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第3話「お慕い申し上げておりますわ」①

 木曜日。ヨンロクと出会ってからもう6日目となる昼下がり。

 週一の休日、冬にも関わらず暖かい気候に目を細めながら、響はあくびをひとつ漏らす。



 響の住む“ほうれん荘”に洗濯機はない。

 しかし、徒歩5分ほど歩いた近場にコインランドリーがあるのでそう困ることでもない。

 それに、響は数日分いくらか洗濯物が溜まってからコインランドリーに向かうため、通うのも週2回程度だ。

 洗濯をするにあたって、面倒だと思ったことはそうなかった。


 だが、ハンドタオルやバスタオル等、日常的によく使うものに限ってはそうはいかない。

 男一人暮らし。溜められるほどの量も持ち合わせていないのは当たり前だ。

 なので、普段はそういったものはキッチンのシンクで、手洗いで済ませていた。


 必要な手間なのは分かっている。

 しかしそれでも、僅かな量だとしても、多少なりとも面倒くさがってしまうのは事実だ。


 そして、そんな洗濯事情の青山宅で、ここ数日前から手洗いせざるを得ないものが増えたのもまた事実だった。

 


 幅1メートルにも満たない狭いベランダで、シンクで手洗いしたタオルを洗濯バサミに挟んで干していく。

 3枚のハンドタオル。それに隠れるように干す小さな衣装。

 女児玩具の人形の、着せ替え用の派手なドレスや服を干してため息を吐いた。


 どうしてこんなことを。そう思わずにはいられない。


「……響さぁーん、まだですかぁー?」


 昔懐かしい8bitの軽快なメロディ。

 いつか見た“FMゴリラ”から流れ出ていた喧しいものではなく、背後のテレビからうっすらと、室内に反響して耳に僅かに届いた。


 そしてそれに紛れて聴こえる声。

 人のことはそう言えないが、怠けきってたるんだその声に、響は小さく舌打ちをした。


「ほーらぁ、はぁーやぁーくぅー!」


 まるで駄々っ子のように。

 振り返って机の上を見てみると、レトロゲームのコントローラーを小さな手でバシバシと叩く魔法少女がそこにはいた。


 今やタンスの隅に佇む洋館。ヨンロクの居城。

 その付属品としてあった椅子に深々と腰掛けながら、ペットボトルの蓋で作ったヨンロク専用のコップに入った炭酸飲料を、グビグビと喉を鳴らして飲んでいる。


「……お前なぁ。」


 洗濯物を干し終えて、それを入れていた小さな洗濯カゴを片付けずに一旦その場に置く。

 そして、机に歩み寄って正面のテレビを見てみると、対戦用のレトロゲームの画面中心で、「PAUSE」と言う文字が点滅していた。


「早くして欲しいならせめて手伝えよ。居候の分際で俺よりも寛いでんじゃねぇよ。」

「なぁーに言ってるんですか。これも勉強ですよ、勉強。」

「はぁ、勉強?」

「そうです!ゲームなるものが存在しているのは存じていましたが、あくまでも知識として知っているだけ。しかも、それは千差万別あるとか。ならば、それが本来どのようなものか異世界人として体験してみたいと思うのは普通のことでは?知識を体験して更に深く知る。つまりこれもフィドゥキアのためなのですよ。お分かりですか?」


 得意気に、反論できるものならしてみろと鼻を鳴らすヨンロクを見て、響は心の中で「遊びたいだけだろ」と呟いた。


「今日までのサナギのように過ごした数日はなんだったのでしょう。こんなものがあるのならもっと早く教えてくれればよかったのでは?実際、プレイしてみてこんなに高揚するものだとは思いませんでした。“楽しい”と言っても差し支えないでしょう。ふむ、地球もやるなとこの私を唸らせるほどです。しかし、ええ、本当によかった。このうまやにある娯楽はトランプだけなのかと焦りましたよ。」

「はっはっは、放り出してやろうか。」


 しかし、ヨンロクの言う通り、トランプを除けば青山家にある娯楽は、それが最後の砦だった。


 20年以上前のテレビゲーム。響が唯一ここに越してくる際に手放せなかったもの。

 数年間押入れのダンボール箱にしまわれっぱなしで、いつの日からか響すら忘れ去ろうとしていたこれは、数日のヨンロクの大暴れによってその封印が解かれることとなった。


「いいから早くやりましょうよ!いつまで待たせるつもりですか!」


 ヨンロクは手元のコントローラーを抱えながら、床に転がるもうひとつのコントローラーを指さす。


 プレイしているのは対戦型格闘ゲーム“ファイナルファイターⅡ”。

 ギャーギャーと、暇だ何だと騒ぎ立てるヨンロクに耐えかねて、あったような気がするとおぼろげな記憶を頼りに仕方なしと引っ張り出したのだが、これが中々どうして侮れない。

 プレイしている内に白熱して、朝済ますはずであった洗濯も昼にすることとなってしまった。


 持っていないにしろ、テレビCMで流れる美麗なグラフィックの最新ゲームにはない、古き良きデザインやシステムがそこには確かにあるような気がした。


「うるせぇな。お前のも洗濯してたんだからちょっとは待てよな。このカゴ片してからな。」


 面倒くさそうに響は返事をするが、響も内心続きを早くプレイしたいと思っていた。


 随分昔のゲームとはいえ、これは自分が子供時分にやみつきになってプレイしていた懐かしのゲーム。

 やってみたいと言うヨンロクを、ここぞとばかりにボコボコにしてやろうと企んでいたのだが、結果はそうならなかった。

 時を経て操作方法を忘れ、初心者と相違ない身となった響の腕は、ゲームそのものを初めてプレイするヨンロクと互角だったのだ。


 プライドなど別にありはしないが、どこか納得できてないのだ。


「じゃあついでにコーラ取ってくださいコーラ!待ちくたびれてもうなくなりそうなんですよ!」


 キッチンの隅の定位置に洗濯カゴを持っていく響の背中にヨンロクが言う。


 傍若無人。それを体で表しているような存在に、もはやため息すら出ない。

 「災害が近い内に起きる」、などと言っていたが、それはヨンロク自身のことを言っているのではないかと思う。


 返事をせずにヨンロクを一瞥して、冷蔵庫の扉を開ける。

 元々、自炊をあまりしなかった響の冷蔵庫の中身は、びっしりと敷き詰めるように食材やら飲料水等が入っていたわけではない。

 コンビニで買ってきた弁当や、少量の酒や飲料が入っていた程度だ。


 そこにたまたま入っていた一本のコーラ。それを見つけたヨンロクにせがまれて飲ませてから、喉を通るシュワシュワがたまらないとかで大ハマり。

 いつしかひとつの棚がコーラでびっしりと埋め尽くされるようになっていた。


「はいはい、コーラね……。」


 まぁいい。今度こそ一方的にボコボコにして泣かせてやるのだからと、無理矢理溜飲を下げて一本のコーラのペットボトルに手を伸ばした時、インターホンが鳴った。


「うひゃあ!何の音ですか、敵襲ですか!?」

「敵ってなんだよ。普通に来客だろ。お前色んなこと知ってそうで知らねぇよな。」


 冷蔵庫に突っ込んだ手を一旦引っ込めて戸を閉めると、立ち上がって玄関前に向かう。


「宗教勧誘はお断りですよー………。」


 そもそも響に対しての来客など、悲しいかな限られている。

 経験からそんな言葉を呟きながらドアノブを握りしめた瞬間、はたと気がついて勢いよく後ろを振り向いた。


「ヨンロク!お前、静かにしてろよ!てか洋館の中に引っ込んで————…あれ、ヨンロク?」


 小声ながらに精一杯声を張り上げて、ヨンロクに注意を促そうとしたが、今までいたはずの机上にヨンロクの姿はない。

 椅子も、コップもそのままだったが、その持ち主だけは視界のどこにも見当たらなかった。


「なるほど、来客を知らせる訪問音ですか。しかし、気を付けてください響さん……!もしかしたらフィドゥキアの支援者を抹殺する刺客かもしれません……!」

「うひゃあ!おま、おまえ、いつの間に……!」


 突然、耳もとで声がして先ほどのヨンロク同様素っ頓狂な声を上げてしまった。

 気付けば響のフード付きのパーカーのフード内に隠れるようにヨンロクが潜んでいた。


「驚かせんなよ……心臓バクバクなんだけど。てか、刺客ってなんだ、聞いてないぞ……!?」

「当然でしょう、ひとつの世界を微力ながらにも救おうとあなたはしているのです。ならば、どこかでその情報を手にした敵が、阻止しようと動いても不思議ではありません。……潰すなら潰しやすいところからというのは定石でしょうから。そのような事態になっているとフィドゥキアから連絡はありませんが、この予想が真実なら響さんが狙われると言うのも肯けます。」

「えぇ……何だよそれ。マジか………ってあれ、お前俺を馬鹿にしてない?」

「大丈夫です!何もこちらも丸腰というわけではなく。何を隠そう私がいます!どんな相手が来ようとこのゴリラ46号が返り討ちにしてやりますよ!」


 そうして、小声で相談すること約30秒。

 握ったドアノブにうっすらと手汗が出てきたところで再びインターホンが鳴る。


 軽い気持ちで訪問者を迎えようとしていたところから一転、糸の張り詰めたようなピンとした緊張感にヨンロクと2人自然と無言になる。

 そしてそろりと、音を立てないように響は覗き窓から外を見てみるが、そこには誰もいないようだった。


「誰もいないようだが……?」


 しかし、ペットボトルサイズの妖精のような存在がこの世に少なくとも1960体いることを知っている。

 だとしたら、それが訪問者なのだとしたら、覗き窓から確認できないのも頷ける。


 示しもなく、ヨンロクと瞳を合わせて一度頷く。

 そして、ゴクリと喉を鳴らして息を飲み込むと、冷たいドアノブを慎重に開いた。


「よぉ、兄ちゃん。遊ぼーぜ。」

「は、春太……?」


 結果から言うと、拍子抜けもいいところだった。

 実際の訪問者は一ノ瀬春太いちのせはるた。この“ほうれん荘”の青山宅の直下、102号室に住む一ノ瀬さんの一人息子だった。


「どうしたんだよ、学校は?」

「なんかね、お昼までだった。今日暇だから兄ちゃんのとこ、遊びにきた。」

「ああ、そう……。」


 冷や汗が一滴、首筋を抜けて胸へと伝っていく。


(そりゃそうだよな、もしヨンロクの言う通り刺客とかだってんなら、わざわざインターホン鳴らさんよな。)


 ほっと息を吐いて響の下半身ほどの身長の少年を見下ろすと、無垢な瞳がこちらを見返す。

 霧谷間小学校一年生。その右手には1世代前の戦隊ヒーローのレッドが、左手には携帯用ゲーム機が握られていた。

 どうやら本当に遊びにきただけのようだ。


「いや、遊びにきたはいいけどさ。なんで俺のとこなのよ。」

「ん?兄ちゃんお休み木曜日なんでしょ?」

「何で知ってんだよ。」

「お母さんから聞いた。友達今日遊べないって言うから、兄ちゃんと遊ぼうかなって。……ダメなの?」

「い、いやダメってことはないけどさ……。」


 そう、ダメということはない。

 ダメではないが、他人の子供を名前を知っている程度のおっさんの家に気軽に入れるのはどうかと思う。

 いや、おっさんというほど歳を重ねてはいないのだけれど。


「………?なんの音?兄ちゃん、なんかゲームやってたの?」

「え、ああ、まぁね。」

「いいなぁ、ねぇ兄ちゃん。僕もやっていい?」


 歯の生え変わりに、前歯の一本抜けた口のにっこりとした純粋な笑顔を見てたじろぐ。

 そうして一考の後、「分かった」と観念して、春太を室内へと招き入れることにした。


「おじゃましまーす!!」


 春太は入室許可を得ると、元気に挨拶をして部屋へ飛び込むように入っていく。

 それを玄関で見送った響は、念のため見られていないか警戒するように周囲を見渡すと、静かに玄関を閉めた。


 駆けて行った割には足元の、綺麗に整えられた靴を見て響は感心する。

 こういうところに日頃の教育の成果というものが出るのだろうと響は一人頷いた。


「で、誰なんですかあれは。」


 その存在を忘れつつあった頃に、フードからひょっこりとヨンロクが顔を出す。


「誰って……一階の一ノ瀬さんの家の子供だよ。名前は一ノ瀬春太。刺客でも何でもなく、人畜無害、見た通り純粋無垢な少年だよ。」

「はぁ、そんな子がどうしてここに?見たところ悪い子には見えませんが、そうなると響さんを慕う理由が分かりません。」

「お前なぁ……。俺の帰宅時間と春太のお母さんの帰宅時間がほとんど同じでな。たまーに話す機会があるんだよ。それに俺はおもちゃ屋さんだからな。子供にとっちゃ、俺の話は興味を引くものがあるんだろう。最初のきっかけは忘れちまったけど、出迎えする春太と話してるうちに、いつの間にか懐かれちまったみたいだ。」

「へぇ、そんなものですか。」


 ヨンロクと二人、既に部屋の中心に座って陣取った春太を玄関から見る。

 すると、「すげーすげー」と言葉を繰り返し、放置されたままのレトロゲームに目を輝かせているのが見えた。


「兄ちゃんこれ何!?」

「あーあー、待てって。すぐ行くから。」


 少年を見ると童心を思い出す。

 何も知らず、何にも囚われていなかった時期だったからが故に、全てが新しく、全てが輝いていた。


 忘れてしまった訳ではない。

 ただ、思い出し辛くなっただけだ。

 自分一人、生きるために必死だったから、思い出す暇がなかっただけなのだ。


「あれ、ピコピコ二個あるよ?」

「ピコピコ?」


 再び響も部屋に戻り、机の横に座ると春太が突然言った。


「うん、これ。」


 春太が指差したのはゲーム機から有線で繋がるコントローラー。

 なるほど、名称が分からないものを適当に名付ける時期が自分にもあったなと響は小さく笑った。


「あぁ、コントローラーね。」

「コントローラー?」

「そう、コントローラー。それがどうした?」

「二個ある。誰かいたの?」

「———えっ。」


 一瞬、心臓が跳ねた。

 いや、こんな年端も行かぬ子供が事実を知ってどうこうする訳がないのだが、それでもどうしてか知られる訳にはいかない、隠さなければならない気がして言葉に詰まった。


「兄ちゃん?」

「———あ、い、いや。ちょっと、な、練習してて。ほら、これ対戦ゲームだろ?両方自分で使ったら二倍練習できるじゃん。」


 我ながら苦しい言い訳だと思う。

 しかし、カケラも悪意を感じない表情で、ただ首を傾げていた少年は腑に落ちたのか、うんうんと頷いた。


「ふーん、そっか。」

「なんならちょっと一緒にやるか?今日は俺も特にやること何もないしな。」

「え、いいの!?やるや———あ、コーラあるじゃん!兄ちゃん、俺もコーラ飲みたい!」

「了解、取ってきてやるから。」


 机の上の空になったペットボトルのラベルを見て、唐突に春太はコーラを要求する。

 別に断る理由もなく、春太の頭をポンと叩いて立ち上がると、響は冷蔵庫に向かった。


 そして、扉を開いて今度こそコーラを取ろうと手を伸ばしたところで響の襟足が強く勢いよく引かれた。


「痛ッッッツ!!」


 声にならない悲鳴を上げる。


「ちょ、ちょっと!響さん何するつもりですか!」

「お前が何すんだ……!てか髪離せよ!抜けたかと思ったわ!」


 犯人を探すまでもなく、犯行を行なったのは未だフードに隠れているゴリラ46号。

 犯行後も掴んだ髪を離さず、もう一度手を伸ばすならば何度でも引くという気概が伺える。


「何って……春太にコーラ上げるんだろうよ。」

「それは私のコーラでは!?」

「俺が買ったコーラな。ここ超大事。客に飲み物振る舞って何が悪い。いいだろ、こんだけあんだから一本ぐらい。」

「なッ……どうかしています!響さんがそんな至極真っ当なことを言うなんて!」

「お前の中で俺は一体どういう人物像になってんだよ。」


 手を伸ばせばまた襟足を引かれる。

 一進一退の意味のない攻防の中、不思議に思った春太が声を掛けた。


「兄ちゃん?誰かと喋ってるの?」

「え!?いや、別にィ!?」


 ヨンロクと二人揃って肩を揺らし、驚いたそのタイミングで響はコーラを一本抜き出すと、冷蔵庫の扉を閉める。

 そうして服を着直すフリをして、油断したヨンロクをフードの底へと叩き落とすと、何事もなかったのように春太の元へと戻った。


「……許さない………許さない…。」


 怨念のような声がどこからか聞こえるような気がするが、きっと気のせいだろう。


「はい、これ。百万円な。」


 しょうもないジョークとともに春太にコーラを渡すと、元気よく「ありがとう」と返してくれる。

 そう、これこそが“面倒見甲斐がある”ということなのだろうと、響はしみじみと思った。

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