Una rosa per te~彼女の幸福は長く続かない~
互いに夢のような一時を味わっても、現実は否が応でも突き付けられる。
昼休憩――
朝、夜会以外久しぶりにスカーレットに触れられて幸せな気分に浸っていたアシェリートだが、束の間の幸福に泥水を被せる声が己が耳に入った。一瞬で現実に引き摺り下ろされた意識が出入り口を向いた。両手に可愛らしくお弁当を抱いたラリマーが立っていた。アシェリートの前の席に座るデルフィーノが人知れず嘆息した。教室に入り込んだラリマーはデルフィーノに目もくれず、一緒に昼食を食べようとアシェリートを庭園へ誘った。
彼女にとって、アシェリートと昼食を食べるのは普段の確定事項となっているらしい。自身の可愛さに絶対の自信を持つラリマーは、両親や使用人達が可愛いと褒めてくれる笑みの中でも飛び切りの笑顔をアシェリートへ向けた。周囲に可憐な花が多数咲いたのを何人の者が見えたか。嫌悪を必死に隠すアシェリートには何も見えない。幸福な一時さえも邪魔をする虫にしか見えない。
アシェリートもお弁当を持って席を立った。隣に来たラリマーに目も向けず、無機質な表情を浮かべて教室を出て行った。
2人を見送ったデルフィーノは、あの2人をスカーレットが目撃しないことだけを祈った。
そして、その祈りは届いている。
菫色の髪を緩く縦ロールにした令嬢アルファ=オルコットは、昼休憩が始まるなり直ぐにスカーレットを連れて食堂へと来ていた。
「早く来ないといい席は取れないわね」
「ええ」
全校生徒が使用する食堂は、昼になると食事をする生徒達で溢れ返っている。少しでもいい席に座りたいのなら、早く行って席をキープしないとならない。
アルファの場合、席をキープするのともう1つ、早く食堂へスカーレットを連れて行く訳があった。言わずもがな、スカーレットの婚約者のくせにその妹と毎日一緒に食事をするアシェリートのせいである。幼少の頃より、彼女が家でラリマーと極端なまでに差を付けられてきたのは知っている。お茶会で緊張でガチガチだったスカーレットに同じ伯爵令嬢なら声を掛けても良いだろうと判断して声を掛けたのが切欠で、今では友人の中で一番仲が良いと自負している。
「今日は何ランチにしようかしら」
「わたくしはサラダスペシャルにしようかしら。最近、無駄にお肉が付いてしまって」
「野菜だけでは午後の授業はキツいと思われますよ。一緒に鶏肉を取っては? カロリーは低めでも味は美味しいですし」
「そうね。スカーレットは何をするの?」
「私はいつものAランチを」
アルファはラリマーが嫌いだ。フォルテ魔法学院に通う令嬢でラリマーに好意を抱いているのは極少数。又は、それもいないかのどちらか。令息には人気がある。容姿だけは、母アレイトの『妖精姫』と謳われた可憐さを受け継いでいるので最上級といっていい。対して、双子の姉スカーレットは髪や瞳の色どれを取っても父方のヴァーミリオン家の血が強い。特に、若い頃は王国の『薔薇姫』と謳われた美姫リリアネットの美しさを受け継いでいる。60代を迎えても衰えない若々しさや美貌の秘訣を多くの貴婦人が知りたがっているとアルファの母オルコット伯爵夫人はよく言う。
美しい姉と可憐な妹。
アシェリートが選んだのは可憐な妹。……というのが、外面だけ読み取れる情報。
(実際は、スカーレットにべた惚れですものねアシェリート様は)
スカーレットよりもラリマーを優先するのも、自分に嫌なことが起きれば全てを姉のせいにするあのどうしようもない妹から守る為。そのせいで事情を知っているが本気で心変わりしたと思っている一部の者や知らない者、スカーレット本人にラリマーが好きだと勘違いをされている。
料理を受付係に注文。前の列に並んで頼んだ料理を渡されるのを待った。順番が来て料理を受け取るとキープした席に2人共が座った。
ナイフとフォークを一切無駄のない動きで扱い、令嬢の手本のような動作で料理を口へ運ぶスカーレット。スカーレットに完璧な令嬢しか求めなかった伯爵夫妻が見たら、誇らしげに頷くのが目に見える。自分達の教育は何1つ間違っていなかったのだと言いそうだ。
だからだろう。主家の当主であり、父であるクローディンや母リリアネットの言葉が全く届かなかったのは。姉妹を愛していると叫びながら、第三者から見ても明らかな差別があると何故認めない。楽しげに食事をするスカーレットがヴァーミリオン公爵夫妻に引き取られ、行く行くは伯父夫婦であるヴァーミリオン侯爵家の養女となると聞いた時、アルファは心底安心した。伯爵家以外にスカーレットとラリマーに極端な差を付ける場所はない。やっと、安息の場所を手に入れられたと嬉しかった。――にも関わらず、1年前突然伯爵家に戻されてしまった。
公爵家に引き取られてからはずっと笑顔しか浮かべなかったのに、伯爵家に戻されると以前よりも更に酷い顔しか浮かべなくなった。一切の感情を押し殺した表情を見た日には、そんな顔をさせる元凶達に強烈な殺意さえ沸いた。結局、伯爵家は体面を守りたいが為にスカーレットを地獄に連れ戻したに過ぎない。彼女を戻すと決断したヴァーミリオン公爵と侯爵の考えは不明でも、戻してほしくなかった。
「ねえ」とアルファが口を開き掛けた時――爽やかな美声が2人に呼び掛けた。驚いて左を向くとオリヴェルがトレーを持って横に立っていた。慌てて立ち上がろうとした2人に「ここは学院。城でも社交場でもないから気にしないで」と止めた。
「食堂に来たのはいいけど満席でね。スカーレットの隣に座らせて貰えないかなと思ったんだ」
「は、はい。どうぞ」
「ありがとう」
スカーレットが嫌がらない――王族相手に嫌がる相手がいるかは兎も角――と知っていて言うのだから、アルファは若干オリヴェルが苦手だった。ニコニコと機嫌の良さそうなオリヴェルはスカーレットに話し掛けた。
「今度、隣国との和平条約が結ばれて200年の記念式典に出席するよう父上に言われていてね。ヴァーミリオン侯爵夫人も呼ばれているのじゃないかい?」
「はい。ヴィオレット叔母様は、式典の1週間前には隣国にある生家に戻ると言っておりました」
スカーレットとラリマーの叔母、ヴィオレット=ヴァーミリオンは元は隣国の公爵令嬢。留学の為“フォルテ王国”の魔法学院に入学した際、夫であるフレアーズィオ=ヴァーミリオンと出会った。王国の『薔薇姫』譲りの炎に燃える赤い髪と瞳の美貌に一目惚れしたらしく、猛アタックの末フレアーズィオとの婚約を勝ち取った。と、よくヴィオレットがヴァーミリオン家の女性限定のお茶会で話す惚気話である。恋の話が大好きなラリマーは毎回目を輝かせて話を聞き、……母アレイトが苦々しく微笑んでいたのを思い出したスカーレット。
疑問が顔に出ていたのか、オリヴェルに気になることが? と訊ねられてしまった。
「いえ、大したことでは」
「ずっと気になったままではスカーレットももやもやが取れないだろう? 敢えて口にすることで思いがけない答えが見つかる時だってあるよ」
「では……」
お茶会でのアレイトの様子の変化を話すとオリヴェルよりも先にアルファが口を開いた。
「ヴァーミリオン侯爵夫人ヴィオレット様は、隣国の先代王妃様の孫で容姿は勿論、成績も非常に優秀で学年は常にトップ。珍しい光属性の魔法の使い手でもあったから伯爵夫人は快く思っていなかったのではなくて?」
「お母様がヴィオレット伯母様を?」
「わたくしのお母様が教えてくれたのだけどね……」
アルファの話した内容が信じられず、目を大きく見開き口元を手で覆った。オリヴェルも興味深そうに聞いている。
「そうなのですか……」
「人それぞれ色々な悩みがあるものだからね。あまり驚く必要もないさ」
「そう言われましても、初耳なので」
「うん。私も初耳」
ニコニコと笑顔で告げるオリヴェルの言葉が真か偽りか。
長年の付き合いであるローズオーラでないと見破れない。
昼食も終わり、食堂を出た3人。
3学年は2階、2学年は3階に教室がある。階段の所で足を止めたオリヴェルがスカーレットに振り向いた。
「そうだ。スカーレット。私から君に助言だ」
「何です?」
「こっちに来て」
手招きをされ何だろうと近付くと急に顔を近付けられる。キョトンとするスカーレットに碧眼が細められた。
「もしも、どうしても、耐えられないと感じたら公爵夫人の所へ行きなさい。さっき話に出ていた侯爵夫人でもいい。助けを求めたらいい」
「オリヴェル殿下……?」
「……逃げることは決して悪くない。ただ、選択した逃げ道を誤らなければ、ね」
「っ……」
囁かれた言葉にスカーレットの心臓がドクンと強く鳴った。その反動で肩も跳ねた。
誰にも、両親や妹には勿論、幼い頃から自分の世話をしてくれているアメシストにさえ教えていない秘密を何故オリヴェルが知っているのか。震えながらも碧眼から目を離そうとしない。
距離がある為アルファの耳に2人の会話は聞こえない。
どうして……
口を開こうとした瞬間、ものすごい力で後ろから引っ張られた。そのまま体を反転させられ、見知った香りを嗅覚が反応したのと一緒に強く抱き締められた。
「……何をしているのですか? 殿下」
底冷えするような低く隠れもしない怒気が含まれた声。恐る恐る見上げると――鋭く光った紫水晶が目の前の相手を睨んでいた。
「ア、アシェリート様?」
「スカーレット……」
名前を呼ぶと苦しそうに顔を歪めたアシェリートは、コツンとスカーレットの額に自分の額を当てた。他人がいる前での至近距離に瞬く間に顔に体温が集中した。
「あ、あのっ」
「大丈夫か?」
「え」
「殿下に何もされていないか? あの人は、面白そうなことがあると何をするか分からない」
「な、何もされていません……大丈夫です……」
「……本当か? あんなに距離が近かったのに、殿下がスカーレットに要らぬ言葉を掛けたのではないか?」
要らぬ言葉……
ずっと秘密にしていたある計画をオリヴェルは知ってしまった。細心の注意を払って進めていたのに、知られてしまった。
本当に何もないと誤魔化すように笑って見せてもアシェリートは、納得しない表情でスカーレットを見下ろした。
「アシェリート様!」
アシェリートがスカーレットの髪に手を伸ばし掛けた時、息を切らせたラリマーが現れた。
「酷いですわ! わたしを置いて急に走り出すなんて! 折角、2人っきりで昼食を頂いていましたのに」
「っ!!」
途端、スカーレットがアシェリートを強く突き飛ばした。
側にいるアルファは頭を抱え、この場にローズオーラがいたら不謹慎殿下と呼ばれているオリヴェルはにこやかに笑んだまま。口元が揺れていても。
「……スカーレット……っ」
普段のスカーレットからは想像もしない強い力で突き飛ばされたアシェリートは、先程とは違う苦しみを浮かべた。
俯いて、体を小刻みに震わせているスカーレットは気付かない。
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