第1話「あなたが私より優れているところはひとつもない」②
響は、戦慄した。
聴覚を頼りに十字路をふたつ曲がった先。街灯がスポットライトをあてるように照らす飲料の自動販売機の横で、響は音源にたどり着いたのだ。
「いやいや、さすがにおかしいだろこれは。」
隣接する自動販売機と同程度の大きさの、ジュークボックスのような外観の何か。
その縁をぐるりと囲うようにあるふたつ重ねの蛍光灯の光が、チカチカと様々な色を放ちながらウェーブのように走る。
これでもかと所々に過剰に付いた針金を根にビヨンと伸びる電球は、目を遮りたくなるほどの光を放ちながら明滅していた。
「えふ、えむ、ゴリラ。……なんでゴリラ?」
ゲームセンターやパチンコ店など、騒々しい店内を想定したような喧しい音量に耳を塞ぎながら観察する。
すると、否が応にでもその上部にでかでかと掲げられたネオンサインに、これまた派手な色で明滅する『FMゴリラ』という文字が目に入る。
(ゴリラ……アフリカとか、っていうか動物の、アレだよな。)
バナナが主食のイメージのある人型の、アレ。FMの部分はよく分からないが、ゴリラと聞いて想像できるのはあの胸でドラミングする姿しかない。
『お金を入れて、ガチャを回してね!』
「うわっ、びっくりした。」
威圧感すら感じるこの筐体の名称を脳内で考察していると、突如正面のスピーカーから女の子のような声が発せられる。
まるで、日曜朝にやっている女児向けテレビアニメのキャラクターのような敵意のない声だったが、至近距離で大音量を浴びた響は反射で一歩後退するほどに驚いた。
「ガ、ガチャ?このドデカいのが?」
大きさにして約180センチ。ガチャマシーンだというには余りにも規格外ではあるが、よく見ると隣の自販機の硬貨を投入する口と同じ場所に投入口があり、返金するレバーがガチャを回すダイヤルになっている。
ガチャだと言われれば確かに、明かにサイズはおかしいがガチャマシーンなのだろう。
『お金を入れて、ガチャを回してね!』
繰り返される案内音声。先ほどまで鳴ってなかったことをみるに人を感知するセンサーでもついているのかもしれない。
「ガチャ……そうか、これガチャなんだよな。」
そうなれば気になるのは、一体何が入っているのかだ。
だが、中に入っている商品が分かるはずのパッケージには、写真の切り抜きやイラストもなく『出てからのお楽しみ♡』とだけ何故か達筆な一筆書きで書かれてあった。
煽り文句も特になく、胡散臭い。だがそれはそれで気になる。
もはや罪に問われそうなほどの騒音を気にせず、中身を覗こうと爪先立ちで試みたが、ご丁寧にあらゆる隙間は内側から黒塗りの紙が貼られ、中が見えないようになっていた。
「—————気になる。こうまで隠されちゃ気になるよな。」
誰もきっと止めはしない。当たり前だ。ここには自分しかいないのだから。
だからやりたいと思いだしたら、その気持ちを止めることはできない。
無言でリュックを降ろし、慣れた手付きで財布を取り出す。そして立ち上がりながら小銭の入ったチャックを開け、サッと手を突っ込んで五枚の硬貨を握る。
それはさながら洗練されたひとつの型のようだった。
「値段は………500円か、結構たか……—————ッ!?」
そしてそこで気付く。そこに書いてある値段設定。
「ご、ごせんえん………?」
可愛らしく丸文字で書かれた『5000エン♡』。その文字に再び響は戦慄することになる。
「い、いや、高すぎだろ5000円はさすがに。500円の書き間違いだろ。」
響は先入観から視界の隅に何となく捉えていた数字を500円だと思っていた。
高いとは思うが、最近ではそういうガチャも珍しくなくなってきたからだ。
だから、これはきっと間違いだ。だって、うん。高すぎるもの。
「ははは、どこの業者か知らんけど早く書き直せよなぁ。」
側から見ればそこそこに気持ち悪い風景だろう。ガチャを相手に独り言を言いながら笑っているのだから。
常識で考えれば当然、このガチャの価格設定は500円だ。響は納得を笑いで誤魔化しながらどうしてか震える指で100円硬貨を5枚、順番に投入した。
「こんだけデカいんだ。結構いいもの当たりますように!」
色々と不自然だらけではあるが、回すとなると期待が喉からこみ上げてくる。
パッケージで中身が見えないのも、どんなジャンルかも文字で書かれていない点も、今となっては逆に楽しみになってきていた。
ちょっとしたギャンブル感。まだ見ぬ大地への旅立ち。得体の知れないものへの挑戦。
響はどこからかジワジワと溢れ出す高揚を胸に、力強くダイヤルを回した。
「—————ん?んん?」
—————が、動かない。びくともしない。
「え、ちょっと。」
文字通りガチャガチャと、音を立ててダイヤルを回そうとしてみてもピクリとも動かなかった。
「おいおいおいおいおい、え、返金レバーもないんだけど!」
闇に呑まれた5枚の100円硬貨。それを救出しようと試みるも、肝心の返金するためのレバーが見当たらない。
嫌な予感が、響の脳内をよぎる。走った寒気に手の平が汗でにじむ。
『あと45枚必要だよ?』
そんな、まさか。ひとつの悪寒が形になろうとしていた時、スピーカーから音声が流れた。
「……………………。」
言葉が、出ない。
右手をダイヤルに置いたまま数秒。再びスピーカーから『あと45枚必要だよ?』という音声が再び流れる。
息を吸ったまま吐くことを忘れる。頭がどうにかなりそうだった。
あと45枚。え、何が?
「ふっ———ざけんな!まじなのかよ!どこの世界に5000円のガチャがあるんだよ!?いや世界のどっかにはあるのか知らんけど、近隣ではないだろうが!」
『あと45枚必要だよ?』
「だったら札入れる場所用意しとけや!なんで全硬貨の100円限定なんだよ!?誰が普段から100円50枚も持ち歩いてんだよ!なんで後戻りできない仕様なんだよ!?」
『あと45枚必要だよ?』
「だよ?じゃねぇんだよ!可愛いと思ってんのか!煽りに聞こえるわ!俺の500円どうすんだよ!どこの会社だオラァ!!」
機械音声に怒り散らす25歳。どう見ても異常者だったが、これここに至って響にとってはどうでもよかった。
息を荒げながらガチャマシーンのどこかに書いてあるはずの会社の電話番号を血眼で探す。幸いガチャ筐体自体が光を強く放っているので、夜といえど隅々まで確認するのは苦労しなかった。
「なんでないんだよ………!」
だが、どこにも求めたものはなく、敗北したように膝を折る。
繰り返される機械音声が、響には勝鬨のようにも聞こえた。
「…………ってやる。やってやるよ………!」
『あと45枚必要だよ?』
「分かってるよ!いいか、待ってろ!直ぐに帰ってくるからな!」
いつの間にか、名前の無い闘志が響の中で燃え上がっていた。
負けられない戦い。一体何と戦っているかは響自身にも分からなかったが、それでも細胞の隅々まで行き渡る力が確かにあった。
(絶対に引いてやる………!)
宣戦布告するようにガチャマシーンに対して右手の人差し指を向ける。そうして立ち上がると、鋭い眼差しで“敵”を睨みつけた。
それは、さながら巨悪に立ち向かう勇者のような気迫だった。
◇
それから約30分ほど。さきほど弁当を購入したコンビニまで急ぎ足で戻り小銭を用意してまたガチャマシーンまで戻ってくる。
財布の中には元から忍ばせている数も含めて100円硬貨が約60枚。
両替してくれと直接レジの店員に頼むことができず5000円札で買った100円ガム。結局お釣りを100円硬貨で欲しいと頼んだのだから意味はなかっただろう。今でも店員の冷ややかな目が忘れられない。
といってもある程度の枚数で断られ、一店舗だけで100円硬貨が揃えられるわけもなくコンビニ巡りをすること三軒。ようやく45枚以上の硬貨を手に入れた。
「よし、引くぞ……!」
再度対面した際に未だ鳴っていた機械音声。
さすがに45枚も硬貨を投入しようという者が現れるとは思ってはいなかったが、それでももしものことを考えると内心穏やかではいられなかった。
「くそっ、面倒くさいな。」
順々に響は硬貨を投入していく。
途中、入れていくうちに今が何枚目か分からなくなったが「まぁいいか」と、とにかくありったけの硬貨を入れる。
硬貨を飲み込んで筐体内に落下する音。少し興奮したような息遣い。
それだけが支配する静寂の中、ついにその時は訪れる。
「ん、なんだ?」
カチッと何かが閉まるような音。
響は次の硬貨を入れようとするが、投入口の内側に降りた金属壁に阻まれる。
おそらく50枚硬貨を入れ終わったということなのだろう。
これ以上入らないようにという配慮の前にするべきことはいくつもある気がするが、とにかくこれでやっとガチャが引ける。
もはや何の緊張もなく、「やっとか」という思いで響はダイヤルに手をかけた。
意気込みもなく惰性のような感情で響はダイヤルを回す。
重みはなく、だが中では何か大きなものが回っている音がする。
そのまま1周片手で回すと、ゴトリと何か重いものが落下して下の受け取り口を内側から叩いた。
「お、なんだなんだ……?」
全てが奇妙ではあるが、5000円という値段設定。期待するなというには無理がある。
音から察するに大型の箱。家電製品、家庭用品、はたまたアウトドアグッズか。
自分がそれらを100%使いこなせるとは到底思えないが、今この瞬間だけは期待せずにはいられないのだ。
少し屈んで受け取り口に手を伸ばす。
影になって見えずらいが、40センチほどの高さの長方形の箱がそこにはある。
蓋を開け、手に取る。軽くはないが重くもない、そんな箱のパッケージにはこちらの予想していなかったものが描かれていた。
「大、当たり?」
明らかに安物の素材で作られた“大当たり”のシール。
でかでかとパッケージ下に楷書体で書かれた“ゴリラ”の文字。
箱正面には機械らしき装備をした可愛らしいピンクのツインテールの魔法少女のイラストが描かれている。
フリフリのスカート、魔法少女の姿に浮遊装置のような、俗に言うバーニアスラスターの機械を装備したアンマッチ感が何とも言えない。
「え、もしかして。これは、いやもしかしなくとも……えぇ。」
間違いなくそういう類のフィギュアなのだろう。
響は一般に“フィギュア”といったものを集めようと思ったことはない。なのでこれが高いか安いかも分からず、得しているのかすら分からない。
そもそも趣味ではない。こういうものを趣味とする人のことを否定するわけではないが、少なくとも響は今喜びを感じることができないでいた。
(まぁ、ガチャ集めが趣味も大した違いはないか……。)
グッズ集めと一括りにするのならばそれらに違いはない。
どうあっても落胆を覆す理由は見つけられそうにもないが、今はそうして自分を納得させるしかなかった。
すると、「一体自分は何をしていたのだろう」という急激な虚無感に襲われる。
何を求めたわけでもない。だが期待して熱があったのは事実で、いざ自分を客観的に見ると余りにも滑稽に思えて肩を落とした。
結果論に過ぎないが、貴重な5000円を払い、生活費を削ってまで手にしたこれに対して満足できるはずもない。後悔かと聞かれればそうだ。
リュックを背負い直して、今日何度目かのため息をひとつ。
響は正面の異様な光景に軽く舌打ちをすると、鳴り続ける騒音を残してその場を重い足取りで立ち去る。
後ろ髪など引かれない。それ自体は珍しくはあるが、きっと二度とこれを引くことはないだろう。
◇
新築の目立つ住宅街にポツンと建つ、外観から分かるボロアパート『ほうれん荘』。
一階、二階共に二部屋、戸数が4のそのボロアパートの二階奥。『202号室』に響の自宅はある。
風呂も洗濯機もないが、とにかく家賃が安い。ただそれだけの理由で住むアパートの階段は、今日も今にも崩れるのではないかと思うほどに軋む音が響く。
それを通過ながら鍵をリュックから取りだし、奥の塗装が剥げかかって錆びた扉を開けると、換気のしていない男一人暮らしの生活臭が鼻に刺さった。
基本料理などしないため生ゴミは置いていないが、それでも芳香剤ぐらい買ってくるべきかと響は顔をしかめて壁の照明のスイッチを入れた。
綺麗ではない。だが、さほど散らかってもない四畳一間。
タンスと敷きっぱなしの布団、テレビと部屋中心に置かれた小さな机だけでも少し圧迫感を感じる。
壁掛けの時計を横目で見ると、時刻は11時を回ったところだった。
出歩きすぎたと疲労感を感じながら、畳張りの床に脱ぎっぱなしの部屋着を足で寄せると、どかりと背負っていたリュックと弁当を机の上に置いた。
その拍子に落ちる本が二冊。する気もないのにどうしてか片付けられない転職の本と、自己啓発本を気にすることなく今日収穫した戦利品をリュックから取り出す。
「やっぱりゴリラだよな。」
キリカブ(ヒノキ)の入ったカプセルを適当に床に転がし、まずは気になるフィギュアのパッケージを眺める。
確認はしていたものの、帰宅途中で記憶を疑いつつあった。しかし改めて部屋の明かりの元見ると、やはり何らかのアニメキャラであろう魔法少女のイラストとゴリラの文字が記載されている。
「ふーん……?」
疑問に思いつつもその場であぐらをかいて開封する。
フィギュアといえば、開封せずに箱のまま飾る者も多くいるようだが響は特に気にすることなく乱暴にテープを剥がし、口を開けて中身を取り出すと、箱を後方に投げた。
「お、おぉ……?」
取り出した透明の箱。外からでも分かる造形美。
フィギュア本体も、付属する機械のような装備も素人目からしても精巧に思える。
価値など分からないが、一眼見て響は素晴らしい出来だと軽く感動すら覚えた。
厳重にされた梱包を剥がし、パーツとフィギュアを手に取ってパッケージを見ながら組み立てる。
大きさは500mlのペットボトルとほぼ同サイズ。完成したそれを机に立たせて腕を組んで眺めると、こういったものも悪くないと息を吐いた。
「………ええと。」
当たり前であるが、これ以上のことはない。
造形は美しくともそれはそれ。眺める以上のことはなく響は沈黙する。
一人暮らしに沈黙も何もないかもしれないが、5000円も払ったのだ。せっかくなので、とにかくもう少しだけ堪能しようとフィギュアを手に取る。
「へぇ、意外と柔らかいんだな。」
肌の部分を触ってみると人肌のように柔らかい。色々と触ってみると人間のようにしなやかに肢体は動く。服の素材もきっと悪くはないのだろう。装備もきちんと金属のように硬い素材でできている。
そうやって隅々を確認し、目が合った気がして薄ピンクの瞳を見つめ返す。すると、どうしてかフィギュアに違いはないはずなのに今にも動き出しそうに思えた。
「ん…ここもピンクか。」
何の気なしに最後にスカートを捲る。すると、ピンクのフリルの付いたパンツが顔を出す。
そうして眺めること数秒。
急に馬鹿馬鹿しくなって、しかし傷付けないように机にフィギュアを置いた。
「何やってんだ俺。アホらし。」
明日も明後日も仕事だ。そもそも響の働くポテトの定休日は木曜日しかなく、それ以外の入れる日全てのシフトに入っている。
労働基準法を完全に無視したような労働体制であるが、響は今の仕事に不満はないので特に言うことは何もなかった。
「寝よ寝よ。弁当も朝ごはんでいいや、冷えてるし。」
点けたばかりの照明を消して布団を被る。
出勤時間は10時であるが、行きに24時間営業の銭湯に寄っていきたいため8時頃に起きれば問題無い。
いつもより早めに床に着くし、目覚ましよりも早く起きるのも悪くないだろう。
自然と出るあくび。何だかんだ溜まった疲労からすぐ遠のく意識。
今日は色々あった。しかし睡魔を邪魔するものは何もなく、響が完全に眠るまでにそう長い時間はかからなかった。