第2話「ヒトは空を飛びません」②
「そんなことはどうでもいい!それよりも、なんだこの惨状は!」
響は胸ぐらの人形を振り払って床を指さす。
「お前、俺が仕事行ってる間何してたんだ!」
「あーうるさいですね。何ってなんですか。朝も言ったでしょう、あなたを待つ間くつろがせてもらうと。」
「ただくつろぐだけでこんななるわけないだろうが!今すぐ片付けろ!」
「えっ、私がですか?」
「え?———当たり前だろうが!」
「えぇー……。」
まるでとばっちりをくらったような。被害者面で心底面倒くさそうに肩を下ろす人形を見て響の眉間にしわが寄る。
(こ、この、クソ人形……!)
そう、もう察するところだろうが、この人形こそが昨日響が当てた大当たり。美少女フィギュア、もとい“FMゴリラ”その人だ。
いつの間にか動き出していたコレに、驚きながらも運命的な何かを感じずにはいられず、醸し出す“異界”の雰囲気に胸を高鳴らせていたのは今朝のこと。
きっと何かが始まった。自分がそのスイッチを押した。
その瞬間は間違いなく。小さいながらも見下ろす彼女の瞳に響は支配されていた。
しかし、いくつかの事実を彼女の口から聞く内に本来の性格が現れ、取り繕った“威厳”は拭い去られる。
あまりにも簡単に。ボロを出してしまった彼女はさて置かれ、放置しても害はないだろうとみなされ、響はいつものように仕事に出かけたのだ。
「めんどくさーい……大体、この部屋には娯楽がなさすぎるんですよ。これだけ探してトランプだけとか。まだ30も来てないのに老人気取りですか。自分は仕事終えて休むのに私には今から働かせるのですねぇ。」
自業自得であるが、ぶつくさと文句を言いながらも人形は床に落ちた服やらトランプやらを浮いたまま拾い始める。
響は自慢ではないが頭が決して良くない。
決して良くはないがコレほど馬鹿でもないし、失礼でもないと思う。
今更ながらにこれをほったらかして家を開けたことを後悔した。
「……ほぉーぉ。そんな口を聞いていいのか。」
「どうしました、顔が気持ち悪いですよ。悪いものでも食べましたか。食べたんですか。私は何も食べていないというのに。」
「心底ムカつくが、まぁいい。これを見ろ。」
響は背負っていたリュックを降ろすと、中から膨らんだビニール袋を取り出す。
それ以上何も言わずに中身を右手で手掴みにして人形の目の前に差し出すと、明かに動揺して瞳が揺れた。
「そ、それは……!」
「どうだ、食いたいか。腹が減ったんだろう?何とか言ったらどうだ。」
人形の半開きになっている口からよだれが一滴、手に持った響の部屋着に落ちる。
それを見ただけで腹の虫が騒ぎ出す。
「くっ……汚いですよ、兵糧攻めとは……。」
「目を背けたな。んん?おやおや、小さい腹の虫が鳴いているようだぞ。卑しい娘め。欲しいならそれ相応の態度ってもんがあるだろう。」
「くっ、この……辱めを………!私にどうしろと、言うのですか……!」
胸を抱き、身をよじらせる人形に響は優しく微笑む。
「いいからさっさと机周りを片付けろって言ってんだよ。」
「ガッテンダ!」
そう言うと、うって変わって人形はキビキビと動き出す。
片付けるといってもただ一箇所にものを集めているだけのように見えるが、面倒になってそれ以上怒る気になれず比較的綺麗な場所に響は腰を下ろす。
人形の様子を見ながら机に乗った大荷物を自分の横に置くと、代わりに手に持ったままのコンビニで購入した“鮭おにぎり”を机に転がした。
⭐︎
「どうしてわからないでふかね。さすがのわたひも、ここまで理解力が低いとおもいまへんでひた。」
しばらくして、ある程度片付いた後。
なんだかんだと仕事終わりの響の腹も鳴り、ティシュ箱に腰掛ける人形の目前でコンビニ弁当を食べた。
その際に響から奪い取ったウインナーを人形は抱えるように片手で持つと、綿菓子を食べるかのように頬張る。
(こいつ、よく食えるな。)
完食済みの鮭おにぎりのゴミが入ったビニール袋を横目で見る。
あのおにぎりは、確かコレの腰ぐらいの大きさはあったはずだが………。
「しょうがないだろ。専門用語ばっか使いやがって。お前の存在を受け入れるだけでこっちは精一杯なんだ。」
「だがらゴリラと———ふぅ。全く、仕方ない人ですね。今朝教えたばかりだというのに。いいでしょう、分からなかったと言うのならもう一度最初からお教えしましょう。」
人形は口に含んだものをゴクリと飲み込むと、空いた手で人差し指をくるくると回した。
「私は、私“達”は、分かりやすく言うのなら、異世界人です。」
「はぁ、そこはまぁ。そうなんだろうな。」
実際、こんなもの現実にいるはずがない。
常識とかそういう問題ではなく。世界広しといえど、誰もが“いないだろう”と潜在的に認知している存在。
想像もしない常識外だからこそきっと、いるはずがないと断言できるのだ。
「裏側の世界。見えないけれどそこにあるもうひとつ。仮想地球。それは五百年ほど前、とある研究家によって立証され研究が進み、昨今それが接触可能なものであると判明して……こちらの言葉で表現するならそう、“幻影地球”と名付けられました。」
「地球の、裏側。」
「そう、内側じゃなくて裏側。まぁ、こちら側からすれば我々の世界こそが幻影地球となるでしょうね。」
そこまで言うと人形は立ち上がり、腰掛けていたティッシュ箱から一枚ティッシュを引き抜く。
そしてそれをしわのないようにピンと張ると、表面をこちらに向けた。
「お互いに表。お互いに裏。本来なら干渉し合うことのない世界同士。我々の世界“ラ・フィドゥキアース”、略称フィドゥキアと地球は表裏一体。リバーシブルのようなものと言えば分かりやすいでしょうか。まぁ、とにかくそれ故に切って切り離せないものと認識していただければ結構です。」
ひらひらと、人形は説明しながら手に持ったティッシュを二枚重ねから一枚に分け、それをまた重ね直す。
「よく分からんけどさ。裏側…とかは想像できんけど。要するに、実は地球がもうひとつあって、お前はそこから来たってことだろ?」
「そうです、その通りです!あぁ、よかった。この程度なら理解できるのですね。これで無理なら家畜レベルまで言語力を下げなければならないところでした。」
「お前ずっと一言多いからな。」
家畜レベルとは。失礼ではあるが正直どのようなものか聞いてみたい気もする。
「コホン。とにかく、フィドゥキアと地球は表裏一体。同じようにそこには文明があり、生命があります。」
「へぇ。ならさ、朝は満足に聞けなかったけどさ。その、フィドキャ?に住む奴はみんなお前みたいに小さいのか?」
「フィドゥキアです!……もう、褒めたと思ったらすぐこれです。」
人形は少し怒ったように再びティッシュ箱に腰掛けると、持っていたティッシュを膝掛けのように使い足を覆う。
「全く、浅はかですね。想像力が足りません。いいですか、この姿は愛らしくキュートではありますが、私本来の姿ではありません。」
「え、そうなの?」
「そもそも、フィドゥキアには地球にいる生物のような形はなく。全てが“光”で構成されています。簡単言ってしまえば、私の本来の姿は形のない光の粒、そのひとつです。」
「…………ん、んん?」
急に難しい話になった。
異世界といえど、想像できる範囲には限界がある。
”受け入れる“と”理解する“は全く別物なのだ。
「表裏一体といってもその有り様は真逆と言えるでしょう。例えば、フィドゥキアは地球と違い球体ではなく、フラットパネルのような平面の世界です。なので一直線に端まで歩いていくと、終わりがあるのです。」
「へぇ。」
昔、似たような話を聞いた気がする。
地球も昔は球体だと認められてはおらず、その全貌には多くの説があり、その中には一枚の紙のような平面の世界の説もあったとか。
「それに、大きな違いとして一点。フィドゥキアには地球のように自然がなく、よって海がありません。そもそも上に在るものなどひとつもなく。地域のような区分はあるものの、その平面上は全て地続きとなっています。」
「上に何もない?じゃあ本当にそのティッシュみたいな、なんていうか、真っ新な外見なのか?」
「そうです。ラ・フィドゥキアースはサイズを無視して大雑把に言ってしまえばこの紙と遜色ありません。」
「———それは。」
確かに、人形の言う通り真逆だ。
世界が球体ではなく平面だったり。地球は青いと評されるほどに自然豊かだというのに、あちらにはなにもなかったり。
しかし、だというのなら何よりも疑問に思うことがひとつある。
「しかしさ、上になにもないっていうならお前は何なんだ?光だとか言ってるけど、生命そのものは在るんじゃないのか?」
言って人形を真っすぐに指さす。
すると、人形は不意を突かれたように目をパチクリとさせた。
「何を、言うかと思えば。っはー、浅いですよ響さん。あまりに私がプリティ過ぎて思考が回らないんでしょうか?私から溢れ出る神々しい輝きを見て、その世界でも太陽の如く地表に君臨して大地に光をもたらしていると考えているのかもしれませんが、それは違います。」
「あぁ、そう。ムカつくけど続けて。」
「端的に言って生命はいます。私がここにいるのだから当然ですね。しかし、先ほど言ったようにそれは物体ではなく、フィドゥキアの内側。一枚の紙の間、とでも言いましょうか。とにかく、その紙の中を私たちは姿のない光として生きています。電子回路を駆け巡る光のようなものと思っていただければイメージしやすいかもしれません。」
姿のない光。生命が本当に内側でそのように存在し、文明を築いているというのなら。
にわかには信じ難いが、この人形の言う通り表面上には何もないのだろう。
「つまり、今ここにいる私は“ガワ”の中に取り憑いた光。溶け込んでこの世界に順応するため、このような姿になりましたが、うん。存外悪くないです。」
言ってこちらに体を見せつけると、人形は顔の横でピースサインを作って決めポーズを取った。
「はい、かわいい。間違いないですね。存分に悶えるといいです。」
「ははは、確かに外見はかわいらしいよな。外見は。」
「当然です!この姿は、フィドゥキアからこちらに来るパイプを通るにあたって、数億のシュミレートの中から選ばれた、私の性格にそぐう完璧な外見なのですから。」
皮肉はどうやら通じないようだ。人形は口を尖らして鼻を高くしている。
しかしそれが、日朝に見る魔法少女の姿だというのなら、全国の女児に謝るべきだと響は思った。
「それで、なんだっけ?朝言ってたよな。見た目はそんなだけど、実は体のつくりは人間そのものなんだっけか。」
「ええ、そうです。世界間移動は可能となったのですが、地球はまだ未開であり、そもそもそれは機密なのです。残念ながら規約のようなものがありまして。郷に入っては郷に従えと言うんですかね?その中のひとつとして、こちらにいる間は地球の“ヒト”と同じように振舞え、というのがあります。」
人形はため息をひとつ吐くと、片手で頭をポリポリとかいた。
「寝て、食べて。人間がする当たり前を同じようにしろ、ということですね。試験的にこちらの生命の生態のデータをとりたいというのもあるようです。しかしそもそも、私たちは食事というものを必要としなかったというのに。全く、不便が多すぎます。今までいなかったはずの人間が急に現れては騒ぎになるため、“フィギュア”という姿をとったというだけでも不便だというのに。」
「そうだよ、そのおかげで俺の家計にも大打撃だ。五千円も払った上に食費もかかるとか聞いてないぞ。クーリングオフとかないのか。そっちの事情とか正直知らんし、うんこするフィギュアとか本当にいらないんだが。」
「邪悪!モラルハザード!セクハラ!人として最低の発言ですよ!」
さっと人形はティッシュ箱の後ろに隠れる。
確かに、失言だったと思う。しかし、コレをヒトとして扱うのも無理があると思う。
「で、結局。俺に何しろって言うんだ?見ての通り首の回らない貧乏生活なんだが。他をあたったほうがいいんじゃないか?」
片肘を机に置いて上から人形を見下ろすと、人形はジト目でこちらを見つめ返した。
「それは無理です。私を手にした時に私はあなたと一方的に契約を結びました。まぁ、実際は私からではなくフィドゥキアから、ですが。この契約は私からどうこうできるものではありません。」
「は?」
「言ったでしょう、私を使役する権利を得たと。これも規約のひとつなのです。お互いに引力のようなものが働いていて、契約者とは一定の距離を離れられない。不本意ながらあなたは私という異物を見張る監視者ともなったのです。あなたの仕事場がここから近くて安心しました。」
「え、どういうこと?」
「え、何を言っているのです?要領を得ませんね。どういうこともなにも、最初に言ったことが全てです。あなたは私を使役して悪と戦い、世界を救うのですよ。大それたことですが、これは嘘でもなんでもなく、戦地からあなたに託された願いなのです。」
「—————は、」
「フィドゥキアは今、未曾有の危機。四の五の言っている場合ではない。いいですか、これは決して他人事ではなく—————」
乾いた笑いが、出た。
世迷言を真実だと受け止める気にはなっても、当事者になるとは言っていない。
なおも続く人形の言葉の数々が耳に入ってこない。
自分はすぐに調子に乗ってしまう。
高揚したのは事実。自分だけが知る特別に多少なりとも酔ったのも事実。
しかし、世界を救うなんて。本当に?
だとしたら、そうだとしたら。それが自分だなんて、どうかしている。
「響さん?聞いていますか?」
「い、や。いやいやいや、無理だろ、そんなの。世界を、救う?そんなもん俺にできるわけ……。」
「なっ……無理でもやるんですよ!こうしている今もフィドゥキアは滅びようとしているんですよ!?」
「し、知らねぇよそんなこと!お前らの世界の問題だろ!お前らがどうにかしろよ!俺を巻き込むんじゃねぇよ!」
「何も理解していないようですね!表裏一体と言ったでしょう!…ああもう、いいですか、現在のフィドゥキアの状況はこうです!」
言って人形は響の眼前に浮上する。
「数日前まで私たちはそれはもう平和に、争いなど一度もなく過ごしていました。しかし、年度の変わった1月1日。突然外宇宙…幻影宇宙から謎の敵性体が襲来したのです。意思の疎通の叶わない菱型物質。何の意図も理解できない体当たりによる大爆発、特別攻撃によって不意を突かれた我々はひとつの都市を失ないました。」
「だから、それが、俺になんの———」
「いいから最後まで聞いて下さい!」
「———あ。あ、ああ。」
人形が言いながら距離を詰める毎に、尻を引きずって後退する。
先ほどまでとは別人のような真剣な表情と、その圧に響は口をつぐんだ。
「———怒りと嘆きと疑問が渦巻く中、皆で空を見上げました。すると、そこには見たことのない輝き方のする赤色の光が無数に浮かんでいたのです。そう、お察しの通りあれで終わりなどではない。……幻影宇宙を死角から潜航する探査船によると、その総数はおよそ百万だそうです。それだけの数が全てフィドゥキアに向かって来ているのですよ。」
悔しそうに人形は俯いて下唇を強く噛む。
「災害なんてものじゃない。これは明らかな侵略です。繰り返してはいけない、止めなければならない。あのようなこと、何度もあっていいはずがない。…ですが、フィドゥキアは星の誕生から今まで争いがなかった故に反撃する手段、攻撃機能がないのです。とはいえ幸い隕石等、外からの脅威への対策は講じていました。星そのものを覆う巨大なバリア…言わばシェルターのようなものはありますが、それもいつまでもつか。」
都市ひとつを飲み込む大爆発ともなれば、その衝撃は計り知れない。
いくら堅牢な城壁があろうとも、それが百万ともなれば耐えきれはしないのは明白だろう。
第一、人形によればそれはそもそも、攻撃を防ぐものですらないのだから。
「何度も言う通りフィドゥキアと地球は表裏一体です。ではそれはどういう意味か、分かりますか響さん?」
「い、いや……。」
「……あちらで起きたことは同様に起きるのですよ、この地球でも。隕石襲来、バイオハザード、パンデミック。それがどのような形で現れるかは分からないですが確実に。同規模の“破壊”が連動して地球でも起きます。写鏡のように、ね。今回の件もきっと、近い内に。」
一瞬、呼吸を忘れた。
想像しうる最悪をまぶたの裏で見て、血の気が引いた。
同じ。同様。等しく。
それが本当に起きるならば、一体何人の人間が死ぬことになるのか。