第3話
ウィリアムは、ずいぶん長い間答えてくれなかった。驚いたように目を見開いたまま、でも、口元は貼り付けたように笑ったままで。形だけ、慌ててないと示すためだけに笑顔を纏っているみたい。それが、子供扱いされてるみたいで面白くない。やっと口を開いてくれた時も、ウィリアムは子供の我が儘を窘めるような口調だった。
「クローディア。そんなはずはないだろう。二十以上も年上のおじさんだ、きっと友達と話していた方が楽しいよ」
「そんなことないわ。だって、友達を作ったりしないもの。そんなことにはならないの」
私は、友達というものをお話の中でしか知らないの。他所の国の建物や食べ物、お庭にもいない鳥や動物や花、翼の生えた馬や火を噴く竜と同じような、遠い存在でしかない。それも、ウィリアムに教えられて知ったものでしかない。そんなのより、ウィリアム自身の方が大切になるのは当然のことじゃないかしら。
睨むように、切りつけるように答えると、ウィリアムは困ったように首を傾げてみせた。
「クローディア。ずっとここに閉じ込めてしまって、申し訳ないと思っているんだ。でも、状況は変わってきている。君は早く、今まで私が取り上げたものを取り返さなければならない」
「ウィリアムは私を助けてくれたわ。それに、私は閉じ込められてなんかない。お城はとてもきれいだし、皆優しいし……ウィリアムは、遊んだりお勉強を教えたりしてくれるじゃない」
「クローディア、良い子だから。そういうことではなくて──」
「私はウィリアムさえいれば良いの!」
ウィリアムが何か言おうとするのを遮って、私は激しく首を振った。良い子でいなきゃと、ずっと思っていたわ。彼は、私にとても優しくしてくれるんだもの。時々すごく疲れているみたいなのに、本当のおうちはどこか他所にあるらしいのに、お城に来てくれるんだもの。困った顔をしたり窘めることはしても、私を怒鳴ったり怒ったりはしなかったもの。
どうしてそこまでしてくれるか分からないから、彼が大切にしてくれるのに相応しい良い子でいようとしていたのよ。
でも、綺麗なお部屋も、沢山の本や玩具も美味しいお菓子も、本当に大切なものではなかったわ。私が──ウィリアムが思ってるようなのと違って! ──寂しくも悲しくも思わないで過ごすことができたのは、ウィリアムがいたからよ。私は十分幸せだったのに。どうして取り上げようとするのかしら。大体、ウィリアムの言っていることはおかしいじゃない。
「マリーやピーターや……ロバートや、ライラが、どうしてウィリアムが取り上げたというものを持っているというの? あの人たちは私には関係ないわ。みんな、知らない人ばかりだったもの」
覚えている限りの、私を助けてくれようとした使用人、私が手紙を燃やしたりしてお城から追い出した人たちの名前を挙げると、ウィリアムは目を見開いた。彼も、彼らのことを覚えている証拠ね。純粋に、私が我が儘で言い出したと思っていたのは、一体いつまでだったのかしら。お互いに気付いていたのに、今まで知らないフリをしてきたのは、やっぱりおかしなことだったのよ。
「……君はどこまで覚えている? というか、気付いているんだ……?」
「分からないわ。ウィリアムが教えてくれないから」
ウィリアムはやっとそのおかしさに気付いたみたい。……私も、言わなかったのは悪かったのかもしれないけれど。唇を尖らせてそっぽを向いて。でも、今日こそ教えてよ、って横目でウィリアムを睨む。彼が怒ってしまったらどうしようかと、心臓をドキドキさせながら。お城を追い出されるのは、今日こそ私かもしれない。でも、我慢できなかったのよ。彼が何を考えているか分からないまま、何も気付いていないように振舞うのはとても苦しかったんだもの。
だから、お願いよ。どうか全て教えてちょうだい。私をどうしたいのか。私はどうすれば良いのか。
想いを込めて、ウィリアムの様子を窺う。今度の沈黙は、さっきよりもずっと長かった。でも、とうとう溜息を吐いた。
「私からの言い分だけを聞かせる訳にはいかないと思っていたんだ。彼らの視線から見たことも、聞いた上で判断して欲しかったんだが──」
言いながら、ウィリアムは私の傍に歩み寄って、そっと腕を引っ張った。座りなさい、っていうことね。きっとここから、長い話になる気がした。
といっても、ウィリアムの話の最初の方は、私が気付いていたことそのままだった。お父様とお母様はもう亡くなっていて、王様と王妃様で。私は王女様だったの。お父様が戦いに敗れたのも、お母様がそれで世を儚まれたのも当たっていた。ウィリアムが来てくれなかったら、私も危なかったということも。でも、どんな戦いだったかというのは、私が全く予想していないことだった。
「革命……?」
「そう。この国には、もう王様はいない。あえて言うなら、全てがひっくり返って──民が一番偉い、ということになるのかな」
「お父様は、ご自身の臣下に……剣を向けられてしまったの? 誰も守ってはくれなかったの?」
ほとんど覚えていないと言っても、お父様のことだから、誰からも嫌われてしまったのかと思うのは悲しかった。エリオットが淹れてくれたお茶のカップを手で包むようにして俯くと、琥珀色の水面に私の姿が映っていた。今にも泣きそうに、唇の端が下がってしまっている。
「ああ、そこをどう言うかを、私はずっと逃げていたんだ。私は、王に忠実であるべきだったのに……」
ああ、でも、ウィリアムを責めたつもりではなかったのに。私たちは、鏡で映したように、同じような悲しそうな顔になってしまっている。どうして彼までそんな顔をするのか──彼も、ティーカップを握りしめながら、ぽつぽつと語ってくれる。
「……私も、かつては王族の端くれだった。それが今ものうのうとしていられるのは、民衆の側についたからだ。だが、決して君の父上に……あんな最期を迎えて欲しかったのではない!」
「ええ、ウィリアム。きっとそうね。信じているわ」
お父様ではなくウィリアムだけを思って、私は何度も頷いた。彼が何を言っているのか、完全に分かった訳ではなかったけれど。ウィリアムは首を振るばかりで、全然信じてくれたようには見えなかったけれど。
「民と王侯貴族の橋渡しができれば、と思い上がっていたんだ。私のような立場の者が民につくことで、彼らの心が和らげば、と。だが、暴動があって……陛下は……」
「でも、貴女は私を助けてくれたでしょう。ずっと、守ってくれていたわ」
悲しそうなウィリアムの姿は、私を打ちのめしていた。ウィリアムが今日初めて漏らしてくれたことは、ずっと彼の心の中に渦巻いていたものだと分かってしまったから。こんなに辛そうで苦しそうなのに、彼はそんなところを私には全然見せてくれなかった。悟られないようにしてくれていた。私は、彼に癒しと安らぎを与えてあげられれば、と思っていたのに──そんなことは、思い上がりでしかなかったというの?
「本来なら、君の世界はこんなに狭くなかった。もっと豪華なドレスを着て、贅沢な食事をして、より多くの人に傅かれていただろう」
「でも、そうならなかったんでしょう。私はそんな世界知らないわ」
「そうだ。私が奪ったんだ」
「違うってば。私は持っていたつもりはないもの」
私が何か言う度にウィリアムは少し笑い、そしてすぐに首を振った。彼に言葉が届かないのがもどかしくて、私は席を立って彼の傍に跪いていた。膝の上に置かれた手に、私のそれを重ねようとして──でも、彼は逃げてしまう。
「できるだけ、君が悩まず悲しまないようにしたかった。でも、多くの人が私を裏切り者だと考えている。元王女を利用しようとしていると」
「貴方がそうしたいなら、それでも良いわ」
「君は何も知らないからそう言ってくれるだけだ」
ウィリアムの優しい目が間近にあるのに、なのにひどく遠かった。私を利用するつもりよりも、なお悪いかもしれない。彼は、私の言葉を何ひとつ信用していないし、聞こうとしてくれていない。
「この城は、父から受け継いだ財産だった。君を匿うために残してもらえた」
ウィリアムは首を巡らせて、お部屋を見渡した。というか、ぼんやりとした眼差しは、お城全体を眺めたのかしら。私を膝元に縋らせておいて、私がいないかのように。
「懐かしかったし、通う理由ができて嬉しかったのもある。君はいつでも笑顔で迎えてくれて、かつての時代を切り取ったようで……居心地が良くて、和やかで、美しくて……」
「私にとってもそうよ。ありがとう。だから、ずっとこのままで良いの」
私が彼に伝えたいことはそれだけなのに。なのに、ウィリアムは静かに首を振る。
「いや、やっぱりいけないよ。これ以上、君の好意につけこむなんて……許されないと、思う」
やっと目を合わせてくれたのに、喜ぶことなんて全然できなかった。