もしも
※もしも、11歳で拒絶モードに入ったら
拘りを捨て、愛情を求めなくなったら、構って欲しくて仕方なかった母は心底どうでもいい人となった。
何かあればすぐに泣いて姉のせいにするエルヴィラが可愛くて仕方ないベルンハルドへの想いは意外にも消えなかった。寧ろ、失敗した前の人生の記憶を思い出しても砕けない辺り、心底彼のことが好きなのだと突き付けられた気分だ。
それももう終わり。
謎の高熱で数日間死の淵を彷徨いながらも、徐々に回復して後遺症もなく健康なファウスティーナは婚約者来訪を侍女リンスーから聞いても何も思わなかった。以前なら抱いた嬉しさはない。あるのは、行ったってどうせ先にエルヴィラがいるか、嫌そうな態度を隠そうともしないベルンハルドがいるだけ。途中で何食わぬ顔で現れ、自分に怒鳴られ泣いて走り去ってベルンハルドが追い掛ける。馬鹿でも見える未来なんてもう沢山。
リンスーも今までの事があり、行かないと告げたファウスティーナにそれ以上は言わなかった。
「体調が優れないとお伝えしますか?」
「ううん。どうせ、エルヴィラと話すのに夢中で私が来なくても問題はないよ」
「……そうですね。王太子殿下は何をしてもエルヴィラお嬢様の味方ですものね。奥様と同じです」
「そうだね。お兄様の部屋に行こっかな」
来訪を聞いておきながらケインの部屋に行ったら、冷たい相貌で早く行きなさいと追い返されそうだ。が、行く場所がケインの部屋しかない。今話し相手になってくれそうな人は兄しかいない。
リンスーを連れてケインの部屋に向かう途中、執事のカインと出会した。ファウスティーナが来るのをベルンハルドが待っていると告げると「気を使わなくて大丈夫だよ」と笑った。無理をしていない、自然な笑み。妹を虐め、泣かせる最低な姉と嫌っているベルンハルドが待っている訳がない。嘘を言うならもっと分からない嘘を言わないと。
「そうですか……そうですね。エルヴィラお嬢様がいますのでこのままにしておきます」
「うん。殿下だって、私よりエルヴィラといた方が何倍も良いだろうしね」
「お嬢様は坊っちゃんの部屋へ? 追い返されるのでは?」
「う、や、やっぱり? でも、お兄様以外会いたくないの」
「では、貴重品部屋に行きませんか?」
「貴重品部屋に?」
その名の通り、公爵家の重要な物を全て保管してある部屋。使用人でも限られた人間しか開けられない。カインはその1人。
カインは執事長に言われてファウスティーナを呼びに来た事をそのままにし、貴重品部屋へと案内した。
複数の鍵を決められた順番で開けていくと扉が動いた。室内には様々な貴重品が置かれていた。
「お嬢様が寝込んでいる間、王太子殿下名義でお見舞いの品が届けられています。エルヴィラお嬢様が触らないようにと貴重品部屋に置いておくよう旦那様が」
「要らないから全部エルヴィラに渡しましょう。どうせ、誰にでも似合う無難な物が殆どよ」
人間きっかけがあれば、とことんどうでもいいことはどうでも良くなるのか。
自分でも驚く冷たい声。リンスーやカインは勿論驚いた。
「良いのですか?」
「だってリンスー。あの殿下が私に似合う物を贈る筈がないわ。どうせ、王妃様や陛下に言われて無理矢理贈ったものよ」
「いくらなんでもそれはないのでは……」
「だけど、さすがにエルヴィラに渡すのは駄目だよね。中身は見ないでお礼の手紙だけ書きましょう。どうせ殿下の事だから、私の手紙なんて読まないだろうし」
自分で言って悲しくなった。
記憶が目覚める前は、どんなに嫌われていたって、自分の事を知ってほしくて枚数が多く長い手紙を送り続けた。好きな物や好きな事を沢山書いた。ベルンハルドをどれだけ好きかも書いた。
……全部無駄になると知った今、あの時のような情熱は注ぐ気が起きない。
貴重品部屋を出た。
ケインの部屋へ行くのは止めにした。自室に戻っても他の人が呼びに来そうである。
予想は当たった。侍女がファウスティーナを見つけると慌てて駆け付けた。
「良かったっ、お嬢様、王太子殿下がお待ちです。早く行きましょう」
「エルヴィラに相手してもらったら良いじゃない。私は行かない」
「そんな事を言わずに。殿下はずっとお嬢様を待っています」
「気を遣わないで。私を嫌ってるあの殿下が待ってるわけないよ。私に気付いたら、体調不良だから来れないって言えばいいよ。どうせ気付いてないでしょう、エルヴィラと夢中だから」
「い、いえ、決して……!」
侍女が必死になるのも分かるがファウスティーナは態々自分を嫌っている相手の元へ行くのはもう嫌だった。気を遣わせて申し訳ないがどう考えてもベルンハルドが待っている筈がない。
「あ」とリンスーが客室へ続く方向を見て声を上げた。ファウスティーナ達も釣られて見ると――顔を真っ青にして立ち尽くすベルンハルドがいた。目が合うとファウスティーナは内心逸らしたくなりつつ、覚悟を決めてベルンハルドの前まで行き挨拶をした。
「……ご機嫌よう王太子殿下。道中、気を付けてお帰り下さい」
「僕は、お前の見舞いに」
「嘘は要りませんわ。殿下が私を心配するなんて嘘は不要です。どうぞ、あなたの大嫌いな婚約者はこれから一切あなたの邪魔はしませんので大事なエルヴィラとお過ごし下さい」
「ま――」
言いたい事を言ってファウスティーナはベルンハルドの反応を待たず来た道を戻った。名前を叫ばれてもカインに「エルヴィラのところへ案内して」と告げ、リンスーと場所を移動した。
「……という訳ですが、如何なさいますか? 王太子殿下」
「……ファ……ファウスティーナが……元気そうで、良かった。今日は……帰るよ」
「お見送りを」
「要らない……失礼するよ」
ある事がきっかけで1年前からファウスティーナが気になり出したのに、婚約が結ばれてからずっと嫌い続けてきたせいでどう接したらいいか分からず。妹を虐める最低な姉……ああ……自分が言った台詞だ。だって事実だから。でも最近は自分の考えがおかしいと改めて思った。同時に、公爵夫妻の言い付けを破って毎回来てファウスティーナに追い出され泣いて走り去るエルヴィラがおかしいと気付いたのも。
数日高熱を出して死の淵を彷徨い、奇跡的に回復して漸くお見舞いの許可が下りた。会えない間はファウスティーナ宛に見舞い品を贈った。どれも、今までと違う、ファウスティーナの事を考えて贈った品ばかり。
けれど高熱から復活した婚約者の態度は明らかに変わってしまった。
いつもならすぐに来るのに今日はいつまで経っても来なかった。エルヴィラがいるとまたファウスティーナが怒るから、今日は来ても部屋に戻るよう促した。泣かれてしまうもエルヴィラの侍女が無理矢理部屋へと引き摺って行ってくれたので1人になれた。後はファウスティーナが来るのを待つだけ。
なのに彼女は来なかった。執事や侍女に呼びに行かせても来ない。痺れを切らしたベルンハルドが自分で呼びに行くと部屋を出て声のする方へ行ったら……
侍女が説得しても、どうせ自分はエルヴィラといるから、エルヴィラに夢中で婚約者を忘れていると心底どうでも良くファウスティーナに言われショックを隠せなかった。
目が合い、やっと話せても拒絶だけではなく、エルヴィラといたらいいと言う始末。待って、と言ってもファウスティーナは足を止めてくれなかった。
帰りの馬車に乗り込んだベルンハルドは、今までの行いを思い出し、途轍もない後悔の渦に呑まれた。
――この後、何度やり直しを希望しても、エルヴィラはどうとも思っていないと訴えても、ファウスティーナは一切信用してくれなかった。
それどころか、知らない間に自分達の婚約は解消されていたのだった……。
読んでいただきありがとうございました。
こうなると本編より意固地なファナと徹底的にファナから遠ざけられてエルヴィラだけを側に付けられるベルンハルドになるわけで……。




