第1話「あなたが私より優れているところはひとつもない」①
大学受験に、失敗した。
ならば仕方ないと進学をきっぱりと諦め、親の反対を押し切って単身都会に足を踏み入れ挑んだ就職活動もことごとく失敗した。
意気揚々と始めた一人暮らし。その結果を親に言えるはずもなく。気付けば自分に言い訳をしながら三ヶ月が過ぎようとしていた。
そんなある日。高校3年間、あらゆる誘惑を断ち切って浪費を我慢し続けた学生バイトの貯蓄も底をつくという時、母からこんな連絡があった。
「あんた、連絡ないけど仕事はどうなんだい?」
正直、どう言えばいいのかなんて分かるわけがなかった。
報告を後に後に引き伸ばした結果、“言いづらい”が積み重なっていつの間にか“言えない”に切り替わっていた。
俺は、やれば出来る奴だ。そんな小学生の通知表に書かれるような毒にも薬にもならない言葉を信じ続けたせいで、想像の斜め下どころではない奈落へと転落してしまった。
「い、いやぁ。のびのびとやってるよ、ほんと。エンジニアの仕事でさ、忙しくて母さんに連絡する暇もなかったんだ。ま、出世してさ、収入もよくなってさ、余裕が出来たらそっち帰るから。」
漠然と、上ずった声でそんなウソを吐いた。視界の隅に見えた適当な言葉を拾って。のびのびと忙しくしていると矛盾しながら。
「そうかい。」
安心したような、呆れたような。どちらともとれるような言葉を残して、母との通話は終了した。
思えば、そこが最大の分岐点だったのだろう。
電話越しだろうがなんだろうが、とにかく頭を下げて、みっともなかろうが正直に醜態を話すべきだったのだ。ただただ、あなたの息子は馬鹿だったのだと。
そうすれば今、満足な収入でなかったのだとしても帰郷して田舎の工場ででも働いていたのかもしれない。
大きな何かになれなくとも、親戚一同の集まる正月元旦等に胸を張って混ざることが出来たのかもしれない。
少なくとも、不幸であることはなかったはずなのだ。
だが、そうはならなかった。
何の役にも立たないプライドが邪魔をして、ありもしない見栄を張った。
大丈夫だ、信頼してくれ。俺はきちんとやってる。他の奴とは違う。今は理解されなくとも数年後、俺はビッグになっているのだと。
そうして、そんなくだらない言葉を最後に、逃げるように親と連絡を取らなくなって気付けば25歳になっていた。
くだらない嘘の残像を、母の耳に残したまま数年の時を経てしまった。
挑戦は、何度もした。でも、ダメだった。全てに落ちたわけではないけれど、それでもやがて人間関係が破綻して長く続かなかった。
そう、数々吐いた嘘の中で、他の奴とは違うというのだけは的を得ているのが皮肉がきいている。
確かに、誰に理解されることもないのだろう。自分自身がまともでない自分を、それでも依然と虚勢を張り続ける自分を理解出来ないのだから。
“嘘”が“憑く”とはよく言ったものだ。
虚言で着込んだこの身に、真実などない。この先も、嘘に取り憑かれたまま自己防衛を吐き続けるのだろう。
いつしか面接というもの自体がトラウマとなって、フリーターとして細々と生活しているのだとしても、『こんなところで終わる俺ではない』と。
現実を直視出来ず一人でに溺れていくのだろう。
◇
「あぁ、着込んでるってのに寒いな。」
午後八時。すっかり暗くなった天を仰いで白い息を吐く。
三ヶ日の終わったばかりの一月四日。閑古鳥のなく霧谷間商店街の老舗のおもちゃ屋『ポテト』の前で、青山響は手を擦り合わせながら肩を揺らす。
都会の中心地から離れた一角。ドーナツ化現象の外側の寂れた商店街は、見渡す限りどこもシャッターが降りていて、かつてあったであろう活気というものはどこにも見当たらなかった。
(まだ年明けだしな。)
時間も時間なのはあるが不自然なほどに周囲は静けさに包まれており、ぽつぽつとついている二階の電気も、まだ九時も来ていないのに次々と消灯していく。
帰省シーズンの今、帰省される側であるはずのこの辺りからは遠く子供の声も聞こえなかった。
「こんな辺境に子供がくるはずもなく、か。」
辺境は言い過ぎかもしれないが、響はポテトのアルバイトとして働いて三年、霧谷間商店街内はどこよりも高齢化が進んでいると感じていた。
商店街の店を引き継いでくれるものは早々おらず、客は言わずもがな若い働き手はアルバイトだろうと中心地に奪われる。
売り上げが目に見えて落ちているのに募集要項の時給を増やすわけにもいかず、まさに八方塞がりだと言えるだろう。
大型のスーパーが近隣に立って商店街が潰れるなんて話をよく聞くが、実際その通りだ。
商店街内で何か起死回生の打開案を協力して考えているわけでもなく、現状維持を貫いている今、少しの“波風”で崩れ去るのは時間の問題だった。
(まぁ、お世話になった分、ポテトが潰れるのは寂しいけど…)
自分に何か出来るわけもなく。考えもなく、ただ力なくため息を吐いて店先のシャッターに手をかける。
「店長、お疲れ様です!青山あがります!」
暗闇の店内からの返事はない。いつものことだ。
店長は今年で丁度80歳になる。耳もいくばくか遠くなっていることだろう。
響は言うだけ言って勢いよくシャッターを下ろすと、地に置いたリュックを背負って二度手を払った。
「はぁ…帰ろう。」
シャッターの下部分にある鍵を閉めてポテトのポストに入れる。
余りにも無用心だが、この無用心さが商店街のいいところなのだろうかと首を傾げた。
商店街から外れてすぐ、コンビニで半額シールを貼られた弁当を買って帰路につく。
いつもは取り合いになる半額弁当も、年明けということもあって多数売れ残っていた。
だから何となく奮発して弁当とは別に唐揚げ棒を一本。冬空の下頬張りながら歩く。
「都会は星空が見えないってよく言うけど、そんなことないよなぁ。」
見上げると雲ひとつない星空に無数の星々が浮かんでいる。ため息の出るような美しい光景ではなかったが、それでも星を見るだけなら十分すぎるほどの光が夜空に煌めいていた。
そもそも、星空が見えないというのは中心地のみの話で、周囲の建物や街灯の光が眩しすぎて見えないというだけだ。
なので、目立った店舗も外灯もないこの住宅街で星が普通に見えるのは当たり前のことだった。
「あ、オリオン座。」
小学生の頃、理科の授業で習った星座の形。四角形の中の三点。何故か記憶に強く残っているその星座を指でなぞって数秒。
響は急に立ち止まって肩を落とした。
「…俺、独り言言い過ぎだよな。いつの間にこんななっちまったんだ。」
口からそう零したものの一番の理由は明白だ。
接客業ではあるけれど、とどのつまり人との繋がりが、交流がなさすぎるのが問題だった。
家族からの連絡を断ち、学生の友人に軽々と連絡を取れるわけもなく、新天地で出来た友人は一人もいない。
響は内向的だったというわけではない。むしろ社交的であったが、それは学生までの話で。度重なる失敗の後、ここに立っている自分が昔の自分と同一であるとは言い難かった。
「……帰ろう。」
とにかく帰ろう。
鳴ることのなくなったスマートフォンの電源を入れて時刻だけ確認すると、言葉で言い表せることの出来ないもやもやを胸に響は歩き出した。
「えぇ、通行止め?」
「はい、申し訳ありませんがこの先車の衝突事故がありまして。ここを通行止めとさせていただいているんですよ。」
いつもの帰り道。唯一通る大通りである道路に脇道から入るところで、警官と思わしき私服の男に止められる。
立ちはだかる男の肩の隙間から奥を見てみると、相当な勢いで衝突したのか、黒い車の部品と思われるものが辺りに飛び散っているのが見えた。
ここから見るだけでも中々の大事故だったのだと伺える。
「うわ、凄い。野次馬で申し訳ないんですけど、もしかして誰か死んじゃったりしたんです?」
「君もよくそんなこと聞くねぇ。まぁでも大丈夫ですよ、怪我はしてるけど幸い大怪我ってこともないし、死人も出てません。」
「あ、そうなんですか。よかったです。」
「そもそも死人が出てたらこんな簡単に口に出せないし、もっとほら、大変だ。」
大変。そう言う男の口からは少し酒の匂いがした。
死人がいなかったというのは幸いだが、事故が事故なだけに急にお休み中に駆り出されたのかもしれない。
「でも、見て分かる通り事故は事故。しかも御覧の惨状ですからね。悪いけど迂回してもらえますか?」
「あ、はい、年明けからご苦労様です。お仕事頑張ってください。」
一度軽く会釈して来た道を戻る。
ここが通れないとなると一度コンビニ付近まで戻って、河川敷を通って迂回する必要がある。
そうなると帰宅までに大幅に時間がかかってしまうが、仕方ない。軽く覗いたところ事故現場付近のバス停のベンチで事情聴取が行われているようだった。それが終わるまでは現場保存の必要があるだろうし、封鎖はしばらく続くのだろう。
(文句言ったってしょうがないよな。)
弁当の入ったコンビニ弁当の持ち手を変えて、温めてもらったのは意味がなかったとため息を吐く。
しかし、こればかりは自分がどうこう言ったところでどうなるものではないと早々に観念して再び帰路についた。
「お、こんなところに。」
事故現場から歩き出して十分ほど。道自体は知っていても、いつも通らない見慣れない道は新鮮に見える。
そんなことにはならないだろうけれど、夜だし迷子にならないように気を付けないとな、などと考えながら進んでいると新発見があった。
「何だこれ、新商品じゃん。」
小型スーパー『ニシノ』。店構えは商店街に立ち並ぶ店のように控え目に言ってボロく、数年以上改装されていないであろうその外観は、何故潰れていないのか不思議なほどだった。よく見ると“シ”の上の線が崩れ下と重なって『ニンノ』とも見える。
住宅街のど真ん中にそびえ立つ立地は、住宅街の拡大で飲み込まれて開店当初あったアドバンテージを失ったのであろう。
だが、何にせよ潰れていないのは周辺住民から愛されている証拠だ。いくら店の正面入り口に置いてある謎のキャラクターの立て看板に書いてある『いらっしゃいませ』の文字が、雨や風に晒されて続け、シミや汚れでおどろおどろしくなっていようとも。
閉店時間はポテトと同じく八時のようで、入り口のシャッターは自動ドアの半分近くまで閉まっている。
しかし、店内では明日の準備や本日の片付けを行なっているのかまだ店内から光は漏れ出ていた。
その光を背後に受けて、古めかしい小型自動販売機…いわゆるガチャマシーンの筐体が二台連結して店舗の正面に鎮座している。
「うおぉ、今時全部百円なんだ。」
響は目を輝かせて食い入るようにそのラインナップを眺める。
上下に繋がったガチャが連結して、ラインナップは四種。その内の三つは見たことがあったが一種、初めて見る商品があった。
「ヒノキシリーズ第三弾……?一体誰が得するんだ……。」
今回のラインナップはカクザイ(ヒノキ)、キリカブ(ヒノキ)、カフン(ヒノキ)の全三種のようだ。
どの年齢層をターゲットにしているのかも謎ではあるが、何よりも第三弾までも続いていることが驚きだった。
あまりにもシュール。だがそのシュールさに響は興奮していた。
「百円玉、百円玉…。」
最近のガチャガチャの値段は高騰していて、昔のようにワンコインのものは少なく、二百円、三百円、高いものであれば五百円するのが当然となっていた。もちろん単純に引きたいというのもあるが、この昨今で百円で提供できるだけでもこれを引く価値はあると響は判断した。
リュックとコンビニ袋を降ろし、重みのある財布を取り出すと、中の小銭が擦れてジャラリと音を立てた。
そうしてマジックテープをバリバリと勢いよく剥がし、中身を確認する。すると、数十枚の百円玉がギュウギュウに詰められて、さながらどら焼きの餡の如く住みづらそうにこちらを見ている。
意味もなく、その中から慎重に選んだ一枚を取り出して、硬貨を投入する。
そうして、深呼吸をひとつ。勢いよくプラスチック製のダイヤルを回すと、重たい音を立ててゴロリと受け取り口からカプセルが転がり出てきた。
「うわっ、と、と。あぶねー、受け取り口の返し…って言うのかな。ないじゃんか。」
出てきたカプセルは勢いよく外に放り出されたが、落下する寸前でどうにか響はキャッチする。
(まぁ、ボロい店にあるガチャガチャだし、こういうこともある…のか?)
首を軽く傾げながら受け止めたカプセルを手に、中身が見えるように店から出る光のもとまで駆け足で向かう。
中々の重量感。野球ボールより一回り大きく感じるその中からは、どことなく森の香りがする。
(え、まさか手作り?)
カプセルを開けずに見た中身は透明な袋に包まれたキリカブ(ヒノキ)だった。
手作りと言われればほぼどれもが手作りかもしれないが、見る限りこれは格別に手作り“感”があった。工作と言ってもいいかもしれない。
「あー、まじか。」
近隣の老人が、暇を持て余して作ったものを商品にしたのだろうか。カプセルの内側には所々木屑が付着しており、刃物で削ったような跡が商品にも確認できる。努力は認めるが、やや歪なのも事実だ。
改めて見れば商品のパッケージも、手書きではないものの手作り感満載のように見える。
出てくるまでどういうものか分からない。それこそがガチャの醍醐味…であれど、謎の敗北感は否めなかった。
(いや、考え方次第だろうな。手作りならそれはそれで世界にひとつだけのものだし。)
そう自分を納得させて自嘲気味に笑うと、響はリュックにカプセルを押し込んだ。
「—————ん?」
ガチャの結果に落胆し、肩を落とすのもそこそこにニシノを出たところで、響は足を止める。
「何だ?こんな音楽さっき流れてたっけ。」
帰り道から逆方向。やや遠目に聴こえるコミカルで軽快な電子音楽。8ビットのどこか懐かしい曲調。
響は耳を澄まして音の鳴る方向へと足を向ける。
(そう遠くない距離から聴こえる気がする、けど。大丈夫なのか、この音量。)
まだ夜の九時前。寝静まるには早いとはいえ、このボリューム音。苦情がきてもおかしくはないだろうと響は思う。
辺りの住宅の窓から、そのほぼどれもから光が漏れており、玄関の照明をまだ消してない家もちらほら存在する。
冬で窓を閉め切っているが、この時期家族で盛り上がって微かに聴こえるはずの喧騒も、音楽に上書きされ全く聞こえなかった。
見回して確認出来る人間は自分を除けば誰もおらず、誰かがこの音楽を煩わしく、何事かと気にしている気配もない。むしろキョロキョロと辺りを確信している自分の方が不審者であるように思えるほどだった。
(一日中鳴ってるわけじゃないだろうけど…この辺りじゃあ当然なのかな。)
いつもは通らない帰り道。個人的には喧しいこの音楽も、この辺りの住民は納得してのことで普段から流れているものなのかもしれない。
しかし、もし自分がここで住んでいたらを考えるときっと黙っていられないだろうなとも思う。
(行って、みるか。)
単純に、興味がある。
弁当はとっくに冷めたし、家に帰ってから何かする予定があるわけでもなし。響は音の鳴る方へと向かうことにした。