90年越しの餞別
気がつくと周囲は薄暗く濡れた石床の上に寝そべっているような感覚がしていた。季節は初夏だったというのになんだか寒々しい。時折雫が水面に落ちるような音が聞こえて来た。
「ここは・・・どこなんだ?」
「あ〜気がついたか?あんた、どたまぶち抜かれてくたばったよ」
「・・・どたま?」
ふと声のする方を見ると、男が一人あぐらをかいて座っていた。
「あなたは・・・どなたでしょうか?」
「俺か?俺様は閻魔天。お前等には閻魔大王って言った方がわかりやすいか」
自分を閻魔大王と名乗る男は、赤い衣と袴を纏い、頭の天辺から足のつま先まで真っ赤な様相をしている。その姿は何かの書物で見た、斉天大聖の姿絵を思い出させた。
「閻魔大王・・・つまり私は、頭を撃たれて死んだのですね」
「そういうこった。戦場で懸想した女を思い出すとか、縁起が悪いったらないぜ」
「ここはどこなのでしょうか?私の小隊の皆は?」
「ここは霊界だ。と言っても地獄に片足つっこんだチンケな奴らが集まる場所だ。あんたの部下とやらも数人見かけたな」
霊界?ということは部下も数名亡くなったのだろうか。部下にも申し訳無い事をしてしまった。
しかし彼が閻魔大王だというのか?私が思っていた閻魔大王の印象と異なるので受け入れがたいが、よく見るとなるほど顔は彫りが深く、眼光はとても鋭い。黙っていれば威厳を感じなくもない。しかし口調が輩言葉なので、どうしても近所の的屋を相手に話している様に感じる。
「にわかに信じがたいが、あなたが閻魔大王であれば、私はこれから裁かれるのだろうか?」
死んでしまったのなら仕方ない。いくぶん気持ちも落ち着いて来たので、下を見ると水溜りに映った私の姿は人魂のようになっていた。
「は〜?んな面倒くせぇ事、俺様直々にしてねぇよ。今世1日に何人死んでると思ってんだ。閻魔天は俺様一人、色々忙しいんだよ。千年くらい前から俺のダチ神の観音六人衆を筆頭に、菩薩衆がうまいこと堕としたり拾ったりしてくれてんのよ。俺が裁くのは例外的な魂の担当って訳だ」
「確かに一人で裁くのは大変でしょうね」
「んだろぅ!じゃあ早速俺様の仕事にかかろうか」
閻魔大王はそう言うとカラカラと笑いながら閻魔帳と書かれた巻物を懐から出して眺め出した。
「え〜っとテメェの名前は八剣真一郎だな」
「はい」
「テメェなんでこの若さでこんなに功徳積んでんだよ。子供の頃から弱者救済に日々の善行累積が半端ねぇ。それでいて人殺しする軍籍に入るとか意味わかんねぇな」
「・・・確かに好き好んで軍に身を置いた訳ではありませんが、国を守り、父の希望に沿って努力したまでです」
「ま、いいや。それよりこの先どうするよ?お前の罪悪は他国の民草を含めて人を殺した罪だ。確実に人の道はずして来世は畜生道に堕ちるぜ」
「それはもとより覚悟の上です。しかし、この先どうするとはどのような意味なのでしょうか?」
「へっ、よく聞いてたな。実はよ、テメェの貯めに貯めた功徳は来世へその罪の減免にも使ったりできるんだが、事と次第によちゃあ誰かの来世への積み替えても良いんだぜ」
「功徳とはそんな感じで積み替えられるものなのですか?」
「言い方が悪かったな、自分や誰かの来世のために使えるって方が正しいかな」
「誰かのため・・・」
ふと累殿の笑顔が浮かぶ。彼女には幸せになってほしい。もちろん妹の綴殿にも。
「そうだ、で、一番使いたい相手は・・・」
「累殿に」
「あ〜やっぱそうかよ。しかし、いいのか?てめぇはこの先ん十年も畜生に転生し続ける事になるぜ」
「私は累殿に惚れて婚姻を結びました。累殿の幸せが私の幸せだ」
「はっ、よく言うぜ。お前の好みは、豊満な乳にでかい尻の女じゃねぇのか?」
「・・・そんなことまで閻魔帳には載るのですか?いやいや、嗜好と恋愛は違いますよ!」
「なるほど、言うじゃねぇかこん畜生! あ、もうじきお前はその畜生になるっけか」
「彼女は・・・累殿はどうなるのでしょうか?」
「あ〜あの女は運命因果がおかしな方向に向いちまっててな、メッチャ苦労するわ。ほれ、さっそく次の不幸が来たぜ。この鏡から下界見てみろ。お前の遺体が国許に届いて、すぐにお前のオヤジに妹共々家を追い出されてるぜ」
「・・・なっ!?」
「まあ、そりゃそうだわな、お前ら初夜も結んでないから一粒種の世継ぎも期待できない。あの親にしてみれば赤の他人だ。即お払い箱だろうよ」
「そんな・・・」
一気に言い合った後にお互いの間が空いた。自分が畜生に堕ちるのは仕方ないと思うが、これから先の累殿はどうなってしまうのだろうか?この閻魔大王を名乗る男は何ができるのだろうか?この男に私はすがっていいのだろうか?
「で、テメェはどうしたいんだよ!あの女を!」
「今世では駄目ならばせめて来世や別の世界に生まれ変わってでも幸せな人生を送ってほしい!」
私の言葉を満足そうに聞いた閻魔大王は、ニヤリと笑いゆっくり立ち上がった。
「よおし言ったな!聞いたぞ!その願い叶えてやんよ!17歳のあの女の今の個体情報を複写して、いずれ異世界に転生させてやるぜ!」
「個体情報の複写?異世界に転生?」
「ああ、テメェは知らないだろうが、最近の神の奴らは、次元の違う世界や、この星以外の世界でも活躍中らしいぜ!転生、転星なんて日常茶飯事よ!
他にも行った先で人間以外の生き物になるのもなんでもアリだぜ!んで俺はお前の功徳を使い切って肉体の複写だけしといてやんよ。今世あの女がこの先いつまで生きるかも分からんし、若い方がいろいろ動けるだろ」
「お話の意味がさっぱり分からないのですが、そのことは彼女の助けになるのですね?」
「そうさな、あの累って女は、お前みたいに底抜けに親切な奴だぜ。この先散々苦労しても強く生きてくはずだ。その積み重ねた強い力が、時代を導く力になるらしいぜ」
累殿の話をする閻魔大王の目が、心なしか優しげに細められ、少しばかりの嫉妬心が湧いた。
「・・・彼女が不幸になるようでしたら化けて出ますよ、あなたを恨みますよ」
「はっ、亡者が生意気言ってんじゃねぇよ。俺がなんとかしてやんから逝っちまいな!」
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あれから五十余年、兎や猫など様々な動物に生まれ変わり、最後は盲導犬になり飼い主を支え、何かの拍子でフッと死んだところでまた人魂のようになっていた。今回は辺りを見回すと、すぐ近くに蓮の花が浮かぶ綺麗な池がある。
そしてあたりを見回していると、全身朱色の閻魔大王の前に居る自分に気づいた。
「よ〜ご苦労さんだったねぇ。しかしテメェの魂の格上げ早かったなぁ」
「・・・まさか人の記憶がそのままで何度も動物に転生させられるとは思わなかった・・・最初の数年は最悪だったぞ、最後は慣れたけど・・・」
何度も転生しては、その度にこの閻魔大王と顔を合わせ続けたせいで、今では友人同士のように語り合うようになっていた。
「はっは〜そう言うなよ。累ちゃんの事もずっと忘れないでいられたんだからよ。あ、それと、累ちゃんはまだ元気に生きてるぜぇ♪」
「・・・え?累ちゃん?・・・い、いや、そんな、もうあれからの年数だと100歳超えてるのでは?」
「驚いたよなぁ!・・・俺もだ」
私はこれまでの彼女の歳月を閻魔帳で見せてもらうことができた。あの後、妹夫婦も亡くなられて残された甥姪を女手一つで育て上げ、本当の家族のように立派に一家を支えて生きてきた。
「これはもうどんなに運命因果がおかしくても、不幸ではなくなっているのでは・・・?」
「それだけ逞しいってこった。俺も気に入ってきたぜ、累ちゃん」
「『ちゃん』はやめてくれ!・・・しかしこれでは彼女に険しくなるかもしれない新しい人生を負わせる事になってしまうのではないか?」
「いや〜悪いんだけど俺も他の神も累っちには期待しちゃってるから、今更止められないぜ!あの体複写してつくってからこっち、維持するのもエレェ大変だったんだぜ」
「『っち』ってなんだ!前に会った時は『なんでもアリだぜ!』って豪語してたのは閻魔じゃないか」
「へっ、テメェは相変わらずよく聞いて覚えているなぁ!だがお前も期待したくねぇか?累が活躍して切り開く新しい世界をよ!
ああ、あとあの体はテメェからの餞別って累には説明しといてやるよ」
「呼び捨ては呼び捨てで気になるな・・・でも累殿の向かう世界・・・私も一緒に見たかった」
私の寂しそうな声に閻魔大王の顔が少しだけ申し訳なさそうに見えた。この男なりに気を使ってくれているようだ。
「そこは・・・すまんな、テメェはテメェで普通にこの世界で人として輪廻転生する番なんだ。もう記憶も引き継げねぇ。おそらくテメェとは今度こそお別れだ」
「そうか・・・私も普通じゃない転生をし続けたからな。次こそ一緒に生きたかったが・・・今までありがとう。累殿を忘れないで過ごせた」
私が閻魔大王にお礼を言うと、周囲がぼんやりしてきた。そろそろ転生するのだろう。転生も記憶を残したまま10回以上もすると慣れたものだ。しかし今度は記憶の伴わない輪廻転生。
すると不意に閻魔大王が私に声をかけた。
「ああ、最後に俺からの餞別だ。生まれ変わるのは累の孫の長男だ。まあ、ばあちゃんに惚れるこたぁないだろうけどなぁ」
驚いて振り向くと、霞む視界で閻魔大王がニヤニヤ笑っていた。なんだか随分長い間あの男に弄ばれた気分だ。いや最後の最後にしてくれたことは喜ぶべきか。
八剣真一郎としてでは無く、彼女に残された時間も少ないにしても、また累殿のそばに行ける。記憶も何もかも無くしても彼女とまた笑顔で笑い合いたい。
しかし消え切る前にあの男には少しでも仕返しがしたい。
「閻魔帳の私の説明文ほんとによく読んだのか?私は年上が好みなんだ」
次回からは瑞樹累さん視点が続きます。
※斉天大聖・・・西遊記の主人公、孫悟空が名乗った称号。無性に西に行きたくなる・・・かも?