元号マスター累(かさね)さん
「剣璽等承継の儀も滞りなく厳かに執り行われ、本日より正式に元号が令和になりました」
病室のテレビからアナウンサーが明るい声で平成から令和へ元号が替わり、新しい時代の到来を嬉しそうに伝えています。
私は瑞樹累と申します。齢108歳の誕生日をこの病室で迎えました。特に病気をしている訳ではないですが、さすがに体は衰えてきており、今年になってから老衰でベッドにずっと伏せっています。ちょうど誕生日の5月1日が徳仁天皇の御即位の剣璽等承継の儀の日と重なることになりました。
1911年、明治44年生まれの私は、17歳の1928年、昭和3年に日中戦争のさなか、山東出兵から済南事件の際に若手士官として出兵した夫とは結婚したばかりで死別してしまいました。未亡人のまま迎えた34歳の1945年、昭和20年では第二次世界対戦の際に、5歳年下の妹の綴が夫君とともに本土空襲で死亡したため、疎開していた小学生の甥と姪をひきとり、なんとか成人まで育てることができました。それから孫も生まれ、その孫も生まれ、今では玄孫まで含めて10人を超える親族に囲まれています。
「あ、これで累お祖母ちゃんは、明治、大正、昭和、平成、令和の近代元号を全部過ごして来たって事よね。なかなかそんな人は居ないんじゃないかしら」
ベッドの側で曾孫の紬が同じテレビを見ながら、思い出したように驚いています。
「ふ ふ ふ、そうねぇ きが ついたら もう そんなに なるの ねぇ」
この百数年、思い返せば苦労した記憶ばかりが蘇ります。けれども、妹の子供たちと本当の家族のように共に過ごしてくることができた人生に、悔いはないと思っています。
昭和の時代は苦労の思い出が多いですが、平成の思い出は曽孫の紬たちと一緒に、冒険小説や漫画やテレビゲームをいろいろと嗜みました。それでも百歳を超えたあたりからは拡大鏡などがないと文字も読めず、アニメなどを見ていましたが、今はもうテレビ画面を短時間見ているだけで疲れて眠くなってしまうようになりました。
「ひーひーばーちゃん、眠いの?」
一番下の玄孫にあたる5歳の翔が、思い出に遠い目をしていた私をきょとんと覗いてきました。
ふふふ、この時分の子は目がキラキラしていて、表現できない程に可愛らしいものです。
「か ける ちゃん だいじょう ぶ よ でもちょっと 眠 く なっちゃった から すこ し 寝る わね おやすみ なさい」
「うん、累ばーちゃん、おやすみなさい!また来るね!」
まだ喋れるけれども、言葉が途切れ途切れになります。一番可愛い翔の顔もパッとすぐに思い出せないくらい、記憶もぼやけがちになり、日々心細くなってきています。
チリーーーン
一人になってなんだかとても広く感じる病室で目を閉じると、去年の夏祭りに紬と翔が買ってきてくれた風鈴が、窓辺で涼しい音を奏でています。少し早いですが真夏はとても窓を開けていられない暑さなので、今日から飾ってみることにしました。近年では5月も暑い日が多く感じます。
チリーーーン
少し軽いけれど、透明な音が涼やかに感じます。
「この 夏 は 越せる かしら ねぇ・・・なんだか 最近 とても 暑いし・・・」
チリーーーン
私はこの涼やかな音を聞くと、昭和の時代によく家に托鉢に来られていた、若いお坊さまの鳴らす鈴の音を思い出します。
チリーーーン
「ふふふ、紬 と 翔 に 托鉢 なんて 言っても 解らないわよねぇ。お坊さま が 辻や 玄関 先で 鈴 を 鳴らし お経を 唱えて くださる代わり に お布施を お渡し する とか 言っても わからない かな」
チリー・・・ン
「あの頃 よく 家に 来られた 若い お坊さま は お元気 かしら・・・よく 笑っ て いら した の よ ねぇ・・・」
チ・・・リ・・・ン
夏は越せましたが、令和元年10月に家族に見守られて私は生涯を閉じることになりました。108年という太めで長い人生でした。
次回も引き続き転生する人。累さんの視点になります。