累なる面影
八剣真一郎さんが亡くなられた戦争のお話も含みます。
明治時代の日本は日清戦争、日露戦争と外地での戦闘続きであった。大正時代には初めての世界大戦が起こるなど、世界は混沌を深めていたと思う。そんな中、日本は昭和の時代を迎えた。
私、八剣真一郎は、来年二十歳になる陸軍士官候補生である。本当は医者を目指したかったのだが、軍部に籍のあった父に猛反対され、同じ軍属の道を歩む事とされ、陸軍の士官学校、陸士予科に入学した。物心ついた頃より一人息子の私を甘やかしながらも自分たちの思いで縛りつける両親と私は折り合いが悪かった。
もともと医者を志望していた私は、士官学校で教官の一人であった軍医の瑞樹少佐と親しくなり、休日は実家にお邪魔させていただき個別に教えをいただくなど、とても可愛がっていただいた。実家には二人の娘さんがいらっしゃり、年齢も近いこともあり私が二人の勉強を見ることもあった。
二人ともとても勉強熱心で、ついつい教えるこちらにも身が入ってしまい、気がつくと夜更けとなり瑞樹少佐が家まで馬車で送ってくださった事もあった。
姉妹の名は上の娘が累殿。私より3つ若い。艶のある長い黒髪に大きな瞳でとても穏やかで物静かな子だ。下の娘は綴殿。私より5つ若い。累殿とは対象的にいつも元気一杯でおしゃべりが大好きな快活な子だ。
特に累殿は私にとって印象的な娘だった。ある日。瑞樹少佐と書斎の資料を探して夜半過ぎまでかかり、二人とも疲れて椅子にかけたままうっかり寝てしまった。翌日に累殿が絶妙な時間に起こしてくれた。
「本日の午後は演習だったと先月父上に聞いた覚えがあります。真一郎兄さんもご一緒で楽しみとのことでしたので遅れないうちにお出かけくださいな」
二人とも時間ギリギリまでよく寝たので元気いっぱい。学校に向かう馬車の手配も、移動中に食べるお弁当まで用意していてくれる手際の良さだった。
しかし、そうかと思えば、そのお弁当に入っていた茹でた枝豆が塩でなく砂糖で茹でてしまったようで、瑞樹少佐と私はなんとも言えない顔を見合わせ、黙々と食べた事もあった。夕刻は用事が残っていたので二人で少佐宅に戻ると、お腹を抱えて大笑いする綴殿と、顔を真っ赤にして必死に謝る累殿が出迎えてくれた。
そんな日々を経て、姉妹は私を兄のように慕ってくれていた。瑞樹少佐もまるで私を息子のように可愛がってくださった。はじめは親に無理やり進まされた軍の世界であったが、この出会いは陸士予科に入学した事からでもあると考えれば、両親の方針にも感謝しなくてはいけないのではとも考え、私の家庭でも両親との仲はすこしだけ改善することができていた。
そんな幸せな時間も長くは続かなかった。
卒業を間近に控えたある日、瑞樹少佐が、軍演習中に不慮の事故で亡くなられてしまった。母君も二人が幼少の頃に病気で亡くなっており、近い親戚も居ないことから、累殿と綴殿は二人きりになったのだ。
私は卒業をした後に累殿と結婚をし、綴殿も一緒暮らしたいと何度も申し込んだ。
「変な責任感からでしたらお止しになってください。私たちは真一郎兄さんに迷惑はかけたくありません」
初めは頑なに断られ続けたが、決して憐憫の情や責任感からではなく、顔を真っ赤にしながら伝えた言葉で受け入れていただいた。
「私は・・・累殿の事が・・・心の底から好きなのです。兄としてではなく、夫としてあなたとの家庭を持ちたいのです」
今度こそ幸せな家庭を築けると思った矢先に事態は大きく動いた。
1928年の4月。中国で起こっていた南京事件に始まった済南事件により、日本から山東出兵が決定され、私は士官候補生の小隊長として第二次山東出兵で急遽召集される事になった。
中国には守備隊の関東軍が常駐していたのだが、世界中で起こる戦争や、領土確保に躍起となる国の若い士官の実戦訓練と練度上昇を兼ねるべく、日本より派遣される若手士官候補生の数名の内に選ばれてしまったかたちだ。
瑞樹少佐が亡くなられたのも急だった事もあり、軍部へ婚姻の報告が遅れたため、急な召集に軍上層部の父ははじめ憤慨していたが、期待をかける一人息子の早い出世の好機と、そのまま送り出すことにしたようだ。根っからの軍人であった父とは常に話が合わなかったが、戦争が好機などと思うところは、やはりわかり合えないだろうと思った。
この時代の日本は列強に遅れまいと中国進出をすすめ、今回も中国内地に二万人近く住む日本人居留民の経済活動を内戦から守る名目での出兵となる。しかし実情はただの外国への内政干渉と、どさくさに紛れて大陸で権益を広げる目算も垣間見えていた。国民を守る戦いに迷いは無いが、国益と称した侵略のような戦いはしたくなかった。
なぜ人間は戦争をするのだろう?折角築き上げた文化や文明も一瞬で灰にしてしまう。その一方で戦争により飛躍的に化学技術や工業技術が発展してゆく側面もある。しかし戦争がなくても発展するものはいずれ発展するのではないか。
そして何より人間がまるで将棋の駒のように使い捨てされてしまう。こんな事を考えてしまう私はやはり軍人に向いていないのだろう。
瑞樹少佐の喪があける来年に式を挙げる事とし、籍だけは入れて出陣する運びとなった。だが一年でカタがつく戦かどうかは、まだわからない。
「累殿、とく勤めを果たして戻ります」
「真一郎に・・・さま。無事のお帰りをお待ちしております。ご武運を」
書類上は妻となった累殿と義妹の綴殿を私の実家に預け、4月中旬に編成した小隊で軍港へ向かい、そのまま大陸へと船で移動した。
道中5月1日を迎えて思い出したのは今日が累殿の誕生日であった事。17歳になったお祝いもできず申し訳ない思いがこみ上げた。せめて早く終わらせて帰還を果たしたいと思い、気が逸る。
5月2日に済南に到着した。先日隠されるように埋葬された日本人らしき死体が発見されていた。遺体は激しく損傷していた事からも上層部が激怒。武装した上で拠点となる済南城を目指して市街地に侵入をはじめた。
状況は極めて悪い。市内では小競り合いが起こり、市民にも死傷者が出ている。すぐに小隊をまとめて市街地に向かう。
「衛生兵!負傷者の救護を優先せよ!」
制圧と救護で慌ただしくしている中、昼前には市内各所で中規模の戦闘が始まってしまった。
タタン!ズダダ・・・タン!タン!
初めての土地で地の利が皆無のなか、四方より発砲を受ける。一部の小隊は敵がどこにいるのかわからない混乱からか無差別に発砲をはじめた。
「上官殿、我が軍は日本人居留民の保護のために来たのではないのですか!?このままでは戦闘に他国の市民まで巻き込んでしまいます!」
大隊指揮官に向かい声をあげる。着任早々で戦闘に入ったため、氏名と階級を聞きそびれた。そもそも軍で上官に反抗などしたら、その場で銃殺ものであったが、急な戦闘に狼狽したのか指令がおりただけであった。
「事ここに及んでは是非もない!今は全力で済南城を攻め落とせ!」
上官は当初の作戦目標の済南城への侵攻を全軍に命令。射撃を命令してどこかに駆けていった。もう滅茶苦茶だ。銃口の先には中国南軍の他にも一般市民も多く見られる。今ここでの戦闘は、多くの市民を巻き込んでしまう。それだけはなんとしても避けたい。しかし敵味方、市民全てが混乱の最中にあり戦闘はもはや避けがたい状況にあった。
「八剣小隊長!至急ご指示を!発砲許可を!」
顔面蒼白になった小隊の隊員が簡易塹壕に伏せながら叫ぶ。私の任された小隊の兵が私の指示を待って耐えている。混戦状態の今となっては、ここに留まったままでは私の小隊が孤立してしまう。先ほどの指揮官の指示に従い進軍せざるを得ないか・・・。
「八剣小隊各員!一斉射撃を二度行なった後に済南城側面に突撃する。可能不可能は別にして市民へ被弾させてはならぬ!各員撃てーーーーーー!」
叫びながら私も拳銃を放つ。兵たちの軽機関銃や小銃が火を吹いた。
「八剣小隊長殿!敵が退いていくようです!」
「よし!二度目の斉射は必要ない。総員抜刀!このまま済南城側面に向かう!路地を回り込め!退路は残して攻めろ」
一気呵成に攻め込んだ路地の先に、逃げ惑う市民の姉妹が見えた。黒く長い髪を揺らし走る女性の後ろに手を引かれる妹らしき女性。
「累・・・殿」
思わず呟いた次の瞬間、頭をハンマーで殴られたような衝撃が走った。記憶があるのはそこまでだった。
次回もう一度、八剣真一郎さんのお話です。
拳銃・・・十四年式拳銃
軽機関銃・・・十一年式軽機関銃
小銃・・・十八年式小銃