第30話『風邪にもやもや』
「えっと…?」
「っ!!」
ユムルが!アタシのせいでユムルがっ!
「嫌、いや!お願い忘れないで!
アタシが間違ってた!自分の事ばかりしか考えていない最低な魔王だわ!!お願いアタシを叱って!」
自分のクズさと醜さに嫌気が差し、涙がポロポロと零れる。涙の1滴がユムルの頬に落ちると彼女はアタシの頬に手を添えた。
「ど、どうなされたのですか…?」
「お願い忘れないで、アタシの事を忘れないで…
今の貴女を忘れないで…!」
「わす、れる…?」
片手をぎゅっと握るとユムルも疑問ながら握り返してくれる。それによって後悔の念が一気に押し寄せる。
「アタシ…っ…貴女の記憶消しちゃった!!
貴女に黙って勝手に!!
ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
「記憶を消す…?」
「そうよ…っ…!
貴女の辛い記憶ごと消しちゃおうって…!」
今のアタシは涙でぐちゃぐちゃな顔になっているでしょう。でもそんなことよりユムルの方が大事…!!
「アタシ、貴女との出会いを忘れ去られたくないわ!だってアレ、運命だもの!!感動したわ、打ち震えたわ!!それを忘れちゃ嫌…!」
思い出してと願いながらユムルをぎゅっと抱きしめる。
「それに貴女が生きる理由をまだちゃんと見つけれていないの!!」
「生きる、理由…」
ぽつぽつと小さな言葉を口にするユムル。
彼女はアタシを抱きしめてはくれない。
記憶を消さなければぎゅってしてくれたはずなのに…!
「ユムル、アタシの名前を呼んで。
お願いだから…っ」
その口で、目を見て言って…!
「ティリア=イヴ=ヴィランローズ様…」
「お願いゆむ……ん?」
え?え??アタシの名前…?聞き間違いかしら…
「ゆ、ユムル?もう一度アタシの名前言える?」
「ティリア=イヴ=ヴィランローズさま…です。」
虚ろな目で確かに名前を呼んでくれた。
「嘘…記憶は?」
「全て、覚えていますよ…?」
もしかして失敗してたの?
魔族にしか効かないのかしら…??何はともあれ…
「本っ当に良かった…っ!勝手なことして本当にごめんなさい!全部アタシが間違ってた!!」
「…ティリア様…」
もう一度ユムルをぎゅっと抱きしめるとユムルもそっと背中に手を回してくれた。あぁ、良かった…!
「坊ちゃん。水を差すようで申し訳ないのですが…
記憶操作が失敗したのに何故お嬢様は倒れられたのです?今も体調が優れているようには見えませんが。」
とベルが言う。た、確かに…落ち着いて見ると顔が白っぽいような…あら…?ユムル?
「ぅ…」
「!!」
ユムルが苦しそう…!?
「ご主人様の危機を感じて!!」
バンッと大きな音を立てて扉を開けたのはシトリ。
シトリは慌ててアタシの元へ…いえ、ユムルの元へ駆け寄った。どうなってんのコイツのレーダー…。
「ご主人様、シトリ=グラシャラボラスが馳せ参じましたよ!」
ベルが作法について何も言わないのは珍しい…じゃなくてそうか、シトリはこう見えて医療に詳しいからユムルの為にお小言を言わなかったのね。
今はシトリに頼るしかない。
「シトリ、ユムルが急に倒れたの。意識はあるわ。」
「そのようですね。ご主人様失礼致します。」
シトリは慣れた手つきでユムルの下瞼を見たり、爪を確認し、小さく息を吐いた。
「これは貧血ですね…しかも結構な。
確か人間の血には色々と混ざっており、中でも女性は鉄分が損なわれやすいとか。」
ご主人様…と心配そうに呟いた後、立ち上がりブレイズとバアルをちらりと見た。
「ブレイズ殿、バアル殿。人間の食材の中で鉄分が豊富な物を使った料理に変更を。
ご主人様はボクが看病致します。」
アタシからユムルを取り上げ、お姫様抱っこで退出してしまった。
「坊ちゃん、シトリの指示如何なさいます?」
「ユムルの症状が治るのなら何でも良いわ。アタシ仕事しなきゃ…それに反省してる。仕事終わらせて謝りに行くわ。」
「畏まりました。」
アタシは頭を冷やす必要がある。ベルはアタシの思いを分かってくれたようで、ユムルが作ったクッキーの入ったバスケットを持ったブレイズに声をかけた。
「ではブレイズと共に退出致します。行くぞ。」
「はい、失礼致します。」
「えぇ。」
暫くシトリに任せましょう。今のアタシはダメだから。
…
「ぅ…うぅん…」
あれ…私…
「お目覚めですか?」
左側にシトリさんが心配そうに顔を覗かせていました。私、ベッドで寝ているのですね…。
「あぁ、そのまま横になっていて下さい。
ボクが見たところ、ご主人様は貧血で倒れてしまわれたのですよ。」
「ひ、貧血…?」
そう言えばティリア様に顔を触れられた時、
クラっと来たような……あれ、私は何故ティリア様のお仕事部屋に赴いたのでしたっけ?
「ご主人様、決してご無理なさらぬよう…。」
「すみません…」
シトリさんにも、ティリア様にもご心配をかけてしまいました…。シトリさんはそんな私に優しく微笑みかけてくださる。
「ご主人様が謝られる必要は御座いません。
今はゆっくりお疲れを癒して下さいませ。」
「つ、疲れてなんて…んむ」
否定しようとすると唇にシトリさんの人差し指が当たって口を塞がれました。
「今までの疲れでございましょう。
気にせずお休み下さい。このシトリがご主人様のお傍に居りますゆえご心配無く。」
革の手袋は冷たかった。
何故か冷たい手が恋しい。
「シトリさん…手を…」
「手、ですか?」
「…私の顔に…」
お願いした直後、シトリさんの目は大きくなりました。困らせてしまった。
「ご主人様…失礼致しますね。」
手袋を外したシトリさんの大きくて細い右手が私の額に触れます。
「人間にしては熱い…!
風邪を召されてしまったのか…」
ひんやりとして気持ちが良い…。
「ご主人様、ボク氷嚢を持って参りますね。」
シトリさんが私から離れてしまうと思うと酷く寂しく感じる…。行かないでと思ってしまう。
あんなに慣れていた1人が嫌だ。嫌だ。
「シトリさん…行かないで…くださ…」
「えっ」
「1人は…いやです…」
涙が勝手にポロポロと零れてしまう。
泣いているからか顔が熱い、でも身体は冷たい。こんな状況下では誰かがいて欲しいと強く思い力が入りにくい手を伸ばしていました。
彼はその手を両手で包んでくれました。
「ご主人様…はい、このシトリ常にお傍に居りますゆえ。それにご主人様はボクの手がお気に召したご様子。求められているのならば狗は応えねば。」
ベッドに浅く腰掛け、手を額に乗せてくださる。
ひんやりとすると心做しか身体の寒気が少し減った気がします。
「…(参ったな…。折角2人きりの状態を作れたのにチュチュやアズィールを呼ぶ必要が出てきてしまった。嗚呼嫌だ。
だが仕方ない、呼んで要件済ませて叩き出すか。)」
シトリさんは何か考えた表情を浮かべた後、「少々お待ち下さい」と言ってテーブルに置いてあったチュチュさんを呼ぶオレンジの呼び鈴を手に取りました。
「ご主人様、鳴らせますか?」
「は、はい。」
呼び鈴を受け取り、言われるがままゆっくり鳴らす。鳴らした後、シトリさんの手に戻しました。
シトリさんが呼び鈴をテーブルに置くと同時に元気なチュチュさんが現れます。
「チュチュ=フォルファクス、此処に!
ってユムル様!!?」
「煩い阿呆。氷嚢を急ぎ準備しろ。ご主人様は風邪を召されてボクはお傍に居る義務がある。」
驚くチュチュさんにシトリさんが不機嫌そうに伝えますが彼女は怒る素振りもなく頷いてくださる。
「わ、分かった!待ってて!」
パタパタと足音を立てて走っていったチュチュさん。
…申し訳ないです。暫くしてチュチュさんは氷の入った袋とタオルを持ってきてくださった。
「シトリ君、持ってきたよ!」
「タオルと共に寄越せ。」
「うんっ」
シトリさんの手によってそれが額に乗る。
気持ちが良い。
「ユムルさまぁ…お加減いかがですかぁ…?」
凄く心配そうな顔…心配かけちゃダメ。
「だ、大丈夫です…ごめんなさい…。」
「チュチュ=フォルファクス。」
突然、シトリさんがチュチュさんの名を呼びます。
「何?シトリ君…ふぎゃっ」
チュチュさんの首根っこを掴んで宙吊りに。え…?
そして扉を開け、チュチュさんを放り投げてしまいました。
「ぴゃーっ!!」
「もう要件は済んだ、お前は用済みだ。」
チュチュさんが何か仰ってますが扉が閉められてしまって何も聞き取れない。
あれ、頭が痛くなってきました…。
「ご主人様、何でもこのシトリに仰って下さいね。」
「何から何まですみません…。」
「いえ!
ボクは貴女の狗で、お世話係ですから当然です。」
再びベッドに浅く腰掛けたシトリさん。
「人間は睡眠で身体の調子を整えるだとか。
眠れそうなら眠って下さい。」
身体は不調を訴えますが眠くはない…。
「…は、はい…。」
「おや、ボクの目にはご主人様が眠くないと仰っているように見えます。ならば…」
彼は黒くて鼻筋が白い毛艶の良い大きなワンコさんに姿を変えベッドに登られました。
『御無礼をお許し下さい。
このボクが抱き枕となりましょう。』
「わぁ…あ、でも風邪が移っちゃいます…。」
『ご安心を!魔族ゆえ人間の風邪なぞ掛かりませぬ!失礼致します!』
もそもそと布団の中に入って私にぴたりとくっついてくださる。もふもふで温かい…。
いつの間にか私は微睡んでいました。
…
アタシは仕事が終わってユムルの部屋の前に居る。
ユムル、大丈夫かしら。ドアをノックして「ユムル、アタシよ。ティリアよ。」と言って返事を待つ。
けれど返事が中々こない。ま、まさかまた倒れているんじゃ…!扉は…開いてる!
「ユムル!!」
勝手に開けた刹那、視界に入ってきたものに絶句した。
ベッドの上にユムルと…シトリが一緒に寝ているのだから。シトリに至っては人型じゃない!
なななななな、何してんのよぉおお…っ!!




