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音の結び目  作者: いけおぢ年の差推進委員会
雪原をわたる風のごとく(狼子 由)
4/40

4.共に負う弦音

 太陽が天高く上る正午。

 既に布陣は完成している。あとは、わたくしの合図を待つだけ。

 時間だ――わたくしは陣の前に出て旗を振る。


 投石器の綱が切られ、弩がぎゅんとしなる。

 轟音と共に、城壁が崩れ始めた。


「――進め! 王宮だ!」


 ルーウォークが剣をかざして叫ぶ。

 傭兵たちが後に続き、アントガー侯爵麾下の一部もそれを追った。


 わたくしの周囲を守るのは、アントガー侯爵とその側近のみ。

 ルーウォークの強い進言と、アントガー侯爵の主張で決まったことだ。

 ――わたくしの反対は、聞き入れられなかった。


「こちらへどうぞ、王女殿下。主戦力はルーウォーク殿に任せておけば良いでしょうが、斥候も伏兵も、寄ってこないとは限りませんから」

「ありがとうございます。でも、わたくしも心だけでも彼らと共に戦いたいの」


 あくまで陣幕には戻らぬわたくしを見て、アントガー侯爵は苦笑して首を振った。


「あなたは美しいひとだが、頑なな方だな。私との婚約の件にしても」

「……そのお話は一度お断りしましたし、急かすのはおやめくださいと何度も申し上げておりますが」

「急かすなんて。ただ疑問を口にしているだけですよ。私との結婚、あなたにとってはメリットしかないはずだ。戦に勝つまではもちろんのこと、勝った後も、傾いた国がそう簡単に立ち直るとはまさか思っていないでしょう? アントガー侯爵領の資産があれば、楽になる」


 侯爵の言葉はまさに正論で、わたくしは何も答えられなくなる。

 一際強い風が吹いて、陣幕がばたばたとはためいた。

 アントガー侯爵は風がおさまるのを待って、わたくしの傍へ歩み寄ってくる。


「ルーウォーク殿を、愛しているのですか?」

「――!?」


 とっさに否定しようとして、その前に顎を強く掴まれた。

 覗き込んでくる空色の瞳は、ちらりとも笑っていない。


「アントガー侯爵、何を……!」

「あなたは確かに美しい。だが、私はね、美しいだけの女ならあなた以外にも多く知っている。それでも私があなたを求めるのは、あなた自身に価値があるからじゃあない。それはお分かりですね?」

「あなたは王配の地位が欲しいのでしょう。それくらいはわたくしにだって分かります!」

「理解していてなお、私を退ける理由は何ですか? 小娘とは言え一国の王女、駆け引きも計算もしっかりとお出来になるはずだ」


 強く睨み付け、手首に両手をかけて引き離そうとしたけれど、顎にかけられた手は緩まない。男の力――ルーウォークにはついぞ感じたことのない恐怖が、背筋をかけのぼった。

 アントガー侯爵の整った顔が、近付いてくる。


「私だって鬼ではない。あなたがあの騎士を傍に置きたいと言うなら、それを許す甲斐性くらいはある。これほど甘い条件、私でなければ出てきませんよ」


 何を仄めかされているのか分かって、とっさに感じたのは怒りと恥辱だった。

 だけど、一瞬の後、冷静な方のわたくしが、並べたてられた条件を計算し始める。

 人材、資産、大貴族の後押し――婚姻はその契約書だと思えばいい。

 それに、何より大事な条件――ルーウォークのこと。


 ルーウォークと一緒にいられる……?

 いいえ、わたくしがそれに頷いたとして、ルーウォークはどう思うだろう。屈辱的だと――破廉恥だとは感じないかしら。ちょうど今、わたくしがそう感じているように。

 だけど、だけど――

 ルーウォークはわたくしから離れないと誓ったのだもの。わたくしが誰の妻を名乗ろうが、ずっと傍に仕えてくれるはず。

 そう――お母さまに、そうしたように。


「――わたくしは」


 唇が近付く。

 わたくしの囁きを吸い取るように、三日月型に歪められた唇が。


「わたくしは」

「黙って……」

「わたくしは――イヤです!」


 目の前にあった頬を、渾身の力で張った。

 ぱーん、と良い音が響き、一瞬よろけたアントガー侯爵が目を見開いてわたくしを見る。


「……ど、どういう」


 彼の言葉はそこで途切れた――永遠に。

 唇からたらりと赤い血が垂れ落ち、理解不能の顔が自らの胸元を見下ろす。

 心臓を一突きに貫いて、胸板から刃が生えていた。


 後退ったわたくしの肩を、誰かがぐっと掴む。

 振り仰げば、そこにいたのは――


「――お父さま……?」


 ――何故ここに。

 アントガー侯爵の身体が、どさりと地に落ちる。

 突き刺さった剣を引き抜いて、正面に立つアウレヒトがつまらなそうにこちらを見た。


「お父さま、だなんて。反逆者の癖に、まだ娘のつもりなの、義姉さん?」

「全くだ、アウレヒト。妃によく似た可愛げのない娘だが、せめて命だけは助けてやろうと、遠くへ送ったのに――このようなことになれば、それも帳消しだ」


 お父さまが、背後からわたくしの喉を、二の腕で締めあげてくる。

 ぐう、と喉が鳴って、声を上げることが出来ない――いや、声が出ようとも無駄だ。

 周りにいたアントガー侯爵の兵は皆、主より先に血の海に倒れ伏している。

 お父さまとアウレヒトが伏兵を率いてきたのだろう。周囲が手薄になったのを見計らって、司令部の陣幕を襲ってきたに違いない。


「ここまで来るのに、あれだけ時間をかければな。座して死を待つ必要もない、我らはとっくの昔に王宮を脱した。壁の向こうに大多数の兵は残したが、最後の一兵まで戦えと言いつけてある。攻め込んで来た反逆者が我らの不在に気付くには、まだしばらくは時間のかかることだろう」

「そもそも義姉さんさえいなければ、僕らと争おうなんて思う者はいなかったはずなのにね」

「……わたくしの、せい」


 わたくしは正義ではない。

 そう言い聞かせてきたはずだったのに、この戦いが自分だけの、自分のせいと聞けば立ち続ける力さえ抜けるようだった。

 わたくしの顔から思いを読み取ったのか、アウレヒトが寂しげにため息をつく。


「小さい頃はよく遊んだよね、義姉さんのこと、覚えていたよ。苦しませるつもりはない。すぐにアントガーの後を追わせてあげる」


 血濡れた剣を握って、アウレヒトが近付いてくる。

 息が苦しくて、うまく力が入らない。足がもつれる。

 ああ、息が――風はどこを吹いているの?


 わたくし、ここで死ぬのかしら。

 何もかも途中で――まだ、言っていないことがあるのに――ルーウォーク!


 わたくしの声が聞こえたかのように、戦場のざわめきが一際大きくなった。

 がんがんと鳴る心臓に重なるように、雄たけびが響く。


「――リリフィア殿下ぁ!」


 低い声が戦場に轟いた。

 わたくしの名を呼ぶ、聞き慣れた――誰より愛しいひとの声。

 涙で滲むわたくしの目に、城壁を越え、戻ってくるルーウォークの姿が映る。


「転進して戻ってきただと!? まさか――」


 お父さまの腕がわずかに緩み、悔しげな呻きが聞こえた。

 憎しみしか感じないその声に、わたくしの頬を涙がつたう。


「――さま、お母さま……お許しください……」


 呟きを聞き付け、お父さまが鼻で笑った。


「我が娘ながら殊勝なことだ。せいぜい天国に行けるようにしっかり祈っておけ。向こうについたら、先に行った奴らによろしく伝えてくれ」


 アウレヒトが間合いに入る直前、わたくしは緩んだ背中に負っていた剣を、後ろを見ぬまま引き抜いた。

 後ろ手に振った刃が、父の脇腹を傷付ける。


「――ぐっ……!?」

「父さん!?」

「お許しください、お母さま! わたくしは、罪もなき慎ましやかな娘には、なれませんでした――!」


 緩んだ腕をすり抜け、父の背後に跳ぶ。

 広い背中に向け、振り上げた剣を阻むものはなかった。

 一刀のもとに、父の首が飛ぶ。


「――クソっ!」


 残された身体が倒れきるより先に、アウレヒトは踵を返して逃げ出そうとした。

 呼吸を取り戻して咳き込むわたくしのもとへ、誰よりも早くわたくしの騎士が駆け戻ってくる。ルーウォークだ。

 その肩の向こう、抜き身を掲げてアウレヒトを追っていくサーヴァの姿が見えた。


「――殿下、リリフィア殿下! 大丈夫ですか!?」

「っ……だ、いじょうぶ、です、わたくしは。それより、アントガー侯爵が……」

「間に合いませんでした……。もう息がありません」

「では、せめてここでアウレヒトを――!」


 アウレヒトをこのまま逃がせば、戦は長引く。

 この戦いには、ここで決着をつけなければ。


「弓を――ルーウォーク、弓をください」


 ルーウォークは一瞬、目を見開き、それから抱えていた自分の弓を差し出した。

 わたくしは立ち上がり、矢をつがえる。

 サーヴァが勢子よろしく、アウレヒトを平地へ追い立てるために駆けて行った。


 無防備な獲物は、背中を見せている。

 わたくしは弓を向ける。


 呼吸が浅いせいか、指が震える。

 目が霞んで、的が曇る――ああ、わたくしたち、幼い頃はこうではなかったのに。

 父でも弟でもないと言いながら、なぜわたくしの目からは涙が溢れ続けるの。

 ぎりぎりと、弦が鳴る。風に触れ、弓が苦鳴を上げているように。


「――失礼」


 そっと、背中に温かい熱が寄り添った。

 大きな手が、握った弓をわたくしの手ごと上から握る。

 矢羽を掴む手に、手が添えられた。


「ルーウォーク……」

「リリフィアさまだけが負う罪ではありません。共に――」


 指先が、矢から離れた。

 ひゅんと風を切って飛んだ矢は、アウレヒトの背中をまっすぐに貫いた。

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