面は必要ありませんよ。」
「!」
「私は貴方の本当の主ではありません。
気を遣う必要など無いのです。」
「…」
「どうか、ご無理をなさらないで。」
「…」
あれれ、ずっと固まっていらっしゃる…。
暫く沈黙が流れ、気まずくなっているとシエルさんが声を零したように私を呼びます。
「ユムル様…」
「は、はい!」
「無理…してるのですかね?私。」
「えっと……私にはそう見え…ます。」
目を大きくなさってお聞きになるので段々と自信が無くなってきました…。
「…」
口元を手で押さえたシエルさんはやがて
「いつか、貴女様の前で外すと約束致しましょう。」
と仰る。
いきなり外せと言ってしまい本性を見せろと言っているように聞こえてしまったのでしょうか。
申し訳なさすぎます…!
頭を下げようとすると、止めるようにシエルさんはお話しなさる。
「お気遣い、痛み入ります。
私情で申し訳無いのですが…
仮面が有れば天使種への憎悪が和らぐのです。」
「!」
「これは今の私を保つ為に必要な物なのです。」
ニッコリと微笑むシエルさん。
シエルさんは我慢なさっている…!
私が口出しして良いことではありませんでした!
「そ、そんな大切なモノだったとは…
何も知らず勝手にすみませんでした!」
「いいえ。
気にかけて頂けて本当に嬉しかったです。」
微笑んだままのシエルさんは「さて」と呟いた後、
私をお姫様抱っこなさいました…!
「女性が身体を冷やしてはなりませんから。
戻りましょう!」
笑顔の仮面を付けたシエルさん。
少しだけ彼の事を理解出来たと思って良いでしょうか。
いつか彼が、仮面が無くても心から笑えて、
憎悪等を感じる必要が無くなりますように。
☆唐突にティリア様と人物紹介
ユムル
家族に酷い扱いを受けていた人間の少女。
決心した家出で魔界に迷い込み、偶然にも魔王ティリアと出会う。
人間界での暮らし故に染み付いてしまった自己犠牲癖や自己否定な性格が中々治らない。
誰にでも物腰柔らかで悪魔種使用人は心を許し始めている。
最近悪夢を見る事が少なくなったことが嬉しい。
「最初に出会った時に運命ってこの事だと思ったわ。
優しすぎるあの子にずっと笑っていて欲しい。
その為ならアタシは何だってするわ。
…ずっと一緒にいて欲しいから。」




