Una rosa per te〜友人の好物でも〜
不安げに見上げられたスカーレットの赤い瞳は、怯えと懇願があった。
きっと、泣いているラリマーの所へ行くと思われたのだろう。行ってほしくない。瞳が強くアシェリートに訴えていた。
絶対に戻ってくるから。言葉にせず、制服の上着をスカーレットにかけて植物園を出たアシェリートは、真っ直ぐ食堂へと向かった。午後からの授業が始まったので生徒の姿はない。片付けをしていた給仕の女性がアシェリートに気付いた。
「おや? 授業はどうしたんだい」
「事情があって午後からは参加しません。片付け中申し訳ないが温かい飲み物をくれないか」
「それはいいけど……まあいいさね。何がいいんだい」
深く聞いてこない給仕の女性に安堵しつつ、飲み物を聞かれ顎に手を当てた。スカーレットの気持ちを落ち着かせるには、アメシストの作るハニーホットミルクだがアメシストはいない。ハニーホットミルク以外でスカーレットが落ち着く飲み物……と考えたアシェリートは、自分が飲むカプチーノとハチミツがたっぷりのレモネード、それと一緒にいるアルファが飲むホットミルクティーを頼んだ。片付けの手を止めて中へ行った給仕の女性に申し訳なさを感じつつ、飲み物が運ばれて来るのを待つ。
アルファにミルクティーをと思ったのは、どうということはない。昔、スカーレットが会話の中で言っていたのだ。アルファは冷たいミルクティーよりも、温かいミルクティーが好きだと。会話の流れとしては、お互いが好きな飲み物の話をした際に、他の人はこれが好きだと話したのが切欠。スカーレットは他にもアリエルはアップルティーとレモンティーが好きだと話していた。友人である令嬢の話をするスカーレットが可愛くて、アシェリートはずっとスカーレットだけを見つめていた。
少しして給仕の女性が蓋をしたマグカップをトレーに載せて運んで来た。お礼を言って受け取り、植物園へと戻る。後のことは任せてとオリヴェルは言っていた。ラリマーは恐らく屋敷へ帰らされただろうと推測する。今スカーレットを帰宅させたら、きっと先に戻って話を誇張させたラリマーの話を鵜呑みにした夫妻に終わらない叱責の嵐が待ち受けている。
(どうせ、帰らせるつもりは――もう、ない)
本当ならまだ先になる筈だった。
しかし、先程のスカーレットの姿を目の当たりにしてもう悠長な考えは捨て去った。両親に反対されても、1年前無理矢理にでも屋敷に連れて来たら良かった。ヴァーミリオン公爵と侯爵は、案外アシェリートが強行手段を取っても何も言わないだろうと思われる。
一度だけ、アシェリートは父バルーンに訊いた。何故、彼等が伯爵夫妻の嘘に従ってスカーレットを戻したかを。
すると――
『クローディン殿やフレアーズィオ殿も本意ではなかった筈だよ。ただ、ここから先は僕個人の意見だから参考にしちゃいけないよ』
バルーンが語った推測。
貴族の当主の責を負う能力は決して楽なものではない。次期公爵としてバルーンの仕事を手伝い、時に課題として治めている領地の問題を解決しろと課せられ、色々困難はあったがクリアしてきた。領地と領民の命と生活を預かる者として、時には非常な決断を強いられる時はある。不要な物を断腸の思いで切り捨てる時もある。クローディンとフレアーズィオは、王国でも有数の貴族である。
けれど、血も涙も心もない冷たい人間じゃない。弟の必死の訴えに耳を傾け、もう一度スカーレットとやり直したいと叫んだクリムゾンの叫びに心が動かされたのだ。
最後に一度だけ、父として、兄として、息子を、弟を信じようと決めた。
それがバルーンが語った推測。
しかし、結局伯爵家に戻されても状況は変わらない。寧ろ、悪い方へ向かってばかり。
アシェリート自身にも問題はあるが、魔法学院に入学してからラリマーは日に日に行動がエスカレートしていった。何度か、抱き付かれそうになったり手に触れられそうになったが、身内以外でスカーレットじゃない異性に触られるのは絶対に嫌。それもラリマーに触れられれば、誤解は永遠に解けなくなってしまう。
毎日昼食を取るのは必ず人目のある庭園。距離も一定を保ち、アシェリートからは決して話し掛けない。ラリマーの話に適当に相槌を打つ。幸い、1人だけで喋り続けてもアシェリートといるだけで有頂天となるラリマーは自分しか喋らないことに違和感を抱かない。自分を知ってもらおうと沢山話すので。
(スカーレット……)
早くスカーレットの好きなレモネードを持って行き、不安で一杯の心を落ち着かせてあげたい――。
心なしか、早足で植物園へ向かったお陰で予定より早く戻れた。フラワーエリアに設置された長椅子に座っているスカーレットとアルファの所へ行き、トレイに載せていたカップを渡していった。
お礼を言って受け取ったスカーレットは、不安げな表情からホッと安心したような表情へ変わった。アルファは自分の分も用意してくれていたのと飲み物がホットミルクティーなことに驚く。意外な表情をしているアルファに、然り気無くスカーレットの隣に座ったアシェリートが話した。
「子供の頃、スカーレットがオルコット嬢がホットミルクティーが好きだと言っていたのを思い出したんだ」
「そんな話をしたの?」
「は、はい。私とアシェリート様の好きな飲み物の話から、私たちが知っている人の好きな飲み物の話になってしまって……」
「そう、だったの」
アシェリートが何故知っていたかのは理解した。
だが、そんな覚えていても役に立たない他人の好きな飲み物をよく覚えていたものだと感心してしまう。同時に納得してしまう。
「確か、オリヴェル殿下は葡萄ジュースがお好きでしたよね」
「最近じゃ、姉上が作ったとんでもなく不味い野菜ジュースが好きだと言っていた」
「美味しくないのですか?」
「1度だけ、美味しいから飲んでと勧められて飲んだ。1口口に入れた瞬間騙されたと知ったよ。よくもまあ、殿下はあんな不味いジュースを笑って飲める。姉上も、殿下の不味いという顔を見たくて態と不味くしているのだろうが」
「ローズオーラ様はそんな意地悪なこと……」
互いが知る情報なら何でも知りたがる。例え、互いの友人の好きな飲み物でも好物でも。2人にとったら、相手のことを知るのと同じなのだから。
渡されたホットミルクティーをアルファは飲んだ。魔法学院で提供される茶葉は、紅茶好きで知られる国王が国民に美味しい紅茶をもっと飲んでほしいと広大な茶畑を作って栽培して製造されている。また、最近ではローズオーラの植物魔法と研究のお陰で効果の高い肥料を使用している為、品質が非常に良く味もとても美味しくなっている。
「ああ見えて姉上は、どう殿下に一泡吹かせてやろうかと常に考えている。あの殿下がそう簡単に負かされる筈もないがな」
「ローズオーラ様とオリヴェル殿下の仲が悪い所は見たことありませんわ」
「人の目に映らないようにしているだけだよ。家では殿下に食ってかかる姉上と怒る姉上を楽しそうに眺める殿下を常に見ていたから、悪くてはなくても良くもない、というのが俺の見方だ」
「でも、聞いているとオリヴェル殿下はローズオーラ様といて楽しいということになりますね」
「考え方によってはそうだな。殿下も面白がっている所はあるし、姉上も殿下を負かした時の顔を想像して更に工夫を重ねている。……ただ、毒味役で俺を使うのはいい加減勘弁してほしい」
「ああ……」
オリヴェルが笑顔で飲み干しても、アシェリートには大変不味いので毎回口から吐き出したい衝動に駆られる。幼少期からシュガーに厳しく育てられているので、人前で粗相はしない。
しないがしたくなる。
3人の飲み物も無くなり、会話もきりのいいところで終了した。カップとトレイを食堂へ返しに行くとアシェリートが腰を上げた。すると、アルファがスカーレットも行ってきなさいと背中を押した。
小首を傾げたスカーレットだが、アルファに小声で「一緒にいたいでしょう?」と囁かれ、うっすらと頬を赤く染めた。訝しげに自分を呼んだアシェリートを誤魔化し、一緒に行きたいと言うとアシェリートの表情が綻んだ。
「行こう、スカーレット」
「はい」
3つのカップを載せたトレイを片手で持ち、空いている片手でスカーレットの手を繋いだ。
「お似合いね……」
手を繋いで植物園を出て行く2人を見送るアルファは、やれやれと言わんばかりに息を吐き出した。
邪魔がいないだけであんなにも雰囲気が変わるのなら、これからは積極的に邪魔の邪魔をしようと思案する。
ふと、アルファは母オルコット夫人の言葉を思い出す。
『アルファはラリマー様が嫌いなのね』
『当然ですわ。あのような自分勝手な我儘な子、好きになれる筈がありません』
『そうね。でもね、彼女がああなったのは彼女だけのせいじゃないのよ? 子供の性格は、元からのものと周囲の環境によって大きく変化するの。クリムゾン様やアレイト様がスカーレット様のようとはいかなくても、ラリマー様に立派な淑女となってほしい気持ちがあったら、素晴らしい令嬢になっていたかもしれないわ。だから、ある意味ではラリマー様もスカーレット様とは違う被害者なのかもしれないわ』
被害者……。
「常に厳しく締め付けられたスカーレットと甘やかされるだけのラリマー様、ね……」
ぼんやりと呟いたアルファの言葉を、風も吹かない温室の中で周囲の花々が聞いたという風に小さく揺れた。
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