Chorus
DAWを開く。深呼吸をし、マウスを握る。
そのプロジェクトファイルは真っ白だった。作りかけのあの曲ではない。
そこに参考曲を貼り付ける。曲の始まりをグリッドに合わせ、メトロノームを聞きながらBPMを調整する。百四でぴったりになった。あとはサビをループさせながら鍵盤の低いところを弾き、コードを探る。この曲は歌ものなので勝手は変わるけど、コード進行は流用可能だ。
耳コピの結果、1−6−3−7進行だった。ジャンルを問わず広く使われている王道的なコード進行だ。キーは違うため、それを元々の曲のキーに変換させてルーズリーフに書き、プロジェクトを閉じた。
この作業を先にしていればよかったと後悔する。師匠の注文通り、Imから始まっていた。
六日ぶりに開いたプロジェクトファイルのピアノトラックを選択し、左手でコードを鳴らす。右手で主旋律を弾いてみると、違和感はなかった。二小節目もだいじょうぶ。でも三小節目は合わなかった。和音を鳴らしながらメロディーを調整する。一音上げたところから始めることで落ち着いた。
他の楽器もコードに合わせて動きを変更すると、概ねドロップ(EDMにおけるメインセクション)は完成した。
聞き返しながら先週のメモを眺める。
『サブベース ベース ぶつかっている ベースLow 思い切ってカット』
『メロディー アタック 強い びちょーせー 10kHz〜カット』
ベースについてはすぐに終わった。ベースの低音を思いきり削るということは初めてで戸惑ったけど、サーブベースがいるのであれば、確かに重たくある必要はなかったと気付かされた。
メロディーについては、マウスでアタックを一ミリ遅くしただけで音色が大きく変わった。アタックにいい成分がある、と師匠が言っていたのを思い出す。EQ(イコライザー。特定周波数の音を増減させるエフェクター)で調整しよう。
どの程度削ればベストなのか、さっぱり分からなかった。そのようなときは参考曲だ。メロディーの高いところだけに注目して参考曲と聴き比べ、奥行きを近づけていく。10Hz以上を4dB削ったくらいでちょうどいい音になった。
Aメロはコード進行を変えるとメロディーがまったく合わなくなったので、新たに作り直すことにした。
Bメロは1−6−7−7進行のコードパッドを打ち込む。参考にした曲のBメロはこの進行だった。これであればあまり大きな変化を与えず、偽終止(かすかな終止感のあるコード進行)的に次のセクションへ向かうことができる。
他は一旦空けておいて、全体の流れを決めよう。
尺は百〜百四十秒。この枠に当てはまる最善の展開を見つける。
サビが終わった後はこのままAメロに行き、ビルドアップに入るのが自然そうだ。そしてドロップをもう一度。
仮で低音を抜いたドロップをビルドアップ代わりに入れ、その後にドロップをコピーする。二度目のAメロからの流れを想像しながらプレイバック。仮置きのリージョンを再生ヘッドが超えると、物足りなさがあった。もう八小節――もう一回サビを繰り返したい。
コピー&ペーストしようとしたところで、時間を見た。既に二分二十秒を超えている。この後もう一度繰り返すなんて、もってのほか。
――途中で、意地悪な尺だと感じるかもしれませんが。
――やってみれば、おのずと分かると思います。
「こういうことか……」
師匠はどのような意図でこの尺にしたのか。きっと、ただの意地悪ではないはずだ。
全体を見渡してみる。
イントロ四小節、Aメロ八小節、Bメロ八小節、ビルドアップ八小節、ドロップ八小節。
この時点で一分と二十三秒。二分二十秒に収めるには、せいぜいあと二十小節と余韻。もしくは二十小節プラス四小節でプッツリ切るか。
やり易いのは八の倍数――後者。
「でも」
『やり易い』ということと、テーマは関係がない。
曲のテーマに合うのは、どっちだ。――前者。最後は余韻をフェードアウトさせて終わりたい。
サビを二回繰り返すのは絶対。最後に一回だけではダンスミュージックは締まらない。となると、削るのはビルドアップ。一サビ後のAメロ八小節を四と四にわけて、後半を落とせば行けるかもしれない。
それでも足らない。四小節くらい足らない。
きっと師匠はここまで予測している。予測して誤差を二十秒としたのだ。となれば、必ず正解はある。師匠の意図は、なんだ。
Bメロを短く。
それは以前師匠に言われたことだった。最近は長いBメロが減ってきている。サビへ運ぶための流れをじっくり調節するのは、今の時代には合わないのかもしれない、と。できれば四小節を目指しましょう、と。
でも。
EDMでBメロが四小節の曲を、知っているか?
知らない。
EDMの基本はループだ。同じコード進行を用いて滑らかに曲を進めていく。そこに四小節という早い単位のセクションは合わない。踊れない。
そうして消去法で考えていくと、自ずと答えが見えてくる。
「イントロ……」
――イントロというセクションには、多大なる浪漫があります。
いつの日か、師匠はそう言った。
――しかし、作り手の自己満足になってしまうこともあるのが現実。その長短に限らず、必然性がないのなら思い切って失くしてしまった方がスッキリするということは、案外多いのです。
四小節のイントロで始まる印象的なEDMといえば、Aviciiの『Wake Me Up』。アコギによるありふれたコードバッキングとフィルターによる動的加工だけのシンプルな四小節。たったそれだけなのに――たったそれだけだからこそ、恐ろしいほどに導入を印象的に聴かせている。『ネオ・フォーク meets EDM』と称されたそれは、クラブミュージックのみならず近年のポップスにも多大な影響を与えている。
あのシンプルな四小節は、フォークソングとEDMの融合を簡潔に表現している。その秘められた必然性がドロップで弾ける瞬間は、何度聴いても震える。
それに対して私の曲は。
このイントロに意味はあるのか。
テーマに寄り添っているか。
『Wake Me Up』みたいにしたい、というエゴはないか。
いつも私はゆっくり始めたがる。曲だって、物事だってそうだ。この曲を初めて師匠に聞いてもらったときだって、私ときたら師匠との出会いのことを一から十まで思い出そうとした。師匠が今の私、これからの私としっかり向き合ってくれてるのに、私は過去にしがみつこうとしていた。Bメロに入ったときに言い訳がしたくて無理やり回想を終わらせたけど、本当は最後まで続けたかった。
『My Favorite Things』の後のMC。続けて三曲。三曲目は知らなかったけど、実は師匠の自作曲だったこと。次はピアノの音をシンセサイザーに変え、BGM付きでハウスミュージックを演奏したこと。三鷹直人氏がDTMを行なっていると知り、ライブ後に「弟子にしてください!」とゴリ押ししたこと。
ここまで、私は序奏で語りたかった。
それは叶わなかったけど、結果的に正解だったと思う。ゼロでも良かったくらいだ。
「って、また過去振り返ってるし」
投げやりに天井を見上げ、長い呼吸をする。
「よしっ」
イントロをミュートし、Aメロから開始する。いきなり始まると、付点八分音符で刻んでいる後ろのシンセがメロディーを邪魔しているように聞こえた。同時に鳴り始めているからだ。
アイデアはすぐに閃いた。
ローパスフィルター(低域を通し、高域を削るエフェクター)を差し、ほとんどすべてを鳴らさないようにする。そして、それを徐々に開いていき、フェードインさせて盛り上げる。再生させながらノブを回し、その動きを記録させる。Bメロに入る直前で開ききり、再生をストップ。プレイバックして確認。
「うまく行った」
違和感はなかった。むしろEDMっぽさが増したんじゃないか。
「師匠は、やっぱりすごい」
好きだ――。
勝手に耳が熱くなる。顔をパンパン叩き、二コーラス目以降のアレンジを練っていく。驚くほどに順調に進んだ。
おなかが空いていたことを思い出したのは、後半の展開をすべて落ち込み終えたとき。残すは微調整、ミックス、Bメロ。
いまだBメロは何も決まっていなかった。
「どうしよう……」
師匠、ここどうすべきですか!
聞きたくて仕方なかった。
でも、この曲は、この曲だけは、自分で完成させたかった。明日、師匠に会いに行くまでに。
手持ち無沙汰にCコードを鳴らす。スケッチ用のピアノの音で、ドミソ。その音が、師匠がコンサートで弾いていた曲と重なる。ソ――レド――。
『Moon River』。映画『ティファニーで朝食を』で主演女優のオードリー・ヘップバーンが歌う劇中歌。アカデミー歌曲賞やグラミー賞を受賞した大ヒット曲だ。
師匠のアレンジが耳の奥に流れた。原曲では作詞家が少年時代の思い出を歌詞に盛り込んだというが、師匠のアレンジからは別の景色が見えたように思えた。
広大な河だ。一マイルを超える川幅。
誰かが横断している。誰かを追って。
その誰かは寂しそうに、しかし力強く言い聞かせるようにつぶやく。
貴方は私に夢をくれるけれど、私の心を打ち砕くこともある。
貴方の向かう場所へ。貴方の道を。どこまでも。
虹の末端にある幸福を。貴方と一緒に。
「……弾こう」
不器用でいい。むしろこの曲には不器用なほうが似合うかもしれない。
オードリーだって歌手じゃないながらも歌い上げ、世界中の観衆を魅了したのだ。映画会社の社長に「カットしたほうがいい」と言われたほど、完璧とは程遠いものだった。不完全だったからこその表現が、感動が、あの歌唱にはあったのだ。
ループ再生させて鍵盤を叩く。何度も、何度でも。納得できるまで、ずっと。
終わった頃には、空に半月が浮かんでいた。




