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Una rosa per te~必要ない~

 


「ん……」

 

 窓から差し込む陽光が寝ているスカーレットへ注がれる。眩しい光に起こされ、ふわあ、と小さな欠伸を零した。

 昨夜の夜会でラリマーが何かやらかさないか心配だったが、送り届けてくれたデルフィーノは――

 

『何もありませんでしたよ。大人しくしてもらっていたので』と答えた。

 


「本当かしら」

 


 あれでいて嘘を言うのが上手い。微笑みの下に隠された本音と嘘を見分ける方法はあるのか。

 コンコンコン、とノックが3回。「失礼します」との声と同時に侍女のアメシストが入室した。

 


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう」


 

 ノックを3回するのはアメシストだけ。音だけで誰か判断する為のもの。ベッドの中にいたスカーレットはドレッサーの前まで行き、引出を開けた。昨日贈られた髪飾りをアメシストに渡した。


 

「今日はこれでお願い」

「はい」


 

 髪飾りのリクエストをするのは珍しいと紫色の瞳を丸くする。同時に、贈り主へどうしようもない憤りを抱く。仕える彼女が何時だって想うのは自分よりも美しい紫水晶の瞳をした青年だけ。

 ドレッサーの前に座ったスカーレットの赤い髪を丁寧に梳いていく。痛みもなく、艶やかな赤い髪。腰辺りまで伸びた髪を一房掬ったスカーレットがこんなことを言い出した。

 


「私の髪があの人と同じだったらアシェリート様も私を見てくれたのかしらね……」

「お嬢様……」



 アメシストは何も言えない。宝石と同等の価値があると言われても過言ではない紫水晶の瞳の青年は、1年前まではスカーレットを愛していた。……筈。スカーレットが祖父であるヴァーミリオン公爵に引き取られた際、スカーレットを一番よく知る侍女として一緒に公爵邸へ移った。変わらずスカーレットの世話を熟すアメシストにも、毎日馬車でやって来ては四六時中スカーレットに引っ付いていたアシェリートは映っていた。互いを好き合っている光景を毎日見ていたから、今のようなぎくしゃくとした関係が悲しかった。その元凶に強い憎悪の念を抱く。


(でも……)と考えてしまう。ぎくしゃくとしながらも、こうやって髪飾りをプレゼントされ、それをとても愛おしげに見つめるスカーレットと流行り物が大好きで新しい物が出る度に両親に強請るラリマーを比べた。



(ラリマー様が個人的にアシェリート様からプレゼントを貰ったって()()も聞かないのよね……)



 ラリマーのことなので、アシェリートから髪飾りを貰ったらいの一番にスカーレットに自慢しに来るだろう。アシェリート様から頂いた、と。アメシストが知る限りでは、彼がラリマーにプレゼントを贈っているのは誕生日プレゼントだけ。それ以外は聞いたことがない。スカーレットには誕生日以外でも、夜会の時であったり他の行事があったり、何もない日でも贈りたい物が出来たら何でも贈られる。装飾品だけではなく、日常品だったり花だったり――。

 でも、だからこそ憤りが生まれる。

 スカーレットを特別扱いしながら、目の前でラリマーを優先するのか。そのせいで彼女がどれだけ傷ついているかあの青年は分かっているのか。


 スカーレットの髪を櫛で梳いていく。



(お嬢様がヴァーミリオン公爵様に引き取られる前からも、乱入するラリマー様を優先する傾向はありました。だけど、公爵邸でラリマー様が何でもお嬢様のせいにして奥様や旦那様に叱らせるから仕方無くと誠心誠意謝っておられた。お嬢様もラリマー様が乱入するようになってからのアシェリート様の行動にある程度理解はしておられました。それでも、あまりにもラリマー様を優先するからお嬢様はアシェリート様に不安を感じていました)



 今の行動もスカーレットの為のものなら、どうしてと詰め寄りたい。屋敷ではスカーレットに会いに来ておきながら、ずっとラリマーといて。聞く所によると魔法学院でもラリマーといると耳にした。

 アシェリートの心がスカーレットからラリマーに傾いてしまったのか。あんなにも婚約者を愛していた青年が。



「……」

「アメシスト?」

「! はい。どうなさいました?」

「黙ったままだから。考え事?」



 いけない。

 何時もは些細な話でもするのに、つい考え込んで口を閉ざしてしまっていた。咄嗟に思い付いた嘘をスカーレットに述べた。



「申し訳ありません。弟のことを考えておりまして」



 アメシストには弟がいる。名前はスーフェン。生まれた時から体が弱く、体力の低下を防ぐために外へ出るのも儘ならない。歳はスカーレットよりも3つ下。7歳差の弟の為に奉公に来ているというのが一番大きい。名前しか知らなくても、よくアメシストが話してくれるので大体の人物像は把握していた。



「以前、お嬢様から頂いた薬のお陰で起きていられる時間が伸びたと喜んでいました」

「良かった。ローズオーラ様やオニキス様にお礼を言わないと」



 植物魔法を駆使して様々な花や植物を育てているローズオーラと魔法薬学の名家と名高いアイローラ伯爵家。人見知りが激しくても薬草に関してはアイローラ家で最も詳しいオニキスが、以前スカーレットを(行く道中のみデルフィーノが同行していたが)訪ねて伯爵邸を訪れた時にスーフェンの話をした。薬学の知識も豊富なオニキスが顔を真っ赤にして吃りつつもスーフェンに合う薬を調合してスカーレットに届けてくれた。入手が困難な薬草もローズオーラの魔法のお陰で難なく手に入れられていると聞く。


 髪を梳き、紫水晶が装飾された黒いリボンを頭に結んだ。

 赤に似合う黒と紫。



「ありがとう」

「はい。……お嬢様。お食事をここへ運ぶことも出来ますよ?」

「……いいわ。後でどうして来ないのと言われるだけだもの」



 ドレッサーの前から離れ、衣服を寝巻きから魔法学院の制服へ着替え、食堂へ行った。


 席には既に両親とラリマーが座って待っていた。



「おはようございます」



 ()()()()()()()()()()()()を付けたスカーレットの微笑みにクリムゾンとアレイトの顔が強張る。ラリマーだけ気付かず返す。

 壁に立つ使用人達はそんな夫妻の様子を自業自得だと心の中で非難する。今食堂にいる使用人は皆、古くからいる者ばかり。当然、夫妻のスカーレットに対する仕打ちを知っている。アメシストだけではない。彼等がいなければ、心も命もとうの昔に死んでいた。


 朝食を食す音だけが室内に響く。会話をするのはスカーレットを除いた3人。時折、クリムゾンやアレイトがスカーレットに話を振っても当たり障りのない返事をするだけ。食事の所作に微塵の失敗もない、見事な動き。クリムゾンとアレイトが求めた()()()()()()()()()がそこにいるのに喜べない。

 朝食を作る料理人もまたスカーレットの受けた仕打ちに憤りを抱く内の1人。毎日食事内容を若干変えていた。ヴァーミリオン公爵家に引き取られる前からしているが、1度スカーレットの食事だけ他のと違うとラリマーに指摘されてから味に微妙な変化をつけるだけにしている。他のと違うと言っても、その時はデザートで出したヨーグルトに混ぜた果物を3人にはカシスを、スカーレットにはストロベリーにしただけ。カシスはラリマーの好きな果物。ストロベリーはスカーレットの好きな果物。細かくカットしたら見分けは判別し難いのに目敏くラリマーは見つけた。



(自分よりもスカーレット様が優先されるのが気に食わないんですものラリマー様は)

(旦那様や奥様が甘やかすからです)

(ある程度大きくなってから自覚する子だっているわ。このままでは駄目と。でも、ラリマー様は駄目ね)

(それはそうよ。自分が気に食わないこと、嫌なことは全部スカーレット様や私達使用人に押し付けて旦那様や奥様に言い付けるんだもの)



 恐らく、仕える使用人のスカーレットを大事に想っている者は皆、スカーレットがいるから辞表を出さないだけと推測される。


 デザートのヨーグルトにスカーレットが手を伸ばした所で老年の執事がスカーレットの所へ来た。



「スカーレットお嬢様。馬車の準備が整いました」

「ありがとうクラッカーさん」

「馬車の準備?」



 ラリマーがどうしてと言いたげにスカーレットを見た。いつもはアシェリートがスカーレットを迎えに来るのだから、態々馬車を準備する必要はない。そこにラリマーも毎日無理矢理乗るから魔法学院に入学してから、ヴァーミリオン伯爵家の馬車が魔法学院へ向かったことはない。



「どうしてだいスカーレット。アシェリート様が迎えに来てくださるじゃないか」

「暫くは来れないと連絡を頂いています。ですので、お気になさらず」

「そ、そんな、わたしは聞いてません」



 迎えに来られているのはスカーレットであって、ラリマーではない。自分に連絡が入っていない事実に何故ショックを受けるのかと使用人一同は冷めた眼をしたくなるのをグッと堪える。目に見えて落ち込むラリマーを慰めようとアレイトがキツい口調でスカーレットを叱りつけた。



「スカーレット! そのような大事なことを何故ラリマーに教えてやらないのです」

「……アシェリート様が迎えに来ているのは私なので、私にだけ連絡を入れるのは当然と思いますが?」

「ラリマーもいつも乗っているではありませんか! もし知らないままだったら、ラリマーは馬車をずっと待つことになったのですよ!?」

「食事が終わったら言うつもりでした。ラリマー。私は先に行くから、貴女も食べ終えたら別の馬車に乗りなさい」



 手早くヨーグルトを食べ終え、席を立ったスカーレットを呼び止めるアレイトを止めなさいとクリムゾンが宥めた。


 玄関ホールまで来た。「スカーレット」と背後からクリムゾンに呼ばれ振り向く。



「もう少し、私達家族に歩み寄ろうという気はないのか」



 昨日のアレイトといい、この夫婦は酷くお似合いだ。

 周囲には誰もいない。

 ()()()()()の仮面を剥がした無感情な赤い瞳がクリムゾンを捉えた。



「今更、貴方方がそれを言いますか? 私に伯爵家の令嬢としての価値を極めろと常に突き放し続けた貴方方が」

「そ、それはっ」

「家族と仰有いますが――今更私に家族を求めないでください、と1年前申し上げました」



 伯爵家に戻されて1ヶ月経った辺りでスカーレットは溜めていた不満をクリムゾンとアレイトに放った。婚約者がいる身でありながらアシェリートに必要以上に引っ付くラリマーに注意してほしいと。婿養子になってくれるデルフィーノにも、大事な次男をヴァーミリオン伯爵家の婿養子とするアイローラ家にも面目が立たないと。

 それを2人はこう言い放った。



『義兄となるアシェリート様に家族として歩み寄ろうとするラリマーが何が悪いの。スカーレット。貴女の言い分を聞いていると、アシェリート様がラリマーと親しくしているのが気に食わないと聞こえます。アシェリート様の気を引けない貴女が原因でしょう』

『未来の公爵夫人になる者がそのような狭い心を持ってどうする。貴族の妻になるのなら、愛人や妾がいるのは普通だと思いなさい』



 この時から完全にアレイトとクリムゾンを見限った。次の日、他人がいない時に今と同じ呼びで呼ばれた時のアレイトとクリムゾンの顔といったら――愉快を通り越して馬鹿馬鹿しくなった。自分達の言った言葉が自分に当てはまると嫌がるくせに、長女だから、跡取りから未来の公爵夫人となると決まってからのスカーレットには理不尽を押し付けた。

 また、スカーレットがアシェリートとぎくしゃくし出したのもアレイトの言い放った“アシェリートの気を引けない”発言が大きな原因でもある。



()()()()()()()()()。私は貴方方が求めるままにしているだけです。家族仲良くをしたいなら、私など不要ではありませんか」

「何てことを言うんだっ、スカーレット! お前も私とアレイトの大事な娘なんだ!」

「……貴方方の()()()()はラリマー1人、でしょう。言い間違えないでください」



 近付く者を燃やし尽くす炎のような赤い瞳に熱はない。代わりに、絶対零度を纏った感情のない冷気がクリムゾンへ向けられた。

 1年前、やっとの思いで取り戻した娘からの視線にクリムゾンは生気の失われた真っ白な顔で立ち尽くす。気にする素振りもなくスカーレットは外へ行った。


 3年前、母リリアネットから言い放たれた台詞が脳内に再生された――



『大事な娘を返せ? 何を言っているの。貴方達の大事な娘は屋敷にいるじゃない。ここにいるのは()()()()()であって、貴方達の大事な娘なんてどこにもいないわ』



 違う、違う、違う――――!

 愛していた。恵まれた才能を持って生まれた跡取りだから、無駄にさせたくない為に厳しくしていた自覚はあった。厳しさは期待の大きさに比例したものだとスカーレットも納得してくれているものだとばかり思い込んでいた。言葉にせず、態度も褒めることもなく厳しい態度を取り続け、失敗をすれば二度と失敗してほしくない思いからきつく叱って――……それでどうやって愛されると思える。





読んで頂きありがとうございます!


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