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ヒトデナシ  作者: 影絵師
3/27

令嬢

薄暗い森の中を必死に駆ける若い女がいた。

 美しい茶髪を持つ彼女は目元に涙を浮かべた顔を何度も背後に向けながら走り続ける。来ているドレスは枝などに引っかかって所々破れかけており、髪や顔、ドレスが土に塗れていた。

 どこかの貴族だと思われる令嬢は好きでこの森にいたわけではない。自分の家族が所有していた領地に住み込んでいる農民の一部が突然怪物になり、あっという間に人間の数が減ってしまった。領主一家は領地を捨て、馬車で避難しようとしたが、元人間の怪物たちに襲撃された。横転した馬車から投げ出された令嬢は家族の安否を確認せず、痛みを耐えながら付近の森に逃げ込んだ。

 それで怪物から逃げられるはずはなく、背後から迫る怪物たちの追跡を振り切ろうとした。息苦しく、全身の痛みが残る、それでも怪物に捕まったあとの事を考えればまだマシだ。

 いきなり、彼女の体は宙を舞った。

 その状況に理解できない令嬢だったが、直後に地面に叩きつけられた。何とか立ち上がり、走ってきた方向を見ると、地面から木の根が盛り上がっていて、それに引っかかったようだ。

 その根をパキっと踏み潰す怪物の脚。それを見た令嬢は体を震わせて見上げる。

 筋肉質の体と牛の顔を持つミノタウロス、肥満体型の豚の頭のピッグマン、全身が毛に覆われている人狼、それらの三体が血まみれの得物を持って、令嬢を見つめていた。


 鬼ごっこはおしまいだ。


 そう言ってるかのように恐ろしく笑っている怪物たちは一歩ずつ令嬢に迫る。追い詰められる令嬢は恐怖に染まった声を上げながら、後ろに下がり、手が石に触れてはそれを掴んで投げつける。

 怪物たちは余裕で避け、わざと武器を掲げては令嬢を怖がらせる。

 下がり続ける令嬢の背に何かが当たる。振り向くと、一本の木が立っていた。

 絶体絶命。

 令嬢の頭の中にそう浮かんだ。前を振り向けば、牛、豚、狼の怪物たちがすぐそこに……


 ……

 …………

 ……………………


 森の中に一人の令嬢が横たわっていた。生きているが悲惨な状態だ。

 怪物になった人間は殺し、同胞だった人を食す、犯すことをためらわない。これは怪物になったことで人間時に抑えられた欲望が解放されるからである。怪物に変えられても理性を保つ例外は存在するが。

 三体の怪物に襲われた令嬢は体を震わせるが、起き上がろうとしなかった。自分の初めてを怪物に奪われたこと、陵辱の衝撃で精神はボロボロだ。このままでは、別の怪物にマワされるか、殺されるだろう。

 そんな彼女に鞄を携えた人影が近づく。

 一見繊細な鎧と仮面を身につけた女性だが、虫と人形を組み合わせたようなヒトデナシだ。薄緑に染まった複眼を横たわる令嬢に向け、その場にしゃがむ。


「大丈夫……?」


 ヒトデナシは声をかけるが、令嬢は返事をしない。何度も体を揺すり、肩を軽く叩いても無反応。彼女の状態を察したヒトデナシは目を閉じ、首を横に振る。

 立ち上がって去ろうとした時だった。


「ま……って……」


 かすかな声に振り向くと、令嬢がこちらに手を伸ばしていた。両目に涙を浮かべて。なんとか口を開け、声を出す。


「おわ……らせ……て……このまま……は……いや……」


 それを聞いたヒトデナシは、彼女が苦しみから解放されたがっていると考える。腕に畳まれている鎌で首を斬り裂き、楽にすることはできる。

 だが、怪物に殺された人間は怪物として蘇る。それがクソッタレな世界の仕組み。それに、私を蟷螂のヒトデナシに変えた“アイツ”と同じことはしたくない。

 ……何もこの体で殺す必要はない。

 鞄を開け、何かを取り出す。鮮やかすぎる色の果実だ。一時的の仲間である太刀使いの狼のヒトデナシによれば、これは即死する程の猛毒だ。怪物と戦う際に鎌に擦りつけろと、太刀使いの狼に渡されたものだ。

 猛毒の果実を腕から出した鎌で切り、欠片を令嬢の口に入れる。口に入れられたものを何とか咀嚼し、飲み込む令嬢。

 目を見開き、力なく首を傾けた。それから令嬢の体は動かなかった。

 蟷螂は今度こそ立ち上がり、その場に令嬢の遺体を残して立ち去った。人して死んでいくよう祈りながら。



 この時、蟷螂は太刀使いの狼の説明の一部を忘れていた。

 例の果実はとある怪物の一部であることを。つまり、その怪物に毒殺されたことになる……



 残された令嬢の遺体が大きく震え始める。激痛に叫び声を上げ、死から蘇った彼女の体に異変が起こる。

 両腕を木の枝に似た何かが突き破り、巨大な腕となる。両足も同様に枝が突き出し、獣の脚と同じ形になった。頭の左右二箇所から同じ枝が生え、その一部が顔を覆うように広がる。腰から尾のように根が生えた。

 激痛が収まり、しばらくしてからその場を立つ。

 変わり果てた自分の両腕をジロジロと見つめる。住んでいた館に置かれている木で作られた怪物の彫刻に似ている。何でも切り裂けそうだ。

 足を見下ろし、片方ずつ上げて見る。これで踏みつけたら何でも砕けそう。

 ふと、仮面のような何かをつけていることに気づき、外してみようとした。しかし、固定されており、無理に剥がしてはいけない感じがする。


 私も怪物になったんだろうか? どんな怪物に?


 あのクズトリオから逃げている時、池のそばを走ったことを思い出し、自分の姿を確かめるために、そこに向かうことにした。着れそうにない破れたドレスを拾って。


 人間だった頃、お父様とお母様は私に教えた。怪物は人の成れの果てであること、怪物になるのは愚かな人間だから、自分たちのように選ばれた者は怪物にならず人として死んでいけると。

 でも実際は違った。確かに怪物は人の成れの果てである。しかし、私のような貴族の一員がこのように化け物になっている。両親はきっと私が選ばれた者ではないと言うだろうが、それはないと思う。そもそも、私を実の娘だとわかるのか。

 

 そう考えているうちに池についた。改めて見ると、意外と広がった。

 近づき、水面に映るものを見つめた。

 そこには龍か鹿の頭蓋骨を思わせる木の仮面をつけたヒトデナシがいた。枝で出来た角に花が咲いており、顔の下半分は露出していて、笑ったり舌を出したりして自分だと確認した。

 胸と腰も映されているのに気づいたヒトデナシは、拾ったドレスを破って出来た布切れで覆い隠す。

 ……貴族とは思えない格好だと彼女も思った。見た目だけでなく、中身も「貴族とは思えません」と執事にも言われたことを思い出し、一人で笑う。

 そして笑うのをやめた。視界の端に牛、豚、狼が見えたから――



 令嬢だった木の鹿のヒトデナシはゆっくりと歩いている。その背後には不自然に生えたばかりの木に貫かれている牛、豚、狼の怪物の死体があった。

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