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Una rosa per te~一時の幸福~

 


 初めて家の馬車で魔法学院に向かうスカーレットは静かな空間で外を見続けた。魔法学院に行くようになって、少しでも長くスカーレットといたいアシェリートが朝迎えに来る。最初の時、朝から好きな人に会えてお互い嬉しかったのに慌てた様子のラリマーが出てきた。そして、自分も一緒に行くと言い出した。執事長のクラッカーが家の馬車を準備していると説明しても断固として聞き入れなかった。



『ラリ、』

『待て、スカーレット』

『アシェリート様?』

『下手にスカーレットが注意をするとまたスカーレットが悪く言われる』



 今までの経験から予想は出来ていた。伯爵家に戻されてすぐに送った紫水晶の髪飾りを付けるスカーレットの額に口付けを落とし、クラッカーに詰め寄るラリマーに声を掛けた。



『ラリマー。執事長を困らせるな。ちゃんと家の馬車を使うんだ」

『困らせてなどいませんっ! 寧ろ、執事長がわたしを困らせているんです! アシェリート様も何故そのような悲しいことを仰有るのですか!』

『俺が迎えに来たのは婚約者のスカーレットだけだ。婚約者の妹まで迎えに来てはいない』

『っ!』



 突き放されたラリマーの空色の瞳からポロリと雫が零れた。嗚咽を漏らし、泣き出す寸前のラリマーを見て心動かされる筈がないアシェリートは待っているスカーレットの元まで戻り、馬車に乗り込んだ。

 この日の朝はこれで済んだ。……帰宅してからが地獄だった。帰宅したスカーレットを、待ち構えていたかのようにアレイトが玄関ホールで立っていた。抱いた嫌な予感は的中した。帰宅の挨拶を言わせる隙も与えない程にアレイトはスカーレットを叱り付けた。

 どうして妹を大事にしない、使用人や婚約者を使ってラリマーを虐める最低な姉だと長時間罵倒され続けた。ヴァーミリオン公爵家に引き取られる前の記憶が呼び起こされた。何をやっても出来て当たり前、出来なければ何故出来ないと長時間に及ぶ説教。

 何が悪かった、家族4人やり直そう、だ。全然変わっていない。

 アレイトの理不尽は説教を止められる使用人はいない。唯一、長年ヴァーミリオン家に仕える執事長や侍女長が止めるがそれすらアレイトにはスカーレットを罵倒する要素にしかならなかった。ここでクリムゾンが帰宅して止めなければ、永遠と続けられていた。


 その翌朝、死んだような表情をするスカーレットと嬉々としたラリマーを見てアシェリートは愕然としたのだった。



「……」



 狭い空間には自分だけ。永遠に喋り続けるラリマーがいないだけでこうも静かになるなんて。

 早く魔法学院に着くことばかり考えているスカーレットは、ふと不思議に思う。ラリマーはずっと喋り続けているがアシェリートの返事をする声を聞いたことがない。相槌を打っている様子すらない。スカーレットと同じで外を見ているだけ。返事も何も返してくれない相手によく喋り続けられるな、と一種の感心を抱いてしまった。



「アシェリート様……」



 今朝、アメシストに結んでもらったリボンに触れた。アシェリートと会いたくない。会いたい。相反する2つの感情を抱いたスカーレットを馬車は魔法学院へ送り届けた。




 ◆◇◆◇◆◇

 ◆◇◆◇◆◇



(スカーレット……)



 片手にカプチーノが淹れられたカップを持って、魔法学院にある庭の長椅子に座るアシェリートの気分は死んでいた。スカーレットを伯爵家から連れ出す為に毎朝の迎えを禁じられ、早く魔法学院に着いてしまった為に食堂に寄ってカプチーノを購入した。毎日2回カプチーノを購入しに来るアシェリートの顔を見て、食堂で働く女性に、

「あんた死にそうな顔してるけど朝御飯食べてきたのかい? 食べてない? 男の子なんだからしっかり食べな! ほら、これあげる!」とカスタードクリームが挟まれたコルネットを2個渡された。入学してからずっとカプチーノを2回購入しに来るアシェリートは女性にとって常連客。最近では「カプチーノの坊っちゃん」と呼ばれ、行くとすぐに淹れたてをくれる。

 邪魔者が毎日いても、朝からスカーレットを見るだけで心が幾分か和らぐアシェリートの数少ない癒しがまた1つ減った。休憩時間も昼休憩もラリマーが来る。何度か、婚約者がいる身で他の男と一緒にいようとするなと言ったものの効果はなく。デルフィーノも「アシェリート様はスカーレット様の婚約者です。貴女が馴れ馴れしくしていい方ではありませんよ」と注意をしてくれるがそれも虚しく。


 省ける時間は解決するまで全て取り上げられ、スカーレットの為と自己を納得させても一目会えないだけで気持ちが暗く沈む。公爵家にいたままだったら、四六時中傍にいれた。ローズオーラに引っ付き虫と揶揄されようが片時もスカーレットから離れなかった。あまりにも引っ付いていたら、鬱陶しがられて嫌われるわよと指摘された時は、表情がこの世の終わりを告げられた絶望に染まった。当時13歳。



『そ、そんなことありませんっ! わ……わた……しも、アシェリート様といれて、嬉しいです……』

 耳まで真っ赤にして弱々しく告げたスカーレットを更に強く抱き締めたのは言うまでもない。愛しい婚約者を抱き締めつつ、不吉な台詞しか発しない姉へ不機嫌全開な瞳をぶつけた。呆れたような視線を貰った。うん? と微かに首を傾げたアシェリートに『……コーヒーでも頂こうかしら』とローズオーラは何処かへ行った。


 カプチーノを一口飲んだアシェリートは空をぼんやりと見上げた。翼を広げて空を駆ける鳥を見ていると無性に不安になる。スカーレットに婚約破棄を告げられてから、嫌な予感しかしない。1年前伯爵家に戻されてしまったせいで、更に自由がなくなった彼女が自由を求めて手の届かない遠い所へ行ってしまう。……そんな悪夢を何度か見るせいで眠れない。イネスにはカプチーノを飲む回数を減らしては? と進言された。眠りを妨げている原因はカフェインにもある。



「眠りたくない……」



 眠ったら、またあの悪夢を見る。手を伸ばしても届かない場所へ行ってしまうスカーレットを茫然と見ているだけしか出来ない夢なんて……見たくない。

 カプチーノをまた飲んだ。悪夢を見たくない他にも、周囲への手回しとヴァーミリオン伯爵夫妻からスカーレットを引き離した際に、夫妻が言い訳出来ない証拠を作っている最中。今までスカーレットに行ってきた虐待同然の教育を明確にする為の証拠を集める必要があり、1分1秒でも時間が惜しい。母が現国王の妹、姉が第2王子殿下の婚約者であるのを利用して無理を頼んでいた。本来なら、重罪を働いた罪人に使用される魔導具を借りる手配をしている。オリヴェルが進んで使用出来るよう手配を進めてくれており、理由を訊ねると――



『うん? だって、これを披露した時の彼等がどんな反応(リアクション)を取るか特等席で見たいから、積極的に協力するんだよ』と異性を虜にする美貌の笑みで答えられた。……側でローズオーラが遠い目をしていたのをアシェリートは目撃している。不謹慎殿下、とはローズオーラからの呼び名。彼程、人の不幸を見て楽しむ不謹慎な人間はいない。但し、勘違いしていけないのは、あくまでも偶発的に起きたものを見るのが好きなだけで自分で発生させようとは考えない。最低限のラインは守る。本当か疑わしくとも。



「はあ。殿下らしいな」



 もう1度、カプチーノを飲んだ。今度は大量に。一気に飲み込めばカップの中も終わり掛けていて。愛しい婚約者の名を力無く呟いた。

 すると、がちゃり、と地面を踏んだ音が。気になって振り返り――紫水晶の瞳が大きく見開かれた。視線の先には、先日イネスに届けさせた髪飾りを付けたスカーレットがいた。スカーレット、と呼んで立ち上がろうとしたアシェリートは立ち眩みに襲われた。足元のバランスを崩して長椅子に倒れたアシェリートへスカーレットが血相を変えて駆け寄った。



「アシェリート様! しっかり!」

「あ、ああ、大丈夫だ。心配ない」

「全然大丈夫じゃありません! 顔色がとても悪いですっ、それに目の下に」

「スカーレット。大丈夫だから」



 目の下に出来た薄い隈に触れようとした手をそっと掴んだ。

 小さい……。一回りも小さな白い手。スカーレットの手は何時だって変わらない。日常で触れることが出来なくなり、唯一触れられるのが夜会の時だとは、と自嘲気味な笑みを浮かべてしまう。「アシェリート様?」と怪訝な声を聞いてスカーレットの手を口元へ持って行き。


 薬指に口付けを落とした。



「あ、あのアシェリート様」



 戸惑いと羞恥と嬉しさの滲んだ複雑な声色。アシェリートに触れられるのが嬉しいのに突然の行動に戸惑いを隠せず、また、誰に何時見られるか分からず羞恥が頬に募る。

 婚約破棄を告げてしまった手前、会うのが億劫だった。贈られた髪飾りを付けたのは、心の裏側にある気持ちを表す為。普段より早く魔法学院へ着いてしまい、教室に寄る前に庭園を散策しようと足を踏み入れるとアシェリート(先客)がいた。心此処に在らずな状態で空を見上げていたので声を掛けるか掛けないか迷っていると落ちた木の枝を踏んでしまい、音でアシェリートに気付かれてしまった。立ち上がろうとしたアシェリートがふらついて長椅子に倒れた際には心底慌てた。よく見ると顔色が悪く、目の下にはうっすらと隈があった。

 触れようとしてもアシェリートに手を掴まれ、啄むように口付けを落とされる。


 口付けを落としていたアシェリートが顔を上げた。



「髪飾り、付けてくれたのか」

「……はい」

「よく、似合っている」

「アシェリート様が、贈って下さった物だからです」

「……そうか」



 暗にアシェリートが贈る物は全部自分に似合う。意識してなのか、無意識なのか。そう匂わせるスカーレット。実際は無意識。意識的に言うのはスカーレットにとってハードルが高すぎる。

 愛情がたっぷりと籠められた紫水晶に見つめられ、背中に手を回されると額にキスをされた。触れられた箇所が熱い。甘く蕩けてしまいそうで力が抜けてしまう。

 空いている手はスカーレットの手を握り、指を絡ませるように繋いだ。


 ポツリポツリ、とアシェリートは言葉を紡ぐ。



「手紙にも書いたが婚約破棄はしない」

「っ」



 スカーレットの体が一瞬ビクッと震えた。

 自分で言い出しておきながら、と嫌悪感を抱いた。

 アシェリートの手が強くスカーレットを抱き締め、手を握った。



「俺の婚約者はスカーレットだけだ」

「…………か」

「うん?」

「本当に……それで良いのですか……アシェリート様は」

「……何が言いたい」

「貴方は……貴方が好きなのは」



 怖い。

 この先を言って、そうだと頷かれたらどうしよう。

 家同士が結んだ婚約を今更変えるのは無理。スカーレット自身、もし仮にアシェリートがラリマーが良いと言っても未来の公爵夫人を務められるとは思えない。今でさえ、次期伯爵としての勉学をきちんと学んでいるのかさえ危ういのに。

 それに加え、嫌なことは全部姉や使用人に押し付け、優しい世界に浸っているラリマーが現実しか突き付けないシュガーやローズオーラと良好な関係を築ける可能性もゼロ。


 痛い程口を噛み締めるとスカーレットの手を繋いでいたアシェリートの手が口元に触れた。



「そんな風に噛んでいては傷が出来る。スカーレット、噛むのを止めろ」

「……」



 言われた通り歯を下唇から離すと満足そうに頷かれ、今度は唇に口付けをされた。

 不意打ちのキスに驚くスカーレットだが、嫌な感情は浮かばず、真っ赤に染まった顔でアシェリートを見上げた。



「思い出さないか?」

「何を、ですか」



 顔中にキスの雨を降らせるアシェリートの問い。思い出すとは何か。キスをされて思い出した――



「人目のない場所に行っては、よくこうやってキスをしたのを」

「ん……」



 祖父母に引き取られてから毎日、ヴァーミリオン公爵邸に足を運んだアシェリートとは、自分達以外誰もいなくなるとこうやってキスをするようになった。……魔法学院に入学してからは、2人だけになる時間が圧倒的に少なくなってしまったのでこうしてキスをするのも夜会以来となる。夜会の時しか、アシェリートはスカーレットを優先出来ない。婚約者の女性とファーストダンスを踊った後はカップルによっては自由行動となるが、離れればその隙を突いてラリマーが来てしまう。そうならない為に毎回スカーレットが体力切れになるまで踊っている。申し訳なさを抱きつつ、疲れたスカーレットをバルコニーや客室で介抱する。勿論、そこにもラリマーが入る隙間はない。

 これにも屋敷に戻ってからラリマーが両親に泣き付き、スカーレットに難癖を付けたのは知っている。夜会までスカーレットといる時間を取られるのは堪らない。

 なので、1年前伯爵邸で行われた16歳の誕生日を祝うパーティーの際、然り気無くラリマーと踊るよう勧める夫妻にこう告げた。



『ヴァーミリオン伯爵、夫人。()が婚約者であるスカーレットを優先して何か問題でもありますか?』

『そ、そういう訳ではないわ。でも、ラリマーがアシェリート様とも踊りたいと』

『ファーストダンスは婚約者や妻である女性と踊るのが常識。その後は基本は自由。なら、()が誰と踊ろうと()の自由ですね?』

『だが、1度位踊ってあげても』

『なら伯爵。夫人が兄君である侯爵と踊っても文句はないのですか? 夫人。貴女も同様です』

『……』

『そんな……』

『……答えられないのなら、もう行きます。行こうスカーレット』



 スカーレットには強制するくせに、いざ自分達がその立場になると嫌がり黙る。吐きたかった溜め息をあの時は堪えたが吐けば良かったと後々になって後悔した。

 その後、スカーレットがまた夫妻やラリマーに何か言われないよう出席していたヴァーミリオン公爵夫妻と侯爵夫妻にお願いした。



 キスの雨を降らせつつ、1年前の誕生日パーティーを思い出していたと同時にその時に贈ったプレゼントがスカーレットの手首にあって表情が綻んだ。

 その表情にスカーレットの心臓がドキッと高鳴った。



「去年渡したブレスレットだな」

「は、はい」

「サイズを間違えたか? 何だかキツそうに見える」

「とんでもありません。ピッタリです。大きくても腕から抜け落ちてしまったら大変です」

「そう、か。良かった」



 この時間が永遠に続けばいい。

 薔薇の形に模したルビーの左右には紫水晶が付けられており。ピンクゴールドのアームとスカーレットの細い手首がバランスよく映える。


 ぎこちなさを残しつつ、魔法学院で初めて2人だけの時間を堪能する2人だった。





 ――そんな2人を見守る人影が3つ。



「あれをラリマー嬢に見せてあげたら彼女も諦めてくれそうだけど」

「はあ。2人の世界に浸ってる場面を見ても、あのお花畑には通用しなかったのよ。アシェリートは婚約者の対応をしているだけと言っていたわ。婚約者でも、あんな風にいちゃつけるのは極一握りなのをあのお花畑は知らないのかしら」

「デルフィーノ君。君がちゃんとしていれば良かったのかもね」

「殿下。ラリマーの話の通じなさは殿下も存じていますよね?」

「知ってるよ。知ってて言った」

「……だと思いました」



 この殿下は……何度苛立ちを抱いたか数知れず。

「おや? ラリマー嬢だよ」とオリヴェルが苛立ちながら庭園を横切るラリマーを見つけた。此方に目を向ければ、当然長椅子に座るアシェリートとスカーレットも入る。苛立ちの理由はほぼ理解出来る。毎朝の迎えがなくなったからだ。スカーレットを迎えに来ているのをラリマーは理解していたのか。


 している筈がない。



「あのまま通り過ぎてくれたら良いのだけど」



 ローズオーラの願いは届かなかった。

 ラリマーの空色の瞳がアシェリートとスカーレットのいる方へ向いてしまった。咄嗟に植物魔法で植物を操ろうとローズオーラが魔力を込め始めたのと同時に――ラリマーの全身が水に濡れた。地面に転がった盥と少し離れた所で手を伸ばして倒れている金髪の少女。まさかと思いデルフィーノは出て行った。

 顔を上げた少女はデルフィーノが思った通り。妹のオニキスだった。



「オニキス嬢のドジ振りがここで発揮されるとはね」

「不幸中の幸いだわ」

「ラリマー嬢が喚いても心配いらないよ。ぼくの風魔法でアシェリートとスカーレットの周囲に音が届かないよう風の膜を張ってあげたから」

「求めてもいないのにご説明ありがとうございます」

「うんうん。ローズオーラはこうでないと」



 ラリマーのようになられても、スカーレットのようになられても困る。





読んで頂きありがとうございます!


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