八百万分の一の神
本日とある深海の片隅で、リュウグウノツカイが亡くなられました。
鮮やかな紅色をしたヒレは、色彩どころか光も無い深海での希少な存在で、昔から個人的に鑑賞するのが楽しみな魚でした。よくこちらに向かって親しげに泳いで来てくれたものです。
つい先日もオウムガイが亡くなられました。この子も・・・え?それは何の話かですか?
ここはとある地球の深海。
吾はこの深海を見守る神・・・いや元神です。
吾は二千年以上前の古代日本で、あまた生まれた八百万の一神。弥生時代の頃に、人々より崇め奉られ、神格化した銅鏡が依り代で、いわゆる付喪神にあたります。神としての名は特にありませんでした。
人々より『神様』と呼ばれ、そう呼ぶ人々が増える度に、吾の神としての力が増すようでした
昔は何でも神頼みだったので、世界には神様が本当にたくさんおりました。
性格も千差万別で、清廉潔白で慈悲深い神から、信仰者も信仰者以外も苦しめて楽しむ邪神のような神も居たり、神々の世界も混沌としておりました。
今世の神々はどうなのでしょう?もう千年ほど神戚に席がないのでわかりかねます。
吾はどのような神だったのか、ですか?
吾が神として目覚めた国は、当時としてはそれなりに大きく、人々は平和に暮らしていました。巫女をはじめ、多くの吾を祀る者にできうる限りの加護を与えるなどしておりました。
加護と言いましても、吾ができたのは『運』を良くする事。運気の上昇の祝福を得意としていました。
この運気はなかなか馬鹿にできないもので、誰しも振り返ってみたらなんとかなって良かった事など事欠かぬと思われます。
しかし、運気はあくまで運気。とてつもなく大きな力の前では無力に等しい祝福でした。
吾が祀られていた国はより大きな国に滅ぼされてしまい、吾の社も壊され、依り代の鏡も打ち捨てられ、信仰する人々も失われ、『元神』となりました。
ですから吾の人生、いや神生はだいたい二百年。
依り代の鏡が朽ちると、意識が神界に昇り、そこで先にお話しした様々な名持ちの神や、それに使える神使に出会いました。
特にすることもなかった吾は、神界で名を持った神々の雑用をこなす神使の存在となり、他の神使と同じように人魂のような容姿で、なにかと忙しく八百年ほど過ごしておりました。
そんな折、同じ日本創世記より在り、海の神であった綿津見神様が、元神でありながら神使として身を窶す吾を気に留め、「今は神の力はなきとて、見護りはできよう」と国周りの深海を中心とした管理を任されることとなり、正式に綿津見神様の神使として仕えることになりました。
海の見護りの管理・・・陸で言う所のお地蔵さまみたいなものでしょうか?
それからずっと深海に入り、はや千年。美しくも逞しい深海の生き物や環境の変化などを観て過ごしています。そして、ほぼ一ヶ月毎に渡ってくる同じく綿津見神様に仕える神使殿に日々の出来事をまとめ報告をしております。
吾は常に深海に居ますが、神使殿との雑談より、この千年で和の国は日本に統一され、国内での争いはなくなり、平和な時代を迎えていると聞いています。
それは本当に喜ばしい話です。大戦時は深海に戦艦や戦闘機など戦争の残骸が沈んでくることがあり、本当に心が痛みました。思い返せば、神として在った吾の生まれた国は戦で滅びました。その後もずっと和の国内をはじめ、世界では数多の戦争がありました。今では平和になった日本の深海に、こうしてただ佇むのも、悪くないと思っています。
神使殿にそのお話をすると、仮にも元神だった存在なのだから、志をもっと高く持ちなさい、これではまるで『引き篭もり』のようだ、とたしなめられます。
おや、申し訳ありません。吾についての説明が長くなってしまいました。お話を深海に戻しましょう。
つい先日もオウムガイが亡くなられまして、この子も先に亡くなったリュウグウノツカイと同じ時期に生を受け、二十年ほど共に在りました。厳しい深海に於いて、たくましく寿命を全うされました・・・おや?今度はどなたかが急いだ様子でこちらに向かってきます。
「いきなりですまない。わたしは綿津見神の神使の一人。そなたには至急、神界に行って欲しい」
目の前に現れたのは、いつもの綿津見神様の神使殿とは違う神使殿でした。普段会話を交わさない方との接触は千年ぶりです。なんだかとても緊張します。
「はい?ここは深海ですが・・・」
あまりに緊張してしまったので「神界」と「深海」を間違えて聞いてしまい、間の抜けた返答をしてしまいました。