3.血塗られた道
王都へ向かわせた宣戦布告の使者は、戻って来なかった。
怒り狂ったアウレヒトが、謁見の間から出すことすらなく、斬り捨てたと伝え聞く。
アントガー侯爵麾下の兵だが、可哀想なことをしてしまった。
侯爵は「誰かがやらねばならない役目です」などと言うけれど、ならばこそ、わたくしは彼を殺したことをけして忘れない。
あの使者の命の重さの分も、わたくしは背負う。
戦いに勝ち、王族の愚策浪費でくたびれたこの国を立て直さなければ。
あれ以来、ルーウォークは何もなかったかのような態度を保っている。
あの日の話を蒸し返さない代わりに、わたくしからも言い出させない。
わたくしもまた、アントガー侯爵との話を進めていない。
向こうからは時折、せっつくような言葉が届いている。
ルーウォークはわたくしの話を聞かないのに、わたくしだけ彼の言うことを素直に聞くなんて、まっぴらごめんだわ。
いつかは、決断しなければならないのかもしれないけれど――
好き勝手自由にやれたら、どんなに良いだろう。
国の重さを背負うほどに、風は遠のいていく。
そんな間も、ヴィットレガルの傭兵たちは、陽気に出立の用意をしている。
初戦もまだだと言うのに、前祝いなどと称して飲み歩いているのだから呆れてしまう。彼らを話をしていると、心の重石が外れたような気がしてくる。
今日も、厩舎で偶然行き合ったサーヴァから、アルコールの匂いが漂ってきている。
「サーヴァ、あなたまた昼間から飲んでいるの? ずいぶんお酒臭いわよ」
「大目に見てくれ、姫さん。ここを離れりゃまた飲めなくなるんだ。今の内に蔵を空にしとくのが賢いってもんだろう」
「あなた、いつだってそう言って飲んでるわ」
「そりゃそうさ、だっておれたちいつ死ぬか分かんねぇからな。地獄に行くのも、戦場に行くのも、ここじゃねぇどっかに行くって意味じゃ変わんねぇよ」
「……戦場は、やはり地獄のようなものかしら」
馬房の柵に気だるげに身を預けていたサーヴァが、片眉を上げて見せた。
何か皮肉を言おうとしているようだ。
わたくしは先回りして答える。
「戦争を仕掛けようとする者が何を言うかって言いたのでしょ。でも、戦おうとするわたくしが正しいなんて、思ったことはないわ」
「へぇ。これは国を立て直すための、正義の戦いじゃないのかい? あのなんとかー侯爵ってのはそう言ってたぜ」
「もちろんそれはあるけれど……いえ、アントガー侯爵にとってはそうなのかも知れないわ」
「あんたは違うって?」
「だって剣術も馬術も、そのために覚えた訳じゃないし。本をただせば私怨みたいなもの。選ぶことさえできないのが、ただ――悔しくてやりきれなかったから」
わたくしは真面目に話しているのに、サーヴァはくっくっとしのび笑いを洩らしている。
足元の藁を蹴り上げてやったけれど、気にした風もない。
「――何だい、姫さん。今更後悔してんのか?」
「後悔なんてしないわ。だってこの国にとって必要なことだもの」
「じゃあ、止める気か?」
「そんなことしない。でも、自分が正義だなんてことは思ってない。あなたたちを巻き込むのが良いことだとも思えない」
「巻き込むも何も、これが傭兵の本分だぜ、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんはやめて。あなたを心配してるって言ってるのよ、サーヴァ」
まっすぐ睨み返してやる。
サーヴァは青灰色の瞳を細め、酒臭い息で頭を掻いた。
「さてどうするかね。……こんな美人にそう言われりゃ、普通なら、連れて逃げるもんだが」
からかい半分、本気の困惑が半分というところだ。
自分を案じる相手には冷たくできない――そういうサーヴァの性格をわたくしは良く知っている。ルーウォークだけではなく、凄腕のサーヴァからも色々と教えて貰ったものだ。
ふと、甘えついでに思いついたことを問うてみる。
「あの……あのね、サーヴァは、本当にわたくしのこときれいだと思う?」
「何だ、藪から棒に。いつだって誰もがあんたのこと、綺麗だ美しいと褒め称えてるだろ?」
「だって、みんな王女だからそう言ってるだけのようにも思えてきて。サーヴァなら、本当のこと教えてくれるでしょ」
「おいおい、本当のことも何も――」
そのまま、しばらく押し黙ってしまった。
これは、余計なことを聞いたのかも知れない。やっぱりいいわと謝るべきかしら。
意を決して口を開こうとしたとき、サーヴァがぐっとわたくしに近付いてきた。
間近で顔を覗き込みながら、酒焼けした声で囁く。
「あんたは生まれてなかっただろうがな、王妃さまが輿入れするとき、国一番の美姫を娶ったって噂になったもんだった。……今のあんたは、そんな王妃さまの似顔にそっくりだ。こう言やあ、ちっとは分かるだろうがな」
その表情がひとつも遊びのない真剣な顔だったので、わたくしは距離を取ることも忘れてじっと見上げてしまった。
だけどそのうち、まじまじと覗き込まれているのが、恥ずかしくなってきた。両手で頬を隠し、首を振る。
「でも――あの、あの、もう一つお尋ねしてもいいかしら?」
「まだこっぱずかしいことを聞くつもりか? お目付け役はどこに――えぇい、そんな顔すんな。聞きたきゃ何でも聞け!」
自棄っぱちでわめくサーヴァの頬が赤い。
お酒が残っている――訳じゃないくらいはわたくしでも分かる。
だけど、サーヴァ以外に答えてくれそうな人もいないし。
わたくしは今度こそ顔を覆った。
指の隙間から、こそりと囁く。
「あの……あのね、もしもよ? もしも、色仕掛けが失敗したってことは、やっぱりわたくし、魅力が足りないのではないかしら……」
「色仕掛け? いや、そりゃああんた、誰に対して――」
それっきり、サーヴァの声は聞こえない。
しばらく待っていたけれど、答えが返ってこないことに焦れて、わたくしはそっと両手を外す。
「サーヴァ、あの――?」
その途端、冷ややかな夜空の瞳が目に入り、わたくしもまた言葉を失った。
サーヴァの頭の上に手を置いて、わたくしを睨み付けているのは、ルーウォークだった。
「――姫、サーヴァなんぞに向かって、何の話をしているのですか」
「えっ……いえ、あの……」
「うぉおい、ルーウォークの旦那よぉ。さっきから探してたんだぜぇ。今更出てきておれの頭を割ろうってな――いてててて!」
「貴様には尋ねていない」
「……何だ、余裕ねぇ顔してんなぁ。話の流れで行くと、姫さんの色仕掛けの相手ってなぁ、もしかしてあんた――」
つん、とサーヴァが、肘でルーウォークをつつく。
途端に渋面になったルーウォークが、頭に置いた手にますます力を込めたらしい。鶏を絞め殺すような、サーヴァの悲鳴が響く。
「クソいってぇんだよ! 何すんだ、旦那!?」
「お前は口を開くなと言っているんだ。――姫さま、こんな奴にそんな話をする必要はありません。サーヴァが何を言わずとも、姫さまの魅力は十分に――」
「おっ、いくか? いくのか?」
「黙れって言ってるだろう! ――魅力は十分、アントガー侯爵に伝わってますよ」
「……おい、何へたれたこと言ってんだよ、旦那ぁ」
「うるさい!」
「あの、ルーウォーク。それ以上締めると、サーヴァの頭が破裂するのじゃないかしら……」
ルーウォークの握力は、林檎を片手で握り潰せるのだ。それを知っているわたくしとしては気が気ではない。
一方、頭を締め付ける力が強くなっていても、サーヴァは絶対に口を閉ざさない。
こういうところが、ルーウォークとあまりうまくいかない――いえ、逆にうまくいっているのかしら?
「あんたがそうやって放っとくならなぁ、姫さんはおれが貰っちまうぞ!? こんな美人、据え膳食わねぇ理由がねぇかんな!」
「お前みたいな傭兵に姫さまを渡せるか! 大体、姫さまはアントガー侯爵と――」
「傭兵だろうが何だろうが、戦場じゃ一緒だ。敵の総大将を討ち取るぐらいの武勲を上げりゃ……そんときは、なぁ、姫さん?」
サーヴァはにやりと笑ってわたくしを見――すぐに、顔をしかめて両手を頭に上げた。
「痛い痛いいてぇって! 悪かったよ、おい!」
「うるさい。くだらんことを言っていないで、お前はそろそろ鍛錬でもしろ!」
ルーウォークはぞんざいにわたくしに礼をとり、そのままサーヴァの頭を掴んで引き摺っていってしまった。
サーヴァの悲鳴だけが、長く尾を引いて辺りに響いたのだった。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
戦端は、王都とヴィットレガルを結ぶ街道沿いの丘で開かれた。
先に陣を敷き、丘の下を睥睨するわたくしたちに対し、国王軍は王都側から坂を上ってくる布陣。
国王軍と名はついていても、そこにはお父さまもアウレヒトもいない。
廃嫡の王女とは言え王族を前にして、国王軍は完全に腰が引けていた。
「国が窮地にあると言うのに、まだあの愚王に与するのですか!? 剣を捨てなさい、戦意のない者はわたくしの下でやり直すことを許します!」
恐れをよそに、わたくしは鎧姿で戦旗を掲げ、騎乗して立つ。
兵はまだ丘の下、弓の射程も上にいるわたくしたちの方が長い。
戦場に響くわたくしの声に、国王軍の兵士たちは少しばかり戦意を失う。お父さまの下で、国が困窮していることを、彼らだってよく知っているからだ。
「――サーヴァ、行け! 降伏した者は見逃せ」
「はいよ、旦那ぁ。――おい行くぞ、お前ら!」
ルーウォークの指示のもと、サーヴァの連れた傭兵たちが剣を抜いて駆け下りていく。向こうの弓の射程に入ってからも、勢いを殺すことなく一気に敵陣営に突っ込んだ。
「一番手柄はおれのもんだぁ! 待ってろよ、姫さん!」
サーヴァの雄たけびに、兵がそれぞれに呼応する。
血しぶきが上がる戦場を、わたくしは黙って見詰めていた。
横に立つルーウォークの表情は変わらない。
「姫、この様子ならすぐに、この戦場の雌雄は決するでしょう。そろそろ後ろへ」
「いいえ、サーヴァが戻るまで、わたくしはここにいます。それより――あら、アントガー侯爵はどちらへ?」
ルーウォークは微かに眉を寄せたけれど、わたくしの視線に気付くと、ぱっと無表情に戻った。
「後詰めを守護くださるそうですよ。王都までまだ長いですから、消耗する部隊は少ない方がよろしいでしょうから」
「ふふ、後詰めね」
前に立つ勇気がないのだ、とすぐに分かった。
あの方は平和しか知らぬ貴族なのだ。ルーウォークとは違う。
ルーウォークには珍しい、試行錯誤の結果の表現に、思わず笑みが洩れた。
「いつものルーウォークなら、『あの腰抜けが』くらい言うと思ったわ」
「……姫の夫を侮辱するようなことは言えません」
「あら、わたくし、アントガー侯爵とは何の約束もしてなくてよ。ルーウォークだって知っているでしょう」
ルーウォークは返事をせず、横を向く。
普段はいつも通りの態度だが、この件に関して、わたくしと話をするつもりはないらしい。
わたくしはため息をついて、戦場に視線を戻した。
立ち上る血と臓物の匂いが、風に乗ってここまで届いてくる。
やはり鹿とは違う、ひどく凄惨な――ぐっと込み上がってくるものを、苦労して飲み下す。
わたくしが選んだのだ、この血塗られた道を。
力による選択など、こんなものだと、ルーウォークの背中が語っているような気がした。
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国王軍の間ですら、現国王への忠誠は既に薄れかけていたらしい。
王都までの道のりで、わたくしたちは反乱軍と称されながらも連戦連勝を重ねた。
破竹の勢いを止める者はなく――最後の砦は、王都を囲む城壁だった。
壁の外、運んできた大型の弩と投石機を前に出し、わたくしたちは陣幕の中で最後の打ち合わせにのぞむ。
アントガー侯爵、ルーウォーク、それに傭兵たちの指揮官としてサーヴァ。
「降伏勧告に従ったのは兵卒ばかりです。とは言え、道々で打破した将の数を計算すれば、もう向こうには、碌な将はいないでしょうが」
ルーウォークの言に、アントガー侯爵がほっとした表情でこたえる。
「正午からは攻勢をかけましょう。ここまで姿が見えなかったが、今回はさすがに出てくるでしょう。国王陛下か、もしくはアウレヒト殿下が」
「つまり、そいつらを倒せば終わりってワケだ。祝いの酒を用意しとけよ、姫さん」
「気安いぞ、サーヴァ」
サーヴァの軽口に、ルーウォークが顔をしかめた。
アントガー侯爵は気にせぬ様子で、わたくしに目を向ける。
「さて、リリフィア殿下。私の度重なる献身をご覧いただいて、そろそろこの戦が終わった後のことをご検討いただきたいのですが。あなたの隣に立つ栄誉を、どうか――」
「――そのようなお話は、勝ってからです。少しの気の緩みが命取りになるのが、戦場ですから」
物欲しげに向けられた目を無視して、わたくしは他の二人の顔をゆっくりと見回す。
「死ねば、どんな褒章も無駄になります。そして、負ければ、何も求めることはできません。これが最後の戦い――どうか、勝利を」
「――王女殿下に勝利を」
ルーウォークが跪き、アントガー侯爵がしばしの後それにならった。
サーヴァは照れ臭そうに頭を掻いている。
三人を見渡してから、わたくしは静かに軍旗を握った。